第六十六話 兄と弟 ⑥
(おのれッ! おのれッ! おのれぇぇぇッ!!)
打つ手打つ手が裏目に出てしまう状況に歯噛みするリオンは、焦慮の中で呪詛を吐き散らすしかなかった。
高出力を誇る陽電子砲の威力は凄まじく、思惑通りに進路上の障害物を排除せしめたが、離脱せんとした途端、敵艦からの艦砲射撃を受けてしまったのだ。
それは計ったかの様に艦首から艦中央部に着弾し、甚大な損害を被った乗艦は、航行も儘ならない有り様に陥ったのである。
然も、船体の前半分は見るも無残な様相を呈しており、寧ろ爆沈しなかったのが不思議だと言わざるを得ないほどだった。
だが、それを不幸中の幸いだったと喜ぶ余裕はリオンにはない。
このまま身動きすら取れないのでは、遅かれ早かれ敵の攻撃を受けて宇宙の藻屑に成り果てるのは確実だからだ。
(なぜだ!? なぜ奴らだけが自由に行動できるのだ? なぜ奴らの攻撃だけが、こうも容易く命中するのだッ!?)
繰り返される“何故”に苛立ちを募らせるリオンだが、その答えに至るには、余りにも彼は未熟過ぎた。
優勢な自軍の戦力を過信し、充分な事前調査もせずに侵攻を決定した甘い判断が招いた当然の帰結ではあるが、その失態を認めたのでは自らの威信に係わる。
ましてや、追い込まれて後がなくなった現状では、事此処に至った原因の究明は二の次であり、最も重要なのは如何にしてこの場を凌ぐかという一点に尽きた。
「よろしかったのですか? 怖気づいた教皇と配下の神衛騎士団らが格納庫へ向かいましたが?」
艦長とブリッジクルーらが懸命に損傷した艦の復旧に努めている中、常に傍らにあって泰然とした風情を崩さない近衛騎士団長からそう問われたリオンは、苦虫を嚙み潰したかの様に表情を歪めて吐き捨てた。
「構わぬ! 我が命に従ったケーニヒ級は全て撃破されたッ! 残った連中は行動すら起こさぬ臆病者ばかりだッ! 再び通信が途絶した以上は、自力でこの窮地を脱するしかないッ!」
「自力でと仰っても、どう為される御つもりですか? おそらく敵はこの艦へ乗り込んで参りましょう……如何に神衛騎士団が精強を誇るとはいえ、あの白銀達也に及ぶとは思えませんが?」
強気の姿勢を崩さない主に向けるクリストフの視線は冷めており、そこには既に遣る瀬ないまでの諦念が滲んでいた。
(無私の忠誠を奉げて来た主に切り捨てられたのだ……部下将兵達が絶望して命令に従わないのも已むを得ぬだろう……その上、そんな彼らを“臆病者”扱いしたのではな……死んだ連中も浮かばれまい)
事実、御座船が大破したにも拘わらず、残存しているケーニヒ級らが救助に駆け付けて来る様子はない。
つまり、生存している味方艦艇には既に戦闘の意志はなく、剰え、皇帝の命に随順する気も失せたのだと判断せざるを得なかった。
もはや進退窮まったと観念したクリストフは、降伏も已む無しと考えてその決断を促したのだが、彼の思いがリオンに届く事はなかった。
「だからこそだ。貴様が認める程なのだから白銀達也という男は強いのであろう。だが、神衛騎士団上級騎士らが束になって掛かれば、どの様な強者だとて無傷では済むまいッ! 疲弊した相手ならば御すのは容易かろうし、身のほど知らずの愚弟共々に一網打尽にしてくれる! 敵の首魁と彼奴めの命を盾にすれば、賊徒共とて道を開けざるを得まいよ」
確かにリオンの言は間違ってはいない。
そして、窮地にある自分達が活路を開くには、他に手段がないのもクリストフは充分理解していた。
だが、それでも葛藤する想いを持て余してしまうのだ。
(見苦しい悪足掻きでしかない……だが、それが主の命ならば……)
忸怩たる想いと忠節の狭間で懊悩するが、結局は勅命を拒むという決断はできなかった。
そして、彼が異を唱えないのに気分を良くした皇帝は、絶対に諦めぬという意志を滲ませた想いを言葉にしたのである。
「敵がどのような手段で強襲してくるのかは分からぬが、侵入経路が格納区画しかない以上は教団の連中と鉢合わせするのは確実だ。丁度良いではないか……我欲に塗れた教団と敵が潰し合ってくれるのならば清々するわ! よいかッ! 疲弊した連中を葬り去るのは貴様の役目だぞッ! クリストフ!」
その言が妄執に等しい願望に過ぎないのは明白だ。
だが、その是非を問うのすら今更の感は否めず、ならば最後まで己の想いを貫こうとクリストフは腹を括った。
そして、恭しく頭を垂れてリオンに殉ずる覚悟を決めたのである。
「承知いたしました、陛下。御下命の儘に必ず怨敵を討ち果たして見せましょう。そして、貴方様の御為に活路を開いて御覧に入れます」
それを成すのが困難であるのは、誰よりも彼自身が承知していた。
相手が白銀達也であるのならば、如何に法具を操る神衛騎士団とはいえ、手傷を負わせる所か消耗させる事さえ難しいだろう。
そうなれば、万全の状態の神将を相手にせねばならないのは必至であり、それは武技に長けたクリストフをしても、必ず勝てると断言できるものではなかった。
だが、そんな現実とは裏腹に、妙に心が華やいで仕方がないのだ。
野望が潰える瞬間が間近に迫っているというのに、身体の奥から込み上げて来る熱量を自覚せざるを得ない彼は、それが歓喜以外の何ものでもないと悟って奇妙な心持になってしまう。
(存外に悪い成り行きではないのかもしれぬなぁ……あの男と雌雄を決せる機会を得られるのならば……うん……悪くはない)
望外に得た高揚感と、心が満たされる不思議な感覚……。
口元に微かな笑みを浮かべたクリストフは、己が人生で最後に相見えるであろう好敵手を想いながら、心静かに再会の瞬間を待つのだった。
◇◆◇◆◇
大和の艦砲射撃によって出来た破孔から艦内に侵入を果たした達也らは、艦載機格納区画にてシグナス教団が誇る最高戦力と鉢合わせしていた。
それ自体はリオンの思惑通りだが、当然ながら達也も対策は講じている。
それが、空間機兵団による新装備の投入だった。
空間機兵団の特殊装備である重機動甲冑“焔・壱式”は、高さ二百五十センチ程度の小型人型機動兵器であり、両肩にはミサイルランチャー二門、そして、両腕には各四門のパルスレーザー砲を装備した拠点攻略並びに防衛用兵器だ。
然も、背中に装備されたバックパックは強力な推進機を兼ねており、宇宙空間を疾走して敵艦へ取り付く事が可能だった。
今回の強襲作戦に参加した“焔”は全部で五機。
その各々に、マグネットグローブを使用した三人が便乗しており、都合二十名が敵旗艦へ乗り込んだ勘定になる。
その中には達也とセリス、そしてクラウスも含まれ、残る十七名はバルカ率いる空間機兵団のメンバーで構成されていた。
志保が司令官を務めている空間機兵団は、その八割までもが女性隊員で占められており、残る二割がバルカを隊長とした男性チームだ。
アマゾネスチームがランズベルグ皇国での作戦に従事している為、今回の作戦は必然的に留守を預かる彼らの出番となったという次第だった。
大破した左舷側から難なく艦内へと侵入を果たした達也らは、焔・壱式を盾代わりにして被弾していない艦尾ブロックへと移動。
その途中で帝国兵らと何度も出くわしたが、その抵抗は如何にも散発的であり、中にはセリスの姿を見た途端に投降を申し出る者までいる始末だった。
これは、土壇場で臣下を切り捨てたリオンへの失望の表れであり、まさに達也にとっては思惑通りの展開だとも言える。
後は、傷ついた御座船から脱出を図るであろう皇帝を待ち受けて雌雄を決するのみだったが、格納庫で鉢合わせしたのは因縁浅からぬシグナス教団の者達だった。
「ハインリヒ教皇ッ! もう観念して降伏しろッ!」
声を荒げて言い放ったセリスの双眸に瞋恚の炎が浮かぶ。
彼にしてみればシグナス教団こそが帝国腐敗の一因であり、一連の悲劇を招いた元凶に他ならなかった。
だからこそ、言葉の端々に強い憤りが滲むのも仕方がない事だろう。
だが、表では聖者を演じながらも、裏ではあらゆる悪行を重ねて私利私欲を満たして来た教皇がその程度で怯む筈もない。
然も、相手が若造だと見縊っているセリスならば尚更だ。
「ふんッ! 御飾りの継承権しか持たぬ先帝の腰巾着風情が粋がりおってぇッ! 丁度良い! 貴様を人質にさせて貰おうか! 残る奴らは血祭りにあげよッ!」
凡そ聖職者のものとは思えない悪鬼羅刹の如き面相の教皇が吠えれば、その力を顕現させた法具を手にした上級騎士らが前に出て達也らと相対する。
彼らの手にした法具は様々な種類の物があり、同じタイプの武器であっても形は違う様だった。
ただ、一様に淡い光を纏っているのはどれも同じで、それが不思議な力の源泉であるのは容易に想像がつく。
そして、その考えは達也の肩に陣取った大精霊によって裏打ちされたのだ。
「自我もない下位の精霊達を使役しているみたい……然も、封印なんて可愛いものじゃないわッ! あれは呪縛よッ!」
口の悪さは天下一品だと誰もが認めるポピーだが、その真意には悪意がないのも皆が知っている。
事実、セレーネで暮らしている子供達の間では押しも押されもせぬ人気者だし、獣人であるアルカディーナたちにとっては、ユスティーツに次ぐ崇敬を集めている大精霊に他ならないのだ。
そんなポピーが血相を変えて語気を荒げたものだから、彼女の痛憤が如何ばかりかは達也にも充分理解できた。
「呪縛? つまり、あの法具と呼ばれる武具は、精霊の力を強制的に利用しているもので、それは人間の仕業によるものだと?」
達也がそう問うや、片手を顎に当て何やら思案顔だったクラウスが曖昧な記憶を引っ張り出す。
「そういえば……シグナス教団の前身は、銀河系最北部の辺境惑星を根城にしていた怪しげな一団だと聞いた記憶がありますねぇ……その頃に何かの儀式で生み出されたものなのでしょうか?」
「たぶんアルカディーナの様な古の民族の末裔ね。その星の生命に寄り添う精霊を強制的に武器の核に封印して縛り付けたのよ! アンタ達が持っているファーレンの聖剣はその核に精霊石を使用しているわ。そして、多くのファーレン人が自らの意志で核に精神を同化させている……それが、炎鳳と氷虎の力の源泉よ……でも、あの武器に封印されている精霊達の様に強制されての事じゃないわッ!」
その憤懣やる方ない思いが滲んだ言葉が、彼女の怒りを如実に物語っていたが、それは必ずしも絶望に彩られたものではなかった。
「ひょっとして、解決策があるのかい、ポピー?」
そう問われたポピーは軽く鼻を鳴らすや、苦虫を嚙み潰したかの様な表情の儘、一度だけ軽く手を振って見せた。
すると、どうだろう。
淡い光に包まれていた法具が、まるで断末魔の悲鳴を上げるかの様に神衛騎士らの手の中で暴れ始めたのだ。
「なっ! 何事だッ! 何をやっているのだぁッ!?」
突然の不可解な現象に恐懼して喚き散らす教皇と、自らの相棒の変異を鎮めようとして悪戦苦闘する騎士ら。
だが、その混乱は長くは続かない。
寸瞬の後には何の前触れもなく一際大きな光が瞬き、その奇態は唐突に終わりを告げ、全ての法具が鈍色の金属へとその姿を変えたのである。
力と自尊心の拠り所が喪失したと知って悩乱する彼らには、法具から解放された小さな光を認識する術はない。
だから、自らの誇りだった力の象徴が失われた原因を知る事は未来永劫叶わないのだった。
「苦しくて辛い時間は終わりだよ……」
自分の周囲に寄り添って来た下位精霊達にそう囁いたポピーは、仕事は終わったとばかりに胸を張って達也に告げる。
「この子達をセレーネに連れて行くわ。一刻も早く安らぎを与えてあげたいの」
「あぁ。そうしてやってくれ。協力に感謝する。もしも必要なら、クレアに頼めば美味しい料理で労ってくれるさ。君もこの子達もね」
微笑みながらそう言う達也へ笑みを返したポピーは、一言だけ感謝の言葉を残すや、精霊らを連れてセレーネへと戻ったのである。
すると、彼女を見送ったクラウスが氷虎を軽く振りながら進言して来た。
「万事解決ですねぇ。とは言え、毎度毎度の事ですが、貴方は本当に運がいい……その幸運が続いているうちに、さっさと敵の首魁とのケリをつけて下さい。ここに居る似非騎士と破戒坊主は我々で適当にあしらっておきますから」
その言に追随してバルカも胸を叩いた。
「提督! ここは俺達に任せてくだせぇ! セリス様と一緒に敵の親玉をぶっ飛ばして下さいよッ!」
そう背中を押された達也とセリスは、互いに顔を見合わせて頷き合う。
「ならば頼むッ! 無理はするなよ!」
「感謝しますッ! この御恩は必ずお返し致しますッ!」
短い謝意を残した達也とセリスは、リオンが居るであろう艦橋目指して駆け出すのだった。




