第六十五話 アルカディーナ星系戦役 ②
「提督! 我が艦隊下方をサンライト艦隊が通過していきます。敵連合軍は速度を維持したまま接近中。距離一五○○○、有効射程距離まで三分を切りました」
艦隊旗艦の艦長職を拝命して緊張しているのか、詩織の声にはやや固さが滲んでいる。
まだまだ経験値が低い若年士官である彼女が、こんな大舞台で艦隊旗艦の指揮を任されるなど普通ならば考えられない。
だが、彼女の成長を促すには実戦こそが最適だと首脳部の意見は一致しており、この大抜擢に異を唱える者はいなかった。
だから、達也は極めて素っ気ない口調で軽口を叩き、詩織の緊張を解してやろうとしたのだ。
「あまり気負う必要はないぞ。十中八九までは負けはない……念願だったこの艦の艦長席の座り心地を楽しむ位で丁度いいさ」
しかし、そんな厚情にも気付く余裕がないのか、逆に揶揄われたと思った詩織は不満げに頬を膨らませるや、隣のシートで泰然としている司令官を睨みつけ、文句とも愚痴ともとれる嘆き節を口にした。
「何を呑気な事を言っているんですか! 相手は八万隻でこっちは一千五百隻なんですよ!? 見て下さいよアレッ! 大体、残りの一か二に当たったらどうするのですか!?」
事前のブリーフィングやバーチャルシステムによる訓練で理解と覚悟はしていただろうが、リアルで宇宙空間を埋め尽くす雲霞の如き敵艦隊を直にその目で見れば、怖じ気付くなという方が無理だろう。
とは言え、切羽詰まって泣き言を並べる詩織を不甲斐ないと叱責するのは容易いが、達也はそれをせず、極めて平然とした表情のまま激励の言葉を口にした。
「その時は運が悪かったと諦めるしかないな。しかし、安心しろ。勝つ算段は俺がつけた。お前は為すべき仕事をすれば良い。期待しているぞ、如月詩織艦長殿」
欠片ほどの気負いもない淡々とした物言いに耳朶を叩かれた詩織は、その期待を理解した瞬間に四肢に絡み付いていた緊張が解けていくのを自覚する。
(そうよ。この艦の艦長に抜擢して貰った以上は、ビビっている暇なんかないわ。それに、白銀達也が勝つと言ったのならば私達が負ける筈がないッ!)
そう眦を決して覚悟を決めれば、余計な不安は雲散霧消して思考がクリアーになり、完全に平常心を取り戻せた。
「無様な真似を曝して申し訳ありませんでした、司令。もう大丈夫です」
「恥じる必用はない。全てが貴重な経験なのだからな……もう一度言うぞ。気楽にやっていい。今日までに積み重ねて来たものを俺に見せてくれ」
「はいっ! 粉骨砕身の覚悟で全力を尽くしますッ!」
何時もの調子を取り戻した詩織の様子に満足した達也は、小気味よい返事に一度だけ頷き返してから作戦開始を下命した。
「これより歓迎の宴を始める。ヒルデガルド殿下へ支援要請を! 準備は良いかい、ポピー? 負担を掛けて済まないが助力を頼むよ」
すると、空中の一部が淡く光ったかと思えば、唐突に顕現して達也の右肩へ降り立った精霊のポピーが、得意げに鼻を鳴らして胸を張る。
「やっと私達の出番なのね。待ち草臥れたわよッ!」
相も変わらず高慢なその物言いに、詩織は元よりヨハンや神鷹も顔を顰めたが、僅かに口元を綻ばせた達也は、ポピーにだけ聞こえる様に囁いた。
「助けて貰う身で偉そうな事を言えた義理ではないが、くれぐれも無理はしないでくれよ。嘗て、この星系で繰り広げられた人間同士の醜い争いを君達は見て来た筈だ。そして、今回も……」
一五○○年の時を経ても、互いを傷つけあう事でしか事態の打開を図れない人間という種は、所詮は矮小で愚かな存在でしかないのだろう。
そう断ぜざるを得ない達也は、自身も含めてその罪からは逃れられないと思ってはいるが、人間同士の争いに巻き込まれた精霊達が、何かしらの悪影響を受けてしまうのは本意ではなかった。
だから、自分達の一方的な都合を押し付けてしまう事に後ろめたい想いを懐かずにはおれず、逡巡する気持ちを捨てきれないでいるのだ。
「超常の存在である君達には、人間は愚かな生き物にしか見えないだろう。だが、今の我々には戦う以外に道はないんだ……だから、この戦いに助力する事で君達に何らかの悪影響が出るのであれば迷わずセレーネ星へ戻ってくれ。こんな馬鹿げた戦いの所為で、縁あって知己を得た友人を失いたくはないからね」
しかし、然も呆れたかのように鼻を鳴らしたポピーは、珍しくも真面目な表情で達也に問い返した。
「それで? その結果、アンタ達が負けたら、セレーネに残っている人々はどうなるのよ?」
「そ、それは……」
仮定の話とは言え、戦場では何が起こるか分からない以上、ポピーの質問が現実のものにならないという保証はない。
そうなれば間違いなく多くの命が失われ、この銀河系は一部の支配者達が牛耳る暗黒の時代を迎えるだろう。
そんな未来は断じて受け入れられないし、それ故に負ける訳にはいかないのだ。
それが分かっていながら、何も失いたくないと身勝手な想いに固執していた自分を、達也は恥じ入るしかなかった。
「やっと分かったみたいね。変な気遣いはいらないわ。私達は変われない存在なのよ。変わっていける人間とは違うわ。だから、心配しないで頼って頂戴」
得意げな顔でそう宣う大精霊に達也は吹っ切れた顔で微笑み返す。
「ならば、その心意気に遠慮なく甘えさせて貰おうか。なあ、相棒」
「それで良いのよ! 私達精霊だってアンタを頼りにしているんだからねッ!」
調査目的でこの星系を訪れた時、最初に出逢ったのがこのポピーだった。
当初は反発されもしたが、何だかんだと言っても、今では信頼するに足る仲間として絆を育んでいる。
その事実に安堵した達也が、最後の迷いを振り払うのと同時に事態は進展する。
「提督! 人工ブラックホールシステムの稼働により、乱流帯が再形成されました! 銀河連邦軍艦隊の動きに乱れアリ!」
オペレーターからの報告に表情を改めた達也は、全方位スクリーンに映し出されている戦場の様相を把握してほくそ笑んだ。
「帝国軍艦隊はどうか?」
「予定通りです。敵艦隊の右翼を侵攻していた帝国軍艦隊は、強力な磁場と激しいイオン乱流に捕らわれて身動きひとつ出来なくなっています」
詩織の言葉に頷いた達也は改めてポピーに要請した。
「相棒。この星域にいる全ての艦艇に俺の声が伝わるようにしてくれ。その後は、打ち合わせ通り“精霊の目”の発動を頼む。君らの力が頼りだ」
「まっかせなさぁ──いッ!」
最早それ以上の言葉は要らないと言わんばかりに満面の笑みを湛える大精霊は、胸を叩いてその請願を了承した。
そして、全ての御膳立てを終えた達也は、迷いも悔恨の情も胸の奥に秘し、凛とした声で命令を発したのである。
「よし! 全艦ミラージュ・コートを解除。事前の打ち合わせ通りグランローデン帝国艦隊への攻撃は不要だ。先ずは敵の戦意を挫くぞッ! 敵艦隊への最後通牒が終り次第、各艦隊は攻撃を開始せよッ!」
それが、より良き未来に繋がる道だと信じて……。
◇◆◇◆◇
「な、なんだッ!? 一体全体どうしたというのだあぁッ!?」
周囲の状況の劇的な変化に理解が追い付かないホスティス司令官は、騒然となる旗艦カルフールのメインブリッジの中で一際大きな声を上げたが、その問いに答えられる者は、誰一人として存在しなかった。
それはそうだろう。
先程までは穏やかに凪いでいた宙域が、ほんの一瞬で乱流荒れ狂う猛烈な嵐へとその様相を一変させたのだから、討伐艦隊に所属する全ての軍人達が困惑したのも当然だと言える。
何よりも、それがこの宙域の特性だと分かっていたのならば驚くには値しないだろうが、如何せん、彼らは何も知らな過ぎたのだ。
尤も、この現象が先史文明の遺産によって齎されたのだと知った所で、誰も信じはしなかっただろうが……。
だが、現実問題として荒れ狂う激しい乱流帯に捕らわれた連合軍は、艦隊行動も儘ならずに追撃速度を落とさざるを得なかった。
「ぬうぅぅぅッ! この儘では賊徒を取り逃がしてしまうッ! 出力を上げて追撃を続けるのだッ!」
苛立つホスティスが吠えるが、それが無謀な愚策なのは誰の目にも明らかだ。
しかし、司令官の言に否定的な意見具申をして怒りを買うのを恐れたのか、参謀連中は何も答えずに互いを見やるばかりで埒が明かない。
そんな彼らの為体を見兼ねた艦長は、その認識の甘さを正すべく幕僚らの頭越しに司令官へ訴えた。
「乱流帯が想定以上に強力です。汎用型護衛艦(駆逐艦クラス)は元より、旧型の主力艦艇(重巡航艦)も航行に支障を来しており、この状況で戦闘になった場合、逆に優勢な戦力が仇になって身動きが取れなくなるのは必定! 然も、レーダーや通信システムが完全にその機能を喪失している以上、組織立った追撃戦など不可能ですッ!」
前衛艦隊には敏捷性に優れて小回りが利く汎用型護衛艦が多く編成されており、強力な艦砲による後方支援を得て敵陣への突撃を敢行するのが基本戦術だ。
しかし、それらの小型艦は不相応な火力を与えられているものの、小艦艇であるが故に戦艦クラスの出力など望むべくもなく、厳しい環境下での作戦行動に制約が付き纏うのは、軍人ならば誰もが承知している。
然も、粒子乱流帯が複雑に絡み合う中でレーダー波や通信が阻害されては、組織立った艦隊行動は疎か、部隊の再編すら困難だ。
「初戦で痛撃を受けた敵軍が態勢を立て直すのは容易ではない筈。ここは一旦追撃を断念し、後退して艦隊の再編成を図るべきです!」
この艦長からの進言は至極真っ当なものだったのだが、目の前にぶら下がっている“勝利”の二文字しか見えていないホスティスには、極めて耳障りで受け入れ難い代物に他ならなかった。
だから、その不快感に煽られる儘に右手に持っていたステッキを振るい、艦長の顔面を打ち据えたのだ。
「ぐうぅッ!」
「「「艦長ッ!」」」
横っ面を痛撃され床に倒れ込む艦長の呻き声と副長らの悲鳴が交錯する中、憤怒に顔を赤くしたホスティスの怒声がブリッジに響く。
「この腰抜けめが! 撤退などという愚策を進言するとは何事かぁッ! キサマはこの儂に恥を掻かせる気なのかッ!? 動けぬ艦など捨て置いて早々に追撃を再開するのだッ!」
凡そ艦隊を預かる司令官とは思えぬ妄言に我が耳を疑った艦長は、険しい視線でホスティスを睨みつけてしまう。
行動不能の僚艦を敵勢力圏に置き去りにするなど死ねと言っているに等しく、真面な指揮官が口にするべき事ではないし、軍規に照らしても許される行為ではなかった。
だが、目先の欲に目がくらんだ男に常識や分別を求めるのは無理があったようで、激昂したホスティスが護身用のレーザーガンを腰のホルスターから引き抜くや、その銃口を艦長に向けて叫んだ。
「なんだッ!? その反抗的な目はッ! 儂の命令が聞けんのかぁッ!」
しかし、まさにその引鉄が引かれようとした刹那。
「てっ、敵艦隊出現ッ! 何もなかった宙域に突然敵が現れましたぁぁッ!」
そのオペレーターの悲鳴が響き渡るや、真面に作動している数少ない機能である光学スクリーンが捉えた異形の光景に、ブリッジに居並ぶ面々は言葉を失ったのである。
「なっ、なんだアレはッ!?」
呆然とした表情でスクリーンに見入るホスティスが呟いた言葉は、その場にいる全ての者達の気持ちを代弁したかのようだった。




