第五十三話 春遠からじ ②
年末の騒動も漸く落ち着いたセレーネは、新しい年を迎えて祝賀モードに突入していた。
昨年は志を共にする同胞たちの移民ラッシュに沸き、併せて各分野の開発事業も飛躍的な躍進を遂げたからか、人々の表情も明るい笑みに彩られている。
そんな中にあって、ファーレン人の活躍には目を見張るものがあった。
その多士済々ぶりを遺憾なく発揮する彼らは、アルカディーナ星系の発展に大きく寄与しているのだ。
『偉人・超人・変人』の名を欲しいままにし、遍く銀河の各地で偏屈人と評される彼らだが、獣人であるアルカディーナの民や精霊らとの折り合いは良く、この星の理念である『共生社会』の推進にも大きな役割を果たしている。
とは言うものの、万事が良い事ずくめだとは限らない。
勿論、それは極々一部の人間に限っての話なのだが……。
「ようこそおいで下さいました! 我がファーレンが誇る彫刻家サビオ・テゾーロが、精魂を込めし傑作が完成した良き日に、貴女を御迎えできて光栄ですわ!」
三百歳という実年齢を感じさせない美貌の女性神官が、華やいだ笑みを浮かべて興奮気味にそう宣うのを、クレアは茫然自失の体で聞くしかなかった。
華美な装飾品は身につけていないが、上質の布地で拵えられた真新しい神官服を纏うその女性は、クラウスの妻でありエリザベート女王の縁戚にもあたるエリザ・リューグナーに他ならない。
クラウスとの過去の経緯を鑑みれば、親しい関係を構築するのは困難だった筈だが、合縁奇縁とはよく言ったもので、今ではお隣様として家族ぐるみの付き合いをしている仲でもある。
エリザはファーレンでも由緒正しい神職の家の出であり、彼女自身も一級の資格と資質の持ち主だったが、結婚を機に家庭に入ってからは、信仰の道からは距離を取っていた。
しかし、セレーネを訪れて竜母信仰と精霊の存在に感銘を受けた彼女は、新しい宗教教団を起ち上げる決心をしたのである。
その名も、『竜聖母の慈愛』と命名された新教団は、一族から借り受けた十名の神官の協力を得て、その産声を上げたのだ。
如何にも詐欺師が好みそうなネーミングセンスは兎も角、アルカディーナ達からは圧倒的な支持を受けており、その熱狂ぶりは、宗教には縁の薄い達也やクレアを面食らわせるには充分なものだった。
そんなふたりを尻目に話はトントン拍子で進んで行く。
『教団施設と住居は別々にした方が良い。教会は中世のバロック様式を取り入れた荘厳なものにしよう』
建築部門を一手に仕切る最高責任者の慎治が、舌舐めずりしながらそう言えば。
『敷地は親分の邸宅のお隣ですから、充分なスペースがありますので、最低千人は収容できるチャペルの建築が可能ですね』
『その為には道の拡充と整備も必要だし、高齢者の為にも駐車場も相応のスペースを確保しなければ……』
と、彼の部下達もヒートアップ。
『神を私物化して恥じないルーエ神聖教団との違いを明確にするためにも、立派な鐘と聖母像は欠かせません』
『そういう事ならば、我が国が誇る高名な芸術家を総動員しようではないか!』
『素晴らしいです! 銀河宗教史に新たな一ページを刻むモニュメントを完成させる為ならば、我がロックモンド財閥は全面的な協力を惜しみませんよ!』
遂には教育関係の責任者であるアルエットまでが強い調子で主張するや、それをお祭り大好き女王エリザベートが煽り、商魂逞しいジュリアンまでもが、その情熱を露にして便乗する始末。
これが僅か二か月前の出来事であり、そこからの事態の急展開は正に目を見張らんばかりのものがあった。
白銀邸を中心にして高級士官の住居が散見されるだけだった小高い丘陵地帯は、バラディース中心街からでも肉眼で目視できる巨大構造物の出現により、その様相を一変させてしまう。
その威容に度肝を抜かれた住民達だったが、その建築物が竜母セレーネを御神体とする新しい宗教施設だと発表されるや、歓喜して歓迎の意を露にしたのだ。
また、嘗てアルカディーナ達が生活を営んでいた市街地は、新たな水産業の拠点として生まれ変わっており、住民らから親しまれてきたセレーネの像は修復されてバラディースの中央公園の噴水広場へと移されていた。
そして、憩いの場として数多の住人達から愛されているのだ。
精神的な信仰の対象だった竜母セレーネを御神体とする宗教の誕生は、アルカディーナ達にとっては喜び以外のなにものでもなく、日に日に形を成していく巨大な建築物を眺めては、その完成を心待ちにしているのだった。
そして本日早朝。
完成したばかりの聖母像が搬入された、と直接エリザから知らされたクレアは、装飾などの仕上げを残すのみとなった教会を訪れたのだが……。
「こっ、これは……一体全体どういう事なのですか?」
流石は著名な彫刻家の作品だと感嘆する他はない出来栄えの像だったが、それを一目見たクレアは呆然とした体でそう問うのがやっとだった。
正面の祭壇に設置された聖母像は十mはあろうかという巨大な代物であり、千人の信徒を収容可能な礼拝堂の何処からであっても、その美しい姿を堪能できる。
だが、クレアにとって大問題だったのは聖母像の大きさではなく、そのデザインに他ならない。
彼女が見上げている像は、紀元前のローマ時代に着用されたトーガの様な薄布を纏った聖母が赤ん坊を抱き、その下肢に縋る四人の子供達という造形をしており、皆から親しまれているセレーネの像とは全くの別物だった。
然も、子供達の像は一目で、ユリア、ティグル、さくら、マーヤだと分かる程に酷似しており、セレーネに瓜二つだと言われているクレアが聖母像のモデルなのだと、人々が考えるのが容易に想像できてしまう。
「私は聞いていませんッ! これでは私と子供達の像ではありませんか? 新しい聖母像も、あのセレーネ像をモチーフにしたとばかり思っていましたのに!」
暫しの間茫然自失状態だったクレアは事態の深刻さに思い至るや、血相を変えて抗議したのだが、そんな彼女の剣幕を優美な微笑みひとつで受け止めたエリザは、ふいっ……と視線を逸らし、大した問題ではないと言わんばかりに宣った。
「実は製作を担当したテゾーロ氏が、貴女とお子様達の団欒を目撃したそうなのです。そして『正しくこの母娘こそが聖母像のイメージだ!』と大興奮した挙句に、一気に仕上げてしまったのですわ。如何にも自信満々といった顔で像を届けに来た彼に意見するのも憚られてしまい……」
私如きではどうしようもありませんでしたの……。
そんな殊勝な言い訳が聞こえて来そうだが、彼女の口元が喜悦に歪んでいるのを見れば、白々しさばかりが際立ってしまう。
「絶対に楽しんでいますよね? 確信犯ですよねっ!?」
「あらあら……仰る意味が良く分かりませんわぁ。しかし困りましたわね。こちらから辞退を申し出てテゾーロ氏の機嫌を損ねた場合。女王陛下の御顔に泥を塗るも同然の不敬となってしまいますわ。ですが、クレアさんの心情に負担を掛けるのも酷ですし……あぁ! 本当にどうしましょう?」
その悲嘆に暮れる台詞とは裏腹に腹黒神官の表情には満面の微笑み。
彼女が欠片程も悩んでいないのは明白であり、エリザベートの名前まで持ち出して恫喝して来る強かさが腹立たしくて仕方がない。
それでもクレアは、羞恥という名の精神的負担を回避するために、懸命の説得を続けた。
「女王陛下の御厚情を無にするのは心苦しくはありますが、新教団の設立と新しいセレーネ像の完成を楽しみにしているアルカディーナの人々を裏切る訳にはいきません!」
もしも自分達母子を模したこの像が御披露目されたならば、住民の反感を買うのは必至だとクレアは信じて疑ってもいない。
ましてや自らを神格化する程に厚顔無恥ではないし、人並みに恥という概念ぐらいは弁えている。
何よりも、長い時の流れの中でアルカディーナの人々が育んで来た、ランツェとセレーネへの敬愛と信仰心を蔑ろにしていい筈がないのは自明の理だ。
それは彼らに対する裏切りに他ならず、折角築いた友好的な関係が水泡に帰しかねない危険を孕んでいると彼女は危惧しているのだ。
それにより達也の足を引っ張る真似は断じてできないと思ったクレアは、エリザに詰め寄って畳み掛けた。
「彼らの反感を買う様な真似は慎むべきです。今では少数派になってしまいましたが、アルカディーナこそがこの星の先住民なのです。余所者に過ぎない私が彼らの信仰心を土足で踏み躙って良い筈がありませんわ」
眦を決して語気を強めたクレアは、困惑した面持ちで溜息を吐くエリザを見て、説得が功を奏したと確信したのだが……。
「困りましたわぁ……事前に長老衆の方々と、若手のリーダー格の皆様にも画像を見て戴いて、それぞれに御伺いを立てたのです。皆様諸手を上げて賛同して下さいまして、『是非ともこの案でお願いします』とか……『いっそ、聖母クレア教でも良いのでは?』等々の前向きな御意見まで頂戴しておりますのに……」
如何にも困ったと言いながらも、その顔には勝者の笑みが……。
この時点で長老衆をはじめアルカディーナ指導部を篭絡していたとは思いもよらず、形勢は一気に不利へと傾く。
既に外堀どころか内堀まで埋められたと知ったクレアは愕然として言葉を失い、エリザの周到な罠に掛かったのだと気付いて歯噛みする他はなかった。
(くうぅぅ~~! 済し崩しに物事を推し進める為に私ひとりを呼び出したのね! 流石に達也さんが相手では言い包めるのか難しいから!)
地団駄を踏む思いだが、既に後の祭りだ。
そんなクレアに、エリザは今度こそ満足げな微笑みを浮かべて慰めにもならない台詞を宣うのだった。
「アルカディーナの皆様も喜んで下さいますわ。それに心配には及びません。礼拝や儀式の際にはちゃんと『セレーネ』とお呼びしますから安心してください」
何処に安心できる要素があるのか真剣に問い質したい欲求に駆られたクレアだったが、どうせ揶揄われた挙句に有耶無耶にされるだけだと分かっているだけに、渋々ながらも諦める他はなかった。
エリザにも悪気がある訳ではなく、最も効率的に目的を果す為の方策を選択しただけなのだ……そう思う事でクレアは自分を納得させたのである。
味方であれば心強いが、敵に廻すと厄介極まりない……。
まるで彼女の旦那様を見ている様で、クレアは深々と溜息を吐くしかない。
「分かりました。降参ですわ……ですが、神像の呼称の件はくれぐれも間違えない様にお願いしますね。中には納得できない人もいらっしゃるでしょう。ランツェとセレーネを信奉する人々は多いのですから」
苦笑いしながらもそう言えば、エリザは柔らかい笑みを浮かべて頭を垂れた。
「承りましたわ。全てお任せ下さい。人々の心に寄り添って支えていけるように励んで参ります」
その洗練された立ち居振る舞いから彼女の真摯な想いが伝わり、一杯食わされた腹立たしさは雲散霧消してしまう。
だが、今回の件は明確な貸しだと笑顔の下で断じたクレアは、腐れ縁の志保とは違った意味で油断ならない彼女の実相を心のメモ帳に記入したのである。
取り敢えずは重要な用事は片付いたので、クレアは完成前の施設や住居を見せて貰おうとしたのだが、先導しようとしたエリザが急に口元を押さえたかと思うと、崩れ落ちる様にその場に蹲るのを見て驚いてしまった。
エリザの急変に狼狽したクレアは彼女に寄り添って状態を確認したが、顔色は青褪めており汗も滲んでいる。
「誰かッ! 中央病院に連絡してドクターヘリを寄越すように伝えて下さい!」
事態は一刻を争うと判断したクレアは迷わずに救急搬送を選択した。
穏やかな冬の空気が一変して周囲が俄かに騒がしさを増す中、微かに震えているエリザの手を握るクレアは、その表情を焦慮に歪めるしかなかったのである。




