第五十七話 遺児と忠臣 ②
惑星ガルガンタに最初に建設された地下都市エーアガイツは、行政機能が集中しているとはいえ首都ではない。
元々このヴィッダー星系には知的生命体が築いた文明の形跡はなく、建国直後の帝国が進出して直轄領にしたという経緯がある。
そもそも、帝国の勃興に伴う急激な版図拡大に煽られる形で開発が進められたのがヴィッダー星系であり、当初は交通の起点となる施設と航路の整備のみが為される筈だった。
ところが、その航路整備の為に行われた周辺惑星の調査により、有益な鉱産資源の鉱脈が多数発見されるに至って状況は一変する。
それは、拡大政策を強力に推進していた当時の帝国にとっては僥倖に他ならず、航路整備計画は星系総合開発に変更されて、建築中だった小規模地下都市の拡充が図られたのだ。
その後数多の地下都市が建設されて都市機能は分散されたのだが、エーアガイツに置かれた総督府と軍政府は移動せず、宛ら首都と同等の役割を果たしていた。
【ヴィッダー星系方面司令部】
フロイデ・アングリッフ元帥を最高司令官とする総数二千隻から成る航宙艦隊と僅かばかりの地上戦力が、この星系に駐留する帝国軍の全てだ。
重要な星系を守護する艦隊にしては、些か貧弱な陣容だと言わざるを得ないが、名将の誉れ高いアングリッフに喧嘩を売ろうという命知らずな賊徒は滅多にいるものではなく、他の宙域と比較しても極めて平穏であったが為に巨大戦力を必要とはしなかったという経緯がある。
しかし、帝星アヴァロンでクーデターが勃発し、新皇帝リオンの即位と共に派遣されて来た新貴族なる総督に行政権を奪われてからは、アングリッフと軍政府は、その権限の大部分を奪われて無聊を託つ羽目に陥っていた。
「閣下! これ以上は限界です! あの家柄だけが取り柄の馬鹿総督の所為で市民の怒りは増すばかりッ! 今日明日にも暴動が起こったとしても、何ら不思議ではない状況なのですッ!」
憤怒に顔を赤くする首席参謀が声を荒げたが、アングリッフは腕組みしたまま瞑目して微動だにしない。
尊敬する上官の苦悩を知るだけに、この主席参謀もそれ以上の諫言は控えたが、会議室に集った幕僚達の表情に滲む苦衷は隠し様もなく、それは艦隊を覆う苛立ちにも似た雰囲気を象徴しているかの様だった。
新皇帝に阿る輩が新貴族という呼称で呼ばれるようになって一年以上が過ぎたが、その間に帝国内の治安が著しく悪化したのは事実であり、その原因が各星系に新設された総督府の御粗末な政治指導に起因するのは、誰の目にも明らかだ。
行政権を掌握した彼らが真っ先に断行したのは統治権の拡大と刑法改正であり、専ら市民達を己の意のままにしようという意図の下に施行された愚策に他ならず、案の定住民達からの強い反発を受けてしまう。
そんな状況に業を煮やした新総督は直轄の警務部隊に命じ、新法や布告に従わない市民らをかなり乱暴な手段で拘束しては、陸な取り調べもせず刑務所に収監するという暴挙に及んだのだ。
それが体のいい見せしめであるのは分かっていたが、無力な市民達には反抗する術もなく、反感のみを募らせているのが現状だった。
アングリッフにしてみれば新総督の非道なやり口は到底看過できる事ではなかったが、新皇帝リオンの勅命という錦の御旗の前に抗議は受け入れられず、さりとて話し合いは平行線を辿って妥協案すら見いだせない為体であり、儘ならない状況に切歯扼腕する他はなかったのである。
だが、警務部隊の取り締まりに異を唱えた住民たちが政治思想犯の濡れ衣を着せられ、鉱山惑星での強制労働送りにされるに至って堪忍袋の緒が切れた。
秘かに摩下の護衛艦を収監先の鉱山惑星に派遣した彼は、強制労働で疲弊していた者達を救出させたのだ。
そして、ガルガンタからは三光年離れた場所にある自身の領地へ匿い、罪人らは全員死亡したと総督府には報告したのである。
勿論、秘密厳守を徹底するには、逃がした住人の家族にすら身内が生存しているという真実を隠さねばならない。
それが原因でアングリッフに対する住民感情も悪化の一途を辿るのだが、諸問題の抜本的な解決策が見いだせない以上、それらの批判は甘受する他はなく、軍当局への風当たりも日増しに厳しいものへと変化していた。
「住民らの不満が鬱積しているのも厄介だが、濡れ衣を着せられて鉱山惑星送りにされる者達は増える一方だ。彼らを救うためとはいえ、このまま閣下の領地に匿い続けるのは危険だ。警務部のイヌ共も馬鹿ばかりではない。最近の死亡報告の多さに疑念を懐く者が出始めたとの報告も入っている」
「とは言え、有効な打開策がない以上、下手な動きは自らの首を絞める結果になりかねない……総督府の戦力など恐れるに足らぬが、我々が暴発すれば叛逆者の汚名は免れないぞ」
「寧ろ、連中は我々の決起を待っているのではないか? 軍内に強い影響力を持つアングリッフ閣下が目障り故、失脚させる口実が欲しくて仕方がないのだろうさ」
「上等ではないかッ! 陸に戦をした経験もないボンクラ貴族共が如何ほどのものか、心ゆくまで戦場で見分してやろうではないかッ!」
「馬鹿を言うなッ! 我々が決起して枝葉末節の輩に天誅を下したとしても、その瞬間に逆賊として討伐対象にされるのは確実だ。僅か二千隻の戦力でしかない我々が、周辺宙域に駐留する七万隻の艦隊に包囲されるのだ……勝ち目などない!」
「だからと言って新皇帝の暴挙を黙認するつもりなのか!? そんな生き恥を曝すぐらいならば、潔く戦ってザイツフェルト皇帝陛下に殉ずるのが武人の本懐ではないのかッ!?」
決定権を持つアングリッフが沈黙を貫く中、重苦しい雰囲気に耐えかねた参謀達が口々に意見を語るが、他の者達の賛同を勝ち得る者はおらず、一向に話が纏まる気配はない。
配下の討論を黙って聞いていたアングリッフだったが、表情には出さないものの内心では落胆せずにはいられなかった。
決起派の強硬策は軽挙妄動の誹りを免れないであろうし、慎重派には状況を打開する為の具体的な策がなく、双方共に参謀を務める者として冷静さを欠いているとしか思えない。
(だが、それも致し方ないか……我々だけで決起しても敗北は確実だ。帝国の未来を憂う多くの将官が軍籍を剥奪された今、賛同者を募るのは至難の業だし、何処に新貴族共の間者が潜んでいるかも分からない……)
アングリッフ自身も明確な指針を描けずに臍を嚙む思いだったが、ふと気が付けば、先程までの喧騒が嘘だったかの様に室内は静まり返っていた。
居並ぶ者達の表情には焦慮の色が滲んでおり、縋るような視線を向けて来る幕僚達の想いが痛いほど分かるだけに、アングリッフは懊悩せざるを得なかった。
しかし、だからと言って安易な自己満足に酔い、大勢の部下将兵を道連れにするなど断じて許されはしないのだ。
(祖国が腐っていく末路を見るぐらいならば共に戦って死なせて欲しい……私にもそんな想いがないと言えば噓になるだろう。だが、それは無駄死にだ。帝国軍人にとって最大の恥辱を纏った儘では、亡き先帝陛下の御前に曝す顔なしッ!)
そう結論付けたアングリッフは徐に双眸を開くや、固唾を吞んで自分を注視している幕僚達へ諭すかの様に語り掛けた。
「帝国軍人としての諸君らの矜持と帝国に対する忠誠心には心から感謝する他はない。しかし、血気に逸って可惜命を粗末にするのは愚か者の選択だ。今は来るべき好機を見据えて耐えて貰えないだろうか?」
敬愛する司令官の断に幕僚達は落胆し、無念の情を露にして咽ぶ者までいる。
それは決して大袈裟な反応ではなく、彼らが置かれている状況の深刻さを如実に物語っているといえた。
だからこそ、堪えがたい悲憤に顔を歪めた参謀長は、悲痛な声音でアングリッフに問うたのだ。
「来るべき好機とは、銀河連邦からの懐柔策を受け入れ、奴らの手先となって売国行為に加担する事を指しておられるのでしょうか!?」
その声には明らかな非難の色が滲んでおり、それは他の幕僚達も例外ではない。
現状は秘密同盟を結んでいるとはいえ、いずれは銀河系の覇権を賭けて戦うべき敵である連邦に阿るなど論外であり、一廉の帝国軍人であるならば、それが当然の矜持だと彼らは信じている。
だが、選りにも選って、その銀河連邦軍のエージェントから秘密交渉を持ち掛けられた内容が、現状では帝国の未来にとって最善手だと理解できるだけに、彼らの懊悩は並大抵のものではなかった。
『そう遠くないうちに我が連邦軍は反攻にでる……その混乱の最中に内応してくれたなら戦後の処遇は考慮する……そうモナルキア大統領閣下は仰っている。だが、もしも要求を蹴ると言うのであれば、我々が得た情報を新総督殿に流すしかない。貴方が政治犯を匿っているという事実をね……』
夜陰に乗じて秘かに軍政府の総司令官公室に現れた年若い男はそう告げ、共闘を申し込んで来たのだ。
それは脅迫に等しい提案ではあったが、窮地に立たされているアングリッフにとっては、正に一縷の希望とも言える妙手だった。
銀河連邦軍との戦端が開かれたならば、戦力に劣る帝国軍が劣勢に立たされるのは火を見るよりも明らかであり、その混乱の隙を衝けばクーデターが成功する確率は高くなる。
譬え帝国の屋台骨が揺らぎ一時は外敵に臣従を余儀なくされたとしても、常軌を逸したリオン皇帝を排除しなければ何も始まらないのだ。
それしか、帝国臣民が忍従と苦痛から解放される術はないのだから。
しかし、アングリッフとて祖国を愛している気持ちは人後に落ちない。
それ以外に妙手はないとはいえ、仇敵の助力に頼って戦うなど不本意極まりなく、苦悩する幕僚達以上に悔恨の情に苛まれていた。
「閣下! 御再考ください! たとえ奸賊共を誅しても、連邦の紐付きに成り果てたのでは意味がありません! 戦後の処遇云々も何ひとつ具体的な約束を交わした訳ではないのですぞ!?」
席を蹴って立ち上がった参謀長が畳み掛けるかのように声を荒げて諫言すれば、他の幕僚らも同調して大きく頷く。
その言葉に同意できるならば、どれほど気が楽だろうか……。
アングリッフは喉まで出掛かった本音を辛うじて呑み込むや、祖国愛を滲ませた瞳で自分を見つめている幕僚達に告げたのである。
「たとえ売国の誹りを受けたとしても、我が帝国が歩むべき道を正し、臣民の安寧を護らなければならないのだ。それが我ら軍人の責務であり、今は亡きザイツフェルト陛下が目指された未来に他ならない……私はそう確信している」
選民思想に酔い痴れる新皇帝とシグナス教団の私欲に根差した暴挙を止めるには、最早手段を選ぶ余裕はない。
ましてや、このガルガンタに住まう人々の命が人質に取られている以上、玉砕を前提にした自己満足を満たすだけの蜂起など許されはしないのだ。
そう思い定めたアングリッフは、己の心に蟠る無念を押し殺し、至誠を尽くして部下達を説得するしかなかったのである。




