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第五十八話 人の数だけ想いはありて ④

「少し肩に力が入り過ぎですね……目端(めはし)の利く者ならば、些細な変化でも見逃がしませんよ」


 殊更(ことさら)に厳しい物言いではないが、ソフィアの指摘は的確に問題点を衝いているだけに反論の余地はない。

 それを理解しているクレアは、焦る気持ちを呑み込んで平静を装い、注意された部分に意識を集中して修正を試みる。


 本日はアナスタシアの政治談議の後、社交マナーや立ち居振る舞いを学ぶ時間が組まれており、大国の皇后直々の指導に緊張を禁じ得ないクレアは、上手く動かぬ身体に切歯扼腕(せっしやくわん)しながらも、懸命にレッスンに取り組んでいた。

 対する教導役のソフィアも、常日頃見せている陽だまりのような微笑みを封印し、教え子の一挙手一投足に厳しい視線を注いでいる。

 その峻厳な表情から皇后の心中を(おもんばか)るクレアは、自分が出来の悪い生徒であるのを自覚せざるを得ず、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 しかし、そんな彼女の自己評価とは裏腹に、ふたりのレッスンを(そば)で眺めているアナスタシアは、クレアの素養の高さに舌を捲く他はなかった。

 皇国内の貴族令嬢を行儀見習い名目で一定期間侍女として受け入れ、淑女に必要なスキルを学ばせる場を(もう)けているランズベルグ皇王家だが、令嬢らを指導するのは(もっぱ)ら女官長やその側近達であり、皇后が直々に教授するなど絶対に有り得ない。

 如何(いか)無聊(ぶりょう)をかこって退屈を持て余していたとはいえ、ソフィアが他人の指導に熱を上げる姿など、アナスタシアをして初めて御目に掛かる光景だ。


(表情は上手く隠しているけれど、教えるのが楽しくて仕方がないといった心の声は隠しようもないわね。クレアさんの素質を思えば教え甲斐もあるでしょうが……それにしても、本当に達也には過ぎた女房殿ですよ)


 軍才以外には何の取り柄もない唐変木(たつや)が、こんな素敵な嫁をGETしたのは奇跡に他ならないと、アナスタシアは、半ば本気で思っている。

 だが、同時に白銀達也の妻という立場が、クレアにとって幸せな場所だとは言い難いという現実も熟知していた。


(達也と結ばれたばかりに否応(いやおう)なく嵐の只中に放り込まれてしまう……貧乏くじを引かされたと後悔しなきゃいいがねぇ)


 自らもそれが最善の方策だと助言したとは言え、その道程の険しさが並大抵のものでないのは、アナスタシア自身が誰よりも正しく理解している。


 クレアを一端(いっぱし)の為政者に仕立て上げるべく、日々マンツーマンでの指導を始めて早くも八か月が過ぎた。

 彼女が人間としても女性としても穎脱(えいだつ)した存在であるのをアナスタシアは看破しているし、乾いた布が瞬時に水を吸収するかの(ごと)き聡明さには感嘆させられてばかりだ。

 このまま政治家として国政に(たずさ)わって経験を積んだなら、英邁(えいまい)な指導者として、いずれは銀河にその名を(とどろ)かせるのも夢ではない……。

 そう断言せずにはいられない程の逸材だとアナスタシアは確信している。


(だが、()しむらくは時間がなさすぎる……国家指導者としての適性が有るか(いな)かは積み上げた実績でしか計れないわ。何の経験もない儘、いきなりトップに立たねばならないとは……)


 如何(いか)に人間として優れていても、御人好しには為政者など務まらない。

 いざ肝心な時に非情な決断が下せるか(いな)かは、国のトップに立つ人間の最も大切な資質だと言っても過言ではないだろう。

 それをクレアに求めるのは酷ではないか……。

 なまじ彼女が優秀であるだけに、その才を潰すかもしれない可能性をアナスタシアは今更ながらに恐れたのである。

 しかし、皇国の宰相まで務めた彼女や皇后であるソフィアが置かれている状況も、クレアと大差ないと言わざるを得ないのが実情だ。


(皇国の内情は(かんば)しくないと聞いている。それもこれも、新皇王ヴァンゲルの馬鹿が()いた圧政が原因なのは明白だというのに、それを(いさ)める者すらいないとは……(かつ)ての七聖国の威光も地に堕ちたものだわ)


 胸の中で嘆息するアナスタシアは、故国を覆い行く仄暗(ほのぐら)(よど)んだ影の存在を(うれ)いて(ほぞ)を噛む思いだった。

 近衛艦隊司令官だったシャリテ・サジテールの献身的な働きもあり、皇国の内情については、かなり詳細な情報が(もたら)されている。


 ヴァンゲルが新皇王に即位すると同時に、皇王府を筆頭に各政治機関が新体制を構築してから半年が過ぎたばかりだというのに、早くも国民からの不満の声が(ちまた)に溢れているとの報告を受けた時には、()しものアナスタシアも自分の耳がおかしくなったのかと本気で疑ったものだ。

 だが、それは紛れもない事実であり、()しくも、貴族優遇政治を強引に推し進める銀河連邦評議会に追随した結果であるのは明らかだった。


 新政府の発足と共に行われた憲法改正により、国家運営に対する決定権が皇王府に集約され、皇王の裁量権が大幅に拡大されたのも災いし、これまでは議会で審議し採決されていた重要案件が皇王の一存で取り決められる様になり、大幅な増税が断行されたのである。

 この法改正により個人は言うに及ばず、大小の法人企業や個人経営の商店に至るまで網の目の(ごと)く課せられた重税は、たちどころに皇国の経済と国民生活を直撃し、今や民衆の怨嗟(えんさ)の声は主星セーラに止まらず、テュール星系全域に及び日常的にデモが頻発(ひんぱつ)する事態に発展していた。


(よこしま)な欲望を隠そうともしない下品な輩だとは思っていたが、此処(ここ)まで愚かだったとはねぇ……この儘では国民が蜂起して暴動に発展するのは時間の問題。その時にあの馬鹿は武力による鎮圧を躊躇(ためら)わないでしょう……)


 顔馴染の親族に侮蔑の念を(いだ)きながらも、今後皇国臣民に降り懸かる災禍を思えば、胸が締め付けられるような憤りを覚えずにはいられない。

 そんな時だった。


「よろしくてよ。その呼吸を忘れない様に……今日は此処(ここ)までにしましょう」


 ソフィアの(ほが)らかな声で、アナスタシアの意識は目の前の現実へ引き戻される。

 (しき)りに『不出来で申し訳ありません』と謝罪するクレアに対し『充分合格点よ』と太鼓判を押すソフィア。

 その言葉が世辞でないのは、皇后の喜色に染まった表情からも疑う余地はない。

 それは、クレアが宮廷作法には人一倍厳しいソフィアに認められている証に他ならず、その事実を(もっ)てアナスタシアも腹を(くく)ったのである。


(ならば、私もクレアさんに賭けてみましょう。幸いにも彼女は竜母の末裔として(ひい)でたカリスマ性の持ち主であり、この星に集った人々からの信頼も厚いわ。(すで)に為政者として恵まれた資質を持っている彼女ならば……大化けする可能性は充分にあるはず)


 その(わず)かばかりの光明に賭けると決めたアナスタシアは、更なる帝王教育を(ほどこ)すべく、眼前でソフィアと談笑するクレアを剣呑(けんのん)な視線で見つめるのだった。


            ◇◆◇◆◇


 夏から秋へと季節が移ろい、間もなく冬の足音が聞こえようかという頃。

 セレーネに住まう人々は、その穏やかな時間の流れの中で繁栄を謳歌していた。

 しかし、それはアルカディーナ星系に限られた事象に過ぎず、銀河系全体を見廻せば、圧政に(あえ)ぐ人々の嘆きと共に、戦火が忍び寄る気配が犇々(ひしひし)と感じられる体を為している。

 そんな中でクラウスから(もたら)された『帝国にキナ臭い動きアリ』という情報を得た達也は、麾下(きか)の梁山泊軍全軍に臨戦態勢を指示。

 その上でラインハルトら最高幹部を招集し、(すで)に発令されている作戦内容の確認と、最終的な役割分担を行った。

 勿論(もちろん)、その場にはランズベルグ皇国の皇太子ケインとグランローデン帝国皇子であるセリスも同席し、伝えられた己の役割に勇躍して決意を新たにしたのである。


 そして達也はと言えば、相も変わらず軌道要塞の執務室で報告を精査しながらも、眼前で表情を曇らせている蓮と詩織に相対(あいたい)していた。

 艦隊統括司令官であるエレオノーラから作戦の概要を知らされた彼らは、居ても立っても居られずに達也の下に押し掛けたのだ。


「まぁ、落ち着け。おまえ達の気持ちは分からないでもないが、実際に戦端が開かれるまでは我慢して貰うしかない」


 そう(なだ)める達也に対し、蓮と詩織は揃って苦悶の色を滲ませて言い募った。


「それは承知していますが、グランローデン帝国艦隊に動きアリと聞けば平静ではいられませんよ。恐らく狙いは太陽系……そう考えるのが妥当ですから」

「状況の推移は事前に予測されていましたし、私達も納得していましたけれど……彼らの事を思えば……」


 同じ梁山泊軍の軍人とはいえ、蓮と詩織は生粋の地球人だ。

 (しか)も、国軍である統合軍には士官候補生時代に苦楽を共にし、力を合わせて逆境を乗り越えた大切な仲間達が存在するのだから、彼らの安否を(おもんばか)って不安を(いだ)くのは当然だと達也も理解はしている。

 身を焼くような焦燥に(さいな)まれているのは彼らばかりではなく、教官として指導した達也も同じだが、焦ってみても事態が好転する訳ではないのだ。

 それを誰よりも理解している達也は、再三繰り返して来た言葉で、ふたりを(さと)すしかなかったのである。


「我が軍の戦力が充実して来たとは言っても、銀河連邦軍やグランローデン帝国と比すれば田舎の警備隊に過ぎない。そんな我々が巨大戦力相手に活路を(ひら)くには、初戦で乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負に出て主導権を握る……それしかないのだ」

「それは理解していますし、異議を唱えるつもりもありません。ですが……」


 歯切れの悪い物言いの詩織と、唇を引き結んで黙り込む蓮。

 友人達への想いが、彼らを自縄自縛(じじょうじばく)に追い込んでいると達也は理解した。


(作戦前にあまり考え過ぎてはマイナスになると思い、ヨハン達の情報を伏していたのが災いしたか……)


 クラウスが気を利かせ調査してくれた情報を、達也は()えて秘したのだが、才能があり優秀だとはいえ、蓮も詩織も未だルーキーと評される若者に他ならない。

 可惜(あたら)情報を開示して必要以上に気負っては、いざという時に充分な力を発揮できないのではないかと懸念したのだが、(かえ)って不安を(あお)る結果になった様だ。

 だから、今更だと自嘲しながらも、ふたりに機密事項を話して聞かせるべきだと腹を決めたのである。


「分かった、分かった……現在俺が知る限りの情報は教えてやるから、今にも死にそうな顔をするんじゃない。まず最初に言っておくが、地球統合政府や世論が帝国容認派と反対派に別れているのと同じように、統合軍内もふたつの勢力が(あい)争っている状況だ」


 その言葉に表情を真剣なものに変えた蓮と詩織は食い入るように達也を見つめ、そして、敬愛する司令官の口から続いて語られた言葉を聞いて一気に破顔した。


「父親が反帝国派の急先鋒でもあるヴラーグ(ヨハン)と皇(神鷹)は、その主張に同調して行動を共にしている様だし、それは他の十六名も変わらない。だから、少なくとも我々と彼らが戦う状況は回避されたと判断して間違いないだろう」

「良かったぁ……もしも戦場で敵として出遭(であ)ったらどうしようって……そんな不吉な事ばかりが頭を()ぎって……」

「あぁ。でも、もうそんな不安はない! あとは全力で戦うだけだ!」


 詩織が涙を滲ませて(つぶや)けば、現金にも声を(はず)ませる蓮が決意を口にするのを見た達也は、その純粋な姿に羨望(せんぼう)の念を(いだ)かずにはいられなかった。

 それは、同じ地球人であるにも(かか)わらず、故国に対する感傷すら押し殺して恥じない自分への侮蔑だったのかもしれない。

 だが、このアルカディーナ星系こそが今の自分の故郷であり、そこで共に生きる人々が同胞に他ならない以上、曖昧(あいまい)な判断は許されないし、郷愁に()かれて感傷に溺れるなどあってはならないのだ。

 そう自覚するからこそ、達也は将来の右腕と期待する若者達を厳しい言葉で(いまし)めたのである。


「だが、くれぐれも楽観はしないように……圧倒的に劣勢なのは反帝国派の方だ。土星・木星連合公社も一枚岩ではない現状では、彼らが生贄にされる公算は極めて高い。その際に戦闘が避けられない以上、万が一の覚悟はしておいてくれ」


 達也の言葉が仲間との永遠の別離を意味するという事は分かっている。

 しかし、蓮と詩織はもう迷わなかった。

 土壇場まで白銀達也の存在を秘さねばならない以上は、事前にヨハンらと連絡を取る訳にはいかない。

 何処(どこ)に監視の目が光っているか分からないのだから、無用なリスクを避けるのは至極当然な判断だと理解している。

 だが、詩織が感泣して(つぶや)いたように、大切な仲間達と敵対せずに済むと分かったふたりに残されたのは、燃え盛る闘志だけだった。

 そんな蓮と詩織の心情を察した達也だったが、()えて何も言わずに無言を貫く。

 それは彼らの決意に水を差さない様にとの配慮に他ならなった。


 そして、その日から(わず)か一週間後。

『帝国艦隊進発す』の報が、セレーネ星へと(もたら)されたのである。

◎◎◎

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― 新着の感想 ―
[一言] ついに、決戦前の話まで……まだまだ最終章には遠いかもだけど読み進め頑張ります!!
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