第五十四話 羊頭を懸けて狗肉を売る ④
銀河連邦の勢力圏は元よりグランローデン帝国の支配地域にも潜入し、情報収集と人材勧誘に東西奔走したにも拘わらず、クラウスは帰還した翌日には軌道要塞へ出頭して達也を驚かせた。
尤も、彼の顔には不満の色が濃く滲んでおり、何かしらの事情で休暇を切り上げざるを得なかったのが一目瞭然だ。
そんな彼の事情を薄々だが察した達也は、微妙な表情を取り繕って労いの言葉を掛けた。
「もっとゆっくりしても良かったんだぞ? まぁ、事情は何となく分かるけどな」
妊娠が分かってからというもの、妻のエリザが何かとクレアに助言を乞う様になり、妊娠出産経験があるクレアも親身になって相談に応じた為、ふたりの親密度が今まで以上に増したのだ。
つまり、久しぶりに帰宅したにも拘わらず、女房殿の夫に対する優先順位は限りなく低く、陸に相手にして貰えずに愕然とする他はなかったのである。
そんな切ない光景が容易に想像できてしまう達也は心から同情するしかなかったが、銀河に名を馳せた灰色狐にとって、その憐憫の情を含んだ眼差しは癇に障ること甚だしく、だから捨て鉢な物言いで強弁するのだった。
「余計な御世話ですよッ! 貴方にとっては仕事優先でありがたいのでしょう? だったら、人の家庭の事情に首を突っ込んでいる暇はないのではありませんか? それから誤解のない様に言っておきますが、断じて邪魔者扱いされて家を追い出された訳ではありません! そんな筈はないのですっ! そ、そんな筈は……」
苛立ち紛れに捲し立てるクラウスだったが、最後の方は何かに縋る様な独り言へと変化してしまう。
この男のこんな面白い一面を見る機会に今後巡り逢えるか否かは分からない。
それ故に日頃の鬱憤晴らしも兼ねて揶揄い尽くしたいとは思うのだが、その誘惑を達也は辛うじて我慢した。
クレアが絡んでいる以上、下手に調子に乗ると飛んで来た火の粉で我が身までもが炎上するのは確実だ。
滅多に帰宅できない最近では父親としての権威が大きく揺らいでおり、駄目押しの失点など喰らった日には、家庭内での居場所すらなくなってしまうだろう。
だから、敢えて目を瞑って素知らぬ顔を取り繕い、要塞内にいる主要メンバーを司令官公室に召集するよう秘書官に伝えるのだった。
◆◇◆◇◆
「後日幕僚全員を集めた席で議論をするが、この場に居るメンバーだけにでも情報を共有して欲しくて集まってもらった。今後の我が軍の作戦行動を左右すると思われるので、皆の忌憚ない意見を聞かせてくれ」
達也の挨拶で始まった極秘会議の参加メンバーは、ラインハルトと如月信一郎、そして志保とセリスに加えて偶然居合わせた輸送部門の責任者であるマーティン・サンライトの五名だけで、達也とクラウスを加えても七名にしかならない。
他の主要メンバーらはニーニャの軍本部で任務に精勤しており、直ぐには部署を離れられないため本日の招集は見送られたのだ。
また、クレアは退役して軍属ではなくなっているし、サクヤも内政関連の案件に忙殺されており、今回は不参加となった。
凡そ上位階級者の部屋らしくない殺風景な司令官公室に参集した面々は、唯一の家具といっても差し支えのない円卓を囲む。
既に達也から会議の趣旨は語られているし、帝国を含む戦乱の火種を抱えた星域で情報部が諜報活動をしていたのは周知の事実なので、面倒な前置きは必要ないとクラウスは判断した。
「先ずは銀河連邦の勢力圏についてですが、ベギルーデ星系戦役に端を発した東部方面域の混乱は終息しつつありますねぇ。評議会と帝国の手打ちも済んだようで、両軍とも当分は不干渉を貫くつもりでしょう」
その報告に頷いたマーティンが、やや渋い表情で言葉を重ねる。
「ですが、獣人達が失踪した件が、今になって取沙汰されています。尤も、事件の調査に託けた嫌がらせですがね……東部方面域にルートを持つ担当船団が、頻繁に方面警備艦隊からの抜き打ち臨検を受けていますよ」
「おいおい。嫌がらせとは穏やかじゃないな。何か乱暴な真似をされて被害が出ているのかい?」
血相を変えたラインハルトが問うが、苦笑いするマーティンは左右に首を振り、その懸念を否定する。
「ロックモンド財閥の看板に正面きって喧嘩を売る大馬鹿はいませんよ。表向きは紳士的な臨検だったと報告を受けております」
だが、話を続ける彼は、あまり耳障りの良くない報告を口にした。
「ですが、大手商業ギルドに属さない個人の貿易商や輸送屋には、かなり阿漕な真似をしているそうです。言い掛かりに等しい難癖をつけ、罰金名目で金品を搾取しているとか……」
銀河連邦軍の職権を笠に着たやり方が、被害に遭った者たちと同じ船乗りとして腹立たしかったのか、マーティンの表情が不快げに歪んだ。
憮然として口を引き結んだ彼に代わってクラウスが報告を引き継ぐ。
「モナルキアの大統領就任は既定路線でしたからねぇ。彼の派閥に属す貴族共や、ルーエ教団が先走りして燥いでいるようです……司法省と経産省には苦情や抗議が殺到していますが、三日前に連邦憲章と通商法が改定されて、加盟国家の独自性と裁量権の範疇が大幅に拡大されましたからねぇ。弱者は泣き寝入りする他はないでしょう」
「呆れたな……自由経済を標榜する銀河連邦が民衆からの不当な搾取を容認するなんて世も末だ」
ラインハルトが忌々しげにそう言えば、兵站部門を一手に担う如月信一郎も剣呑な表情で吐き捨てる。
「そのような暴挙が罷り通るようになれば、経済の公平性が保てずに物価の上昇や供給環境の悪化を招いてしまいます。泣かされるのは所得の低い民衆ばかりだ! 然も、末端の消費が滞れば、銀河系規模での経済不況に見舞われる可能性があります……中長期的には何ひとつ良い事がない! 愚かだと言う他はありませんな」
憤りを露にする彼らとは対照的に、思案顔で小首を傾げた志保は、どうにも府に落ちないといった風情で疑問を口にする。
「でもさぁ……幾ら好き勝手できるとはいえ、後々自分達の首を絞めかねない馬鹿な真似を容認するほどモナルキア派には人材がいないの? 実権を握って浮かれてはいても、先ずは評議会と軍の掌握が急務だと考えるのが普通じゃない? それなのに分かり易い暴挙に及んだら、味方になる人間まで敵に廻しかねないわよ?」
彼女が懐いた疑念は至極当然のものであり、それは、誰よりも達也が感じていた違和感に他ならない。
(選民思想に拘泥している連中はいざ知らず、あの男がこんな無様で愚かな真似を許容するのか?)
脳裏に浮かぶのは、アスピディスケ・ベースで顔を合わせ、あの混沌とした戦場で再会した怜悧な雰囲気が印象的な青年将校の顔だ。
しかし、あの切れ者のキャメロットが、無知蒙昧な貴族閥の暴走を放置している理由が皆目見当がつかないのだ。
考えれば考えるほど解答からは遠ざかる気がした達也は、その疑問をクラウスにぶつけてみた。
「箍が緩めば頭の悪い貴族の中には軽挙妄動に走る連中もいようが、それを、あのローラン・キャメロットが見過ごすとも思えないんだがね。モナルキア派に於ける彼の影響力が削がれているのかい?」
「やはり気になるのはあの男ですか? その点は私も全く同感でしてねぇ。ですが彼の立ち位置に変化はありません。多少の昇進は有った様ですが、役職はモナルキアの筆頭補佐官のままですよ……高位の役職への就任も打診された様ですが、悉く辞退しています」
自分と同じ危機感を達也が懐いていたのが嬉しいのか、クラウスは珍しくも皮肉交じりではない素直な言葉を返した。
とは言っても、そんな人情の機微には疎い司令官閣下は、口をへの字に曲げただけで無反応なのだが……。
「分からないな……あの男は裏に何かを秘めている様な気がしてならないのだが、功を為して相応の地位を得なければ、下級貴族出身の彼が貴族閥の中で権力を維持するのは難しい筈だし、それは彼自身が身に染みているだろうに」
「それは提督やリューグナー閣下の買い被りではないのですか? 権力を手中にする迄は己より身分卑しき者の栄達を許せても、いざ高みに上れば見下して鼻にもかけないのが高位貴族の強かさです。そんな中で、そのキャメロットという人も已む無き選択をせざるを得なかったのではないでしょうか?」
それまで黙っていたセリスがそんな推論を口にしたのだが、どうにもしっくりと来ない達也は、敵と定めた男の心中を慮る。
(強かと言うならば、あの乱戦の最中でエンペラドルを葬り、モナルキア派の独り勝ちを画策したアイツこそが最も強かだと言わざるを得ない。そんな男が我欲塗れのボンクラ貴族を放置している理由は……)
暫し黙考したが明確な答えを導き出すには至らず、それはラインハルト以下周囲の面々も同じだった。
軽々に放置して良い問題ではないが、充分な情報もない儘に憶測だけが先行すれば、判断を誤りかねないと危惧した達也は、小さく息をついてからクラウスに要請する。
「どちらにせよ銀河連邦の情勢からは目を離せない。どんな些細な動きでも構わないから、漏らさず報告する様にと部下にも徹底させて欲しい。勿論、キャメロットの動向もだ……」
「承知しました。退役軍人の勧誘も頭打ちの状況ですからねぇ……その任に専従していた面々を評議会近辺と、モナルキア派に鞍替えした七聖国に配置しましょう」
珍しくも慇懃に一礼して応諾したクラウスにも何か思う所があるのだろうと察したが、達也はそれ以上は何も言わなかった。
それは、自分の発言によって、この場に居る面々に変な先入観を与えては拙い、そう思ったからに他ならない。
だから場の空気を変えるために軽く咳払いして姿勢を正すや、最も重要な案件を切り出したのだ。
「今日。皆に集まって貰ったのは、我々の決起に重要な役割を担うグランローデン帝国の現状を共有し、それについて皆の意見を聞く為だ。忖度なしで諸君の本心を聞かせてくれ……」
その達也の言葉は、司令官公室の空気を僅かだが重いものに変えるのだった。




