第六十二話 それぞれの決戦前夜 ④
「私達にとって最大の懸案事項は、リオン皇帝自らが討伐艦隊を率いて出陣するか否かだけれど、目論見通りに上手くいきそうなの?」
嘗ての教え子達や地球からの避難民らの話題は前菜に過ぎず、このエレオノーラの問いを機に四人は本題の議論へと移った。
グランローデン帝国を無力化して早々に戦局から御退場願うのが、今回の戦いに於ける最大の戦略目的に他ならない。
それを成す為には、絶対的支配者である皇帝リオンを葬るのが手っ取り早いし、現帝国の支配体制を最も効率的に瓦解させる妙手であるのは自明の理だろう。
だから、達也は然も当然だと言わんばかりに頷いて見せた。
「心配はいらないよ。セリスまで担ぎ出して煽ったんだ、自ら先頭に立って攻めて来るさ。その上で勝利を手にするしか、帝国領内で勃発している騒乱を鎮める術はないからな」
「それを狙ってセリス殿下を引っ張りだしたのだろう? 彼の生存を知れば配下の帝国軍の中からも造反者が出かねない。そんな事態は新皇帝にとっては悪夢でしかないだろうからね。そして、アングリッフ元帥閣下の例を見れば、その期待は強ち夢物語ではないと思う」
達也の言葉をラインハルトが補足すればクラウスも口を開く。
「それに“敵の母星には金銀財宝がザックザックだ”、と教団幹部に伝わる様に工作しておきましたからねぇ。欲深で生臭と評判の教皇が我慢できるとも思えません。占領地の主だった宗教を神敵に貶めて抹殺するや、収蔵されていた財宝を私物化する様な御仁ですから、今頃は自分も参陣すると騒いでいるでしょう」
彼らの予測の成否を確認する術はないが、それらが正鵠を射ている確率は非常に高いと、エレオノーラは確信した。
だから如何にも恐れ入ったと言わんばかりに両肩を竦めるや、何処か諦念を含んだ言葉を溜息と共に零したのだ。
「こんな腹黒い連中を相手にしなければならないなんてね。帝国の皇帝や教皇には同情するしかないわ」
男性陣にとっては甚だ不本意な言われようだが、下手に文句を言おうものならば話が脱線するのは確実な為、敢えて聞こえないフリをする。
そして軽く咳ばらいをしたラインハルトが、先を急かすかの様に達也に問うた。
「帝国の動向は思惑通りだとしても、銀河連邦……モナルキアがどんな手を打って来るかは判断が難しいな。相手の出方次第では此方も対応を見直す必要があるのではないか?」
「ん~~。戦力で勝る自分達が負けるなんて想像もしていないだろうし、奴らにとっての最優先事項は、貴族閥主導の評議会に対する不満の拡散を如何に抑えるかに尽きるだろう。だったら、下手な小細工はしないはずだよ。此方は予定通り粛々と迎え撃てばいい」
「おまえの決起宣言に呼応し、モナルキア率いる連邦に反旗を翻す国家や方面艦隊が出ると思うかい?」
呑気な答えを返して来た親友に再度ラインハルトが問うと、達也は小さく左右に首を振って苦笑いした。
「現時点で銀河連邦軍と帝国の混成艦隊が負けると思っている人間はいないさ……ファーレンとランズベルグの件もあるから、何処の馬の骨とも知れない男の軽口に乗せられて動く酔狂はいやしない。まぁ、様子見をして身の振り方を模索するのが精々かな」
その言い分が至極真っ当な理屈であるのは分かるし、異論を差し挿む余地がないのも理解しているが、どうにも釈然としないものを感じたエレオノーラが不満げに語気を荒げる。
「漁夫の利を狙うのが悪いとは言わないけどさ。結局は自分可愛さの我儘な餓鬼どもが、欲望を露にして主導権を争っているだけじゃないの? モナルキアやリオン皇帝を倒したとしても、同じ穴の狢が後釜に座っては意味がないでしょうに」
「歴史は繰り返すと言いますからねぇ……ですが、我々にできるのは敵と見定めた勢力を撃破して勝利を勝ち取る……それだけですよ。そこから先は政治の役割だと割り切るしかありませんねぇ」
エレオノーラの愚痴にクラウスが達観した物言いを返せば、それを引き取る形で達也が言葉を重ねた。
「所詮は人間という種が背負った業だ。凡そこの世に存在するもので腐らないものはない……それは、人間もその社会や文化も例外はない。だから、今とほんの少しだけ先の未来が豊かである様に頑張るしかないんだ。他人の思惑など関係ないさ。俺達は自らが信じた未来の為に戦う……それだけだよ」
単純明快なその理屈は如何にも達也らしく、他の面々も同意して頷くしかない。
「早ければ半月後には大艦隊が押し寄せて来る筈だから、各員お持て成しの準備を怠らない様に。それから、別動隊には先走らずに此方の開戦にタイミングを合わせる様に伝えてくれ」
予てより取り決められていた事柄の念押しだが、その重みはその場に居る全員が共有しており、達也の命令を軽視する者は一人も居ない。
たとえ地の利があるとは言え戦力差は歴然としており、ほんの僅かなミスが全てを台無しにする恐れがある。
それを知るからこそ、達也を筆頭に全員が自身の油断を戒めるのだ。
その慎重さが吉と出るか凶と出るか……。
銀河系に生きるものらの命運を左右する戦いが、その幕を開けようとしていた。
◇◆◇◆◇
(駄目だな……“疾風”のポテンシャルを半分も引き出せない……こんなザマでは、専属パイロットなんて夢のまた夢だ)
セレーネへと降下している軌道エレベーターのシートに身を沈めた蓮は、訓練による疲労と思うに任せぬ結果に落胆するしかなかった。
新型人型機動兵器の存在が明らかになったのは、ヴィッダー星系のガルガンタから帰還した直後だ。
幼い頃から夢にまで見た憧憬の存在が実戦配備されたと知った蓮は、最新鋭機の搭乗員になるべく達也に直談判したのだが……。
『駄目だ。あれは、対無人機動兵器に特化した特別仕様が施されている。並のパイロットでは寿命を縮めるだけだから許可できない』
問答無用で斬って捨てられて道は閉ざされたかに見えたのだが、その程度で長年の宿願を諦める蓮ではなかった。
その日以降、彼は日参して何度も嘆願を繰り返すという執念を見せ、その余りのしつこさに閉口した達也の方が根負けし、渋々ながらも訓練参加を許可したのだ。
尤も、あくまでも試験的にという前提であり、訓練の結果次第では潔く断念するとの誓約書を書かされた上での承認だった。
勿論、この報は瞬く間に梁山泊軍内を駆け巡り、アイラを筆頭に腕に覚えのある古参パイロットが挙って訓練を志願するという事態に発展したのだが、その結果は散々たるもので、トップエースのアイラですら、三日ともたずに音を上げたのだから、他のパイロットに至っては推して知るべしだと言わざるを得ないだろう。
然も『いずれは汎用戦力として実験部隊を起ち上げるつもりだが、決戦を間近に控えている現状では時間が足りない。だから、今回は諦めてくれ』と達也から説得されれば、その筋の通った言を拒むのは難しかった。
結局、志願してきた者達のほぼ全てが、新型機への転換を断念したのである。
だが、蓮だけは頑として諦めようとはしなかった。
それは、この新型人型機動兵器プロジェクトが彼自身の夢の結晶という理由ばかりではなく、“疾風”が困難な戦局をも打開できる可能性を秘めていると確信したからに他ならない。
(ヒルデガルド殿下が開発した、ブレインウェイブ・ダイレクトコミュニケーション・システムの有用性は圧倒的の一語に尽きる。煩雑な操縦は不要になり、単調なモーションパターンに依存する現行の人型兵器とは比較にならないポテンシャルを秘めている……だがっ!)
正しく良い事尽くめだと思われる“疾風”だったが、それを十全に乗りこなすのは並大抵ではなく、その過敏すぎる反応速度と有人機動兵器の概念を大きく逸脱した運動性能の克服という問題が、蓮の前に大きく立ちはだかっていた。
(土星戦役で投入された高機動無人機に対応する為に開発されたというのは伊達じゃなかった。状況に対処しなければと思っただけで機体が勝手に反応する程に過敏だから、そのレスポンスに意識が追い付かない。挙句に思考の加減を間違えれば、高機動によって生じる過剰なG(加速度)に耐えられずに失神するばかりだ。既に白銀提督は実機での訓練に移行しているというのに……)
訓練開始から早くも数か月が経過しているにも拘わらず、未だにヴァーチャルシミュレーションでGーLOC(意識喪失)を繰り返している我が身の為体が情けなく、達也との差をまざまざと見せ付けられれば焦燥感ばかりが募る。
引っ切り無しに急加速と急制動を繰り返す中、身体を圧迫するGは想像の範疇を遥かに超えており、ヒルデガルド自慢のバトルスーツを基にした耐G性能に優れたパイロットスーツを以てしても、その荷重を完全には相殺し切れない。
余りの惨状を見かねた達也から『パイロットスーツの補助機能ばかりではなく、上手く筋肉を使って血流をコントロールしろ』と教えられたのだが、高性能の機体に振り回されている現状では儘ならず、蓮は暗中模索の中で活路を見失っていた。
(自分で血流をコントロールできれば、耐Gスーツの性能との相乗効果が見込めると言われたが……)
口で言う程には容易くない現実に葛藤は深まるばかり……。
不透明な先行きを思えば憂鬱になり、蓮はこの日何度目かの深い溜息を吐いた。
※※※
軌道エレベーターの地上施設に降り立ったのは丁度正午頃で、周辺宙域の各施設で働く労働者たちの帰宅ラッシュには早く、フロアーはやや閑散としていた。
本来ならば寸暇を惜しんで訓練に没頭したかったのだが、地球からの避難民達とアルカディーナの代表者らとの親睦を兼ねた懇親会が開催されるため、蓮や詩織も参加を厳命されており、今後の友好的関係を築く上でも無下にもできない。
当然、相手方にはヨハンや神鷹ら元クラスメートもおり、仲間達と歓談する事で場の雰囲気を和らげ、それが地球人とアルカディーナの交流の一助になれば……。
そう期待されての命令だと蓮は理解して自分を納得させていた。
(懇親会は迎賓館で夕方からだったな。少々早過ぎたか……)
時間を持て余すのは分かっていたが、早めに会場入りして準備でも手伝おうかと思った時だった。
「れんにぃ~に!」
舌足らずだが可愛らしい声で名前を呼ばれた蓮は、外に通じるホールの出入り口から掛けて来る幼子を見つけて思わず相好を崩す。
危なっかしい足取りでトコトコと駆けて来る妹を出迎えた蓮は、その小さな身体を抱き上げて歓声を上げた。
「お─ッ! 愛華ぁッ! わざわざ迎えに来てくれたのかい?」
「うんっ! おかえりなさぁい、れんにぃ~~」
蓮に抱かれて笑みを弾けさせる愛華は、実兄の首辺りに抱きついては頻りに顔を擦りつけて燥ぐ。
「あぁ、ただいま、愛華。母さんと一緒なのかい?」
「ん~~ん! しおねえッ!」
そう叫んだ妹が首を巡らせる。
その視線の先に笑みを浮かべて佇んでいる詩織を見つけた蓮は、口元を綻ばせて愛しい恋人へと歩み寄るや、人目も憚らずに愛華共々に抱き締めるのだった。




