第五十一話 殿下たちの憂鬱 ⑧
「御意を得る栄誉を賜り心から御礼申し上げます。私はセリス・グランローデン。帝国の元第十皇子であります」
恭しく頭を垂れて自己紹介をするセリスを見たケインは、軍人らしいその立ち居振る舞いの中に光る、慄然とした所作に感嘆せざるを得なかった。
まだ十代の少年であるにも拘わらず、気負った風情は微塵も感じられない。
だから、自らも無様な真似はできないと表情を改め、皇国皇太子の名に恥じない所作で答礼した。
「御丁寧な御挨拶痛み入る。私はランズベルグ皇国皇太子ケイン・ランズベルグです。この度は我が愚弟が御世話になった様で……感謝申し上げる」
「その御言葉は私にではなく、子供達に賜りますよう御願い致します。不躾ながら、貴方様と御兄妹との苦衷は、私にとっても他人事ではありません……しかし、苦難に打ち拉しがれていた弟君が笑顔を取り戻された……それは、皇王家にとって何よりも喜ばしい事ではありませんか?」
下手な小細工抜きで核心を衝いて来たセリスにそう問われたケインは、表情を強張らせてしまう。
だが、それは彼の物言いが不快だったからではなく、寧ろ、小気味良いと感じたからに他ならない。
(クーデターの際に前皇帝の血縁者は幼い子供に至るまで全て粛清されたと聞いていたが、彼は先程『他人事ではない』と言い切った……つまり、彼自身も庇われて生き永らえた口か……)
ほんの僅かな会話から、聡いケインはセリスの境遇を看破してしまう。
目の前にいる男が自分と同じ苦境にあると知った途端、それまで猛っていた胸の中の熱が急速に冷めていくのを彼は感じていた。
たとえ年下であっても、取り乱した姿など見せられないという矜持と、このまま一方的に論破されたのでは癪に障るという負けん気が交錯する。
だから、ケインはやや口角を吊り上げて問うたのだ。
「あの童らの御蔭で弟が笑顔を取り戻せたのだから、感謝して礼を言えと?」
ひどく挑発的な物言いだったが、セリスは気にした風もなく淡々と言葉を返す。
「さくらちゃんも言っておりましたが、このセレーネは『共生』の理念を拠り所にしております。『共存共栄』ではない。喜びも悲しみも、繁栄も苦難も、その全てを分かち合って共に助け合って生きて行く。あの子らにとって弟君の出自など関係ないのです。この星に住む者全員が仲間であり、家族に他ならないのですから」
その言葉には確かに説得力があった。
『都落ち』と揶揄されても仕方がない今の境遇を思えば、子供を相手にして身分を振り翳す己がひどく矮小な存在に思えてしまう。
しかし、身に染み込んだ価値観を覆すのは容易ではなく、懊悩するケインは口を引き結び、無言でもう一人の皇子を見つめ返すしかなかった。
そんな皇太子の心情を察したのか、セリスは表情を引き締めて滔々と語り出す。
「ケイン様の御心中は察するに余りありますが、それは私も同じです。所詮は十番目の男子……父に代わって死ぬべきは私でした。ですが、今も生き恥を晒しております。非才なこの身を生かす為に一体どれだけの命が喪われたか……それを思えば慚愧に堪えませんし、今でも悪夢にうなされて夜中に目を覚ます事があります」
そのセリスの言葉に心を揺さ振られたケインは、痛苦を滲ませた表情を浮かべて胸の中に蟠る本心を吐露していた。
「だったら私の憤懣も分かるであろうッ? 次代の皇王と持て囃されてはいても、肝心な時には子供扱いされる! 父上はまだ御若い。これから十年二十年と働けるのだ! ならば父の身代わりとなってその御代を護るのが、長子たる私の役目ではないのか!?」
家臣や臣民からの敬愛を一身に集めるレイモンド皇王は、ケインにとって終生を懸けて追い抜かねばならない偉大なる目標だ。
しかし、父皇さえ無事であったならば、悪辣な奸賊など駆逐するのは容易であり、だからこそ自分が身代わりになるべきだった……。
そうケインは悔いているのだ。
その考えが間違っているとは今も思わないが、母たるソフィア皇后やアナスタシア大伯母からは『未熟者』と叱責され、随行して来た重臣や、今回の計略の首謀者である達也からは諫言を受けて諫められる日々。
その上、サクヤには詰られ、他の弟妹達からは避けられる始末。
自分の至誠は誰からも理解されず、苛立ちばかりが募る中で出逢った同じ境遇の帝国皇子に共感を求めたのは当然の成り行きだったのかもしれない。
だが、そんなケインの心情は重々承知しているセリスは、だからこそ、己がこの星で得たものを正直に吐露したのだ。
「それでも……親は子を庇うものなのです。それが情愛であり、親子の絆に他ならないのだと……私はこの星で学びました」
てっきり賛意を返してくれると思っていたケインは、虚を衝かれて言葉を失くしたが、その言葉は染み入るかの様に胸を満たしていく。
「御父上様は貴方様を子供扱いしたのではありませんよ。皇国の未来を託すに足る後継者だと御認めになられたのです。御母上様や側妃の方々、そして御弟妹や家臣の方々の命を護って欲しいと願われたのです……その父皇陛下の想いを無駄になさってはいけません」
そう言い切ったセリスの顔には欠片ほどの迷いも見られず、ケインはこの年下の帝国皇子に圧倒されてしまう。
「一時的に国を失うなど些事に過ぎません。いずれ取り返せば済む事です。だから御父上様の厚情に感謝して精進なされませ……貴方様の御傍には家族という力強い味方がいるのですから。今は耐えて力を蓄える時です……それが貴方様が為すべき使命なのではありませんか?」
殊更に口調を強めた訳ではなく、寧ろ、穏やかな声音で語り終えたセリスは、柔和な笑みを浮かべてケインを見つめる。
その澄んだ双眸が答えを……いや、決意を促しているのだと気付いたケインは、小さく息を吐いて呟いていた。
「そうか……父は愚昧な私に国の未来と家族を託して下されたのか……」
自ら言葉にしてみれば、それは不思議な程に腑に落ちてしまい、意固地になっていた己が滑稽に思えたケインは苦笑いするしかなかった。
自分が間違っていたと納得した以上は、いつまでも意地を張り続けるのは矜持に反する。
まるで憑き物が落ちたかの様に柔らかい表情を取り戻したケインは、踵を返してマーカスと子供らの前へ歩を進めたが、さくらたちが彼の前に立ちはだかった。
だが、眼前まで歩み寄って来たケインが頭を垂れて穏やかな声音で謝罪したものだから、彼の心情の変化を察せられない子供達は吃驚してしまう。
「どうやら私が間違っていたようだ。何の罪もない君達を叱責し、あまつさえ侮辱した無礼を許して欲しい」
てっきりまた怒鳴られると思っていたさくらや子供らは、予想外にフレンドリーな展開に困惑するしかない。
しかし、ケインが頭を下げて謝罪した事に一番驚愕したのはマーカスだった。
ランズベルグ皇国の皇太子である兄に頭を下げさせる相手が、この銀河系にどれほど存在するというのか。
譬え非がケインにあるとしても、それを論って謝罪を求めるのを許される人間は極僅かだろう。
それにも拘わらず長兄自らが率先して頭を下げた事実は、取りも直さずケインが普段の自分を取り戻したという事に他ならない。
それに気付いたからこそ、マーカスは驚くと同時にその顔を喜色で染めたのだ。
「それから、君達さえ良かったら……これからもマーカスの良き友達として仲良くしてやって欲しい。お願いしても良いだろうか?」
その懇願を受けたさくらや子供達は、漸くケインの意図を理解して破顔一笑し、歓声を上げてマーカスに抱きつくのだった。
その輪の中心で笑顔を弾けさせている弟を見たケインは、父から託されたものを護り、必ず祖国を奪還すると誓いを新たにしたのである。
だから彼はセリスとその背後に寄り添う達也とサクヤに向き直るや、深々と頭を下げて謝意を示すのだった。
◇◆◇◆◇
こうして一連の問題は解決したのだが、この日は最後の最後まで賑やかだった。
ソフィア皇后やアナスタシアと話し合わなければならないケインは、達也に謝罪した後に仮宮へ帰ったのだが、子供達と意気投合したマーカスは、その泥だらけの容姿もあって一晩だけ白銀家に宿泊する事になったのだ。
公務の一環として父や兄の外遊に同行した経験はあるものの、普通の子供として他所様の家を訪問するのは初めてであり、さくらは元よりユリアやマーヤ、そしてティグルからも歓迎されたマーカスは終始御機嫌だった。
然も、クレア手ずからの夕食を堪能して大感激するや、正直すぎる感想を叫んでしまったのである。
「こ、こんなに美味しい物がこの世にあったなんてっ! 凄いですクレア様っ! サクヤ姉様が敵わなかったのも道理ですッ!」
達也やヒルデガルド、そしてエリザベートら大人は大爆笑。
クレアはひたすら苦笑い。
ふわふわ卵のオムライスと養殖白身魚のフライトいうありふれたメニューだったにも拘わらず、大袈裟に感激するマーカスを子供達は不思議そうに眺め。
そして、羞恥で顔を赤くしたサクヤは、失礼な弟の頭を引っ叩くのだった。
※※※
楽しかったひと時を思い出したセリスは、そんな賑やかで温かい場所に身を置いてともに笑っている自分が不思議でならず、夜空に煌々と輝くニーニャを見上げて小さく息を吐いた。
日課にしている剣の鍛錬に熱中するあまり、気が付けば既に日付は変わっており、冬の冷たい空気が熱気を帯びた吐息を白くする。
(ケイン殿を上手く説得できて良かった……これで彼女も、少しは心安らかでいられるだろう)
幻想的なニーニャの鮮麗な美しさと重なるのは、青藍色のしなやかな長髪を持つ美姫。
サクヤの心痛が少しでも和らぐのならば……。
夕食の時に久しぶりに屈託のない笑みを浮かべていた彼女を見たセリスは、心から安堵すると共に僅かばかりの自己満足に浸る。
継承権など在って無きが如き些末な存在でしかなかった昔。
そんな自分に何ができるのか考えた末に軍人を志した。
だが、結局は何の役にも立たずに国を追われ、全てを奪われて絶望の淵に落とされたのだ。
そんな無慈悲な思いをサクヤには味わって欲しくはない……。
それはセリスの偽らざる願いだった。
瀕死の重症を負って、死線を彷徨った末に目覚めたあの時、嬉しそうに微笑んでくれた彼女の顔を今でも鮮明に覚えている。
傷が完治するまで甲斐甲斐しく世話をしてくれたばかりか、同じ屋根の下で生活を共にした彼女との時間は、セリスが懐いた憧憬を恋心に変えるには充分過ぎるものだった。
だが、ランズベルグ皇国の第一皇女であるサクヤは自分には高嶺の花だ……。
そんな諦念は否定しようもなく、ならばせめて彼女の役に立ちたい、とセリスは決意したのだった。
(本当に私らしくもない……彼女に笑顔が戻ったのなら、それで良いじゃないか)
そう心の中で呟いたセリスは不意に人の気配を感じて振り向き、視線の先に立っている人物を見て驚かずにはいられなかった。
淡いニーニャからの光に照らされて立ち尽くしていたのが、夜着の上に短コートを羽織ったサクヤだったからだ。
「サ、サクヤ様? こんな時間にどうしたのですか?」
そう問うてはみたものの、彼女の表情には夕食時の華やかさはなく、憂悶の情を深く滲ませており、セリスは戸惑わずにはいられなかったのである。
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