第四話 巣立ちの時 ③
「お、俺……白銀達也提督の下に行こうと考えている……あの人からもっと多くの事を学びたいんだ。そして、何時かあの人のような人間になりたい!」
蓮は一切言葉を飾らずに、新たに両親と呼ぶ事になった信一郎と春香へ悩み抜いた末に決めた想いを吐露した。
普段温厚な信一郎は一瞬だけ表情を強張らせたが、春香は顔色ひとつ変えずに泰然としている。
手放しで賛同して貰えるとは思っていないし、寧ろ『馬鹿な事を言わないで』と泣いて反対されてもおかしくはないと覚悟はしていたが、意外にも実の母親である春香が無言でいるのには、蓮も戸惑わざるを得なかった。
その代わりに信一郎が険しい顔で口を開いたので思わず身構えてしまう。
「蓮君……君の気持ちは分からないでもないよ。私も同じ軍人として、彼の提督には尊敬の念を懐かずにはいられないからね。本当に素晴らしい人だと思う」
新しい父親は蓮の気持ちを慮って、頭から否定するような真似はしなかったが、言葉を飾るだけでは埒が明かないと考えて正直な気持ちを口にする。
「だが、あと半年も頑張れば念願だった少尉任官を果たせるんだよ? 君が苦しい状況の中で懸命に頑張ったのは素晴らしいし、白銀提督の御指導が大きかったのも充分に理解しているつもりだ。でも、だからといって此れまでの努力を、その成果を投げ捨ててまで……というのは傲慢ではないのかい?」
信一郎の言葉を噛み締めるかの様に聞く蓮。
その説得に私欲はなく、純粋に子供達の将来を心配して忠告してくれているのが犇々と伝わって来る。
だからこそ、心からありがたいと感謝した蓮は、素直に頭を下げて胸中の想いを吐露した。
「おじさん……いや、お父さんと呼ばせて貰った方が良いかな……確かにあの人を取り巻く状況を考えれば馬鹿げた選択かも知れない。でも僕は、あの人に出逢わなかったら、親父の敵討ちという妄執に囚われたまま、陸でもない人間になっていたと思うんだ」
その言葉に信一郎と春香は揃って表情を硬くする。
「でも白銀提督は教えてくれた。復讐という行為が如何に愚かしく、大切な人々を傷つけて不幸にするかという事を……御自身の体験も交えて諭してくれて、馬鹿な俺の目を覚ましてくれたんだ」
「なるほど……詩織から聞いてはいたが、信頼に足る素晴らしい御方なんだね……しかし、君が私を父親だと認めてくれるのならば、尚更心を鬼にして問わなければならない……白銀提督は今や立派な銀河貴族だ。今後永住できる場所が見つかれば地球を離れるのは確実だろう……」
信一郎は続きの言葉を言い淀んだが、意を決して最後まで続けた。
「その時が私達の今生の別れになるかもしれない……君は春香さんを地球に残して旅立つ覚悟があるのかい?」
「お父さんッ! 何て事をっ! そんな仮定の話を持ち出すなんて卑怯よっ!」
血相を変えて腰を浮かし父親を詰る詩織を片手で制した蓮は、無言の母親と正面から目を合わせた。
信一郎の指摘は正鵠を射ており、蓮自身も大いに悩み迷った点ではある。
詩織は仮定の話だと言ったが、高い確率で起こり得る未来図だと蓮は思っているし、一旦そこに加わったのならば、太陽系とは比べ物にならない厳しい戦場が待つ世界で生き残れる保証はなく、今生の別れになるという指摘は強ち大袈裟なものではないだろう。
実際に蓮の父親が理不尽な戦闘で殉職したのを思えば、信一郎の懸念を杞憂だと切り捨てる事は、蓮にはできなかった。
自分の身に何かあれば母がどれほど悲しい想いをするか……。
それを考えれば、身を斬られるような痛みに心が悲鳴をあげるのが分かる。
だが、それでも胸を焦がす諦められない思いがあり、白銀達也という人間の下で生きて行きたいと願う自分がいるのだ。
それが、どれほど自分勝手な我儘だと分かっていても、胸の中で滾る熱望を捨てられなかった。
散々逡巡した後、蓮は叱責を覚悟して春香を説得しようとしたのだが……。
「……うん。いいよ、蓮……自分で考え抜いて決めたのならば、私の事なんか何も心配しなくていいわ。貴方が望む場所で精一杯頑張るのなら、母さんは大賛成よ」
蓮が口を開くよりも早く、微笑みを浮かべた春香が我が子の背中を押したのだ。
「か、かあさん……お、俺……」
「蓮が頑張って成績を上げたって詩織ちゃんから聞いた時、私は嬉しかったわ……でも、多分こんな事になるだろうなって予感もして、少しだけ寂しくもあったの」
懐かしむかの様に柔らかい笑みを浮かべた春香は、息子の顔を見つめながら言葉を紡ぐ。
「外見も死んだお父さんに似て来たけれど、惚れ込んだ相手に一途な所もそっくりになってきたわね……御指導頂いた方があの白銀提督なら、貴方が付いて行きたいと言い出すのは分かっていたわ。だって、あの人の息子ですもの」
身勝手な親不孝をどうやって母親に詫びようかと悩んでいた蓮は、春香の言葉に思わず目頭を熱くしてしまう。
軍人の夫を戦死という形で喪った母が、内心では一人息子の士官学校進学に反対だったのを蓮は薄々気付いていた。
だが、あの時も春香は今と同じ様に『貴方が決めた事なら』と、自分の気持ちはおくびにも出さずに笑顔で送り出してくれたのだ。
どれほど感謝しても足りはしない……。
ならば、せめて気持ちだけは伝えようと思ったのだが、溢れる涙を堪え切れずに鼻水まで啜る始末。
苦心惨憺してやっと言葉にできたのは……
「あ、ありがとう……か、かあさん」
たったそれだけだった。
「何よ。男のくせにメソメソするなんてみっともない……そんなんじゃぁ、母さん安心して送り出せないじゃないの」
呆れ声の春香に叱責されるが、詩織までもらい泣きしている状況では、蓮が立ち直るのに暫しの時間が必要だったのは仕方がなかったのかもしれない。
漸く落ち着きを取り戻した蓮は、改めて自分の想いを告げ、親不孝を詫びるのと同時に深く感謝したのである。
これで一件落着……と蓮は安堵したが、次の瞬間には信一郎と詩織の遣り取りに仰天させられてしまった。
「蓮君と同じく詩織も伏龍を退学して白銀提督の下に行くつもりなんだね?」
「勿論よ。あの人は尊敬に足る人だし、奥様のローズバ……いえクレアさんもいらっしゃるもの。それに私はグラディス中佐からもっと沢山の事を学びたい。そして彼女の様な一流の艦長になりたいのっ!」
詩織の決意を初めて知った蓮は驚愕するしかなく、澄まし顔でお茶を啜る幼馴染に素っ頓狂な声を上げて喰って掛った。
「はあぁ──っ!? き、聞いてないぞ詩織っ! お前、学年首席の自覚はあるのかよっ?」
眉を顰めた詩織は、煩わしげな視線で蓮を睨んで言い返す。
「アンタには言われたくないわよッ! 自分だけ好き勝手して私は除け者なの? 冗談じゃないわ! 私も自分の夢を実現したい。その為に一番有益な道を選ぶのは当然でしょう?」
そう言われれば、自分の行為が我儘だと自覚しているだけに反対する理由が見当たらない。
口をパクパクさせながら挙動不審に陥った蓮を無視した詩織は表情を神妙なものに改め、自らの想いを父と義母に伝えた。
「お父さん……我儘を言っているという自覚はあるわ。でもこの気持ちを押し殺したまま地球統合軍で任官するなんてできない……そんな事をしたら一生後悔しそうだもの」
寂しそうな表情の父がそれでも口元を綻ばせてくれたのに安堵し、今度は真摯な視線を春香に向けて言葉を重ねる。
「お母さん。これが今生の別れになんて絶対にならない。私達はあの人に教わったもの……生還する事の大切さを。大事な人々を悲しませない為にするべき事を……だから必ず帰ってきます! 必ず!」
詩織の決意表明に、信一郎と春香は顔を見合わせて微笑み合った。
「君達がそこまで決意したのならば反対はしないよ。学校の方は私が手続きをしておこう。学校長と友人達に挨拶を忘れないように……」
「きちんとケジメをつけるんですよ。学校に籍を残したまま、万が一の時の退路を確保していては貴方達の覚悟を疑われてしまいますからね……自分達にはこの道しかないという想いを分かって貰う為にも、中途半端な真似をしては駄目よ」
馬鹿正直すぎる考え方だが、蓮も詩織も春香のこういった一途な性格が嫌いではなかったし、自分もそうありたいと心から思っている。
だから両親の忠告にふたりは顔を綻ばせて何度も頷き、深く感謝するのだった。
◇◆◇◆◇
弩級戦艦シルフィードの艦載機格納庫では、垂直離着陸が可能な中型支援輸送機ライゼC-Ⅱが最終整備を終えてスタンバイしていた。
豊富な資金力に飽かして最先端の技術を導入している銀河連邦宇宙軍では、艦船や艦載機など各種大型兵器の整備と修理は高性能万能アンドロイドが担っており、人間の整備士は既にその活躍の場を失って久しい。
勿論、その限りでない国々も沢山残ってはいるが、時代の変遷は止めようもないのが現実だ。
アイラ・ビンセントは一抹の寂しさを感じながらも、機体表層をそっと撫でた。
父親のラルフが率いていた傭兵団に所属していた頃は、老練の整備班長と、気の良い整備士達に可愛がって貰って育った様なものだ。
ラルフが白銀達也に惚れ込んで傭兵団を解散し、銀河連邦軍に特別入隊した時に班長は引退し、他の整備士達は彼方此方の軍に乞われて移籍していった。
(班長……みんなも元気にしているかな……)
そんな感傷に浸っていると……。
「待たせたな。そろそろ時間だから出発するぞ」
航空兵用のジャケットを羽織ったラフなスタイルの父親が、自慢の赤髭を揺らしながらやってきた。
「何も父さんまで行かなくったっていいのに。私も顔見知りなんだし」
「馬鹿もんッ! 血の繋がりはないとはいえ、白銀閣下の母上と家族同然の方々を御迎えにあがるんだ。小娘一人では相手様に失礼だろうが!」
律儀者の父らしいと思う反面、未だに小娘扱いされる理不尽さに唇を尖らせ不満を露にするアイラだったが、ラルフに急かされ、文句を呑み込んでコックピットに移動した。
並んで設置された操縦席に腰を降ろして発進前の最終チェックを始める。
「でもさぁ。この星の統合政府って能天気な政治家の巣窟なの? 聞いた話じゃ、東北って場所の北半分と北海道全部をリゾート開発するんでしょう? 正気の沙汰じゃないわね」
アイラが呆れたように言えば、ラルフも腹立たしげに吐き捨てた。
「くだらない人気取りだな。国民にそっぽを向かれた挙句に白銀提督に民衆の期待が集まる始末だからな。何とか求心力を発揮して失地回復を果す為にも、以前から推し進めていた大リゾート開発をゴリ押しする気なんだろう」
「その所為で養護院は半ば強制的に立ち退きを迫られてさ……子供達の大半が里親に引き取られたのは良い事だけど、結局廃院になって、由紀恵先生や秋江さん達が可哀そうだよ」
憤慨して臍を噛むアイラの言う通り、由紀恵が院長を務め運営していた養護院は、政府からの命令という名の要請によって廃院にせざるを得なかったのだ。
リゾート開発を主導する関係省庁の尽力も在り、面倒を見ていた子供達の大半は裕福な家庭に引き取られたものの、重度の対人恐怖症を患っている少数の幼子らは引き取り手もなく、引き続いて由紀恵らが面倒を見るしかなかった。
しかしながら、立ち退き料は割増して支払われたものの、新たな養護院を開設する移転先が決まらず、候補地が見つかっても、地元自治体の許可が下りないという苦境に立たされて難渋していたのである。
「だが却って良かったんじゃないか? 白銀閣下が院長先生を説得して、バラディースで養護院を開設する事になったのだから。スタッフは全員が保育士と初等教育教員資格を持っているそうだから、開設されたばかりの学校で教職に就くのも可能だしな」
「そうね……いずれ地球を離れるのを思えば寂しくはあるでしょうけど、他に良い方法もないし……それにさ、何処だって住めば都だよ」
当初はクレアが自ら由紀恵らを迎えに行く筈だったのだが、急遽大切な客が訪ねて来る事になり、ビンセント父娘が代役に抜擢されたのだ。
「よしっ、オールグリーン! バラディース・コントロール! こちら【運送屋】発艦準備完了! これより出発する……帰艦は明日一五:○○の予定よ」
最終報告と同時にアイラが機体をエレベーターへ移動させるや、上甲板滑走路へと押し上げられていく。
彼女は優しい由紀恵の顔を思い出しながら、スティックを握る手に少しだけ力を入れるのだった。
◇◆◇◆◇
「それじゃぁ……行って来ます。お父さん。母さん。元気な弟か妹の誕生を楽しみにしているよ。くれぐれも身体に気を付けて」
「お父さん。お母さん。絶対に帰って来るから……それまで元気でいてね」
新しく家族になった四人だけでお祝いと送別会を済ませた翌朝。
たったそれだけの言葉を残し、子供達は新しい航海に乗り出していった。
次第に小さくなっていく愛しい我が子らの背中を見送りながら、信一郎が春香に問い掛ける。
「寂しいんじゃないのかい?」
「えぇ……寂しいに決まっているわ。でも、子供はいつか親元を巣立って行くものですからねぇ……今があの子達にとってその時なのだとしたら、親としては笑って見送ってやるしかありませんもの……貴方も私もこれを機に子離れしなければね」
「ははは……そうだね。でも、直ぐに賑やかになるさ」
そう言って、新妻の大きくなったお腹を愛おしげに撫でる信一郎。
お腹に添えられた夫の手に自分のそれを重ねて微笑む春香。
「今度あの子達が帰って来るまでに、どれぐらい大きくなっているかしらねぇ……あんなに大きな兄姉がいると知ったこの子がどんな顔をするのか……今から楽しみだわ」
子供達の旅立ちは永遠の別れではない。
再会を信じて疑わない父と母は、蓮と詩織の姿が見えなくなっても、暫しその場に佇むのだった。
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