第五十一話 殿下たちの憂鬱 ⑤
「マーカス殿下の御姿が見当たらないのです! 邸内を隈なく調べましたが何処にもおられず、お屋敷の周辺を近習が総出で御捜ししておりますが……」
顔を青褪めさせる老女官長は、普段の彼女からは考えられないほど狼狽しており、今にも卒倒しそうだった。
伯爵家の次女であった彼女は行儀見習いとして皇宮に召されて以降、実家に戻るのを拒んで、実に五十年という月日を皇王家一筋に尽くしてきた忠義者だ。
それだけに、今生陛下の御子達に注ぐ敬愛の情は一方ならず、突然の凶事に悩乱して取り乱すのも無理はなかった。
「馬鹿なっ!? 衛士は何をしていたのだッ!? 何人たりとも許可なく出入りはさせるなと厳命した筈だッ!」
唯でさえ機嫌が悪いケインが嚇怒して怒鳴れば、女官長と侍従長は立場上平伏して許しを乞うしかない。
「申し訳ございませぬ……マーカス殿下から一人にして欲しいと命じられ、お庭で寛いでおられましたので、危険はないと思い……」
「邸内や各門を警備している者達は、誰も殿下の御姿を見てはいないと……来客も白銀様とサクヤ様のみで、それ以外に人の出入りはなかったと断言しております」
「では何故マーカスが見つからぬのだっ!? 何者かに拉致されたか、神隠しにでもあったと言うのかッ!?」
皇族の日常生活に於ける一切合切を取り仕切る忠義者ふたりが、珍しくも曖昧な物言いに終始する様子に苛立つケインだが、皇太子の振舞いとしては如何にも稚拙だと言わざるを得ないだろう。
胸の中で慨嘆するしかない達也だったが、視線を感じて隣を見れば、兄の暴言に憤慨しながらも、申し訳なさそうにしているサクヤの姿が目に入った。
達也やアルカディーナらの関与を疑うかの様な態度を取るケインとは違い、この星の事情を良く知る彼女が、兄の物言いに心を痛めるのは当然だといえる。
サクヤの為にも、解決の糸口は無いかと達也は思案を巡らせた。
(さてさて、どうしたものか……流石にこの儘では埒が明かないし、下手をすれば、サクヤが兄君に絶縁宣言を叩きつけ兼ねないぞ……)
皇王家の内部がギクシャクする様では、今回の計略そのものの意味がなくなってしまうし、延いては今後予定されている本格的な反攻作戦にも支障が出るのは避けられないだろう。
だからこそ、早急に事態を収拾するべきだと考えた達也は、敢えて厳しい口調でケインを諫めたのだ。
「御二人を責めてもマーカス殿下が見つかる訳ではありません。御不満も御有りでしょうが、現在の皇王家の長は貴方様です。落ち着かれよ。何よりも、これ以上の醜態は看過できませぬ」
無礼は承知の上での諫言だったが、案の定ケインは一段と表情を険しくした。
しかし、直に達也と目を合わせた途端、その殺気にも似た気迫に呑まれてしまい、喉まで出掛かった叱声を呑み込む他はなかったのである。
「マーカス殿下は、庭のどの辺りで寛いでおられたか御存知ですか?」
ケインが押し黙って安堵したのか、達也に問われた老女官長は思案しながらも、確信した口調で答えを返す。
「南東側にある……小さな池が造成されている芝生の辺りでございます」
「南東の人造池…………あっ! もしかしたら……」
寸瞬の間黙考した達也が、顔を顰めて少々嫌そうな声を漏らした。
「な、何か思い当たられる事が御有りなのですかっ?」
息せき切って縋りついて来るサクヤの表情は切羽詰まっており、如何に弟の安否を気遣っているかが窺える。
達也は彼女を安心させる為に、まず間違いないと思える推理を披露した。
「マーカス殿下がおられた場所には、植樹した『さくら』の木がありましてね」
そう言っただけでサクヤは察したらしくて不安の色を和らげたが、全く理解できないケインは苛立たしげに先を急かす。
「その木がどうしたと言うのだ!? マーカスの失踪に何の関係がある?」
「私の娘はその木から名前を貰っていまして。本人も随分と気に入っており、この春に新居の庭に植え替えるのを楽しみにしているのです……おそらく、引っ越してからも定期的に様子を見に来ていたのでしょう……そこでマーカス殿下と出逢ったのではないかと……」
「そっ、それでは! 其方の娘が、我が弟を誘拐したと言うのかッ!?」
如何に頭に血が上っているとはいえ、幼い少女を誘拐犯だと決めつける実兄に、サクヤは怒りを覚えずにはいられなかった。
だから、今度こそ怒鳴りつけて兄妹の縁を切ってやろうと思ったのだが、それを察した達也に制されれば、如何に不満でも言葉を呑み込むしかない。
「事の真偽を此処で詮索しても埒は明きません。まずはマーカス殿下を御捜しして安全を確保するのが先決です。今日は休日ですので、学校のグラウンドか都市内に点在する公園、あとは河川敷の遊戯場の何処かでしょう。皆で手分けをして……」
だが、達也の言葉はケインの大喝で遮られてしまう。
「直ちに捜索隊を編成して市内をしらみ潰しにせよ! 万が一にも我が弟に危害を加えんとする不埒者があれば、断固排除せよ! ランズベルグ皇国皇太子ケインの名に於いて厳命するッ!」
侍従と女官長にそう命ずるや、彼自身も足早に部屋を飛び出していく。
「一隊は私が直接指揮を執るッ! 至急準備をせよッ!」
次第に小さくなる声が聞こえなくなり、部屋に残されたサクヤは悄然した面持ちで達也に詫びた。
「御骨折りいただいた挙句にこの為体……面目次第も御座いませんわ」
不甲斐ない実兄の非礼極まる態度に恥じ入るサクヤは、穴があったら入りたいと思い頭を下げたが、反対に達也から気遣われてしまう。
「何も深刻になる必要はないさ。どんなに腹を立てていても、弟君が危険に晒されていると知った途端あれだ……口では何と言っても、自ら捜索に赴かれるのは優しさの裏返しだよ。心配しなくていい」
そう慰められても、サクヤの心に掛かった分厚い雲は一向に晴れない。
達也は兄の非礼な態度を良い方に解釈してくれたが、彼女には到底容認できる ものではなかった。
第一、国家という枠組みを構築してはいないが、達也は国家元首と同等の立場にある人間だ。
それにも拘わらず、如何に大国の皇族とはいえ、皇太子風情が罵詈雑言を浴びせるなど絶対に許されるものではない。
その行為は共生社会の実現を謳い、懸命に努力しているこの星の人々に唾を吐いたも同然であり、サクヤは怒りを覚えずにはいられなかった。
だが、感傷に浸る暇はないと思い直した彼女は、直ぐに気持ちを切り替えた。
「さあ、我々も捜すのを手伝おう。万が一など有り得はしないが、ケイン殿下よりも先に見つけないとね……取り敢えずクレアに連絡して応援を頼もう」
「さくらちゃんは人気者ですから、大勢の友達と一緒に遊んでいる筈です……中央公園か河川敷のグラウンドではないでしょうか?」
ふたりは頷き合うや、すぐさま行動に移るのだった。
◇◆◇◆◇
「危なぁ──いッ! マークッ!!」
さくらの歓呼に耳を打たれたが、至近距離から投擲されたボールを、マーカスは軽々と片手でキャッチして見せた。
その途端に周囲の味方や見物している子供達から、やんやの喝采が上がる。
訳も分からぬうちに拉致(?)された彼が居るのは、河川敷に造成された球技用グラウンドの一角にある『中当て』、所謂ドッジボール用のコートだった。
一面のコートは中央線で仕切られており、二つの陣地に敵味方が分かれて互いにボールをぶつけ合う球技で、子供達には人気の遊びだ。
身体に当たったボールが地面に落ちたらアウトとなり、敵陣の背後か側面に出て復帰のチャンスを狙う。
制限時間内に相手チームを全滅させるか、タイムアップ時に、より多くの仲間が陣内に残っている方の勝ちという、至ってシンプルな遊戯である。
そしてマーカスは、生まれて初めて経験するこの遊びに大いに興奮していた。
生身のまま転移するという衝撃的体験をさせられたかと思えば、目の前にいたのは怪訝な顔で自分を見ている人間や獣人の少年少女達。
当然ながら全員が初対面であり、然も獣人を見るのも初めてのマーカスは思わず身構えてしまったのだが……。
「みんなぁ! 今日は新しいお友達を連れて来たのぉ! マーカス君っていうんだよ。仲良くしてやってねぇ!!」
満面に笑みを浮かべたさくらが、溌溂とした声でそう紹介するや、彼らの表情が和らいで場は歓迎ムード一色になった。
彼らにとって初対面の人間の素性などは興味の対象外であるらしく、挨拶もそこそこに『一緒に遊ぼう!』と気安く誘われたのである。
自分が置かれている状況が呑み込めずに困惑するマーカスだったが、彼らに悪意がないのは一目瞭然だったので、誘われる儘にゲームに参加したのだ。
取り敢えずは簡単にルールだけを教わってから、さくらと同じチームでゲームを開始したのだが……。
(こんな楽しい遊びがあったなんて! 凄く面白いッ!)
ものの数分も経たぬうちにマーカスは夢中になり、つい先程まで不貞腐れていたのが噓の様に身体も心も躍動させるのだった。
皇王家男子の嗜みとして、護身術の習得も兼ねて武術の基礎は一通り学んでおり、身体能力は同年代の子供よりも高い。
本格的な指導は十歳になってからだが、日々の鍛錬を欠かさないマーカスの技量は幼いながらも練達の域にあり、未経験の球技とはいえ子供相手に後れを取るなど有り得なかった。
自分への攻撃ばかりか、味方の子らがピンチに陥るや、積極的にボールをカットして助けてやる等は序の口で、キャッチしたボールを素早く外野で待機する味方に送って復帰のチャンスを作ってやるものだから、あっという間に信頼を勝ち取って人気者になってしまう。
勿論それだけで終わっていれば、彼にとって気分転換の息抜き程度のものでしかなかっただろう。
しかし、相対するチームには獣人の子供らも多く交じっており、その身体能力は同じ年齢の人間の子供のそれを遥かに凌駕する。
それ故に普段は力をセーブしている彼らだったが、コート狭しと八面六臂の活躍をするマーカスに触発され、初めて全力を発揮してゲームに熱中したのだ。
その途端難易度が上がって面食らうマーカスだったが、武術の型を繰り返したり、地味な体力向上訓練を強制されるのとは違い、大勢で遊ぶのが楽しくて仕方がなかった。
自分の持てる力を存分に発揮できる喜びと、大勢の人と共に汗を流す快感。
生まれて初めて経験する歓喜と爽快感に衝き動かされるマーカスは、自分の立場も鬱屈していた想いの何もかもを忘れて燥ぐのだった。




