第五十六話 理由 ②
「グランローデン帝国に何か変化が見られるかね?」
キャメロットが話題を変えてそう問うと、ブルトーンは珍しく口元に笑みを滲ませて小さくだが頭を振った。
「手当たり次第に周辺諸国へ武力侵攻している……然も、占領地では苛烈な政策を施して国民から搾取するのも当たり前……」
情報部からの報告にもあったが、新皇帝リオンの変貌ぶりを改めて裏付けた配下の報告に、キャメロットは内心で笑みを深くする。
そんな盟主の心を知ってか知らずか、ランデルとオルドーが言を重ねた。
「キャメロット様の予想通りの展開ですね……新皇帝リオンが聡明な皇太子だったという評価が唯の虚像に過ぎなかった……そう証明された様なものです」
「うむ。確かに! 然も、純血主義を謳っての統治など正気の沙汰ではない」
嬉々として語る彼らの心情は強ち間違ってはいないとキャメロットも考えているし、帝国が暴政を敷くのは好都合なのも確かだ。
リオンの実父だったザイツフェルト前皇帝は、その胸の内に潜めた思惑を他人には見せない、強かで優秀な男だと専らの評判だった。
それは彼が皇位を継承して以降の活躍からも充分に窺い知れたし、キャメロット自身も否定できる要素を持ち合わせてはいない。
だが、だからこそ、皇太子であるリオンを若くして宰相の位に据えた人事に得体の知れない不自然さを感じたのだ。
次代の皇帝を自らの最側近として従える事で己が権勢を磐石のものとし、同時に後継筆頭である我が子を自らが鍛える。
そう考えれば不自然ではないが、もしも、そうでなかったのだとしたら……。
キャメロットの中で芽生えた疑念は直ぐに確信へと変わった。
(恐らく前皇帝は見抜いていたのだろう……優秀だと褒めそやされる長子が、心に深い闇を懐いているのを……)
クーデターに続くリオンの一連の行動が、その結論を証明しているのは明白だ。
己の欲望をひた隠しにして従順で優秀な皇太子を演じ、一旦牙を剥いたならば、全ての血縁者を根絶やしにするのも厭わない。
そして邪魔者を排除した世界で実権を握るやいなや、醜い我欲を露にして圧政を敷いて恥じない卑劣漢。
それが、長子リオンの本性だとザイツフェルト皇帝は見抜いていたのだ。
(だからこそ傍に置いて自らの手で矯正する気だったのか……だが、甘すぎたな。その温情が仇となり、破滅の憂き目を見たのだからな)
父皇が我が子の器を見誤ったのか、それともリオンが懐いていた欲望という名の闇が深すぎたのか……。
キャメロット個人としては興味惹かれる内容だが、既に死人となった人間に真意を問う術はないし、その答えを彼が必要としてはいない以上、議論は無用の長物に他ならない。
そう結論づけたキャメロットは、思考を切り替えて徐に口を開いた。
「帝国が自分の庭で燥いでいるうちは問題ないだろう……寧ろ、やり過ぎてくれた方が好都合だ……やれ純血主義だ覇道だと浮かれた末に何があるのか己が身で確かめればいい。ブルトーン。予てからの計画通り、圧政に喘ぐ民衆を上手く扇動して不満を煽れ」
「分かっている。既に辺境地域には幾つかの反帝国組織が生まれているし、年若い連中は血気盛ん……だが、表立って行動を開始するには時間が掛かる……」
「急ぐ必要はない。銀河連邦の改革はこれからだ……先行している帝国には、当分の間この世の春を謳歌して貰えばいい」
モナルキアが大統領に指名される今日という日を境に、銀河連邦も新たな歴史を紡ぎ始めるのだ。
クーデター後いち早く体制を固めた帝国に先んじられているとはいえ、銀河連邦は経済力と軍事力の両面で彼の国を凌駕している。
ならば、焦って支配地域の拡充に励むより、評議会を完全掌握した上で貴族閥に良い感情を懐いていない加盟諸国を切り崩す。
そして、連邦内の意思統一を果たした暁には、圧倒的戦力を以て帝国に侵攻してその全てを平らげ、銀河系の歴史に初の統一国家誕生を刻む……。
それが、キャメロットを盟主と仰ぐ者達の悲願に他ならない。
「くれぐれも念を押しておくが焦りは禁物だ。どうせ我が方も浮かれた連中が馬鹿をやるだろう……その隙に工作を進める」
主の忠告に三人は揃って頷いて了承の意を示す。
そんな彼らを見て満足げに頷いたキャメロットは再度質問を投げ掛けた。
「帝国軍……特に宇宙軍の編成や人事に変化は見られるか?」
そう問われたブルトーンは、皮肉げに片頬を歪めて小さく左右に頭を振る。
「今や帝国軍の要職は新皇帝に尻尾をふる連中への御褒美でしかない……特に帝星アヴァロンを拠点とする親衛艦隊や航宙艦隊の司令官の椅子は、その全てが新貴族と称する者達に取って代わられた……」
含み笑いを漏らしながら語る朋友の態度に眉を顰めるランデルだったが、余りにも不見識な帝国のやり様に軍人として憤りを覚えずにはいられず、ブルトーンへの小言さえも忘れて声を荒げてしまう。
「その様な無法が許されるなど世も末だ! 上官に阿るだけの惰弱の徒が司令官とはな。情けなくて涙が出るッ!」
すると、鼻息も荒くそう吐き捨てたランデルを見たオルドーが、然も可笑しいと言わんばかりに親友を揶揄う。
「おいおい。敵の油断は歓迎すべきじゃないのか? 志も定見もない者が司令官になれば、軍の弱体化は避けられない……我々には願ったり叶ったりだろう?」
「あっ! くっ……そ、それは……」
自分が見当外れな怒りを懐いていたのに気付いたランデルは、言葉を詰まらせながらも恨めしげに睨み返す他はなかった。
オルドーは絶妙のタイミングでその煩わしい視線を躱すや、トバッチリを恐れて顔を背けているブルトーンに訊ねる。
「嘗て帝星に駐留する艦隊は前皇帝のザイツフェルトが直卒して、辺境派遣艦隊にこそ、信頼の於ける有能な指揮官を配したと聞いていたのだが、現状はどうなっている?」
「中央と大差ない……優秀な指揮官ほど派遣されて来た新皇帝の腰巾着らと悶着を起こして解任されている……その処遇に納得がいかずに談判に及ぼうものならば、物資の横領や地元財界との癒着をでっち上げられて投獄される始末……」
想像を絶する無軌道ぶりにオルドーは眉を顰めて渋い顔をしたが、ブルトーンは御構いなしに話を続ける。
「然も、己の軍政下にある宙域で名を馳せている資産家らとの顔繫ぎが新司令官の初仕事だというのだから笑うしかない……上層部の腐敗は当然部下にも伝染する。軍規は乱れて占領民達への暴行や略奪は日常茶飯事……」
伝えるべき事を伝えた彼は唐突に言葉を切って含み笑いを漏らすが、ランデルとオルドーは同じ軍人として、無秩序極まる帝国の惨状に慨嘆せざるを得なかった。
帝国は打倒するべき存在であり、自堕落な行為に耽って自ら弱体化の道を辿るのは自業自得であり同情する余地はない。
ならば、その隙を衝いて相手を叩き伏せるのが戦略の常道だが、軍人として忸怩たる想いを捨てきれない二人は、ブルトーンのようには笑えなかったのである。
すると黙考していたキャメロットが徐に口を開いた。
「フロイデ・アングリッフ元帥の処遇はどうなっている? 物流経済の要衝であるヴィッダー星系の統治を任されていた筈だ……麾下の艦隊も辺境部では最大の規模だと報告書には記載されていたが?」
キャメロットが名指しした人物は『知勇兼備の名将』と称えられる上級将官だ。
アングリッフ家は代々優秀な軍人を輩出してきた帝国貴族の名門であり、現当主のフロイデも数多の戦場で武勲を挙げ、前皇帝ザイツフェルトからも深く信任されていた最側近の一人だった。
年齢は既に六十歳を超えているが、軍人としての能力や判断力に衰えは見られず、押しも押されもせぬ重鎮として軍内でその地位を確固たるものにしている。
そんなキーパーソンについて主から問われれば流石に笑っている訳にはいかず、ブルトーンは表情を改めて知り得ている情報を開陳した。
「名将も老いれば只の凡愚に過ぎない……前皇帝が弑逆されたという一報が入った途端に新皇帝支持を表明して保身に余念がない有り様。ヴィッダー星系は経済流通の要衝でもあるが、希少鉱石を産出する鉱山を有する惑星も多い。新貴族を名乗って乗り込んできた新総督と結託し、批判的な政治家や市民に濡れ衣を着せた挙句に鉱山送りにしては、恐怖政治の片棒を担いでいる……」
心底どうでもいいと言いたげなブルトーンの説明を聞いたキャメロットは、得体の知れない違和感を懐いてしまい、その正体を見定めるべく黙考した。
(アングリッフ元帥は規律を重んじる公正無私の人物との評価が高く、軍上層部の将官ばかりか、平民出身の士官からの信望も厚かった筈……それが他者に先んじて掌返しとはな……)
保身に汲々としているという報告を否定する根拠は何もないが、もしも、そこに何かしらの思惑が隠されているとすれば……。
(上手く状況を利用すれば、効率よく帝国の足元を揺さぶれるかもしれないな)
無駄足になる可能性もあったが、それでもキャメロットは僅かな可能性を信じてブルトーンに命じた。
「アングリッフの身辺調査をやり直すんだ。ヴィッダー星系の実情も詳しく頼む。それから改めて念を押す必要はないと思うが、くれぐれも慎重に……こちらの動きを帝国に察知されない様に万全を期してくれ」
腹心を自認する彼らは主が何を懸念しているのか知る必要を認めない。
為すべきは、己に与えられた命令を可及的速やかに完遂するのみ。
だから、ブルトーンだけではなく他のふたりも、敬礼するや否や足早に執務室を退出したのである。




