第六十六話 兄と弟 ⑦
格納区画を飛び出した達也とセリスが向ったのは、艦中央ブロックの上部区画。
所謂、指揮系統の中枢であるメインブリッジだ。
通常航行時は突出している艦橋だが、戦闘時は船体内部に収納されて厚い装甲に護られるのが昨今のスタンダードになっている。
目視による情報取得は叶わなくなるが、高性能カメラとAIの性能向上に伴い、艦橋内部は常に全方位対応のモニターが展開されており、戦闘指揮に支障を来す事はない。
それは梁山泊軍の大和型戦艦も同様であり、戦闘指揮所は楼閣然とした艦橋部分の真下にあるが、レトロな外観が達也の趣味に因るものかといえば必ずしもそうではなく、楼閣内部の第一、第二艦橋共に艦を統制する機能は充分に備えていた。
一見無駄にも思えるが、戦闘中のアクシデントでメインブリッジが機能を喪失しないという保証がない以上、万が一の事態に備えて配慮するのは当然だろう。
しかし、帝国軍弩級戦艦ケーニヒ級にはその様な配慮はなされておらず、艦橋はひとつしかない。
被弾し大破した艦では自力航行も儘ならず、挙句に脱出する術もないとなれば、リオン皇帝は今もメインブリッジに残っていると考えるのが妥当だ。
軍艦の内部構造などは、どの勢力の艦船も大差はなく道に迷う心配はない。
だから、セリスの前に立つ達也は、足早に通路を駆け抜けるのだった。
(此処までに乗員の姿を見ないが、待ち伏せされていると考えるのが妥当かな?)
そう考えた達也は、万が一の事態に備えて何時でもセリスの盾になるべく備えていたのだが、それは杞憂に終わる。
ものの数分で目的のフロアーへ達したふたりは、メインブリッジへと続く入り口の扉が無防備に開け放たれているのを見て足を止めた。
何かしらの罠があるのでは……。
その可能性を考慮して慎重に周囲の様子を窺う。
「歓迎してくれているのかな? それにしては人の気配は多くなさそうだが……」
状況にそぐわない軽口を叩く達也は何時も通りの平常運転だが、実兄リオンとの対面を間近に控えたセリスはそうもいかず、表情を強張らせている。
だが、此処まで来た以上は逡巡も停滞も許されない。
そう覚悟を決めたふたりが足を踏み出したその時……。
「そう警戒なさる必要はありませんぞ。他の乗員らは既に別区画へ退避させております……お久しぶりですね、セリス殿下」
そう声がしたかと思えば、メインブリッジから長身痩躯の青年武官が姿を現し、慇懃な物腰で恭しく一礼した。
「カイザード……クリストフ・カイザード団長……」
皇帝の護剣と称えられる男の登場に、セリスは思わずその名を呟いていた。
顔を合わせる機会があれば訊ねたい事が山ほどあった筈なのに、実際に対面してみれば、胸中で複雑な想いが綯交ぜになって何も言葉にならない。
そんなセリスの葛藤にはお構いなしにクリストフは言葉を続ける。
「リオン陛下が御待ちになっておられます。セリス殿下と御話がしたい……と」
寧ろ、その申し出はセリスにとっても望む所であり、言下に承諾しようとしたのだが、それに達也が待ったを掛けた。
「随分と虫のいい申し出だ。どちらが優勢かは一目瞭然だろう? この期に及んでみっともなく足掻いたのでは、帝国皇帝の威信に係わるのではないのかな?」
何処か飄々とした物言いだが、その言葉には有無を言わさぬ圧が滲んでいる。
しかし、口元を綻ばせただけで微塵も表情を揺らさないクリストフは、その言を柳に風とばかりに受け流した。
「このスクラップ間際の廃船など、艦砲の一斉射で充分止めを刺せた筈ではありませんか? それにも拘わらず此処へ来たのは、セリス様の心情を慮っての事……違いますか? 白銀達也閣下」
確かにクリストフが指摘した通り、リオン皇帝を葬るだけならば手段を選ぶ必要はないし、大和型の主砲であるレールカノンの威力を以てすれば、皇帝の命諸共に乗艦を宇宙の藻屑へと変えるなど造作もなかっただろう。
だが、その方法を選択しなかったのは、『どの様な結果になるとしても、最後に兄と腹を割って話をしたい』というセリスの申し出を考慮したからだ。
「あまりお勧めできないがね……それでも想いは変わらないかい?」
その問いの意味が痛いほど分かるからこそ、セリスの表情に懊悩が滲む。
第十皇子である己の存在など歯牙にもかけていなかった実兄が相手では、説得が功を奏して何かが変わるとはセリスも思ってはいなかった。
その結果、この世に残った最後の血縁者同士が殺し合いをするという悲劇が現実のものになる可能性は極めて高く、その事実が今後の帝国の再建に昏い影を落とすのは必定だとも分かっている。
寧ろ、全ての柵に目を瞑り、先帝を弑逆して帝位を簒奪したリオン皇帝を討った方が、後々の為には良いのだとも理解していた。
だが、それでも、セリスは僅かばかりの希望を捨てきれなかったのだ。
「はい。兄の胸中を知らぬ儘では一生後悔するでしょう……提督には何時も御迷惑ばかりお掛けしますが……どうか私の我儘を御許し下さ……あっ!?」
だが、問われて吐露した想いは、達也が何かを投げて寄越した事で最後まで言葉にはできなかった。
放物線を描くそれをキャッチしたセリスは、その正体を悟って双眸を見開く。
彼が手にしたのは、達也が愛用している聖剣 炎鳳だった。
「こ、これは……提督の……」
「護り刀には丁度よいだろう? 貸してやるから持って行くといい。必ず役に立つ筈だ。それから老婆心ながら忠告をひとつ……君にとって大切なものが何なのか、護るべきものが何なのか忘れないで欲しい……いいね?」
その言葉を噛み締めたセリスは炎鳳を両手で仰ぎ持って一礼するや、踵を返してメインブリッジの入り口へと駆け出したのである。
その背中を見送った達也は、泰然として立ち尽くすクリストフと正対し、真摯な眼差しで彼を見据えて口を開いた。
「さて……改めてご挨拶させて戴こうか。梁山泊軍を率いている白銀達也だ」
「グランローデン帝国近衛騎士団団長クリストフ・カイザードです。先ずは此方の非礼をお詫びいたします。本来ならば条件など出せる身ではありませぬが、提督の御配慮に感謝申し上げます」
「礼には及ばないよ。所詮は当事者である彼ら兄弟の問題だからね。セリスが望む以上、赤の他人の私に嘴を差し挿む資格はないさ」
「御高配に感謝申し上げます。なれど、私も近衛の長として皇帝陛下の命令を果たす義務がありますので……貴方を此処から先へ行かせる訳には参りません。提督にとっては甚だ不本意かと思いますが、お付き合い戴きたく……」
その礼節を弁えた物言いと所作に感銘を覚えた達也だったが、クリストフの真意にも気付いていた。
現状の劣勢は如何ともし難く、既に活路を拓くのは困難だと彼自身は理解している様だ。
だからこそ、リオンとセリスが決着をつける為の時間を稼ごうとしているのだと察したのである。
その忠義一徹の姿勢を好ましく思った達也だが、彼が纏う武威にも覚えがあると気付き、記憶を辿った先に答えを見つけて思わず相好を崩した。
「なるほど……あの夜教団のコソ泥連中が襲撃して来た時、あの場に潜んでいたのは貴方だったのですね?」
まだユリアがさくらの精神に同化していた頃。
彼女を抹殺せんと襲撃して来たシグナス教団の神衛騎士らを一蹴したあの夜。
姿こそ見せなかったものの、隠れて様子を窺っていた者の鋭利な気配は、忘れようにも忘れられるものではなかった。
「その節は御挨拶もせずに失礼しました。ですが貴方の御要望は一言一句間違えずに報告いたしました。先帝陛下が随分と楽しげだったのを今でも覚えています」
「それはどうも……あの後、不躾な願いだったにも拘わらず、極秘裏の面会が叶ったのは貴方の御蔭もあったのでしょうね」
如何に灰色狐として畏怖されるクラウスの伝手があったとはいえ、敵勢力に属する人間と帝国皇帝の面会が実現するなど普通では考えられない。
同行者が嘗ての十八姫だったユリアだという事もあっただろうが、クリストフの報告が先帝の興味を惹いたのは、正に僥倖だったと言わざるを得ないだろう。
今は亡きザイツフェルト皇帝の何処か不器用そうな笑みを思い出した達也は、御心安らかなれと心の中で祈るのだった。
だが、それも全ては過去の話でしかない。
今この場で対峙している彼らには昔語りを楽しむ余裕はないのだ。
そして、達也もクリストフも、己が護ろうとする者のために敵と見定めた相手を倒さなければならないのである。
「さて……改めて言うが、既に趨勢は決まった。君達が無事にこの星系から脱出する術は残されてはいない……大人しく降伏してくれないか?」
「残念ながら、それは受け入れられません。リオン陛下から賜った御命令は貴方の排除です。ですから、此処で御命を頂戴させて戴きましょうっ」
そう宣言したクリストフが腰のベルトに装備しているビームソードの威力を解放するや、各々の手に握られた双剣が眩いばかりの光の奔流を顕現させた。
それが彼をして皇帝の護剣と言わしめた武威の正体であり、凡そ剣の勝負に於いて生涯不敗を貫いているクリストフの流儀なのだ。
対する達也もヒルデガルドが開発した新型ビームソードを異次元ポケットから顕現させるや、眼前で佇む武人の剣気に感嘆して称賛の言葉を口にした。
「大したものだ。流石の武威だな。剣を持った途端に雰囲気が変わった……」
「御褒め戴き恐縮ですが、惜しむらくは、聖剣と名高い炎鳳を持つ貴方と戦いたかったですね……なぜセリス殿下に御渡しになったのですか?」
その問いに達也は不敵にも口角を吊り上げて鼻を鳴らす。
「武器の優劣で決着がついたのでは、死した後も未練を引き摺るだろう? 貴方が何を思って挑んで来たかぐらいは分かる……私も軍人だからね」
その瞳に憐憫の情が滲んでいるのを察したクリストフは、己の心中を見抜かれた驚きと共に清々しいまでの高揚感に包まれる。
白銀達也の力量は、これまで屠って来たどの相手よりも勝っているだろう。
恐らく剣の技量を含む武は自分と同等かそれ以上であるのは間違いなく、然も、その慧眼も並々ならぬものとなれば、劣勢を免れないのは確実。
だが、そんな達也だからこそ、人生最後の相手として相応しいのだとクリストフは内心で歓喜したのだ。
ひとりの騎士として、滅びゆく帝国に殉ずる……。
忠節をその旨とする騎士がクーデターに加担したばかりか、国家体制を破壊して簒奪したのだ。
そこにどの様な正当性があったとしても、謀反人の誹りは免れないだろう。
そんな自分が人生の最期に騎士として好敵手と刃を交える機会を得たのだ……。
その千載一遇の好機をクリストフは逃す気はなかった。
「やはり隠せませんか……ですが、御配慮は無用に願います」
「今からでも思い直さないか? 過ちは償える……生き抜いてこそ成せる事があるのではないか? それを生き恥だと嗤う奴には嗤わせておけばいいじゃないか」
「御高説は理解できないでもありませんが、もはや恥と呼べる範疇を大きく逸脱しておりましょう……先帝陛下をはじめ、多くの命を奪ったこの身なれば……」
その言葉には揺るぎない覚悟が滲んでおり、それ以上の説得を断念せざるを得なかった。
自らの罪を償う為に命を懸けて戦う……。
馬鹿々々しいまでに不合理な想いではあるが、同じ軍人の達也にはクリストフの気持ちが痛いほどよく分かった。
「ですが、むざむざ討たれるつもりはありません。貴方を討ち果たせばセリス殿下を捕らえるのは造作もないでしょう。起死回生の一手を成すのも私の使命ですから本気で御相手させて戴きます。貴方も御遠慮は無用になさいませ」
それが、勝負に変な遠慮を介在させたくはないというクリストフの意志だと受け取った達也は、己が信じるものの為に殉じると決めた武人の想いに応えた。
「遠慮? 貴方相手にそんな余裕はないさ。いいだろう……全力で御相手仕ろうか……互いにどんな幕引きになっても怨みっこなしだぜ」
もはや言葉は不要だと思い定めたふたりの間に緊張感が満ちていく。
様々な因縁に終止符が打たれる瞬間が刻一刻と迫りつつあった。




