第五十八話 人の数だけ想いはありて ②
「なあ? 長期任務を果たして帰還したのだから、もう少し愛想の良い顔で労ってくれても罰は当たらないんじゃないか?」
真新しい執務室に漂う重苦しい空気に耐えかねた達也は、来訪者達が纏う憤怒のオーラを払拭するべく、何時もの調子で軽口を叩いてみたのだが……。
対面の長ソファーに座るサクヤから険しい視線で射抜かれれば、その剣呑さに気圧されて沈黙せざるを得なかった。
ジュリアンが進呈してくれた豪奢な応接セットのソファーの真ん中に座すサクヤと、その左右に控えるラインハルトとエレオノーラ。
共に苦虫を嚙み潰した様な顔をしている三人は、とてもではないが冗談を許容できる心境にはないようだ。
(まったく……帰って来る早々に厄介な……)
心の中で愚痴るしかない達也は、この不本意な事態を引き起こしたヒルデガルドに怨み言のひとつでも言いたい気分だった。
なぜならば、今回の騒動はヒルデガルドが衛星ニーニャの軍事工廠に籠りっ切りになり、居候先の白銀邸に滅多に帰宅しなくなったのが発端だったからだ。
人一倍食い意地が張ったヒルデガルドがその愉悦を放棄してまで仕事に没頭するとは考え難く、体調不良でも起こしたのではないかと心配したクレアが工廠を訪ねた事で都合の悪い事実が発覚したのだ。
訪問者がクレアだと知って大いに狼狽えたヒルデガルドは、断固面会を拒否すると言い張って周囲を呆れさせたのだが、この不審極まる様子を訝しんだクレアは、何か後ろ暗い理由があるのだと看破し、その原因を詳らかにするべく伝家の宝刀を抜き放ったのである。
『さっさと白状なさらないのであれば居候は認められません。勿論、私の手料理も今後は一切御用意いたしませんから、その御つもりでいて下さいね』
この一言で実にあっさりと勝敗は決した。
ほとぼりが冷めるまで素知らぬ顔をしていようと画策したヒルデガルドは白旗を上げるしかなく、オリジナル新兵器の開発を達也から依頼された経緯と、人型機動兵器を完成させた事実を洗い浚い白状したのである。
しかし、それが文字通り只の新兵器だったならば、ラインハルトやエレオノーラまで巻き込んだ騒動に発展はしなかっただろう。
問題になったのは、ヒルデガルドが持てる知識と技術を総動員して完成させた、有人人型機動兵器・開発コードネーム“疾風”の特性と驚異的な性能だった。
カタログデーターに記載された諸元性能を見て愕然とさせられたのはラインハルトやエレオノーラばかりではない。
兵器の性能云々という専門知識には疎いクレアまでもが顔色を失ったのだから、そのオーバースペックが如何ほどのものだったかは想像に容易いだろう。
その事実からも“疾風”と命名された新型機動兵器が、パイロットの生命を軽視した代物であるのは明白であり、開発者のヒルデガルドに非難の目が向けられたのも致し方なかった。
しかしながら……。
『一応は忠告したんだよぉぅ……乗りこなせるか否かという抜本的な問題も含め、最終的に決定権は達也に委ねるしかなかったんだ……クレア君……すまない』
唯我独尊、傲岸不遜を地でいくヒルデガルドが悄然と肩を落として謝罪するのを目の当たりにすれば、彼女なりに達也の身を案じていたのは疑う余地もない。
だから、複雑な感情を持て余しながらも、クレアはヒルデガルドを責める気にはなれなかったのだ。
だが、彼女とは異なり他の面々が寛容にも納得したのかといえばそうではなく、寧ろ、達也への怒りを募らせたのである。
だからこそ、任務を終え帰還した早々に追及に及んだという次第だった。
「そうですわね。叶うならば私も笑顔で御迎えしたかったのですが、それは貴方様の真意を御聞かせ戴かない限り無理です。何故あの様な常軌を逸した兵器が必要なのか……納得のいく御説明をお願いします」
サクヤの声音には何時もの優艶さはなく、如何にも腹に据えかねると言いたげな憤慨が滲んでいる。
すると、彼女と想いを同じくするエレオノーラが、更なる追い打ちを掛けた。
「操作性の煩雑さと稼働率の悪さが克服されていない現行の人型機動兵器は、極々少数の機体が前線部隊に配備されているに過ぎないわ。然も、強硬偵察が主任務の完全な補助戦力としてね! でも、あの新型は違うッ! 戦闘に特化しているにも拘わらず、操縦者への安全配慮は脆弱だと言わざるを得ないッ! こんな欠陥機を実戦投入しようなんて、あんた気は確かなの!?」
激情家タイプの彼女が声を荒げるのは珍しくはないが、その瞳に瞋恚の炎が垣間見える程となると尋常ではない。
さすがに司令官権限を盾にし黙秘を貫くのは不可能だと判断した達也は、表情を改めて彼女達の憤懣に向き合うしかなかった。
「事前に相談しなかったのは悪かった……だが、太陽系で遭遇したヴァルキューレの様な無人兵器への対策は急務だろう。だから、殿下にお願いしたのは、有人機でありながら無人機と同等の機動を得られる操作性と圧倒的な火力の保持の二点だ。その点は充分満足できる仕上がりだったと俺は感謝しているよ」
「現行の人型機動兵器は様々なモーションパターンをシステム化し、最小限の操作で人体に近い動きを再現しているが、人間並みと評するには値しない御粗末な代物だ。だからこそ、各国は無人機の開発に躍起になっているのだ」
淡々とした達也の返答を受けたラインハルトが、有人機の限界と無人機の有用性を説いたのは至極当然だと言える。
そして、その限界を打破する可能性を秘めた“疾風”には、エレオノーラが指摘した欠陥が厳然と存在するのもまた事実だった。
ブレインウェイブ・ダイレクトコミュニケーション・システム。
所謂B・D・Sとヒルデガルドが命名した新型システムは、脳が発する行動命令を瞬時に読み取って、人間が自在に自らの身体を動かすかの如く、その機動命令を機体に伝達するシステムである。
その機能によりパイロットは煩雑な操縦から解放され、専用のマンマシンインターフェイスを通じて思考するだけの単純かつ俊敏な戦闘を実現できるのだ。
然も、その思考伝達力はファーレンの精霊石をシステムに組み込む事で何倍にも加速され、AI制御による無人機にも対応可能なスーパーウェポンの誕生を実現せしめたのである。
但し、無秩序極まる高機動を獲得したのと引き換えにパイロットに掛かる負担は尋常なものではなく、生命や身体機能の安全に支障が生じるのは明らかだった。
だからこそ、達也の身を案じた彼らは、その暴挙を諫めようとしているのだ。
「確かにラインハルトの指摘は正しいと思うし、“疾風”の実用性に難点があるのも事実だ。だが、それでも万が一に備えて準備しておかなければならない……それが司令官としての責務だし、何よりもバイナ共和国軍との戦闘での無力感を、二度と味わいたくはないという俺の願いでもある」
そんな尤もらしい言い分を並べられても到底納得できないサクヤは、気が付けば声を荒げて達也を詰っていた。
「明確な根拠もない儘に命に係わる暴挙に及ぶなど余りに無責任です! 貴方様の身に万が一があれば、クレア様や御子様達がどれほど悲しまれるか分かっているのですか!?」
家族の為ならば自らの命も顧みずに力を行使するユリアの身を達也が案じているのは分かっているが、だからと言って自らの命を危うくするなど断じて認められる筈もない。
その想いはクレアをはじめ子供達も同じだとサクヤは信じている。
しかし、彼女だけではなくラインハルトやエレオノーラも、次に飛び出した達也の言葉に困惑せざるを得なかった。
「根拠はあるさ……惑星ヴェールトの獣人居留地から避難民を救出したのは覚えているかい? あの作戦の後、残された獣人達の支援に当たっていたジュリアンから気になる報告があった。ルーエ中央政庁経由で臨時の兵士募集が行われ、かなりの数の獣人たちがそれに応じたそうだ。雇い主は銀河連邦宇宙軍……然も、配属先が正規航宙艦隊というのだから、胡散臭いと言わざるを得ないだろう?」
モナルキアが大統領に就任して銀河連邦の実権を掌握してからというもの、軍内に於ける各部署の長や司令官並びに高位役職者は、貴族閥が独占していると言っても過言ではない。
選民思想に凝り固まった彼らが、身分卑しい者と蔑む獣人らを好んで受け入れる筈もなく、それを知るラインハルトとエレオノーラは、達也の懸念を理解して唸るしかなかった。
「確かに……たとえ下働きだとしても、奴らなら『獣人と同じ空気が吸えるか!』と嫌悪して忌避するのは確実だ」
「それでも募集を掛けたのでしょう? だったら狙いは何よ?」
エレオノーラがそう疑問を口にすれば、表情を深刻なものに変えた達也が、もうひとつの懸念材料を提示する。
「嘗て、悪魔の御業と弾劾された“フォーリン・エンジェル・プロジェクト”を主導したひとり……ウィルソン・キャメロット博士は、ローラン・キャメロットの実の父親だそうだよ。クラウスの調査報告だから間違いない」
その名は目下敵対する勢力のキーマンに他ならず、ラインハルトやエレオノーラも漸く達也の懸念を理解した。
「因縁のプロジェクトに関係しているとはいえ、実際にキャメロットが何を企んでいるのかは分からない。だが、幾つかの事実を突き合わせると懸念は大きくなるばかりだよ……今すぐにでもアスピディスケ・ベースを強襲したいが、それが許されない以上は、想定される事態に対処するべく準備するしかない……だから“疾風”は必ず乗りこなしてみせる。今の俺にはそう言うしかないよ」
そう言われてしまえば軍人のふたりに反論する術はなく、渋々ながらも折れるしかなかったが、サクヤはどうにも諦め切れずに言い募る。
「譬え、それが正論だとしても、最高指導者が最前線で命を的にして戦う理由にはなりませんわッ! 高性能の無人兵器が投入される懸念があるのならば、こちらも対抗処置として新型の無人兵器を開発すればいいでしょう!」
「それは認められない……以前にも言ったが、戦争は人間がその責任においてやるべきものだ……自らの罪業を自覚するからこそ、人間は戦争という最悪の人災から明日への希望を見出し、より良い未来を創造する糧にできるのだ。だが、機械にはそんな感傷はない。ただ冷徹な計算の上にしか存在価値を見出さないAIに、人類の生存権を委ねる訳にはいかないんだ」
至極真っ当だと信じていた価値観を言下に否定されたサクヤは、その達也の言の正統性に胸を衝かれて言葉を失くしてしまう。
だから、表情を柔らかいものに変えた達也は、落胆の色を濃くして唇を噛む彼女に心からの謝意を伝えたのだ。
「家族を気遣ってくれてありがとう。君の忠告は胸に刻んで忘れないし、クレアや子供達を悲しませる真似はしないと約束する。だから、今はそれで勘弁してくれ」
根拠がないとはいえ強く断言されてしまえばサクヤも折れざるを得ず、不承不承ながらも頷く他はなかったのである。
達也は安堵し小さく息を吐いてから、最も重要な事を彼女に問うた。
「ひとつ確認しておきたいんだが……今回の事でクレアは何か言っていたかい? それから、子供達も“疾風”の件を知っているのかな?」
「特に何も……大伯母様や母上からの指導も厳しい中、普段通りに振る舞っておられますし、クレア様の要望で子供達には一切伝えてはいません」
サクヤからの返答に微妙な不安を懐く達也だったが、子供達に心配を掛けない様にとクレアが配慮してくれたのには、心から感謝するしかなかった。
残る懸念は、その愛妻が如何なる反応を示すのか……。
帰宅するのが少々躊躇われてしまう達也だった。




