第五十五話 比翼連理 ②
「なにを大声を上げているのですか!? はしたないっ!」
無作法を省みずに乱入して来た愛娘にソフィアが叱声を浴びせるが、当のサクヤはその怒りを一顧だにせずクレアへ肉薄する。
そして、突然の展開に困惑する彼女の腕を取るや、有無も言わせぬ勢いで応接間から続きのサンルームの戸口へと引っ張っていったのだ。
「なっ!? なにをするのですか? サクヤ様」
皇后陛下の御前である以上、何時もの様に『サクヤさん』と呼ぶわけにもいかず畏まって問い質すが、『朝露の妖精』と呼ばれて広く国民から愛されている姫君は唇を引き結び、その儚げな二つ名に似つかわしくない剛力を緩め様ともしない。
そのまま特殊ガラスで覆われたサンルームに引っ張り込まれたクレアは狼狽し、もう一度訊ねようとしたのだが、それはサクヤの懇願により遮られてしまう。
「お願いですっ! 母にはセリスとの件を内緒にして下さいッ!」
ソフィアや侍従とは充分な距離があるにも拘わらず、声を潜めて哀願するサクヤを見たクレアは、彼女らしくない行動に合点がいって思わず相好を崩した。
先日ひと悶着があって以降、この年若い殿下カップルは実に自然体で良い関係を築いている。
白銀家に共に居候しているふたりは、それまでと変わらずに些細な事で口論をしたりもするが、傍から見ているクレアにしてみれば、何処かほのぼのとした温もりのある会話にしか見えず、家族からも概ね好意的に受け止められていた。
しかし、既に恋慕の想いを告白したセリスに対し、未だ明確な意思表示をしていないサクヤにしてみれば、家族に知られて変に介入されては堪らないという思いがあるのだろう。
そんな彼女の真意を察したクレアは、初々しい姫君に倣い、声を潜めて囁いた。
「血相を変えて飛び込んで来るから何事かと思えば……そんなに心配しなくても、あなたが心を決めるまでは、誰にも吹聴したりしないわ」
何時もの気安い口調でそう言われたサクヤは、心から安心したと言わんばかりに胸を撫で下ろす仕種を見せる。
「ふふっ。大袈裟ねぇ……でも隠し立てしなくても良いのではなくて? セリス君の出自に問題はないでしょうし、あなたも憎からず想っているのでしょう?」
ストレートにそう問われてサクヤは頬を朱に染めたが、同時に如何にも困ったという顔で溜息を零す。
「私の事情は兎も角。交際しているという事実を、お母様に知られるのが困るのです……シャーリーやアレーヤから聞いたのですが、母国を出て公務から解放されて暇を持て余しているらしく、気軽に外出もできない環境も相俟って、かなり娯楽に飢えているとか……」
「それは御同情申し上げるしかないわね……自然豊かなセレーネに御越しになられたのに、館に籠りきりでは御身体にも良くないわ」
クレアにしてみれば極々真っ当な気遣いだったのだが、母親の性格を熟知しているサクヤからすれば、呑気で的外れな意見だとしか思えない。
「そんな可愛いものではありません! 今のお母様にセリスとの事を知られでもしたら、興味本位で根掘り葉掘り詮索された挙句、絶対に会わせろと言うに決まっていますッ! そ、そんな事になったら私……」
思わず声を荒げて捲し立てたが、何を想像したのか次第に顔色を悪くして語尾を濁す姫君。
そんな彼女が可愛らしいと思ったクレアは苦笑いするしかなかったのだが……。
「何方か私に会わせたい男性がいるのかしら?」
不意に背後から声を掛けられたサクヤの両肩が面白い様に大きく跳ねた。
驚いて顔を上げたクレアの視線の先には、何時の間に忍び寄って来たのか満面に笑みを湛えたソフィアが愛娘を覗き込んでおり、芝居がかった仕種で溜め息を吐くや、片手を頬に当てて宣ったのである。
「サクヤはすっかり意地悪になってしまいましたね……この母に隠し事をするなんて……昔はあんなにも素直な自慢の娘でしたのに。聞いてくださいなクレアさん」
(これは確信犯だわ……大国の皇妃様といっても普通の母親なのねぇ)
白々しくも悲嘆に暮れる素振りを見せる皇后陛下に、クレアは感心すると同時に親しみを覚えたのだが、それどころではないのはサクヤだ。
「な、な、何の話ですか!? 私は意地悪などしていませんッ! ク、クレア様に変な話を吹き込まないで下さいッ!!」
狼狽も露に母親を非難するサクヤは、その背中に抱きつきグイグイとリビングへと押しやろうとするが、ソフィアはころころ笑いながら愛娘の秘密を暴露した。
「あらあら! でも、私もクレアさんと沢山お話をしたいのよ。たとえば、季節の折々に皇王家が催す舞踏会で、招待された求婚者達を相手に表向きは笑顔で応対していた貴方が、控室に戻った途端『もう嫌ですぅ!』とか『皆カボチャと同じにしか見えません!』とか『私の身体ばかり見ている馬鹿ばっかりです!』とか……」
「きゃああぁぁぁぁぁぁ────ッ!! なんで今更そんな昔話をぉ!?」
「あらぁ? ここ二~三年の出来事ですよ? 然も、舞踏会が進むにつれて機嫌が悪くなって……それはもう面白い顔で……」
「きゃあ! きゃあぁ! も、もう止めてくださいっ! お母様ぁ!」
どこの家庭でもある母娘の風景をクレアは微笑ましいと思いながらも、母親から羞恥責めにされるサクヤには同情を禁じ得ない。
しかし、それ以上に好奇心を刺激された彼女は、何時かゆっくりソフィアと話す機会を設けねば……そう心のメモ帳に書き込んだのである。
だが、そんな和やかな時間は唐突に終わりを迎えた。
「騒々しい! 一体全体なんの騒ぎだい? 表まで声が筒抜けですよ!」
厳しい叱声と共に入室して来たアナスタシアは、じゃれている母娘を見て状況を察したのか、呆れた顔で容赦ない追撃を浴びせる。
「またお前たちかい? 皇后様にはもう少し自覚を持って戴きたいわね。それからサクヤ。貴方もいい加減に淑女らしく振舞わないと、折角できた年下の恋人に愛想を尽かされてしまいますよ!?」
そのお叱りの言葉にソフィアはバツが悪そうに照れ笑いしただけだったが、既にセリスの事が実家に知られているという事実に衝撃を受けたサクヤは、言葉を失い完熟トマトの如く顔を赤くして口をパクパクさせるしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
「本日は御忙しいにも拘わらず、時間を割いて戴き心から感謝申し上げます」
クレアが頭を垂れて謝意を伝えると、応接セットの対面に座るアナスタシアは、口元を綻ばせて小さく左右に首を振る。
「他人行儀な事は言わないでおくれ。旦那様と私にとって達也は孫同然ですからね。ならば、御嫁さんになってくれた貴女も大切な孫娘だと思っているのよ」
尊敬する老淑女からそう言われれば恐縮するしかないが、その優しい言葉が嬉しくて相好を崩すクレアは、再度頭を下げて感謝の意を伝えた。
そんな彼女に、アナスタシアだけではなく並んで座るソフィアも柔らかい笑みを浮かべたのだが、クレアの隣で不貞腐れている長女には呆れる他はない様で……。
「まだ拗ねているのですか? ケインやマーカスに悪気があった訳ではないのですから、いい加減に機嫌を直しなさい」
やんわりと窘める母の言葉にも耳を貸さないサクヤは、そっぽを向いて徹底抗戦の構えを崩さない。
セリスの情報が既に家族の共有する所となっているのにも驚いたが、彼と面識があったケインとマーカスが、その為人についてベラベラと喋ったが故に、皇王府の重鎮たちが人海戦術を駆使して、第一皇女の交際相手と思しき人物を徹底的に調査したのだ。
それを知ったサクヤが、無神経な兄弟と面白がって揶揄う気満々の母親に対して大いに憤慨しているという次第だった。
「どうぞお構いなく。大伯母様とお母様にクレア姉様が虐められはしないか心配で残っているだけですから!」
その言い分にソフィアとクレアは苦笑いするしかないが、師であるアナスタシアが小娘の戯言程度で動じる筈もなく、不遜な物言いを鼻先で嗤い飛ばす。
「照れ隠しもそこまでいけば立派だよ。まぁ、相手が帝室の一員ならば文句はありません。でもねぇ、お前は変な所で堅いから私は心配ですよ。セリス殿の方が年下だというし……またぞろ、弟妹達を叱責する感覚で説教をして煙たがられているのではないだろうね?」
流石に『銀河の女帝』の二つ名は伊達ではなく、的を得たその指摘に、サクヤは益々顔を赤くせざるを得ない。
既に恋人に認定されているだけではなく、まるで見て来たかの様な物言いに憤慨するサクヤだったが、そんな彼女にクレアが助け舟をだした。
「セリス様は御若いながら物の道理を弁えた御方ですわ。サクヤ様とも仲睦まじくて、最近は口論していてもふたりとも楽しそうで……主人もセリス様の資質と頑張りは大したものだと言っておりますし、何よりも姫様が明るくなられた姿を拝見して、私は安堵すると同時に嬉しく思っていますわ」
「クレア姉様……」
敬愛するクレアからそう言われればサクヤも文句は言えず、アナスタシアからの言葉が不満で唇を尖らせはしたが、敢えて反論はしなかった。
「おほほほ。クレアさんと達也が太鼓判を押すのなら間違いはないでしょう。是非私達にも紹介しておくれ。私にとってもお前は孫娘同然なのですからね。冥途の土産に婿殿の顔くらいは見ておかなければ、死んでも死に切れませんよ」
アナスタシアがそう言って笑えば、ソフィアも相好を崩して頷く。
結局サクヤは不承不承ながらも、己の敗北を認めるしかなかったのである。
明るい陽光が差し込むリビングに一頻り笑い声が満ちた後、ソフィアに促されて侍従たちが再度紅茶の支度を整えた。
そして話が済むまでは、誰も入室しない様にと厳命したのである。
全ての侍従とメイドが退出した後、表情を改めたアナスタシアがクレアを見つめて口を開いた。
「さて……待たせて悪かったわね。それで? 相談したい事とは何かしら? 貴女には借りばかり作ってしまいましたからね。遠慮しないで何でも言って頂戴」
そう促されたクレアはアナスタシアの過分な気遣いに恐縮もしたが、自身の裁量では解決できない問題だけに、皇王家の方々の御厚情に縋る他はないと覚悟を決め来訪の目的を告げる。
「実は……最近住民の間で機運が盛り上がっている建国問題について、その代表者に就任するよう夫に……達也さんに承服させる良い手段がないか御相談に上がった次第なのです」
その懇願に他の三人は一様に表情を曇らせるのだった。




