第六十二話 それぞれの決戦前夜 ⑤
(はぁぁ……やれやれ、またこのパターンか……然も、あの時よりも厄介だぞ)
自宅のリビングに設えられた応接セットの単座ソファーに座る達也は、想定外の事態を前にして嘆息せざるを得なかった。
脚の短い瀟洒なテーブルを挟んで対面にあるソファーには、ユリアとティグル、そしてさくらの三人が並んで座っており、一様に厳しい視線で此方を見ている。
いや、睨んでいると言うべきか……。
(参ったなぁ……まさか、アナスタシア様にまで、“疾風”の件が伝わるとは思っていなかったからなぁ)
そう嘆いてみても全ては後の祭りだという他はなく、達也は怒れる子供達を前にして頭を抱えるしかなかったのである。
※※※
決戦を目前に控えて緊張が高まるセレーネ星だったが、この日ばかりは住民らの歓呼が戦雲を打ち払い、熱狂的と形容するに相応しい歓喜に沸いていた。
アルカディーナ星系全てを基盤とする新国家樹立は住民全ての承認を得ており、正式な宣言を以て近日中に建国式典が執り行われる予定になっている。
そして本日、初代元首を決める全住民を対象にした選挙が行われたのだ。
選挙とはいっても候補者はクレアひとりだけという信任投票に等しいものではあったが、投票率も獲得票も百%という驚異的な支持を得た彼女が選任されたのは、ある意味で至極当然の結果だと言えるだろう。
竜聖母の末裔として敬愛されている上に、穏やかで優しいクレアの人柄に惹かれない住民はおらず、その上に英雄と崇められている達也の愛妻という要素まで加われば、住民らにとって彼女以外の選択肢など有り得る筈もないのだ。
そして、この結果を受けたセレーネの各都市では現在祝賀行事が華々しく開催されており、何処も彼処もが、お祭り騒ぎの熱気に浮かれているという次第だった。
だが、信任を得たクレアには、そんなお祝いムードに酔い痴れる暇はない。
銀河連邦軍とグランローデン帝国軍の襲来を目前に控えている状況では、一刻も早く国家樹立に向けた準備を終えねばならず、初代閣僚人事を含め山積した問題を片付けるべく、完成したばかりの大統領府に籠って奮闘しているのだ。
そんなクレアを慮った達也は、彼女の代わりを務めるべく、久しぶりに自宅へ戻ったのだが、帰宅早々に想定外の事態に直面して困惑せざるを得なかった。
『おとうさん。大切なお話があるの……時間を下さい』
玄関で出迎えてくれたユリアは明らかに不機嫌だった。
それは彼女に限らず、両隣に並んでいるティグルとさくらも例外ではない。
一体全体何事かと困惑する達也だったが、子供達に促される儘にリビングの応接セットに落ち着くや否や、秘密にしていた“疾風”に関する事情を詰問され、大いに狼狽する羽目に陥ってしまったのだ。
不機嫌さを隠そうともしないユリアが語った所によると、最近元気がないヒルデガルドを心配したアナスタシアが、気安い会食に彼女を招待して日頃の激務を労おうとしたのが発端らしい。
しかし、新型人型機動兵器に纏わる達也とサクヤらの悶着を告白され、仰天したアナスタシアがユリアを問い詰めた事で、軍機が子供達にまで露見したという次第だった。
※※※
「なぜッ!? そんな危険な代物を開発しなければならないの!? 幾らなんでも度を越した蛮行だわッ!」
「俺もユリア姉と気持ちは同じだ。同席はさせなかったけど、マーヤや蒼也だって凄く悲しんでいるに違いないぜ」
「さくらも嫌だよ! 達也お父さんが危ない真似をするのは絶対に嫌だもんッ!」
ユリアが悲痛な声で問い質せば、ティグルやさくらも感情を露にして言い募るのだが、その様子は余りにも痛々しく、達也は後悔の念を懐かざるを得なかった。
心配は掛けたくないという一念から敢えて何も言わなかったのだが、それが却って子供達を傷つけてしまったと気付けば反省せざるを得ない。
憤慨する子供達の想いを犇々と感じた達也は、素直に頭を下げて謝罪した。
「心配を掛けて本当に済まなかったね……どうか許しておくれ」
すると、ユリアが胸の中に蟠る切ない想いを吐露する。
「私達は謝って欲しいんじゃないのっ! お父さんが人一倍責任感が強い人だというのは分かっているわ。でもっ! それでもっ! 可惜命を軽んじる無謀な真似はして欲しくはないのッ!」
姉の言はティグルやさくらも共有するものだが、ユリアの様に上手く感情を言葉にできない為、思慕の情を滲ませた瞳で父親を見つめるしかない。
そんな子供達の想いは重々理解できたが、口先だけの気休めでは納得させられないだろうと察した達也は、ユリア、ティグル、さくらに柔らかい視線を向けて語り掛けた。
「ありがとう。君達の気持ちは本当に嬉しいし、できるなら無茶はしたくはない。だが、私にも譲れない想いがある……そして、我々の敗北は、このセレーネに集った人々の運命のみならず、銀河系の至る所で今この瞬間も虐げられて泣いている人々の人生にも暗い影を落としてしまう。だからこそ、負けられないんだ」
「それならっ! 私が戦うわっ! ヒルデガルド殿下にお願いして、封印しているシステムを開放すればッ!」
切羽詰まった顔でそう言い募るユリアに達也は首を振って見せ、静かだが決して反論を許さない強い意志を滲ませた言葉を返す。
「父親としてそれは絶対に認められないよ、ユリア。以前に君の力に頼って於いて何を今更と思うかもしれないが、大切な娘を戦場に送り出して平然としていられるほど私は冷酷にはなれない。それに戦争は軍人である私の領分だ。それに嘴を差し挿むのは、譬え君であっても絶対に許さない」
父親の強い意志に打たれたユリアは喉まで出掛かった非難の言葉を呑み込まざるを得ず、双眸に涙を滲ませて口籠るしかない。
「ティグル。マーヤや蒼也を気遣ってくれてありがとうな。私とは一番付き合いが長いおまえが居てくれるからこそ、私は安心して戦場で戦えるんだ……これからも妹や弟を護ってやってくれ」
白銀達也という人間の本質を他の姉妹の誰よりも理解しているティグルは、そう懇願されれば、それ以上の我を通せなかった。
「さくら……まだ地球にいた頃に教えた通り、人の手は他人と仲良くなる為にこそ使うべきだと私は思っている。でもね、大切な人々の命が危険に晒された時には、迷わずに力を振るって敵を排除するのも軍人の役目なんだよ……それだけは覚えておいて欲しい」
その言葉が胸に染み入った途端、さくらは居ても立っても居られずにソファーから立ち上がるや、脱兎の如き勢いで父親に抱きついて咽び泣いてしまう。
その震える背中を撫でて宥めようと試みたものの、さくらは機嫌を直す所か益々駄々を捏ねる始末。
これにはホトホト困ってしまった達也だったが、その窮状を救ったのは他ならぬクレアだった。
「あらあら、どうしたの? 揃って難しい顔をして?」
忙しい合間を縫って帰宅したクレアは、リビングの重苦しい雰囲気と夫に縋りついて泣き伏すさくらの様子から大凡の見当をつけ、念のために達也に視線をやる。
「“疾風”の件を知られてしまってね。お叱りを頂戴していたんだ」
然も困ったと言いたげに苦笑いする達也の様子が可笑しくて含み笑いを漏らしたクレアだったが、それを見咎めて全てを察したユリアが声を荒げた。
「お母さんも知っていたのねっ!? でも、なぜ止めないの? お父さんがやろうとしているのは無謀な蛮行だわっ! 私は、私はッ……」
腹立たしくて仕方がないが、遂には言葉が続かなくなって俯いてしまうユリア。
そんな愛娘に歩み寄ったクレアは、その震える身体を優しく抱き締めてやる。
「心配して怒ってくれてありがとうね。でも、私には止められないわ……だって、私は達也さんの妻ですもの。愛する人が悩み抜いて決断した以上は尊重してあげたいし……何よりも私は達也さんを信じているから」
その物言いはひどく穏やかで、悲壮感などの負の感情は微塵も感じられない。
だからこそ、クレアの想いと達也との絆の強さを知ったユリアは、説得を断念せざるを得なかった。
「お母さんはずるい……そんな風に言われたら、文句を言っている私がお父さんを信じていないみたいじゃない……」
蛮行を認めた訳ではないけれど、お母さんがそう言うのなら仕方がないわ!
そんな、如何にもといった態度で体裁を取り繕ったユリアだったが、含み笑いを漏らすクレアから反撃されれば、狼狽して顔を赤くする他はなかった。
「大丈夫よ。あなたも直ぐに私と同じ気持ちが理解できる様になるわ。ジュリアンと心を交わし合ったのだからね」
「もっ! もうッ! お母さんったらぁッ!」
そんな長女の初々しい反応に顔を綻ばせるクレアは、未だに父親の胸に顔を埋めてグスッ、グスッと鼻を啜っているさくらを諭す。
「お父さんはさくらに約束してくれたでしょう? 『黙っていなくなったりはしない』と……その言葉を信じてあげられないの?」
愛娘の性格などお見通しの母親から挑発されたさくらは、涙で濡れた顔を上げて達也を見つめるや、不安を滲ませた声音で訊ねた。
「ちゃんと帰って来てくれるぅ? さくらを置いて何処かへ行っちゃわない?」
その切ない声に胸を打たれた達也は、娘の小さな身体を抱き締めて微笑んだ。
「勿論さ……約束するよ。さくらや皆の所に必ず帰って来る。二度と寂しい思いはさせないから、良い子にして待っていておくれ」
それを聞いて安堵したさくらは、温かい腕の中で何度も何度も頷く。
そんな姉妹の様子を見て納得したのか、不承不承といった風情ながらもティグルが口元に笑みを浮かべているのを見た達也は、漸く騒動が一件落着したと胸を撫で下ろした。
視線に気付いて顔を上げれば何処か得意げな愛妻の顔が目に入り、その表情には『今回の分は貸しですからね』という本音がありありと見て取れ、達也は苦笑いせざるを得なかったのである。
だが、そんな平和な時間は瞬く間に過ぎていく。
そして、三月を待たずして、銀河連邦軍とグランローデン帝国軍の連合艦隊が、アルカディーナ星系へ向けて進発したとの報が齎された。
運命の日は確実に目前まで迫り来ていたのである。
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【令和4年8月3日追記】
今回のお話をイメージしたFAをサカキショーゴ様(https://mypage.syosetu.com/202374/)から頂戴しましたので掲載させて戴きます。
「白銀の拳~羅刹~」
子供達の怒りが爆発しておりますな。達也もタジタジだったでしょう。(笑)
「う~~マーヤは仲間外れだったよぅ!」
おや?、何か抗議の声が聞こえますが、空耳空耳。
サカキショーゴ様本当にありがとうございました。【桜華絢爛】
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