第五十七話 遺児と忠臣 ⑤
「空恐ろしいものだ……こんな物騒なものが実戦配備されているとはな……」
己の常識が音を立てて瓦解していくのを自覚したアングリッフは、溜息交じりの感想を漏らさずにはいられなかった。
それは彼の護衛武官達も同じだったらしく、通された部屋の中を不安げな表情で見廻している様子からも明らかだ。
敵対勢力に属していたとはいえ、死んだ筈の男が目の前に現れたばかりか会談を申し込んで来たのだから、彼らが警戒心を懐くのも無理はなかった。
だが、間もなく夜が明けてエーアガイツの街が活動を開始すれば衆目に曝されるのは避けられず、広く顔を知られているアングリッフは目立つ事この上ない。
そんな彼が見知らぬ人間と会っていたとの噂が拡がれば総督府も黙ってはいないだろうし、最悪の場合は反乱の意図を疑われる可能性もある。
そんな事態はアングリッフにとっても甚だ都合が悪く、ましてや銀河連邦軍工作員との会談を今夜に控えている今、無用な危険は避けるべきだと老将は判断したのだが……。
「御懸念には及びませんよ。閣下を煩わせていた連邦の不届き者達は既に始末しております……私は彼らに代わって貴方様に耳寄りな提案を御持ちしただけです」
敬愛するザイツフェルト前皇帝が『面白い男』と評した白銀達也が口にしたその言葉にも驚かされたが、彼らが佇む遊歩道沿いの運河から巨大な潜水艦が浮上したのには、然しもの名将も度肝を抜かれて唖然とするしかなかった。
然も、それが次元潜航艦だというのだから、背後に控えている護衛役の部下たちも、冒頭の殺伐としたアングリッフの台詞に頷く他はなかったのである。
「まったくです……ここが宇宙空間ならばいざ知らず、惑星上……あまつさえ地下都市の中で自在に異次元空間にアクセスできるなど、到底信じられません」
「こんな物が実用化されたのであれば、戦場での常識が一変してしまいます」
驚嘆する彼らの言に内心で賛同するアングリッフは、汎用型護衛艦並みの設備を誇る室内を観察し、その技術力にも大いに感嘆させられたが、同時に不安も覚えずにはいられなかった。
(恐らくは艦長室か幕僚専用の部屋なのだろうが、これだけの巨艦となれば確かに居住性も優れていて当然か……ならば戦闘力も相応のレベルだと判断して間違いはなかろう。だが問題は、あの白銀達也が何を企んでいるか……その一点に尽きる)
神将の称号を得て位階を極めた人間が引き起こした謀反劇は僅か二年前の出来事であり、アングリッフも大いに驚かされたものだ。
真相が如何なるものだったのかは推し量る術もないが、その反乱の最中に死んだとされた男が目の前に現れ、連邦の工作員を排除したと言うのだから、その真意を訝しみ警戒するのは至極当然の事だろう。
それでも乞われる儘に同行したのは、同じ軍人として白銀達也という人間に共感できる何かを見た気がしたからに他ならない。
そんな事を考えていると軽いノックの音とともに入り口のドアが開き、先程とはがらりと様相を変えた神将が姿を現した。
白で統一された士官服の上に濃紺のロングコートを纏った達也は、長ソファーに座している老将の対面に廻って一礼し、立ち上がろうとしたアングリッフを制して自分も単座のソファーに腰を下ろす。
「お目に掛かれて光栄です、アングリッフ閣下。それから、私如き若輩者を御記憶しておられたとは恐縮するばかりですが、正直驚いております」
ただ一度邂逅しただけにも拘わらず、帝国の名将に名前を憶えて貰えたのが意外だったが、達也は素直に謝意を口にして頭を下げた。
すると、柔らかい笑みを口元に浮かべたアングリッフも好意的な言葉を返す。
「謙遜する必要はなかろう。特に言葉を交わした訳ではなかったが、ガリュード・ランズベルグ閣下の幕僚の中で君は特に目を引いたからね……その後の活躍を漏れ聞いた時には、私の勘も満更ではなかったと妙に嬉しかったのを覚えているよ」
穏やかな挨拶のやり取りで幕を開けた会談だったが、表情を改めて実直な軍人の顔に戻った老将は、射抜くような視線を達也に向けた。
「さて……面識があるとはいえ久闊を叙するほど親しい仲ではないはずだ。挨拶もそこそこで申し訳ないが、君の言う『耳寄りな提案』とやらを伺わせてもらえないかね?」
性急に過ぎるとアングリッフも分かってはいたが、何時までも異次元空間にいる訳にもいかないし、日課のジョギングから帰ってこないとなれば、家人や幕僚達が不審に思い騒動になるのは目に見えている。
「君と銀河連邦軍の間にどんな確執があって不幸な事態に至ったかなどは、帝国に奉職する私には関係のない話だ。だが、君が始末したという連邦のエージェントは我々には必要な存在でね……その辺りを踏まえた上で御説明願えればありがたい」
軍司令官として円熟の極みにある老将が放つ武威は、切れ味鋭い刀剣を思わせるものだったが、達也はそれを平然と受け流して彼の部下たちを驚かせた。
「まずお断りしておきますが、我々は貴方様の敵ではありません。連邦軍貴族閥の手先が閣下を恫喝し、将来的に内乱を引き起こす様にと強要していたのは承知しております。ですが、それは閣下にとっても本意ではありますまい? 何と言っても現状では故国に……いや、現皇帝に弓引く大義名分がありませんからね」
単刀直入で明け透けな物言いだったが、それは正にアングリッフの置かれている苦境を看破しているが故の言であり、然しもの名将も唸らざるを得ない。
「新皇帝即位後の帝国の拡大戦略は目覚ましいものがありますが、純血主義を掲げるリオン皇帝の圧政は支配下地域の臣民を苦しめ、その不満は日増しに大きくなるばかりだとか……然も、換言する忠臣は疎まれて佞臣が跋扈する有り様。これでは今は亡きザイツフェルト陛下も御心安らかではいられますまい」
揶揄する様な物言いではないが、アングリッフや彼の後ろに控えている部下達にとっては耳障りの良い話でないのは確かだ。
それは、険しい表情で達也を睨んでいる護衛武官らの態度からも窺える。
この儘では部下達が暴発しかねないと案じた老将は軽く手を上げて彼らを制し、意を決して達也に問うたのだ。
「なるほど……我々の事情は良く御存知の様だ。ならば、我らの窮状も御分かりだろう? 売国奴の汚名を覚悟して決起する以上は失敗は許されない。勝利を確実にする為にも強大な戦力を誇る銀河連邦軍を頼るしかないのだ……それとも貴殿は、百万隻の戦力に勝るものを我々に提供して下さるのかな?」
その老将の不退転の覚悟と真摯な想いに達也は胸を熱くせざるを得ず、この人とならば共に戦えると確信して破顔した。
「閣下の御覚悟と帝国に対する忠誠は真に尊いと感じ入りました。ならば私も手の内を明かさなければならないでしょう……私が閣下に御用意できるのは、決起には欠かせない大義名分であります……どうぞお入りください」
何を言われたのか分からず戸惑うアングリッフを尻目に達也が声を上げる。
すると、ドアの外に控えていたのだろう、直ぐに一人の青年将校が入室して来るや、老将に対し挙手の礼を取って懐かしげに目を細めた。
「失礼いたします……お久しぶりですね。アングリッフ閣下」
だが、その人物の顔を見たアングリッフの変貌ぶりは正に劇的であり、冷静沈着を以て成る名将は驚愕に両の瞳を見開き、弾かれたかの様にソファーから立ち上がっていた。
「おぉ……こ、これは夢か……夢ならば覚めないでくれッ!」
感極まった老将は瞳を潤ませ掠れた声でそう呟きながら眼前に立つセリスに駆け寄るや、敬愛する帝室の一員である彼の手を取って片膝をつき頭を垂れる。
「ま、真にセリス様であらせられますか!? よくぞっ! よくぞ御存命であらせられましたッ! 臣は心よりお慶び申し上げますぞッ!」
その声は歓喜に震えており、感極まって咽び泣く老将の手を握り返したセリスは、自らも両膝を床について声を震わせたのである。
「あの日、父上や多くの忠臣の犠牲の上に私は生き永らえました……そして、危うい所を白銀提督の御仲間に救って戴き、今日まで匿われていたのです……こうして再会できたのは嬉しいのですが、何よりもまず閣下には御詫びしなければなりません……貴方と多くの忠臣に苦渋の選択を強いた我が帝室の無慈悲を御許し下さい」
「もったいない……この凡愚の身には過ぎた御言葉でございます」
アングリッフは取り乱したのを恥じ入るかの様にセリスに礼を奉げ、立ち上がって達也に向き直るや、改めて頭を垂れた。
「心から感謝申し上げる。貴方様の御厚情により、我がグランローデン帝国は正統なる血筋を失わずに済みました。不遜なるこの身なれど、亡きザイツフェルト皇帝陛下に成り代わって御礼申し上げます」
謝意を受けた達也は小さく微笑んで左右に首を振る。
「私の手柄ではありませんよ。ザイツフェルト陛下と命懸けで殿下の御身を護った者達の想いの結実でありましょう……積る話も御有りでしょうから私は席を外します。我々の要望は殿下からお聞きください……その上で貴方がどの様な決断をされても怨みには思いません……では、暫しの歓談をお楽しみください」
達也はそう言い終わるや敬礼をして退出しようとしたのだが、ドアの前まで歩いた所で足を止めて振り向いた。
そして口元に不敵な笑みを浮かべ、アングリッフに宣言したのである。
「一言だけ言わせて戴きます……たとえ百万隻の戦力を誇る銀河連邦軍とはいえ、規律なき軍隊は砂上の楼閣の如く脆いものですよ……勿論、私は負ける気など毛頭ありませんので……その点は御承知おきください」
そして、そのまま足早に部屋を後にするのだった。
◇◆◇◆◇
その後一時間ほどの会談では、今後の梁山泊軍の行動方針と作戦の概要をセリス自らが説明し、アングリッフの賛意と協力を勝ち得たのである。
しかし、議論を重ねて相互の理解を深めるには余りにも時間がなさすぎた。
総督府の目を誤魔化すのにも限度があるし、アングリッフが軍政府に出仕しなければ騒動になるのは目に見えている。
だから、予め高性能メモリーに作戦の詳細を記録したものを手渡し、帝国軍側の作戦行動はアングリッフに一任するという条件で双方は合意したのだ。
「心配する必要はない。アングリッフ閣下であれば私の意図を酌み、万事問題なく準備を整えてくれるよ」
無事に目的を果たし三か月に及んだ潜入任務を完遂した達也らは、ガルガンタを出航して一路セレーネへの帰途についており、敵地での緊張から解放された面々が思い思いに寛ぐ中、達也は何処か不安げな表情のセリスを励ましていた。
「それは心配していません。あの御方は父上が最も信頼していた名将ですから……ただ、これで後戻りができなくなった……そう考えたら恐ろしくなりました」
自虐的な笑みを浮かべて呟くセリスの想いは、達也自身も共有するものであり、だからこそ言葉を飾らずに問うたのである。
「自分の決断と行動が、多くの人間の運命を左右すると気付いたからかい?」
苦い想いを噛み締めるかの様に痛苦の表情を浮かべて頷くセリスに笑みを向けた達也は、そう遠くない未来に嵐の只中にその身を曝すセリスに言葉を贈った。
「それが分からない愚かな指導者が民を不幸にする……自分の望みが全ての人々を幸せにする訳ではないと理解するのは大切な事だよ。今日、君が感じたその葛藤を生涯忘れない様にしなさい。俺に言えるのはそれだけだ」
スクリーンの中で小さくなっていくガルガンタ星を見つめながら、セリスはその言葉に頷き、決意を新たにするのだった。
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