第六話 留別 ①
惑星バンドレット。
銀河連邦評議会による宙域区分では中心域南端に位置する惑星国家ではあるが、銀河連邦と敵対しているグランローデン帝国の友邦国でもあり、いざ両勢力が開戦ともなれば、帝国陣営の防波堤として最前線を形成する国のひとつだ。
尤も、大統領以下主だった政治家や財界人らは帝国のヒモ付きとの噂が絶えず、友邦国とは名ばかりの属国に過ぎないと夙に知られている。
また、銀河中心域と南部方面域を繋ぐ交通の要衝でもあり、周辺宙域では各方面への転移ゲートが多数稼動しているが、これといった特産品がないこの星は、税の減免や優遇措置を謳い、多くの企業を誘致して一大物流拠点として栄えていた。
グランローデン帝国皇帝ザイツフェルト・グランローデン七世に面会する予定だった達也とユリアは、結果的にバンドレットの土を踏む事はなかった。
それどころか、衛星軌道上に位置する宇宙港にさえ辿り着けず、クラウスが手配したエージェントにも接触できなかったのである。
何故そんな仕儀になったのかといえば、この星系に到着した途端に何者かの襲撃を受けて拉致されたからに他ならない。
しかし、達也ほどの手練れと、ヒルデガルド謹製の腕輪持ちのユリアであれば、田舎海賊など物の数ではなかったのだが……。
◇◆◇◆◇
「おっ、お兄様……セリスお兄様ではありませんか!?」
艦内に押し入って来た一団を率いていた年若い少年を見たユリアは、驚きに目を見開いて叫んでしまった。
つまり、この茶番劇を演出したのは帝国側であり、そこには、この会談を表沙汰にはできないという意図が見え隠れしている。
「久しぶりだね……こんな言い方は傲慢かもしれないが……それでも、君が生きている姿をこの目で見れて良かった」
妹姫が辿った残酷な運命を知る少年は、その表情に悔恨の情を滲ませながらも、ユリアの無事を喜んでいるかの様なニュアンスも隠そうとはしない。
皇子という立場にありながら、この少年が肉親に対する情を失っていないのだと知った達也は少しだけ安堵したが、親しいといえる程の間柄ではなかったユリアにしてみれば、何を今更という想いを払拭できないでいた。
だから、気が付けば彼の視線を避ける様にして達也の後ろに身を隠し、消極的な拒絶の意志を示すしかなかったのである。
その当然すぎる反応にセリス皇子が顔を曇らせたのを見た達也は、気まずくなった雰囲気を変えるべく、敢えて慇懃な仕種で頭を下げて自己紹介をした。
「帝国の皇子であらせられるセリス殿下にお出迎え戴けるとは望外の喜び。光栄の極みであります。私は銀河連邦宇宙軍大元帥白銀達也と申します……以後お見知りおき下さいませ」
その言葉を受け表情を改めたセリスは、努めて尊大な物言いを取り繕って型通りの答礼をし、賓客である父娘を促す。
「この度は遠路御苦労。帝国第十皇子セリス・グランローデンである。我が帝国の偉大なる皇帝陛下が御待ちだ。このまま私に付いて参られよ」
異母兄の物言いに表情を険しくする愛娘を宥めた達也は、深々と頭を垂れて謝意を示し、先導される儘に従う。
「セリスお兄様は他の兄姉達とは違い、私に辛く当たる様な真似はしませんでした……尤も、積極的に庇ってくれたわけでもありませんが」
ザイツフェルト皇帝の下に案内される道すがらユリアはそう呟くが、その言葉の端々に滲み出る怨嗟を感じた達也は、愛娘の頭を優しく撫でてやるしかなかった。
◇◆◇◆◇
「よく会談に応じてくれたな……心から礼を言おう」
やや広いとはいえ、華美な設えがある訳でもない室内は殺風景だと言う他はなく、凡そ大国の皇帝が使うような部屋には見えなかった。
艦長室だと思われるその部屋に案内された達也とユリアは、上質の生地が使われているとはいえ、何の変哲もない将官用の軍服を纏ったザイツフェルト皇帝と向かい合っている。
鍛え抜かれた体躯と漆黒の軍服に漆黒のマントという出で立ちが威厳を引き立てており、その姿は五十歳という実年齢よりも遥かに若く見えた。
「とんでもございません。こちらこそ不躾な願いを叶えて戴きまして、心から感謝申し上げます」
壇上に設えた豪奢な椅子に身を委ねて見下ろす皇帝……。
そんな漠然としたイメージを懐いていた達也は、テーブルを挟んで向かいあっている帝王を目の当たりにし、拍子抜けすると同時に親近感すら覚えていた。
しかし、ユリアにとっては母親と自分の運命を弄んだ男という認識は払拭できず、達也ほどには平静でいられない。
また、新しい家族を得た今となっては憎しみこそ薄れたとはいえ、長年懐き続けて来た嫌悪感と共に陰鬱とした感情を持て余してしまう。
「感謝か……言葉通りに受け取っておこう。それからこの会談は非公式のものだ。それ故にこの様な場所を設けたのだから、堅苦しい真似は止めて対等の立場で話をすればよかろう……殊更に畏まる必要もあるまい?」
その意外な提案に面食らったのは達也だけではなく、背後に控えていたセリスも同様であり、何処か楽しげな父王に換言しようとしたが……。
「ち、父上っ! お戯れが過ぎましょ、っぅ……」
勢い込んで嘴を挟もうとした息子を鋭い眼光で黙らせたザイツフェルト皇帝は、『どうかね?』と視線で達也に問い直す。
存外に砕けた人物だと察した達也は、口元を綻ばせて了承の意を示した。
「そうして戴けると有難いです。私は粗野な人間ですから畏まるのは苦手で」
「ふん。謙遜せずともよかろう? 貴公の言い分が本当ならば、粗野で愚劣極まる人間を嫌というほど見て来たその娘が、そのように懐く筈もなかろう?」
楽しげに語る皇帝の視線の先には、表情を硬くしながらもぴったりと達也に寄り添うユリアの姿がある。
「教団の馬鹿共との経緯は聞いておる。曲がりなりにも父親としては感謝する他はないが、そう仲睦まじい様を見せつけられたのでは、貴殿に多少の妬心を懐かずにはおれぬな……」
一転して圧を増したその言葉にユリアは顔を強張らせたが、そんな愛娘の背中を優しく撫でた達也は、その意図的な挑発に敢えて応じて見せた。
「やれやれ。『聞くと見るとは大違い』といいますが……貴方がそういう御方だと分かって幾分は気が楽になりました。本来ならば美味い酒でも飲みながら……そう言いたい所ですが、そろそろ本題に入りましょうか?」
そう言って姿勢を正した途端、それまで纏っていた飄々とした雰囲気は雲散霧消し、一瞬で軍人の顔へと達也は表情を改めた。
ザイツフェルト皇帝にも劣らない峻厳な風格を見せる神将に圧倒されたセリスは、その恐怖にも似た感覚に息を呑んで立ち尽くしてしまう。
「今後ユリアには一切関わりなき様に願いたい……私からの申し出はこの一点だけです。勿論、シグナス教団の関与も御遠慮戴きたい」
(これが先程まで遜っていた男と同一人物だというのか? 鋭い眼光と圧倒的な凄味……これが連邦の【神将】か……)
達也に対しセリスが畏怖の念を懐いたのと同じように、その瞳に驚きの色を宿したユリアも、実の父であるザイツフェルト皇帝に見入っていた。
(常に他者を睥睨し、その苛烈な威を以て全てを平伏させて来た人が……この人は本当にザイツフェルト・グランローデン七世なの?)
子供達が狼狽の色を露にする中、視線を交わし合う二人の父親。
そこから派生した息苦しい沈黙が室内の空気を重くしたが、それは皇帝の言葉によってなかったものになる。
「既に我が帝国に第十八姫などという者は存在しない。それ故にそなたの娘の出自が如何なるものであれ、我が一族はもとより、我が帝国がその存在に関与する事はない……皇帝の名に於いて誓おう」
この言葉に達也は黙って頷いたが、子供達の反応はそれぞれに違うものだった。
【災厄の魔女】、と忌避されるほどの怪しげな能力を持つユリアを、再度帝国に取り込む事なく放棄した父の決断は紛れもなく恩情だと感じたセリス。
片や、母と自分にした仕打ちを詫びもせず、今また、娘の存在を無かったものにして平然としている男に、言い表し様の無い嫌悪感を懐かずにはおれないユリア。
「教団については我の関するところではない。あれは人間の我欲の塊よ……協力する事はあっても相容れるものではないわ……尤も、最近では我が疎ましいらしく、小物共と気脈を通じて何やら企んでおるようだがな」
口元を歪めて意味深な物言いをする皇帝。
「なるほど。そのお言葉を戴けただけで充分です……私の可愛い愛娘にちょっかいを掛けようという不届き者には、黄泉路の片道切符をくれてやるだけですから」
合わせ鏡の如くに口元を歪める神将から吹き出した殺意を肌で感じたセリスは、その余りの変わり様に恐懼するしかない。
一方、隣に座っているユリアは、無言のまま達也の腕に片手を添えていた。
誰が相手であれ、必ず護ると言ってくれた父親に対する親愛の情で胸がいっぱいになり、目尻に嬉し涙が滲んでしまう。
「ふふふ……遠慮は要らぬよ。己の意を押し通すのならば、邪魔者は叩き潰すしかないのだ。教団が滅ぶか、そなたが消え失せるか……我にとっては楽しい見世物になるであろうよ」
「ならば。陛下の御期待を裏切らないよう、精々頑張ると致しましょう」
たったそれだけの遣り取りで達也の目的は果たされたと言える。
しかし、何事もなく会談が終わったと安堵し胸を撫で下ろしたユリアは、不意に襲い来た足元を揺らす衝撃の所為で危うく転びそうになった。
幸いにも達也にに抱き支えて貰い難を逃れたが、乗艦がアクシデントに見舞われているのは明白であり、その顔にも不安の影が差す。
「何事かっ!?」
狼狽するセリスが声を張り上げると、間髪入れずに転写された立体スクリーンに艦長の緊張した顔が映し出された。
そして、彼は極めて険しい表情で現在の状況を報告する。
「正体不明の武装艦隊による攻撃を受けました。高速巡航護衛艦が三隻。本艦後方より急速接近中であります。なお敵からのミサイル攻撃を迎撃し、これに成功いたしました」
「本艦が海賊船に擬装している為、バンドレットの警備艦隊が勘違いして出動して来たのではないのか?」
「バンドレットが使用しております護衛艦とは艦種が違いますし、何よりも明確な敵対行動をとっておりますれば……」
艦長は指示を求めて座したままの皇帝に視線を送るが、彼は煩わしそうに一言だけ言葉を発した。
「セリス……お前が行って対応せよ」
その命令に敬礼で応えた第十皇子は脱兎の如く部屋を飛び出して行く。
「いいのですか? 彼は貴方の唯一の護衛官だったのでしょう?」
「あれは武骨で一本気だが、相手の器量を見抜く勘は兄弟の中でも図抜けていてな……そなたを信頼に足る男だと認めたのであろう。尤も、口煩い年寄り連中からは『簡単に気を許し過ぎる』と叱られておるようだがな」
揶揄するかの様に達也が問うと、ザイツフェルトは珍しくも我が子への見立てを語って見せ、大いにユリアを驚かせた。
(我が子を褒めるような人間性が、この男にあるなんて……)
亡き母や自分には辛い仕打ちをしたくせに……。
押し殺していた感情に胸を衝かれ、微かな痛みが生まれる。
だから、掠れるような言葉が口をついて出たのかもしれない。
「少しは人間らしい感情があったのですね……私はそんな事さえ気付きませんでした……所詮は忌み子ですもの、貴方にとっては些末な存在だったのでしょうから」
何も言わずに帰るつもりだった。
血の繋がりはあっても、心の繋がりが絶たれている父娘には語り合う事など何もありはしないと思っていたから。
それなのに、まるで父親に構って欲しくて駄々を捏ねる子供のような真似をしている自分に、ユリア自身が一番驚いてしまう。
しかし、微塵も感情を揺らさない皇帝の瞳の奥に、不器用な愛情という名の光を見た気がした達也は愁眉を開く。
彼女の嫌味にも近い問いに皇帝が口を開きかけた刹那、今度は激しい衝撃に船体が揺さ振られ、その所為で椅子から転げ落ちそうになったユリアは達也に支えられて事無きを得た。
「こ、これはいったい……敵の攻撃なのですか?」
「いや、今のは砲撃が命中したものではないよ。たぶん、艦内の何処かにトラブルが発生したのだろうね」
取り乱しもせずに立ち上がった達也は、然も当然の様に皇帝に進言した。
「陛下。艦橋に赴いて騒動を鎮めてまいりますので、申し訳ありませんが、その間娘を宜しくお願いします」
ザイツフェルトはその言葉に反応を示さなかったが、敬愛する父親の身を案じるユリアは双眸を見開いて取り乱してしまう。
何といっても此処は敵地も同然なのだから。
「待って下さいお父さま! 艦橋は帝国の軍人でいっぱいです! そのような中に赴かれるなど……」
「おやおや? 先日は私を信じていると言ってくれたが、実はユリアも僕の力量に不安を感じているのかな?」
「ちっ、違います! お父さまの御力を疑うなどあり得ません! でも、万が一があったら……私はお母さまに何と言えば、あっ! お、お父さまぁ!?」
何とか説得し引き留めようとしたのだが、逞しい腕に抱かれると気恥ずかしさが先に立って口籠るしかなかった。
「心配はいらない……自分で言うのも何だが、私を殺すのは骨が折れる仕事だよ。それは人間であれ艦隊であれ大差はない。それに、こんな所で君に怪我でもさせたら、それこそ僕はクレアに叱られてしまうよ」
おどけた口調で諭され頭を撫でられれば、それ以上抗弁する術はユリアにはなく、達也は大人しくなった愛娘を椅子に座らせてから、出口に向けて歩き出す。
だが、思い出したかの様に歩を止めるや、ザイツフェルト皇帝に笑みを向けた。
「貴方の中で十八姫が存在しない死人であるのならば尚更都合が良い。死者が相手なら、何を語っても皇帝陛下の御名に傷がつく事はないでしょう? 本音を聞かせてやっても良いのではありませんか? では……」
それだけを告げると今度こそ足早に部屋を出て行くのだった。
後に残されたユリアは、先ほど自分が吐いた言葉もあって、ひどく落ち着かない気分だ。
(本音を聞かせるって……この人にそんなものがある筈が……)
敬愛する父親の言葉ではあるが納得するのは難しく、否定的な思いに捉われていた時だった。
「大切にされているのだな……そなたの顔を見れば今が幸せなのは充分に分かる。ユリーシャも喜んでいよう。願い求めた十年という月日が結実したのだからな」
ひどく柔らかく、何かを懐かしむかの様な声に耳朶を打たれる。
その声の主が帝国で生きた十年という月日の中で、まともに言葉を交わす事すらなかった人間と同一人物だという事実にユリアは驚きを禁じ得なかった。




