第五十四話 羊頭を懸けて狗肉を売る ①
「到着早々に申し訳ありませんが……今は少しでも情報が欲しいので」
恐縮する達也が詫びると、アルバートは表情を和らげて軽く左右に首を振った。
「気にする必要はないよ。それに、伝えるべき事を胸に秘めた儘では儂も肩の荷を下ろせないからね。歓迎会までは時間もあるし、難しい話を片付けた方が食事も美味かろうさ」
二人が話しているのは屋敷の二階にある達也の書斎であり、アルバートの他にはセリスだけが同席している。
少しだけ開いている扉の隙間からは子供達の歓声が伝わって来ており、階下での賑やかな雰囲気が窺い知れた。
当初の予定では大食堂で歓迎会を行うつもりだったのだが、急遽予定を変更して庭でバーベキューパーティーを開催すると決まったのだ。
それと言うのも……。
美味いもの目当てに前触れもなく姿を現した精霊のポピーを見た美沙緒のテンションが爆上げ。
初めて目にするファンタジー世界の住人の存在に感激し、興奮を露にする彼女からの下へ置かない対応に狂喜した大精霊様は、気流を司る精霊を呼び出し白銀邸の周囲だけに春風を舞わせるという暴挙に及んだのである。
達也とクレアは呆れる他はなかったが、大挙して来訪した精霊達を子供達は大喜びで歓迎する始末。
それは、美沙緒やアルバートも例外ではなかった。
「それにしても仰天したよ。まさか生きているうちに精霊様に出逢えるなんてね。それに、あんなに燥ぐ妻を見るのも久しぶりだ」
そう言ってアルバートが相好を崩せば、セリスも口元を綻ばせて相槌を打つ。
「それは私も同じです。絶対に夢だと思いましたからね……あっ、でも、ポピーを初めて見た時のクレアさんは、彼女を羽虫と勘違いして泣き叫んだとか」
「あっははは! あれは大の虫嫌いでね。子供の頃から少しも変わらんよ」
ユリアから聞いた話を披露するセリスに、アルバートは呵々大笑しながら、娘の若い頃の失敗談を暴露した。
既に双方の自己紹介は済んでおり、リラックスした雰囲気が醸成されている。
快活な話題で場が温まったのを機に、達也は頃合いだと思い本題を切り出す。
「地球圏が騒がしくなって来たとの事ですが、統合政府に何か具体的な動きがあったのですか?」
そう問われたアルバートは表情を改めて口を開いた。
「つい先日だが、銀河連邦評議会から地球統合政府への除名勧告が通達された……現政権がグランローデン帝国と気脈を通じ、連邦加盟諸国家に著しい脅威を与えているというのが、その理由なのだが……」
「また、随分と強引な言い掛かりですね。統合政府にしてみれば、バイナを先兵にして侵略行為を画策した帝国は、憎みても余りある敵ではないのですか?」
何処か歯切れの悪い義父の言葉に達也が疑問を投げると、アルバートは軽く左右に頭を振る。
「それがね。必ずしもそうではないのだ。君達の活躍で戦闘には勝利したが、銀河連邦に対する不信も根強く残っていてね……そこへ濡れ衣だったとはいえ君の反乱騒動が勃発したものだから、世論を真っ二つにする論争が持ち上がったんだよ」
大切な娘婿と家族が貶められたのだと知った時の憤りは今でも忘れられない。
だからこそ、絶望の中でも諦めずに様々な情報を入手するべく、アルバートは躍起になった。
そして、娘夫婦と子供達が生きていると知って歓喜する傍らで、何時か役立つと信じて活動を続け、再三に亘るセレーネへの移住話も引き延ばして来たのだ。
「そもそもがだ。君らが反逆者として誅されたとの発表と同時に、連邦評議会からの風当たりも強くなったからね」
顔を顰めるアルバートの話を総合すると……。
白銀達也とその仲間達の死亡を発表した銀河連邦宇宙軍は、今回の不測の事態を招いた原因は、偏に地球統合政府の杜撰な管理体制にあるとし、正式な外交ルートを通じて激しく糾弾したのである。
勿論、この高圧的な物言いに統合政府は大いに反発し、反銀河連邦の機運が急速に醸成されたのだ。
『そもそも、白銀達也は銀河連邦の軍人ではないか!?』
『銀河連邦軍や評議会内部の権力闘争の結果を、被害者である地球人類に転嫁するなどもっての外!』
そんな憤懣やるかたない思いが議会内で声高に叫ばれ、それは世論にも少なからず影響を及ぼしたのである。
まるで掌を返したかのような銀河連邦の変節ぶりに憤る人々は急速にその数を増していき、それはグランローデン帝国に対して良い感情を持っていない人々との断絶を生んでしまう。
そして、その対立は日を追うごとにエスカレートし、社会を二分する勢いで太陽系内の各コミュニティに拡散したのだ。
「そんな殺伐とした中での今回の一方的な通告だ。統合政府はもとより、反連邦派も激昂して暴発寸前じゃよ。そう遠くない中に銀河連邦との決別が議会で承認されるだろうね」
如何にも不機嫌そのもののアルバートが言葉を切ると、思案顔のセリスが疑問を口にする。
「連邦評議会の目的は何なのでしょうか? こんな時だからこそ地球を取り込み、対帝国の橋頭保にするのが定石でしょう? 地球圏を敵に廻せば帝国に利するばかりではありませんか?」
彼の疑問に答えたのは達也だった。
「猿芝居だよ。東部方面域での優勢を得る為に地球を切り捨てたのさ。帝国にしてみれば、太陽系は今後の展開の要になり得る要衝だ。西部方面域への足掛かりとして喉から手が出るほど欲している筈だよ……ほぼ間違いなく、モナルキアとリオン皇帝の間で交わされた秘密交渉の結果だろうね」
銀河連邦とグランローデン帝国が極秘同盟を結んでいるのを知る達也が真相を看破するのは当然だが、初めて知る驚愕の真実にアルバートは目を白黒させるしかない。
そして、セリスは達也の説明に納得げに頷いていた。
「なるほど……ルーエ神聖教国にとっては東部方面域は譲れない御膝元ですからね。前回の騒乱のどさくさに紛れて帝国とシグナス教団の跳梁跋扈を許すぐらいならば、西部方面域の最前線が目減りするのも止む無しといった所でしょうか?」
「そうだね。大統領の椅子を手に入れたとはいえ、モナルキア派の権力基盤は盤石には程遠い……最高評議会を完全に骨抜きにし、評議会加盟諸国家を掌握するには、ルーエ神教の力は欠かせないからね。新生銀河連邦が如何なる方針を打ち出すかによって、今後の潮目も決まるだろう」
現時点では情勢がどう転ぶか分からないという達也に、セリスは同意する他はなかったが、ひとり蚊帳の外に置かれたアルバートは困惑して事の経緯を訊ねた。
本来ならば軍事機密に該当する案件だが、情報収集に協力してくれたという理由ばかりでなく、今後過酷な運命を共にする家族に隠し事はしないという信条に基づいて、ヴェールトの獣人救出作戦に端を発した一連の作戦行動のすべてを、達也はアルバートに包み隠さず告白する。
「そうか……そんな事がねぇ……」
話を聞いた義父がやや辛そうに表情を曇らせたのを見た達也は、素直に頭を垂れて許しを請うた。
「姑息な思惑から自ら引鉄を引く仕儀に至りました……御不快なのは重々承知しておりますが、裁きはいずれ必ず受けるつもりです……それまで御寛恕くださいますよう伏してお願いいたします」
しかし、そんな娘婿の謝罪に面食らったアルバートは慌てて両手を振り、責めているのではないという意志を露にする。
「おいおい。勘違いしないでおくれ。君の立場ならば、それは当然の選択じゃよ。儂も長い人生を経済の鉄火場で生きて来た。現在の情勢を鑑みれば、この銀河系が陸でもない方向に舵を切ろうとしているのは分かるつもりだ……万が一の時は儂も共に地獄に付き合うさ。だから、私や美沙緒には何の遠慮もいらない……君の思う通りにしなさい」
力強い言葉で背を押してくれた義父に、達也は深々と頭を下げて感謝する他はなく、大勢の人々の厚意に助けられて今日まで生きて来れたのだと改めて痛感する。
敢えて言葉にはせずに謝意を表したのだが、アルバートもそれで充分だと言わんばかりに破顔して応えた。
間もなくバーベキューパーティーが始まるらしく、賑やかな雰囲気が書斎にまで伝わって来る。
何時までも待たせては、さくら達からお叱りを頂戴するのは確実なので、達也は最後にひとつだけアルバートへ質問を投げた。
「政府と民衆の動向以外はどうなのでしょうか? 特に統合軍の趨勢について何か御存知ではありませんか?」
ある意味で統合政府や民衆の反応は、梁山泊軍にとって行動を左右されるほどに重要なものではないが、軍の動向はそうはいかない。
国軍である以上、主流派が政府の決定に異を唱えて反旗を翻す様な事態にはなり得ないが、内部分裂が起きる様ならば、今後の作戦立案に影響を及ぼすのは必至であり、それ故に一刻も早い情報収集を命じてもいる。
クラウス自らが太陽系に赴いているのもその為で、彼の報告次第では作戦計画を繰り上げる必要さえあると考えていた。
だからこそ、達也は藁にも縋る気分で義父に問うたのだが……。
「う~~ん。私らが地球を発つまでは大きな動きはなかったよ。ただ、軍内部では相当に意見が割れているとの話を知り合いの記者から聞いた事がある……力になれなくて済まない。軍関係者には有力な知己がいなくてね」
申し訳なさそうに肩を落とすアルバートに、達也は微笑んで礼を言った。
「とんでもありません。相変わらず一枚岩でないのが分かっただけでも大きな収穫ですよ」
その言葉に安堵した義父が表情を和らげるのと同時にドアが開いたかと思えば、息せき切ってさくらが駆け込んで来た。
そして、呑気にソファーで寛いでいるようにしか見えない大人達に憤慨して頬を膨らませるや、声を大にして急かしたのである。
「もうっ! まだこんな所にいるぅ! 用意が出来たから早く来なさいってママが言ってるよ! ほらぁ! セリスお兄さんも早くぅl~~!」
そう言われ腕を引かれれば、セリスはお姫様に従う他はなく、互いに顔を見合わせて苦笑いする達也とアルバートも腰を上げざるを得ない。
するとティグルとマーヤまでもが迎えに来て場の空気が一気に華やいだ
そのまま燥ぎながら階下へと下りていく家族を眺める達也は、先程のアルバートの台詞を吟味していた。
(確証のない話であっても、軍の内情が外に漏れるのは余程の事だ……クラウスからの報告待ちだが、やはり太陽系の騒乱に便乗するのが有効かな……)
ある意味で想定内の流れに、達也は秘かにほくそ笑むのだった。




