第六十六話 兄と弟 ⑩
「どうした、セリスッ!? 達者になったのは口先ばかりで剣の腕前は相変わらずのようだな。そんなザマでは、手にしている聖剣も嘸かし不本意であろうよ!」
そう哄笑するリオンが繰り出す剣戟は鋭く、未だに未練を捨てきれないセリスでは、防戦を余儀なくされるのも仕方がなかった。
実兄がその手にしている大剣は帝国建国時にシグナス教団から献上されたものであり、護り刀として歴代の皇帝に受け継がれて来た宝剣だ。
その刀身が薄く淡い光に覆われているのを見れば、教団の神衛騎士らが所有している法具と同等の呪詛が施されているのは明らかだろう。
そうでなければ、その出自も定かではない代物が、聖剣である炎鳳と鍔迫り合いを演じるなど到底不可能なのだから。
しかし、それ以上に持ち手であるリオンの技量は並外れており、達人と呼ばれる剣士すらをも凌駕する剣の使い手だと認めざるを得ず、その卓越した剣技にセリスは舌を巻く思いだった。
それは、幼き頃から文武共に研鑽を惜しまなかった努力の賜物であり、嘗てのセリスがリオンへの純粋な憧れを懐いていた頃と比べても、その斬れ味を増していると言っても過言ではない。
だが、そんな不利な状況にありながらも、彼は説得を諦めてはいなかった。
「くぅッ! あ、兄上ぇッ! 目を覚まして下さい。次代の皇帝たる資質に恵まれ、その上で血の滲む様な努力と研鑽を重ねてこられた貴方ならば、帝政であれ、民主制国家であれ、指導者としての地位は揺るぎない筈です! なぜ時代が求める新たな変化を受け入れられないのですかッ!?」
「笑止ぃ──ッ! 何度も言わせるなセリスッ! 奉仕するのは愚昧な民衆の方であって私ではないのだ! 我こそが絶対的な支配者なのだ! それ以外の巫山戯た未来など到底受け入れられるものではないわぁッ!」
その双眸に嗜虐と狂気の色を滲ませたリオンは、変幻自在の斬撃を振るいながら哄笑し、その切っ先を躱し刀身を炎鳳で受け続けるセリスは、昔日の面影など微塵も窺えない実兄の変わり様を目の当たりにして悲嘆に暮れるしかなかった。
(血の繋がった身内からも命を狙われた挙句、切望して一途に追い求めた未来をも失ったのだ。その時の兄上の絶望感と憤懣は理解できる……だかッ!)
帝政の廃止を宣言されたリオンの憤りは容易に想像できたし、その結果、父皇を廃して帝国の実権を握るという野心を懐いた心情も分からなくはない。
然も、精神的に不安定になっている時にハインリヒ教皇から、邪な甘言を以て篭絡されたのだとすれば、同情の余地は多々あると思う。
だが、それでも、越えてはならぬ一線をリオンは踏み越えてしまったのだ。
その蛮行によって多くの血が流れた以上、その罪は贖わなくてはならない。
(そうだ……そして、それは我ら兄弟が償わなくてはならない罪なのだッ!)
そう決意したのと同時に上段から振り下ろされた剣戟が襲い掛かって来た。
「人生の最後に我の役に立つのを光栄に思うがいいぃ──ッ!」
そう大喝して全力で大剣を振り切ったリオンだったが、刀身は虚しくも宙を斬ったのみで、セリスには掠りもしなかった。
その斬撃は確かに速く鋭かったが達也の技には遠く及ばず、兄を倒すという覚悟さえ決まれば、躱すのは今のセリスならば難しくはない。
巧みな足捌きを駆使して僅かに後退し、ギリギリで斬撃を見切る。
すると、その顔を驚愕から怒りへ変えたリオンが苛立ち交じりの罵声を発した。
「無能な愚弟の分際で我に逆らうかッ!? あの男といいキサマといいッ! 全く忌々しい限りだ!」
以前ならば怒気を含んだ兄の一喝に射竦められたかもしれないが、悲劇の連鎖を断ち切ると決めたセリスには通じない。
それは、彼自身が護りたいと想う大切なものを手に入れたからであり、理想だと思い描く確かな未来を見据えているからでもある。
だからこそ、炎鳳を正眼に構えたセリスは、指呼の距離にて対峙する兄へ悔恨の情と譲れない決意を口にした。
「確かに私は愚かでした。血族であるにも拘わらず、不毛で陰惨な腹の探り合いをする一族の在り様に嫌気がさし、早々に軍人を志して独立したのですから、厄介事から逃げた卑怯者だと誹られても仕方がないでしょう。そんな私に兄上を非難する資格はないのかもしれません……ですがッ!」
眦を決して実兄を見据え、語気を強めて言い放つ。
「だからといって兄上が為された事が許される道理はないのです! 父皇を弑した挙句に幼子に至るまで全ての血族をその手にかけた暴挙。そして、愚かな選民思想に囚われて帝国臣民に塗炭の苦しみを強いた愚挙は償わなければなりませんッ! それが、兄上と私に課せられた贖罪なのですッ!」
勿論、そんな言い分など想定の範囲の中でしかないリオンにしてみれば、セリスの憤りなど取るに足らぬものであり、普段ならば歯牙にもかけなかっただろう。
しかし、格下だと見下す相手から敵意を向けられたとなれば話は別だ。
それは不遜極まる行為であり、赦し難い罪でもある。
だから、一瞬でその顔を朱に染めた彼は大喝してセリスに襲い掛かった。
「その生意気な物言いはキサマには百年早いと知れぇッ!」
身に着けた技を惜しみなく繰り出して縦横無尽に大剣を振るうリオンは、自身の勝利を寸分も疑ってはいない。
だが、間断なく放たれる斬撃が悉く捌かれるのを目の当たりにすれば、胸の中に燻ぶる苛立ちが憎悪へと変化していくのを抑えられなくなってしまう。
そして、正に暴風の鬩ぎ合いと評するに相応しい打ち合いの中、兄弟はそれぞれの想いを言葉の刃に変えてぶつけ合うのだった。
「他者を虐げて優越感を満たすなど馬鹿げているッ! 身分や地位で取り繕わなくても、慈愛の心さえあれば、人は必ず理解しあえる筈ですッ!」
「そんな戯言は幻想でしかない! 人間は己の欲望を満たす為ならば平気で他者を貶める生き物なのだ! 血の繋がった身内ですらそうなのだから、他人ともなれば尚更であろうッ! ならば支配する側でありたいと思うのは当然であろうが!」
「思い上がりも甚だしいぃッ! 他者を支配するという考えが、既に時代遅れなのですッ! 何故それに気付かれませぬッ!?」
「この銀河世界の理も知らぬ子供が妄言を吐き散らすなぁ──ッ!」
ふたりが繰り出す剣戟はそれぞれの意志の高まりに比して激しさを増し、目まぐるしく攻守を切り替えながら、何時終わるとも知れずに続く。
しかし、激昂してその形相に狂気を滲ませるリオンとは対照的に、剣を打ち合う度に心が冷えていくのをセリスは感じずにはいられなかった。
この戦いの果てに得るものは、どちらが勝ったとしても“身内殺し”という汚名でしかなく、他人から見れば自分も兄も“同じ穴の狢”でしかないだろう。
そんな愚物が指導者を気取って臣民を導くなど烏滸がましいと分かってはいても、それ以外に今の帝国に安寧を齎す方法がないのも確かだ。
(まるで道化だ……これが、その手を親族の血で染めた者の末路か……)
そう自嘲するセリスだったが、そんな無意味な感傷に浸る余裕はなかった。
怒りに任せて剣を振るうリオンの斬撃は鋭さを増しており、達也との鍛錬で腕前を上げたとの自負はあっても、捌き切るのは容易ではなくなっている。
只の一度でも受け損なえば、そこにあるのは死という名の終焉。
背筋に冷たいものが流れた気がしたセリスは、不吉な予感に恐懼して奥歯を噛み締めていた。
「もう、容赦せぬぞ、セリスッ! その不遜な思い上がりぃ! キサマの命で贖うがいいぃ──ッ!」
憎悪に彩られた大音声と共に振り下ろされた大剣を辛うじて受けたセリスだったが、鍔迫り合いの中、その圧倒的な力に飲み込まれそうになった時、唐突に達也の言葉が脳裏に蘇った。
『君にとって大切なものが何なのか、護るべきものが何なのか忘れないで欲しい』
その言葉に導かれて思い浮かべたのは、悲し気なサクヤの顔とその哀願。
『私の下に帰って来て……それだけで充分ですから』
今でも鮮明に覚えている想い人の言葉にセリスは奮起するや、顔の間近に迫った刃を押し返して危地を脱した。
だが、勝利を確信していたリオンは動揺を露にしながらも憎悪に顔を歪め、更に力を込めて押し切ろうとする。
「悪足掻きをしおってえぇ──ッ! キサマ如き愚物は、我が創る世界の礎となる以外には何の価値もない! 我が世に役立つのを光栄に思って死ぬがいいぃッ!」
その身勝手極まる兄の嘲弄に耳朶を打たれたセリスは、一瞬だけ芽生えた悲しみを押し殺して吠え返す。
「ならばッ! 私はッ! 私の大切なものを護るために戦いますッ!」
その言葉が躊躇いという名の呪縛を粉々に打ち砕くや、まさに火事場の馬鹿力と形容するしかない力によってセリスはリオンを一気に押し返した。
そして、鍔迫り合いを続けた儘の恰好でメインブリッジから通路へと飛び出したふたりは、リオンが壁に背中を打ち付けた事で漸く動きを止めたのだが……。
「セリス──ッ!!」
攻勢に転じて炎鳳を押し込もうとした瞬間、焦慮を滲ませた達也の叫び声にその身を貫かれたセリスは、反射的に後方へと跳び退いていた。
まさに間一髪!
目の前を駆け抜けた光剣の斬撃が兄弟を分断するや、ふたりの間にクリストフが割って入ったのである。
「カ、カイザード団長……」
“皇帝の護剣”の名を欲しい儘にした剣豪は、既に自らの鮮血で化粧した死に装束を纏っており、その事実にセリスは憐憫の情を覚えずにはいられなかった。
(仕える主さえ間違わなければ、違う未来もあったかもしれないのに……)
帝国の英雄の死はもはや避けられないと察すれば絶句する他はなかったが、辛うじて窮地を脱したリオンは嚇怒した儘に喚き散らす。
「もういいッ! 殺してしまえッ、クリストフッ! 皆殺しにしろぉッ!」
その声に反応して炎鳳を構えたセリスだったが、次の瞬間に起こった信じられない出来事に悩乱し、茫然自失の体で立ち尽くしてしまうのだった。
「何を愚図愚図している! 殺せッ! セリスを、ぐふぅッ……あ、あぁ……」
苛立ちを募らせ再度命令を口にしたリオンだったが、その苛烈な言葉が最後まで紡がれる事はなかった。
何の前触れもなく襲い来た激痛と熱量に驚愕し苦悶に顔を歪めたリオンは、その原因を求めて視線を下へと向ける。
そこに見たのはクリストフの身体から突き出たビームソードの光刃であり、それが自分の胸を貫いている信じられない光景だった。
自らの剣を己の腹部へと突き立てたクリストフが、その勢いの儘に主である自分を弑そうとしたのは分かったが、残念ながらその真意を追及する時間はリオンには残されていなかったのである。
「ク、クリス……トフ……き、きさま……こ、この裏切り者めがぁッ」
怒りと驚愕、そして絶望が綯交ぜになった声でリオンは詰ったが、達人の剣先が急所を外す事はなく、傷口から吹き出した血と共に急激に力が抜け、次第に意識が混濁していくのが分かる。
そして、そんな彼の耳朶を最後に震わせたのは、長年に亘り莫逆の友として忠勤して来た男の愛惜の念を含んだ言葉だった。
「もはや……これまでで御座います陛下。この私めが地獄への御供仕りますので、どうか、御心安らかに……ぐうッ!」
「があっ! ば、馬鹿な……こ、こん……な……ばかな……」
ふたりを貫く光刃をクリストフが更に押し込むや、苦悶が滲むその双眸を大きく見開いたリオンは一際大きく呻いてから崩れ落ち、その波乱に満ちた生涯に終止符を打ったのである。
そして、全てを成し終えたクリストフも、主の後を追うかのように力尽きて床に倒れ伏すのだった。
「カ、カイザード団長ッ!」
刹那の間を呆然と立ち尽くしていたセリスは我に返るや、仰向けに横たわる近衛騎士団団長の隣に跪いて彼の名を叫んだが、クリストフの口から零れ落ちた言葉に驚いてしまう。
「セ、セリス殿下……御立派になられた……見違えましたぞ……」
掠れた声で呟いたクリストフの表情は、帝室の一員として長く彼に接する機会があったセリスですら初めて見る、とても穏やかなものだった。
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