第六十八話 明日へ ③
大和の後部上甲板に連絡機を着艦させたセリスは、機体ごと移動したハンガーで達也からのメッセージを受け取り、思わず小首を傾げてしまった。
『ブリッジではなく艦長室へ来てもらいたい』
そう整備担当士官から伝えられたのだが、他人の耳目があるブリッジではなく、密室となり得る艦長室を指定した理由に思い当たる節がない。
それ故に人目を憚らねばならない重要な案件が発生したのではないかと判断したセリスは、急いで艦中央ブロックに位置する艦長室へと向かった。
今回の戦闘では立案された作戦が十二分に機能して一方的な大勝を得ているし、戦後処理も滞りなく進んでいると報告を受けているから問題はない筈だ。
だとしたら、帝星アヴァロンでの戦況に、なにか不都合な変化があったとの報告が齎された可能性が高い。
胸中に拡がる不安を持て余したが、努めて平静を装ったセリスは艦長室のドアをノックした。
「セリスです。お召しにより参上いたしました」
形式張った申告と同時に扉がスライドしたので室内へと足を踏み入れたが、視線の先に意外な人物の姿を見つけて立ち尽くしてしまう。
しかし、直ぐに我に返ったセリスは、目の前に立つ愛しい女性へ歩み寄って問い掛けていた。
「サクヤ……どうして君が此処に?」
柔らかい微笑みを浮かべてはいるものの、その表情には色濃い心労の影が滲んでおり、美しい青藍色の髪の毛も色褪せているかの様に見える。
今回の事で心配を掛けたのが原因だと分かっているだけに慚愧の念に堪えないが、この身を案じてくれたのだと知れば、身勝手だと自戒しながらも、やはり嬉しいという気持ちは抑えられない。
そして、それは出迎えたサクヤも同じだった様で……。
「居ても立っても居られなくて……クレア様に促される儘に付いて来てしまいました。でも、本当に良かった……ありがとう、セリス。私の願いを叶えてくれて」
愛しい想い人の無事な姿を見て安堵したサクヤは、感極まって一杯になった心の中から辛うじて感謝の想いを言葉にする。
『どんな結果になっても生きて帰ってきて欲しい……』
藁にも縋る想いで伝えた懇願をセリスは守ってくれた。
だが、無事に生還した想い人に悲しみの影が纏い付いているのに気付けば、実の兄との戦いが、如何に彼の心を苛んだかに思い至ってしまう。
だから、どんな顔をすれば良いのか戸惑ってしまったのだが、そんな逡巡を意味のないものにしてくれたのも、やはりセリスだった。
「あっ! セ、セリス……」
瞬きする間に距離を詰められたかと思えば、有無も言わさずに抱き締められてしまい、不意を衝かれたサクヤは動揺するしかない。
だが、それは決して不快なものではなく、寧ろ彼女にとっても心温まる喜ばしいサプライズだった。
だから、何の躊躇いもなく想い人の身体に両腕を廻し、そっと抱き締めたのだ。
「ありがとう……君に託された想いの御蔭で迷いを絶てたよ」
「いいえ……それだけではないわ。今も塗炭の苦しみに喘いでいる帝国の人々への貴方の想いがあったからこそよ……でも、本当に良かった。貴方が無事でいてくれて本当に良かったわ」
「サクヤ……」
「セリス……」
想いを交わし合った若い男女が苦難を乗り越えて再会したとなれば、昂る気持ちを抑えられなくなるのは充分に理解できる。
しかし、感極まったセリスとサクヤには周囲の様子は見えていないようで、熱い視線を交わす二人の顔がゆっくりと接近し、まさに唇が重なろうとした瞬間、唐突に投げ掛けられた言葉に息が止まるほど驚いてしまったのだ。
「あぁ~~~。盛り上がっている所を恐縮なんだが、続きは後にして貰っても良いかい? 初々しい若者のラブシーンは、オジサンには眩し過ぎてねぇ」
「あなたっ! そんな揶揄う様な言い方をしなくても……」
吃驚したセリスが視線を巡らせれば、部屋の隅でニヤニヤと笑っている達也と、そんな夫の無作法を咎めるクレアの姿があった。
然も、その傍には忍び笑いを漏らしているアナスタシアと、平然とした趣を崩さない乳母のマリエッタまでもがおり、セリスは羞恥に顔を引き攣らせてしまう。
サクヤはサクヤで周囲の状況を失念して感情の儘に行動した自分の失態が恥ずかしくて仕方がなく、顔を朱に染めて恋人の背後へと隠れてしまった。
そんなふたりを見た達也は苦笑いしながらも、羞恥に煽られて顔を赤くする若いカップルを促した。
「今更畏まる必要はないさ。しかし、ふたりきりの時間を楽しむ前に、両殿下には是非とも私の話を聞いて貰いたくてね」
その明け透けな物言いにセリスは苦笑いするしかなく、一方のサクヤは恨めしげな視線を達也へ向けて詰るのだった。
「さくらちゃんの言った通りですわ……達也様はとっても意地悪ですっ!」
◇◆◇◆◇
「えっ!? 私と一緒にアヴァロンへ行くって……本気なのかい?」
実に晴れ晴れとした顔で同行を希望したサクヤの言葉に困惑したセリスは、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
現在グランローデン帝国の支配域に於いては随所で解放を叫ぶ民衆の反乱が続発しており、彼らを支持して擁護するアングリッフ元帥率いる軍団と、貴族派部隊との武力衝突も激しさを増している最中だ。
セリスの指揮下に入った遠征艦隊がアヴァロンに帰還して参戦すれば、解放軍の方が優勢にはなるだろうが、それで全てが好転するとは限らない。
寧ろ、騒乱終結までには、ひと山もふた山も波乱があると覚悟しなければならないだろう。
そんな不確かな情勢の中、危険極まる紛争地帯に大国の第一皇女を連れて行くなど正気の沙汰ではないし、サクヤの身の安全を第一に考えるセリスとしては、到底容認できる事ではなかった。
「だが、帝国の全支配域に騒乱が拡大している最中だし、紛争終結への目途も未だに立っていない。我々が帰還して解放軍に助力したとしても、それで事態が好転するかどうかは未知数だ。そんな危険な場所に君を連れてなんか行けないよ」
「危険なのは承知しています。でも、それでも……貴方だけを帰国させてセレーネで待っているなんて私には耐えられません……お願いセリス……私もアヴァロンへ同行させて下さい」
何とか思い止まる様に説得するセリスと懸命に懇願するサクヤ。
しかし、全く埒が明かない押し問答が延々と続くかと思われた時、ふたりの遣り取りに割って入ったのは、他ならぬアナスタシアだった。
「セリス殿。貴方様の御懸念と御心遣いには心から感謝申し上げますが、サクヤの決意も固い様です……此処はこの婆の顔に免じて、この娘の我儘を御聞き届け戴けませぬか?」
銀河の女王と称された女傑が腰を折って懇願する光景など滅多に見られるものではない。
ましてや、未熟な自分如きが最上級の礼を尽くされる立場にないのは、誰よりもセリス自身が分かっている。
それ程までにサクヤの行く末を案じているのだと察すれば、アナスタシアの懇願を無下にはできず、大いに葛藤せざるを得なかった。
然も、大伯母が見せた厚情に感極まって涙ぐんでいるサクヤを見れば尚更だ。
すると、言葉を失って懊悩するセリスへ再度アナスタシアが懇願した。
「幸いにも我がランズベルグは皇太子が健在であり、その力量と将来性にも不安はありませぬ。また、サクヤや他の子らに婚姻を強いてまで解決せねばならない政治的懸案もございません……ならば、この娘の思う儘に生きさせてやりたいのです。もしも、運悪く戦火に巻き込まれて死んだとしても、貴方様を御恨みする気はありません……ですから、どうかこの通り……」
そして、先程よりも更に深々と頭を下げたのである。
セリスとて叶うならばサクヤと離れ離れにはなりたくはないが、万が一の事態を考えれば安易に承諾できる筈もない。
だが、懊悩するセリスを見かねた達也が、その背中を押すべく諭した。
「私は以前君に言った事がある。“彼女に対する偽りのない感情を曝け出せ”とね。今がその時じゃないのかい? それに、サクヤは護られてばかりのお姫様ではないよ。きっと君の役に立てる……私はそう信じているけどね」
そう言われて思い出したのは、己の未熟さが原因で不埒な行為に及んでしまい、サクヤを傷つけた挙句に達也から散々に打ち据えられた時の叱責の言葉。
あの時もその一言で踏ん切りがついて告白できたのだし、だからこそ今の幸せがあるのだと思えば、セリスは達也の言葉に頷かざるを得なかった。
ならば、自分が伝えるべき言葉はこれしかない……。
そう思い定めたセリスは、サクヤの両肩にそっと手を置いて偽りなき本心を吐露したのである。
「たくさん苦労を掛けると思う……だが、それでも私と一緒に帝国に来て欲しい」
「はい。何処までも貴方と共に……ありがとう、セリス……私は幸せです」
そんな若い恋人達の様子にアナスタシアは安堵したかの様に微笑み、マリエッタも涙ぐんでサクヤとセリスへ優しげな視線を注いでいる。
達也はクレアと視線を交わして頷き合ってから、ふたりに声を掛けた。
「サクヤならば混乱後の復興に大きな役割を果たせるはずだ。君達は若いのだから古い因習に縛られる必要もない。だから、ふたりで力を合わせて胸を張って明日へ歩み出せばいい。きっと祝福された未来を手にできる。私はそう信じているよ」
その言葉にセリスとサクヤは顔を綻ばせて謝意を述べる。
「はい。御教授は絶対に忘れません。そして、今日までの数々の御厚情も……心からの感謝を貴方に」
「私も心から感謝しています。貴方様の下へやって来て本当に良かった……達也様から教えられた“縁”を大切にして精一杯頑張るつもりです」
そして一礼したサクヤはクレアに歩み寄り、優しげな目で自分を見ている恩人を抱き締めた。
「貴女様から頂戴した数々の御厚情は決して忘れませんわ。いつか必ず御恩返しに参りますので、どうか、その日まで御健勝であらせられますように」
クレアも感涙するサクヤの肢体を抱き締めて惜別の言葉を贈る。
「恩返しなどとは水臭いですわ。いつの日か再会できた時にセリス殿との間に儲けた御子の顔を見せて頂けたならば、それで充分ですからね……楽しみにしていますので、貴女様こそ御身お大切に。そして、セリス殿と末永くお幸せに」
ふたりともそれ以上の想いは言葉にならず、只々抱擁を交わすのみだった。
その後、詩織や大和クルーを交えて一頻り別れを惜しんだセリスとサクヤだったが、学校から帰宅した白銀家の子供たちからの通信にも対応し、ユリアやさくら、そしてティグルからの激励と、マーヤ、蒼也の『また逢おうねっ!』という言葉を胸に再会を約してアヴァロンへの帰途へついた。
帝国艦隊将兵の士気を慮ったセリスは、梁山泊軍第二艦隊のエスコートを固辞するや、サクヤと傍仕えを望んで譲らなかったマリエッタ共々旗艦に乗艦したのである。
若いふたりが今後如何なる明日を築くのかは誰にも分からない。
しかし、それは決して無惨なものにはならないだろうと、達也もクレアも信じて疑ってはいなかった。
こうして、銀河の覇権を争った敵対勢力がひとつ。
その舞台から姿を消したのである。
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