第五十七話 遺児と忠臣 ①
銀河標準暦・興起一五〇二年は、新大統領の就任により刷新された銀河連邦政府の船出と共に、その幕を開けた。
しかし、年初はお祝いムード一色に包まれて沸き立っていた加盟諸国だったが、その後立て続けに改正新法が布告されるに至って、浮かれた雰囲気は雲散霧消してしまう。
各種間接税の導入や社会保障費用の予算縮小なども寝耳に水の話だったが、情報統制の強化や、非常時に国家主導で個人の権限を制約できるとした特別法の成立に至っては、基本的人権を蔑ろにするとして民衆からの厳しい反発を招いた。
然も、それらの法案が陸に審議もされずに承認されたのだから、少数派とはいえ民主主義を標榜する国々から不満の声が上がったのは至極当然の流れだった。
しかし、それらの新法を積極的に支持した国家と共闘した新評議会は、反対勢力へ物心両面から圧力を加え、悪法の施行を推し進めたのである。
◇◆◇◆◇
グランローデン帝国に帰属するヴィッダー星系は帝国領のほぼ中心域に位置し、西部の帝国本星と他の宙域を結ぶ交通の要衝でもある。
しかし、周囲の宙域には人類が生存可能な惑星を有する星系は皆無で、おまけに民間の航宙艦では航行が困難な星団やガス星雲が犇めいており、どの方面にも抜けられるヴィッダー星系が交通路として重宝され、物流の集積地並びに中継点として発展したのは、至極当然の成り行きだった。
ただ、この星系にも人類が生存可能な惑星は存在せず、帝国の先人らは第三惑星ガルガンタに大規模な地下都市を建設して活動の拠点としたのだ。
現在では複数の地下都市が増築された上にドーム型の地上都市も完成し、更なる繁栄を享受していた。
※※※
「何処も雰囲気は良くはありませんね。繁華街も人通りは疎らだし、店先の品揃えも随分と寂しかったですよ」
「おまけに街中の彼方此方に完全武装の歩哨が立っているんですもの。戒厳令でも布告されているのかと思ったわ」
徒労感が滲んだ声で報告する蓮と詩織に微笑みかけた達也は、ふたりを労いながらも、極めて素直で余計な一言を漏らす。
「御苦労さん。一日中歩き回らせて済まなかったね。だが、そうして並ぶと似合いのカップルに見えるから不思議なものだな」
何時もは軍服姿の蓮と詩織が揃って私服姿という光景など珍しいと思い、つい揶揄ってみたのだが、その程度で狼狽える詩織ではない。
愛らしい口元に意味深な笑みを浮かべるや、皮肉交じりの反撃を繰り出した。
「余計な御世話です。提督と奥様のミスマッチぶりに比べれば、私達なんか可愛いものです。だって私と蓮は人間のカップルですが、そちらは美女と怪獣ですもの。おーほほほほほ!」
ワザとらしい高笑いと共に勝ち誇る詩織とは裏腹に、それが見当外れな指摘だと強弁できない達也は、反論も儘ならずに閉口するしかない。
だから戦略的な転進も選択肢の一つだと自分自身を納得させ、軽く咳払いをするや、早々に話題を切り替える事にしたのだ。
「新総督とやらが、就任早々に阿漕な条例を乱発して住民の生活を圧迫している。然も、これまでの穏健な軍政から一転し、苛烈な取り締まりを始めたアングリッフ元帥の掌返しが相当に堪えている様で、住民らの不満は膨らむばかりの様だな」
三人が話をしているのは、ガルガンタに最初に建造された地下都市エーアガイツの繁華街にある安宿の一室だ。
そして、彼らに交じって沈黙を貫いているのは元帝国皇子のセリスであり、無言のまま皆の会話を聞いていた彼は、その端整な顔を歪めるしかなかった。
皇位継承権など無いに等しかった彼は、今は亡き父王ザイツフェルトの役に立ちたいと願い、それ以外に己を活かす道はないと思い定めて軍人を志したのだ。
幸いにしてその適性があったのか、士官学校を優秀な成績で卒業したセリスは、少尉任官後の一年を『知勇兼備の名将』との誉れ高きフロイデ・アングリッフ元帥直属の武官として過ごす幸運に恵まれた。
アングリッフは謹厳実直ながらも情に深く、将としての資質と才覚も並ぶ者なき名将との評価が高い人物であり、事実、彼の傍で過ごした一年間はセリスにとって得難い至福の日々だったと言える。
それ故に軍人として、そして人間としても最大限の敬意を懐いたし、その想いは今も全く変わりはない。
だからこそ、報告の内容が信じられずに懊悩せざるを得なかったのだ。
「とても信じられません……あのアングリッフ元帥閣下が何の罪もない住民を迫害するなんて……」
悄然とそう呟くセリスが痛ましく、掛ける言葉もない蓮と詩織は、気遣うかの様な視線を向けるしかない。
しかし、下手な慰めは却ってセリスを傷つけるだけだと判断した達也は、努めて平静を取り繕った態度を崩さずに話を続ける。
「街の顔役や企業経営者らの団体が正式な抗議に及んでも無視し、それどころか、陳情者に反帝国主義者のレッテルを貼って罪人に仕立て上げ、裁判もなく政治犯と認定しては、鉱山惑星で過酷な強制労働を強いているらしい。然も労役中の事故によって死亡したとの通知が家族の元に届くのも珍しくはないそうだ」
セリスは嘗ての敬愛する武人の変わり様に失望せずにはいられず、暗澹たる面持ちで唇を噛んだが、そんな彼へ達也が思い掛けない言葉を掛けた。
「そう落胆する必要はないと思うぞ。おそらく、何らかの意図を持って芝居をしているのだろう……俺は、そう睨んでいるよ」
その言葉に吃驚するセリスを見た達也は、自ら帝国領内に赴いて良かったと改めて思った。
帝国領に潜入して情報収集に当たるのは危険極まりない任務であり、それを達也自らが行うとなれば、そのリスクは梁山泊軍にとっても看過できるものではない。
それ故にラインハルトら幕僚部は挙って反対したのだが、帝国攻略をより確実なものにするためにも必須の工作だと強弁した達也に対し、最後は他の面々が折れて今回の作戦が承認されたのである。
帝国軍内に協力者を作るのが、今回の潜入任務の目的に他ならない。
梁山泊軍が決起した暁には、その動きに呼応して帝国内で反体制の狼煙を上げさせるのが達也の目論見で、その為に必要な旗頭としてフロイデ・アングリッフ元帥に白羽の矢を立てたのだ。
「このヴィッダー星系での暴挙が芝居だと仰る根拠は、一体なんですか?」
「焦る気持ちは分かるが、落ち着いて聞いてくれ」
何かに縋るかの様に切羽詰まった表情で詰め寄って来るセリスを宥めた達也は、軽く肩を竦めてみせる。
「俺は君ほどアングリッフ元帥の為人を知っている訳ではないが、一度だけ閣下に御会いした事がある。まだガリュード閣下の下で参謀職を拝命していた時だったが、南西部方面域で帝国艦隊と諍いがあってね……」
当時は銀河連邦軍とグランローデン帝国軍は緊張状態にあり、各々の支配宙域が接している星系では、些細な事で小競り合いが起きるのが常だった。
そんな時、境界線が入り組んでいる宙域で民間船への海賊行為が頻発したのだ。
狡猾な海賊相手に警備艦隊では対処しきれず、散々手を焼いた方面司令部からの依頼でガリュード艦隊が鎮圧に派遣されたのである。
その海賊は、連邦の警備艦隊が出張って来れば帝国の支配域に逃げ込んで追撃を躱し、反対に帝国艦隊が相手なら連邦の支配域に退避するという小狡い真似をして略奪行為を繰り返していたのだが……。
「我々が海賊行為の現場に到着するや早々に逃げ出したのは良いが、偶然にもその先にはアングリッフ元帥の艦隊が待ち構えていてね。海賊は前後を挟まれて逃げ場を失くし、連邦と帝国両艦隊から砲撃を喰らって宇宙の藻屑になったんだ」
その説明を聞いて小首を傾げる詩織が疑問を口にした。
「何も問題はない様に思いますが、なぜ諍いになったのですか?」
「間の悪い事に双方ともに海賊を全速で追尾していたから、思った以上に両艦隊の距離が接近していてね。それぞれの前衛艦に流れ弾が被弾し、軽微とはいえ損害が発生してしまったのさ」
達也は軽い調子で言い放ったが、その状況で撃ち合いにならなかったのは奇跡に等しく、詩織は如何にも納得がいかないという顔をする。
それはセリスや蓮も同じだったらしく、彼らの顔には『早く続きを聞きたい』と書いてあった。
「本来なら問答無用で戦端を開いてもおかしくはない状況だったが、アングリッフ元帥は極めて冷静な方でね。すぐさま艦隊を停止させて話し合いを申し込んでこられた。然も、旗艦を艦隊前面に押し出してね……集中砲火を受ける可能性が高かったにも拘わらず、迷わずに自らの身を投げ出した英断に俺は感動すら覚えたよ……その後の交渉の場での遣り取りも実に公正で紳士的だった。ガリュード閣下の麾下に居なければ、俺は帝国軍に鞍替えしていたかもしれないな」
冗談を言ってセリスたちを苦笑いさせた達也は、表情を改めて断言した。
「あれほどの覚悟と矜持を持った軍人が、我が身可愛さに権力に阿るとは考えられない。という事は……新皇帝に対して従順なフリを装わねばならない、何かしらの理由があると考えるのが自然だ」
だが、その考察には明確な根拠がある訳ではなく、セリスが懐いた疑念と落胆を解消するには至らない。
すると、まるでそのタイミングを見計らったかの様に、達也の情報端末がコール音を奏でた。
連絡して来た相手はクラウスで、今回の極秘潜入にもその性能を遺憾なく発揮したイ号潜 紅龍で、反乱罪名目で捕縛された市民が送られたという鉱山惑星を内偵していたのである。
「御苦労様。それで何か面白いネタは拾えたかい?」
『政治犯としてこの鉱山惑星に収監された連中は、過酷な労働が祟って次々と衰弱して死んでいるそうです。尤も、それは飽くまでも表向きの話ですがねぇ……』
クラウスの喜色を含んだ報告に満足した達也は、一縷の光明を見出した気がして思わず口角を吊り上げるのだった。




