第五十一話 殿下たちの憂鬱 ⑥
ピィ──ッ! 甲高い笛の音がタイムアップを告げる。
審判役の少年が両手をクロスさせてドローゲームの裁定を下すや否や、チームに関係なく子供達は歓声を上げて燥いだ。
「引き分けかぁ……でも、楽しかったなぁ」
額に滲んだ汗をシャツの袖で拭うマーカスは、興奮冷めやらぬ面持ちで呟いた。
頬を撫でる風は季節柄ひんやりとしていたが、火照った肌には逆に心地良くて、自然と顔が綻んでしまう。
土埃と汗で上着のシャツは汚れ、ズボンも彼方此方に砂が付着しており、瀟洒な高級生地は見る影もなくなっている。
屋敷に戻れば叱責されるのは確実だが、そんな些細な事など気にもならないほどに、今この瞬間に感じる充足感をマーカスは満喫していた。
「やったあぁ─ッ! マークの活躍のお蔭で負けなかったよぉ!」
「うわあぁっ!!」
人生初体験の感動の余韻に浸っていたマーカスは、快哉を叫ぶさくらに抱きつかれて面食らい、素っ頓狂な声を上げてしまう。
然も、駆け寄って来て興奮を露にしたのは、さくらだけではなかった。
「おまえ凄っげえな! 結構本気でやったのに全部キャッチされちまったぜ!」
「おまけに投げるのも早くてビックリしたよ!」
「ありがとうマーク! 君がボールをパスしてくれたからカムバックできたよ!」
敵味方関係なく周囲に群がって賞賛や感謝の言葉を口にする子供達に、マーカスは圧倒されてしまう。
同年代の子供たちと同じ時間を共有し、喜びを分かち合うなど生まれて初めての彼が戸惑うのも無理はなかった。
基本的にランズベルグの皇族は修学目的で学校に通うという習慣はない。
皇王家に生まれた子供は二歳の誕生日を境にして家庭教師がつけられ、それぞれの専門分野を極めた師から個別指導を受けるのが普通だ。
それ故に友人と呼べる者はおらず、周囲を賑わすのは専ら貴族の子弟ばかりだったが、それを疑問に思った事はないし、不満を覚えた記憶もなかった。
だが、それは間違いだったのではないか……。
マーカスは高揚する意識の片隅でそんな事を考えたが、周囲からの歓声に煽られた彼は、些細な疑問などはキレイさっぱりと忘れて子供たちの歓喜の輪に自ら飛び込むのだった。
◇◆◇◆◇
「おや? 今日は御機嫌だね。久しぶりに勝ったのかな?」
不意に朗らかな声に背中を打たれたかと思うと、抱きついていたさくらが身体を離すや、瞳を輝かせて声の主の元へと駆けて行く。
温かい体温の名残が消えるのを寂しく思ったマーカスだったが、他の子供達までもが挙って群がって行くのを見て、改めてその人物に視線を向けた。
上級将校を思わせる階級章らしき物が煌めく濃紺のロングコートを纏った男性が、さくらや子供達に囲まれて微笑んでいる。
しかし、その硬骨な装いとは裏腹に、何処かあどけなさを残した顔立ちの青年から感じられる雰囲気に、マーカスは気圧されしてしまう。
ほんの僅かな所作に育ちの良さが滲み出ており、おまけに全くといって良いほど立ち居振る舞いに隙がない。
この人の好さそうな若い男性から自分と同じ匂いを感じ取ったマーカスは、彼が何れかの王族か貴族ではないかと看破した。
(この人は一体何者なんだ? 気安い態度をしていても、独特の雰囲気がある)
皆から〝セリス“と呼ばれている男性の正体には思い至らなかったが、懐いて燥ぐ子供らの様子から危険な人物ではないと判断したマーカスは、警戒しながらもその輪へと歩み寄ったのである。
※※※
「あははは。そんなに焦らなくても大丈夫だよ。ちゃんと人数分はあるからね」
笑顔で子供達を宥めるセリスは、クレア特製のおやつセットが入った段ボール箱を次元収納庫から取り出す。
すると我先にと子供達が群がってくるや、小分けされたクッキー入りの菓子袋と簡易タイプの小型容器に入ったフルーツジュースは、あっという間に残り僅かになってしまった。
クレアお手製のお菓子は子供たちにも大人気であり、彼らの喜ぶ顔を見るのは、セリスにとっても心癒される大切なものだ。
そんな訳で頻繁に配達役を買って出ており、さくらやマーヤの友達からも懐かれて、すっかり顔馴染になっている。
しかし、一番最後に歩み寄って来た少年の顔には見覚えがなく、彼の容姿を見たセリスは小首を傾げてしまう。
他の子供たちと同様に衣服は汚れているものの、その生地が高級品であるのは一目瞭然で、然も、歩き方は武術の鍛錬を受けた者のそれに他ならない。
一体全体何者なのかと訝しんでいると、嬉しさを隠そうともしないさくらが少年の手を取って強引に引っ張って来るや、無邪気な声で爆弾発言をしたのである。
「セリスお兄さん! この子はねマーカスっていうのッ! お兄さんと同じ王子様なんだよ!!」
聡いセリスはその言葉だけで目の前の少年の正体を察し、思わずマーカスの顔に視線を釘付けにしてしまった。
「ちょ、ちょっと待って……まさかランズベルグの?」
恐る恐る問うと、さくらは鼻高々といった風情で胸を張り、対するマーカスは 居心地が悪そうに小さく頷いた。
「お庭でね、ひとりで寂しそうだったから私が誘ったの! 今日は余り寒くないし、皆で遊ぶと楽しいから!」
「ラ、ランズベルグ皇国第四皇子……マーカスだ……」
一歩間違えば誘拐だと言われても仕方がない暴挙だが、自分が何をしでかしたのかも分からないさくらに、それを理解しろと言うのは酷だろう。
然も、現在の皇王家の状況は達也やサクヤの話から大筋は分かっているし、一つ屋根の下で険悪な雰囲気の中に居たくはないというマーカスの告白を聞けば、皇子にあるまじき軽挙妄動だと彼を責めるわけにもいかなかった。
何と言っても、ふたりともまだ幼い子供なのだから……。
そう納得して自己完結したセリスは、目の前の現実を受け入れたのである。
しかし、この状況が今後好ましくない騒動に発展するのは確実であり、誘拐犯(?)のさくらと、被害者(?)のマーカスのためにも何とかしてやらねば……。
そう覚悟を決めたセリスは、何か解決策はないかと思案するのだった。
◇◆◇◆◇
「美味しい……これ、凄く美味しいッ!」
手渡された紙袋にはハートや星を模った焼き菓子が入っており、恐る恐るといった風情で口にして咀嚼したマーカスは、瞳を輝かせて感嘆の声を上げた。
常に供されてきた豪華な菓子類と比べれば、それは余りにもシンプルな代物であり、最初は手にするのを躊躇ったのだが……。
心地良い歯触りと口いっぱいに拡がる香ばしさ、そして程よい甘味に魅せられたマーカスは、夢中になって残りのクッキーを口に運んだ。
天然樹脂を加工して作られたボトルに入っているフルーツジュースも美味しくて、久しぶりに心が浮き立つ様な喜びに満たされていく。
目の前ではさくらや子供たちが、『中当て』の二回戦を繰り広げており、弾けんばかりの笑顔で明るい歓声を冬空の下で響かせている。
「さくらちゃんのお母さんのお手製だよ。かなりの料理上手でね、君のお姉さんもメロメロにされているよ」
隣に腰かけたセリスからそう言われたが、マーカスは半信半疑だった。
皇王家第一皇女のサクヤは『朝露の妖精』という愛称で国民から親しまれており、純情可憐で細やかな愛情の持ち主である自慢の姉だ。
(あのサクヤ姉様がメロメロ? う~~ん……)
嫋やかでありながら毅然としている姉を知るだけに、どうにもイメージが重ならずに悩んでしまう。
だが、それ以上に彼を困惑させているのは隣に座る青年だった。
穏やかな笑顔と柔らかい物腰の持ち主だが、その立ち居振る舞いには一分の隙もない不思議な人物。
『少し話がしたいのだけれど、良いかな?』と問われて了承したのだが、皇族である自分に臆さずに話しかけてくる彼の正体が気になって仕方がない。
だから、思い切って自分から訊ねてみたのだ。
「あの……其方は一体……」
「あぁ、名乗るのが遅れましたね。私はグランローデン帝国元第十皇子セリス・グランローデンという者です。尤も、今は祖国を追われて白銀達也殿の庇護を受けている亡命者でしかありませんが……」
「グ、グランローデン帝国の皇子殿下?」
その穏やかな笑みと柔らかな物言いとは裏腹に、彼の口から飛び出した衝撃的な内容にマーカスは驚倒せざるを得ない。
ランズベルグ皇国は帝国に対して直接的に敵対していた訳ではないが、銀河連邦の一員として、思想的にも政治的にも相容れない相手だと認識して来た。
当然ながら両家に積極的な交流はなく、マーカスも帝国の皇族と顔をあわせるのは、これが初めてだ。
想像していたよりも温厚だと驚いたが、油断はできないと身構えるマーカスは、次に彼の口から飛び出した台詞に唖然とする他はなかった。
「今は白銀提督のお宅で御厄介になっているのだがね……同居している君の姉君からは毎日小言を頂戴していてね……彼女は君達にもあんな調子なのかい? たった二歳年上なだけなのに殊更に姉さんぶってね……私とは口論が絶えないんだ」
「いっ、いえ……サクヤ姉様は滅多に叱責などしませんし……私は注意された事もありません」
気さくなセリスの物言いに感化されたマーカスも、つい真っ正直に返事をしてしまう。
自分の言葉が丁寧なものに変化したのに気付いた彼は、気恥ずかしさが先に立って赤面したが、そんな皇国第四皇子に親しみを覚えたセリスは、笑みを浮かべたまま肝心な話を切り出した。
「そうか。それは幸いだ……さて先ずは聞いておきたいんだが、黙って屋敷を抜け出して来たのかい? 誰にも告げずに?」
そう問われたマーカスは口籠ざるを得ない。
本当の事を言えば、さくらが叱責されるのではないかと懸念したからだ。
「別に君を責める気もないし、経緯を詳らかにしろ等と大袈裟な話がしたい訳じゃない。ただ、今頃はかなりの騒動になっているだろうからね……追っ付け捜索隊もやって来るだろうから、その前に君から事情を聞きたいだけだよ」
そう諭されて怒り心頭の長兄を脳裏に思い浮かべたマーカスは、顔から血の気が引く思いがした。
自分はどんなに厳しい叱責を受けても仕方がないが、純粋な好意で連れ出してくれたさくらが責められるのは本意ではない。
だから、セリスに縋ったマーカスは、必死の形相で懇願したのだ。
「誰にも告げずに出て来ましたっ! さくらに手を引かれて……気付いたら一瞬でこの場所にっ! で、でも、彼女が悪い訳じゃない! さくらは私を元気づけようとして……だから、あぁっ! どうしてもっと上手く説明できないんだ!」
懸命に言い募るマーカスからは、何よりもさくらを庇おうとする心情が窺えた。
この幼い殿下に好意を懐いたセリスは、その小さな背中を優しく撫でてやる。
その効果は覿面に表れ、マーカスの動揺はそれだけで収まってしまう。
「君は優しい心の持ち主だね。そういう気持ちは大切にすると良い。どうだった? こんなに大勢の歳の近い子らと遊ぶなんて初めての経験だろう?」
そう問うと、彼は瞳を喜色に輝かせて声を弾ませた。
「はいっ! とても楽しくて、胸がわくわくして……皆が気さくに声を掛けてくれるのが嬉しくて……ここに来て本当に良かったと思います!」
その言葉が本心なのは彼の笑顔を見れば一目瞭然であり、セリスは益々マーカスを気に入ってしまう。
同時に庇ってやらねばならないという思いを強くするのだった。
「その言葉は彼らに掛けてやって欲しい……この星に生きる人々は如何なる種族や主義主張を問わず、皆で力を合わせて共に生きて行く共生社会の実現を目指している。勿論、その中には君のお姉さんや私も含まれているから、君にも協力して貰えたら嬉しいな」
セリスの言葉の真意が何処にあるのか、まだまだ幼いマーカスには判断ができなかったが、優しく諭してくれる彼の心遣いが嬉しくて思わず頷いていた。
「素晴らしい考えだと思います! 是非私も仲間に入れて下さい!」
その返事に満足したセリスが更に言葉を続けようとしたが、それは冷たいい空気を切り裂く怒声に遮られてしまう。
「マーカスッ! 勝手に屋敷を抜け出し、こんな場所で何をやっているかッ!?」
その声の主が誰なのかを瞬時に理解したマーカスは、顔を青褪めさせて小刻みに身体を震わせるしかなかった。
その様子から相手の正体に気付いたセリスは、震える少年の頭を軽く撫でながら励ましてやる。
「悪い事をした訳じゃないのだから、君は堂々としていれば良いよ。最悪の場合は私に任せなさい」
そして、立ち上がったセリスは、土手を駆け下りて来る物々しい一団に相対するのだった。




