表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

144/320

第五十一話 殿下たちの憂鬱 ④

「あれぇ? こんな寒い場所に寝っ転がって何をしているの?」


 何の前触れもなく頭上から声を掛けられたマーカスは、吃驚(びっくり)して飛び起きた。

 傍仕(そばづか)えの女官達には近づかない様に厳命してあるし、他の兄弟姉妹らが部屋から出て来る(はず)もない。

 一体全体何者かと(いぶか)しんで周囲を(うかが)うが、それなりに広い庭園には他者の姿は確認できなかった。


「何をきょろきょろしているの? 私は此処(ここ)だよぉ!」


 すると、()も楽しげな明るい声音が再度投げ掛けられ、マーカスは今度こそ声の主を見つける。

 ほんの数メートルほど離れた植込みの隙間(すきま)から此方(こちら)を見ている黒髪の少女。

 その吸い込まれそうな漆黒(しっこく)の瞳に無邪気(むじゃき)な光を宿す見知らぬ女の子が、如何(いか)にも興味津々(きょうみしんしん)といった風情で此方(こちら)を見ていた。


(おかしい……正門も裏門も衛士が警備している筈なのに、この娘は一体どこから入ってきたんだろう?)


 女官も衛士も遠ざけている今、不測の事態から彼を護ってくれる者はいない。

 声を上げて近習(きんじゅう)を呼ぶか、それとも逃げ出すか……。

 二番目のプランは他の兄弟達から笑われる可能性が高いので却下(きゃっか)し、身構えながら声を上げようとしたのだが……。


「もう! 黙っていたら分からないよぉ。私はさくら。白銀さくらっていうの! あなたは何ていうお名前なの?」


 ワンピースの上に厚手のジャケットを羽織(はお)った少女が駆け寄って来るや、有無も言わせずに自分の手を取って自己紹介するものだから、マーカスは面食らってしまい、助けを呼ぶどころか、唖然として立ち尽くすしかなかった。

 しかし、七歳とはいえ将来を期待される皇族の一員としては、無様に騒いで醜態(しゅうたい)(さら)す訳にはいかないと虚勢(きょせい)を張ろうとしたのだが……。


「んっ? し、白銀? 君は白銀達也提督の娘さんなのか?」

「そうだよっ! でも、私が聞いているのは、あなたの名前なのっ!」


 記憶の片隅(かたすみ)に引っ掛かっていた『白銀』という単語から、少女の正体に(おも)(いた)ったものの、(ほほ)(ふく)らませた少女から文句を返されてしまい、マーカスの困惑は深まるばかりだ。

 贔屓目(ひいきめ)に見ても皇族に対する敬意などは微塵(みじん)も感じられず、その物言いに唖然(あぜん)とする第四皇子は、目の前で憤慨(ふんがい)している少女を見つめるしかなかった。

 他人から(かしず)かれるのが当たりまえだったマーカスにとって、赤の他人、(しか)も同じ年齢ぐらいの女の子から、叱責混じりに名前を問われるなど想定外の珍事であり、それでも釣られて名乗ってしまったのは、彼の温厚な人柄(ゆえ)だろう。


「ぼ、僕はマーカス……マーカス・ランズベルグ。皇王家の第四皇子だ」


 そう自己紹介した瞬間、不機嫌そうに眉根(まゆね)を寄せていた少女が破顔したかと思うと、全力で抱きつかれてしまいマーカスは目を白黒させるしかなかった。


「わあぁ──ッ! 素敵な名前だね! それに君は皇子様なんだ! それじゃあ、サクヤお姉さんの弟さんなの?」

「うっ、うん……ぼ、僕は十人兄姉妹(きょうだい)の八番目」

「うわぁっ! すっごぉぉいッ! 私の家の倍だぁ! いいな! いいなぁ!」


 一体全体なにが良いのか皆目(かいもく)見当がつかず、マーカスの思考は迷走するばかり。

 皇族としての威厳(いげん)を保ち、何時(いつ)如何(いか)なる場合でも取り乱してはならないと(しつ)けられてきたが、不意打ち同然に抱きつかれた挙句(あげく)(うらや)ましがられた場合の対処法などは学んでおらず、次に取るべき行動がとんと分からない。

 しかし、不思議にも、この状況が不快だとは到底(とうてい)思えなかった。

 それは、笑顔で(はしゃ)ぐ少女の快活(かいかつ)さが心地良いものであり、鬱屈(うっくつ)した心に陽が射したかの様で、そんな彼女に釣られて口元を(ほころ)ばせている己に気付いたからだ。

 マーカスはそれが嬉しくて、一頻(ひとしき)り声を上げて笑うのだった。


 幼いふたりはやがて身体を離したが、その顔の笑みは消えはしない。

 身分という(くさり)(しば)られない関係など初めての経験だが、存外に悪くはないと思ったマーカスは、恐る恐るといった風情でさくらへ話しかけた。


「ね、ねぇ、さくら。君はこんな場所で何をしていたんだい?」

「あのねぇ……こっちに来て、マーカス」


 そう問われてニマニマと笑みを漏らすさくらは、少年の手を引いて植込みの奥のスペースへと案内する。


「こ、これは?」


 そこには植樹されたと分かる、ふたりの身長と同じ程度の幼木があった。

 葉は全て落ちていて冬枯れの物寂しさを感じたマーカスだったが、それは違うとさくらが声を(はず)ませる。


「これはね。私と同じ名前の木なの! もっともっと大きくなったら、凄く綺麗な花をいっぱい咲かせるんだよ! 地球から持って来て貰って此処(ここ)に植えたんだけど、もう少し大きくなったら今住んでいる家の庭に引っ越しさせるの! だから、それまで()れない様に見に来ているんだよ!」


 そう説明してくれる間も、さくらはずっと笑顔の(まま)だった。

 それがマーカスには(まぶ)しくて、そして(うらや)ましくて仕方がない。

 だから、つい愚痴(ぐち)めいた言葉が(こぼ)れてしまったのだ。


「さくらは楽しそうで良いね……それに引き換え僕は……」


 さくらが表情を曇らせるのが分かるが、言葉を止められない。


「ケイン兄上は君のお父さんがした事が気に入らなくて、毎日イライラして怒鳴り散らすばかりだ……お蔭で他の兄や姉達も部屋に(こも)って顔も見せやしないし、僕もこんな所で空を見ているしかなくて……つまらないよ」


 初対面の、(しか)もこんな幼い少女に泣き言を聞かせるなんて恥だと思いながらも、胸の中で(くす)ぶっていた(わだかま)りを吐き出したからか、少しだけ気分がスッキリした。

 だから、気を取り直したマーカスは礼を言おうとしたのだが……。


「なぁ~~んだっ! そんなの簡単だよっ! さあっ! さくらに(つか)まって!」


 如何(いか)にも妙案がありますとでも言いたげな少女に(うなが)されたマーカスは、()かされる儘に、その手を握ったのだが……。


「オッケー! みんなのいる公園までジャンプするよぉ──ッ!!」

「へっ?」


 ニコニコ顔のさくらが発した歓声の意味が分からないマーカスは、生まれて初めて経験する浮遊感に驚愕(きょうがく)するしかない。

 そして、彼の間抜けな声を最後にふたりの姿は()き消えて、(あた)りは何事もなかったかのように静寂を取り戻したのである。

 この日ランズベルグ皇国第四皇子マーカス・ランズベルグは、生身で次空間転移をするという稀有(けう)な体験をしたのだった。


            ◇◆◇◆◇


「何度も申し上げましたが、殿下の御要望に()う事は出来かねます」


 一体全体何度同じ台詞(せりふ)を口にしただろうか。

 (つと)めて平静を(よそお)う達也だったが、その端正(たんせい)な顔を憤怒に(ゆが)めるケインを見れば、(いや)が上にも罪悪感を覚えずにはいられなかった。

 銀河連邦との無用な軋轢(あつれき)()け、武力紛争から皇国と国民を守る為に一計を案じたのだが、事前に何も知らされなかった第一皇子は激しく(いきどお)り、身内にまで当たり散らす始末。

 おまけに『国に帰せ!』の一点張りで、呆れ果てたソフィア皇后やアナスタシアも、完全に(さじ)を投げる事態になっている。


 だが如何(いか)に同情できる点が多々あるとはいえ、この儘では今後の計画にも支障がでるし、何よりも弟妹(ていまい)達が気の毒でならない。

 理知的で温厚なケインは日頃から弟や妹を大切にしており、その誰からも(した)われる良き兄だ。

 それが日がな一日殺気立って剣呑(けんのん)な雰囲気を()き散らしているのだから、彼らが部屋に()(こも)ってしまうのも無理からぬ事だった。


『次期皇王としての自覚もなく、醜態(しゅうたい)(さら)して恥じ入りもしない! 頭が冷えれば少しはマシになろう(ゆえ)、それまで放っておけばよいッ!』


 アナスタシアは激怒して突き放したが、流石(さすが)にその言葉を額面通りには受け取れず、達也はケインを説得する為に日参しているのだ。


「レイモンド陛下やルドルフ老公が貴方様に(たく)された想いを無駄になさってはいけません……反攻の時まで今暫(いましばら)く御辛抱ください」


 そう達也は懇願するのだが、真面(まとも)に顔を合わせ様ともしないケインは、只々同じ言葉を繰り返すのみだ。


「父上と御爺様を生贄(いけにえ)にして生き延びるなど、断じてあってはならない! 人質として残るべきは私であり、それが皇太子たる私の責務ではないか!?」

「次代を(にな)うべき貴方様を残すという選択肢はありませんでした……仮に私がそう進言しても、レイモンド陛下は決して受け入れはしなかったでしょう」

「出すぎるなッッ! 皇国の臣でもない貴公に、(くちばし)()(はさ)む権利はないッ! それに、私が説得すれば、父上もきっと御承知くだされたに違いない!」


 双方の主張は平行線を辿(たど)って()み合いもしない。

 それは妥協点(だきょうてん)すら見いだせない不毛な行為に他ならず、達也も言葉を呑み込むしかなかった。

 すると、そんな彼から視線を外したケインは、達也の隣で黙したまま一言も語ろうとしない妹を(にら)みつける。


「サクヤっ! 軽々(けいけい)としたお前の行動も(ゆる)(がた)い! ランズベルグの第一皇女としての自覚があるのかっ!?」


 流石(さすが)に言い過ぎだと思った達也がケインを(いさ)めようとしたのだが……。


「第一皇女の自覚ですか……ふっ、ふふ……ふふっ……」


 兄の言葉をオウム返しに(つぶや)いたサクヤは、その場の雰囲気には似つかわしくない忍び笑いを漏らす。

 普段の妹からは考えられない不遜な態度にケインは面食うしかなかったが、怒りに任せて思わず怒鳴っていた。


「なっ、何が可笑(おか)しいのだっ!? 私を愚弄(ぐろう)する気かッ!?」


 だが、泰然(たいぜん)として小揺るぎもしない姫君は、その口元に笑みすら浮かべており、冷然とした視線で実兄を見つめ返す。


「それは笑いもしましょう……皇女の自覚どころか、他者への思いやりや配慮(はいりょ)にも欠ける私に何を問うのかと思えば……愚弄(ぐろう)する気などありません。それどころか、ランズベルグの長兄長女は(そろ)って愚か者だったと気づいてしまい……それが可笑(おか)しかっただけですわ」


 昨夜(ゆうべ)のセリスとのやり取りを知る達也は、彼女の忸怩(じくじ)たる心中に(おも)(いた)ったが、その場にいなかったケインには理解できる筈もない。


 その何処(どこ)か投げやりな妹の物言いに、彼は一瞬だが(ひる)んで言葉を失ってしまい、まるで初対面の人間を見る様な視線を実の妹に向ける他はなかった。

 ケインが十八年間見てきたサクヤという妹は、優れた才に恵まれながらも(ひか)えめな性格で、決して皮肉で他者を愚弄(ぐろう)する人間ではない。

 それがどうだ……。

 まるで人変わりしたかの様な酷薄(こくはく)な笑みを浮かべ、軽蔑(けいべつ)の意志をその瞳に宿(やど)しているのだから、その真意を計り兼ねて戸惑うのも無理はないだろう。

 だから、唖然(あぜん)として沈黙せざるを得なかったのだが……。

 そんな彼にはお構いなしにサクヤは言葉を続ける。


「この星に(かくま)われているのは、ランズベルグ皇国家の者ばかりではありませんわ。グランローデン帝国前皇帝の遺児(いじ)もおられるのですよ……兄君が主導した謀反(むほん)の中で父皇陛下や御家族を(ことごと)く喪ったばかりか、国を追われ、自らも傷ついて生死の境を彷徨(さまよ)われました……」


 その事実にケインは驚きを禁じ得なかったが、それ以上に長年の仮想敵であった相手の話が妹の口から語られた事に違和感を覚えた。


「そんな残酷な運命に翻弄されたにも(かか)わらず、彼……セリス殿下は、一切の(うら)み言も口にせず、只々祖国の解放と兄君の真意を確かめたいと願って、日々精進(しょうじん)しています……だというのにっ!」


 急に言葉に力が(こも)ったかと思えば、険しい視線に射竦(いすく)められたケインは、思わず身構えてしまう。

 そして、そんな実兄にサクヤは想いの全てをぶつけた。


「同じ皇族でありながら、陛下の深い想いも理解せずに癇癪(かんしゃく)を起すだけの兄様と、セリス殿下の御気持ちも考えずに上から目線で傲慢(ごうまん)に振る舞った私……こんな無様な人間が皇太子? 第一皇女? お(わら)(ぐさ)とは(まさ)にこの事でしょう。この先、皇国の未来が(つい)える様な事態になれば、それは間違いなく、ものの道理すら(わきま)えぬ兄様と私の責任ですっ! それだけは胸に(きざ)んで忘れないでくださいッ!」


 妹から想定外の叱責を受けたケインだったが、それでも怒りは収まらず、更なる反論をしようとしたのだが……。

 ドアを激しく叩く音と共に明らかに狼狽している女官長の声が響き、兄妹は互いに矛を収めるしかなかった。


「た、大変でございます! 御歓談中に無礼とは思いますが、一刻を争いますので御容赦下さいませッ!」


 そう叫んで入室して来た彼女から告げられた報告に、達也らは驚きを(あらわ)にしたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] そりゃあキレるわ( ̄▽ ̄;)
[良い点] ベタだろうが何だろうがボーイ・ミーツ・ガールは良い
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ