第五十四話 羊頭を懸けて狗肉を売る ③
唐突に名前を呼ばれたかと思えば、有無を言わせぬ勢いで両肩を鷲掴みにされた達也だったが、相手の正体に気付けば苦笑いするしかなかった。
とは言え、彼の事情を鑑みれば、珍しくも焦りの色を濃くしているのにも得心がいく為、敢えて揶揄う様な軽い調子で宥めてみる。
「おいおい。そんな切羽詰まった顔をされたら調子が狂ってしまうぞ。何時もの様に嫌味な薄ら笑いを浮かべながら、飄々としているのが天下のグレイフォックスじゃないのかい?」
突然の成り行きに色めき立つ護衛達と騒然となりかけた利用客らを、達也は軽く片手を上げて黙らせた。
尤も、周囲から暴漢認定されているクラウス・リューグナーは、自身のコードネームほどには冷静でいられない様で……。
「この一大事に何を呑気に構えているのですかッ!? 大体ねぇ! 貴方の主観で私をクズ人間扱いするなんて百年早いですよッ!」
どうやら些細なジョークが癇に障ったらしく、普段のキャラを投げ捨てた灰色狐は声を荒げて怒鳴り散らす。
だが、問題はそこではないと思い直したクラウスは、更に表情を険しくして捲し立てた。
「それよりも、エリザが妊娠したという話は本当ですかっ!? 『下品なドッキリでした』とか巫山戯たオチだったら、私は貴方を絶対に許しませんよ!」
「物騒だなオイ!? 巫山戯てはいないし、揶揄う気もないさ。正真正銘の御懐妊だよ。おめでとう……どうだい? 誰にも憚らずに、その手に抱ける我が子を得る気分は?」
達也の言葉に嘘偽りがないのを確信したクラウスは、妻の妊娠が夢でも幻でもないのだと知って彫像の如くに固まってしまう。
結婚して百二十年以上が過ぎ去り、長命種たるファーレン人の宿命から漏れずに我が子の誕生はないものと諦めかけていただけに、潜入捜査をしていた地球でこの慶事の一報を受けた時は、何かの謀略ではないかと本気で疑いもしたのだ。
だが、その疑念が杞憂に過ぎなかったと分かった以上、こんな所で問答をしている場合ではないと思い直したクラウスは、愛妻の元へ駆け付けるべく、地上行きのエレベーターへと歩み出そうとした。
しかし、気が急いてはいても、彼は情報戦のプロだ。
何が優先されるかは弁えており、思い出したかのように達也に問い掛けた。
「色々と楽しい報告があります……お急ぎならば、今日中にデーター化して貴方のオフィスに送りますが?」
「急ぐ必要はないさ。先ずはエリザさんを労ってあげるといい。教団の創設やらで気苦労も多かったとクレアからも聞かされていたからね。近日中に幹部を集めるから、その場で報告してくれたらいいさ」
灰色狐と恐れられた男が『楽しい報告』と言うのだ。
その価値は推して知るべしだが、折角の喜びに水を差すのは野暮だと思った達也は、その提案をやんわりと断った。
「相変わらずのお人好しですねぇ。ですが、そんな所に魅かれるのでしょうか……貴方が生きていると知っただけで、安閑とした人生を投げ打って修羅場に飛び込む馬鹿共の多い事……私には理解できない価値観ですが、その馬鹿さ加減が羨ましいと思える様になりましたよ」
皮肉交じりの嘲笑だったが、それがクラウスにとっては最大級の賛辞に他ならないのを知る達也は、軽く肩を竦めて微笑みを返す。
「褒め言葉だと思っておくよ……長い任務御苦労だったね。短い休暇で恐縮だが、招集があるまでは、奥様と水入らずで喜びを分かち合ってくれ」
その達也の言葉に軽く手を上げて応えたクラウスは、今度こそ歩を速め地上行きのエレベーター搭乗ゲートへと向かったのである。
その足取りが弾んでいる様にも見えた達也は、思わずふくみを漏らしてしまう。
(ああして浮かれていると、とても冷酷非情で鳴らした凄腕情報員には見えないな……まぁ、意外にも子供好きという点は評価できるがね)
暫くは、このネタで天下の灰色狐様を揶揄えるとほくそ笑んだ達也は、彼とは反対方向の軍関係者専用の宇宙桟橋へと歩き出す。
先日の義父から聞いた話とクラウスからの報告がひとつの節目になる……。
そんな予感がした達也は、知らず知らずのうちに表情を固くするのだった。
◆◇◆◇◆
八割方完成した軌道要塞へ移動した後は、何時も通りに蓮や詩織らの訓練指導に汗を流した。
嘗ての教え子だった蓮と詩織も、この一年で飛躍的に成長している。
艦長としての経験を積んでいる詩織は元より、蓮も小隊指揮官として部下を持つ身になっていた。
また、正規の軍人として高い資質と能力を兼ね備えているアイラとセリスにいたっては、既に指導の余地がないと言っても過言ではない技量を身につけている。
(基礎は充分に仕込んだ……後は実戦の中で学んで昇華させるしかない……)
今後の彼らに必要なのは自分の指導ではなく、上官や部下と接していく中で各自が奮励努力して切磋琢磨する事だと知る達也は、雛鳥達の巣立ちは今が頃合いだと考えていた。
(アイラは飛行隊を任せても問題はないだろうし、副官に真宮寺を据えるのも悪くはないな……如月はエレンに任せておけば安心だし、セリスはそう遠くないうちに正念場を迎える……やはり、この辺りが潮時だな)
今後梁山泊軍に降り懸かる波乱を乗り切るには彼らの成長は不可欠であり、その為にも、困難が予想される戦いは寧ろ大歓迎だと割り切ってもいる。
そんな事をつらつらと考えている時だった。
『提督。ヒルデガルド殿下が面会を御求めになっておられますが、執務室へ御案内しても宜しいでしょうか?』
秘書官の事務的な声がインターフォンから流れ、達也は小首を傾げてしまう。
現在彼女はニーニャの軍事施設の建設と、食糧事情を安定させるために建設中の各種コロニーの指揮も執っており、多忙を極めている筈だ。
それなのに、わざわざ軌道要塞にまで足を運んだ理由に思い当たる節がない。
とは言え、わざわざ訪ねて来たヒルデガルド待たせる訳にもいかず、他の来客と報告の類は、彼女との会談が終わるまで取り次がない様にと念押しした上で入室を許可したのである。
※※※
「最近は自宅にも戻れないほど忙しくされているとクレアが心配していましたが、今日はどうされたのですか? 御用があるのならば、私の方から伺いましたのに」
取り敢えずは無難な挨拶で様子を見ようとした達也だったが、ヒルデガルドは如何にも呆れたと言わんばかりに憤慨して声を荒げた。
「誰の所為でクレア君の美味しい料理を食べ損なっていると思うんだいッ! 只でさえ目が廻るほど忙しいのに、君から依頼された厄介事が重なったお蔭で、ボクは天手古舞なんだよんッ!!」
然も恨めしいと言いたげな視線で睨みつけられた達也は、漸く先日依頼していた件を思い出して苦笑いする。
「敵の攻勢に備えて必要なプロジェクトです。開発が難しいのは重々承知していますが、出来るだけ早期にプロトタイプの完成をお願いします」
今後銀河連邦軍を相手にした場合、敵が選択しうる戦術に対処するために必要な戦力として、新型機動兵器の開発をヒルデガルドに依頼していた。
基本的に様々な問題が指摘されている分野の兵器だけに、プロトタイプの完成すら容易ではないのだが、最悪のケースに陥った場合には必要不可欠な力だと達也は考えている。
もしも開発が難航する様ならば、他の作業に当たっているファーレンの技術者をヒルデガルドのラボに配置転換しようかと思っていたのだが……。
「ボクを誰だと思っているんだい!? 既に実機は完成して起動テストも終了したよん」
プロジェクトの進展を促されたヒルデガルドだったが、心配は無用だと言わんばかりに胸を張り、得意げに鼻を鳴らしてそう宣ったのである。
しかし、その返答が信じられない達也は、眉を顰めて問い返していた。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。実機は完成して起動テストも終了した? この短期間でどうしたら、そんな馬鹿げた話になるのですか? そもそもヴァルキューレのような高性能無人機を迎撃するための兵器をお願いしたのですよ? そんなに容易く開発できるとは、俄かには信じられませんが……」
「まあね。容易くはないが、構想は以前からあったし、土星宙域の戦役で鹵獲したヴァルキューレⅩⅩⅩからのデーター採取は容易だったから、開発は比較的簡単だったよん」
問い掛けた疑問に何でもない事の様に答えるヒルデガルドに唖然とするしかなかったが、そんな達也には御構い無しに彼女は話を続ける。
「この星で産出される純度の高い精霊石の活用が決め手だったね。劣化が進行していたファーレンの物よりも、各種処理能力が格段に向上したよ。あの貴石なくして新型機動兵器の実現は有り得なかったよん」
「そうですか……ありがとうございました。私の我儘をを叶えて戴いて心から感謝します。殿下」
兎にも角にも懸案事項に目途が立ったのは朗報に他ならず、安堵した達也は素直に謝意を口にした。
だが、ヒルデガルドにとっては此処からが正念場であり、達也の返答次第では、完成した新型兵器の破棄も辞さない覚悟だった。
今回の要請は達也の独断であり、ラインハルトら幕僚部にも詳細は伏せてある。
それはこのプロジェクトが多分に危険を孕んでいるからに他ならず、正面切って作戦会議の俎上に載せたとしても、反発されるのは確実だったからだ。
それにも拘わらず、ヒルデガルドが達也からの要請を受けたのは、彼女自身の慚愧の念に依る所が大きかった所為でもある。
「感謝するのは早いよん……以前ユリア君に懇願されて思念波による迎撃システムをシルフィードへ搭載した事をボクは今でも後悔しているだよ……あの時は、あの程度の敵だったから短時間での掃討ができたが、一歩間違って戦闘が長引いていたら、ユリア君の命にも係わる事態になっていたかもしれない」
そう語るヒルデガルドの顔は憂いに満ちており、彼女の痛苦の情には達也も同意せざるを得ない。
「そうですね。だからこそ私がお願いしたのです。あの娘の事ですから、またぞろ無茶な真似をしかねません。私もあの時の様な無力感を味わいたくはありませんし、何よりも、大切な愛娘を失うわけにはいきませんからね」
「それはボクも同感だよ。だが、それ以上に心配なのが君自身の事なんだよっ! 分かっているんだろう? この兵器の運用はほぼ不可能だ! 無人兵器が相手では有人機が極めて不利なのは自明の理じゃないかっ!? それなのに、無謀を承知で人間の限界を超えた世界に挑む理由が何処にあると言うんだい!?」
珍しくも語気を荒げるヒルデガルドからの詰問は当然覚悟はしていたが、それは達也にとって当の昔に結論付けた話に過ぎない。
だから、特に力みもせずに淡々と答えを返した。
「殿下の御懸念は尤もだと思います。ですが、戦争は人の意志とその手で行わなければならないのです。戦う意志も、人の命を奪う葛藤も、そして罪悪感も持ち合わせていない機械が行って良いものではありませんよ……悲しみと怨嗟渦巻く戦争がお気軽なゲームになっては、死んでいく者達が報われませんし、共生社会の実現など夢のまた夢になってしまいますから」
「そんな綺麗事は、君に言われるまでもなく充分に理解しているよんッ! だが、この兵器を使えば間違いなく君の命に係わるんだっ! 君に万が一の事があれば、クレア君は元より子供達がどれだけ嘆き悲しむかッ!? ボクはあの子達に恨まれるなんて真っ平御免だよ!」
達也の模範解答にヒルデガルドは苛立ちを露にして叫んだ。
だが、それでも神将の顔から柔らかい笑みは消えない。
「私を信じて下さいとは虫の良い話ですが、死にはしませんよ……クレアに約束しましたからね。彼女より長生きすると……約束を破ったら、あの世まで追いかけて来るつもりですからね。私は簡単に死ねないのです」
何か言いたそうなヒルデガルドに真摯な視線を向けた達也は、軽く片手を上げて彼女の言葉を遮る。
「銀河連邦の掌握に手間取ったモナルキア派がどんな手段に打って出るか分からない今、打てるべき手は全て為すしかありません。戦略上不要になれば上々。ですが万が一の時の保険は必要です。仲間達の無駄死にを可能な限り減らすのが指揮官たる者の務めですから」
その重い言葉に譲れない決意を感じ取ったヒルデガルドは説得を諦めざるをえず、渋々といった風情で小型の情報端末を達也に手渡す。
「一応は忠告はしたよ……後は君自身が実際に体感して判断したまえ。この端末には、新型機の情報に基づいたヴァーチャルシミュレーションシステムがインプットされている。通常の訓練機で起動可能だから、心ゆくまで試してみるといいさ」
そう言って立ち上がり踵を返して退出しようとしたが、ドアの前で一旦足を止めたヒルデガルドは、背を向けたまま切実な思いを吐露した。
「君が皆を大切に想う様に、ボクらも君を掛け替えのない存在だと思っている……それだけは忘れないでおくれ」
そして、二度と振り返らずに部屋を出て行ったのである。
感謝の念を言葉にはできなかった達也は、彼女の背へ向けて無言のまま頭を下げるのだった。




