第五十一話 殿下たちの憂鬱 ①
達也率いる梁山泊軍が暗躍した一連の騒動によって、銀河系内の情勢が変化していく中、グランローデン帝国と銀河連邦が、それぞれの思惑で動き出したのは既に書いた。
ここでは肝心の梁山泊陣営には如何なる変化があったのか、少々時系列を遡って追いたいと思う。
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「それで……君は一体全体なにをやっているんだい?」
極力感情の発露を抑えたヒルデガルドがそう問うと、瀟洒な応接用ソファーで寛ぐエリザベートは、その可憐な容姿にはそぐわない、妖艶な微笑みを浮かべて宣う。
「見て分からぬのか? クレア殿手ずからの絶品スイーツを堪能しておるのよ……それにしてもヒーちゃんはズルイ……次期女王のクセに放蕩の限りを尽くし、妾にだけ苦労を押し付けておいて、自分はこんな素敵な女性と懇意になって養って貰っておるとは……あぁっ! 人生とは無情なものよなぁ」
悲嘆を滲ませた表情で大袈裟に嘆いて見せる女王陛下の物言いに、無いに等しいヒルデガルドの忍耐力は一瞬で消費尽くされてしまい、人差し指を突き付けて盛大な罵倒を返す。
「人聞きの悪い事を言うなぁ──っ! 母星を侵略された腹いせに、一千隻の艦艇を崩壊する大陸の道連れにした張本人が、今更善人ぶるんじゃないよんッ!」
あと僅かで新年を迎えるバラディースはセレーネの北半球に位置しており、地球同様に四季折々の風情に恵まれている。
然も、精霊達のお蔭で寒波は比較的穏やかなものであり、過ごしやすい環境下で暮らす人々の顔には笑顔が絶えない。
そんな中、ファーレンからの移民の受け入れが始まったのが十一月の半ばであり、以後一ヶ月の間に十億に近いファーレン人がセレーネに避難して来たのだ。
元より『精霊石』の一大鉱床が確認された南半球の大陸は、その四分の一に当たる地域をファーレン王国に割譲すると決まっていた。
しかしながら、十億の国民の移住と、その他にも銀河系の多方面で活躍している同胞の帰参を考えれば、余りにも手狭だとの感は否めない。
そこで達也と自治会幹部が協議した結果、彼らの母星を奪還するまでは、大陸の全土を貸与すると改めて決定したのである。
現在はファーレン領となったその大陸は、彼らによって猛スピードで開発が進められており、来年の春頃には十億の民が、窮屈な移民船の仮住まいから解放される予定になっていた。
そんな状況下で来星したエリザベート女王は、王宮が完成するまで白銀邸に居候を決め込むという暴挙にでたのだ。
王国の高官や貴族らは挙ってエリザベートを諫めたのだが……。
『今回の白銀殿の御厚情に報いる為にも、其方らには馬車馬の如くに働いてもらわねばならぬ……妾は最前線で愛しい臣民を監視……おほん。見守る義務がある故のう……ほっほほほほ』
そう嘯く女王陛下には何を言っても無駄だと知る彼らは、エリザベートを居候(?)として一時的に預かって貰えないか、と達也に頼み込んで了承されたのだ。
そして現在、衛星ニーニャの軍事工廠から久しぶりに帰宅したヒルデガルドから、悪しざまに罵られているという次第だった。
「ひっ、ひどい……自国の女王をまるで鬼畜扱い……妾は常に国民を想い、敢えて汚名を甘受しておるというのにぃ~~」
如何にも『妾は傷ついたぞよ』といった風情で打ち拉がれるエリザベートの詐欺師っぷりに、ヒルデガルドの罵倒は止まらない。
「そんな殊勝な物言いをしても無駄さぁ! 何が『敢えて汚名を甘受して』だいっ!? 世間の目から逃れたこの好機に、思いっきりグータラしようと浮かれているだけじゃないかぁ──ッ!」
流石に女王の性格を熟知しているヒルデガルドに手加減という選択肢は存在せず、彼女は容赦なき追撃を浴びせた。
「と・に・か・くっだよん! 面倒くさがりの国民に強制労働令を発布した時点で君はお払い箱さぁ! あとは割譲して貰った領土の宮殿に引き籠って、次の出番まで好きにしたまえよっ!」
「なっ、なんと無慈悲なる仕打ち! わ、妾は絶望したっ! 家臣共もヒーちゃん同様に酷薄な鬼ばかりっ! 妾が何をしたというのかっ!?」
大袈裟にソファーに突っ伏して悲嘆に暮れるエリザベート。
しかし、高貴なる女王陛下も、ヒルデガルドやクラウスらと同じファーレン人に他ならないのだ。
何処までも自分本位を貫くマイペース女王にとって、このやり取りさえもが娯楽に過ぎず、それ故に状況の変化に敏感に、そして俊敏に反応できたのである。
「エリザベート陛下。お待たせいたしました。新作のチーズケーキを御持ちしましたわ。ヒルデガルド殿下も如何ですか?」
蒼也を抱いたクレアが入室してそう言うや否や、ふたりは今までの険悪な雰囲気が嘘だったかのように満面の笑みを湛え、いそいそとソファーに腰を下ろして姿勢を正す。
その姿はまるで餌付けされた子犬であり、揺れる尻尾が幻視できる程の浮かれっぷりだった。
そんな賓客の様子を見てクレアが含み笑いを漏らすのと同時に、ステンレス製のカートと共に入室して来た獣人女性のメイドらが、優雅な所作でスイーツと紅茶をテーブルへ並べていく。
彼女たちは一年前に開校した職業訓練校に入学し、マリエッタ伯爵夫人が講師を務める『女官養成コース』を優秀な成績で卒業した者達だ。
だが、セレーネではメイド職の需要は無きに等しいので、卒業生は更なる修行を積む為に白銀家で一時的に雇用しているのである。
「見事な手際よのう……この者達の技量ならば、どの国の王宮や上流階級の屋敷でも引く手数多であろう。平穏を取り戻したあかつきには、我がファーレンの王宮にも派遣して貰いたいものじゃ」
彼女らの優雅で無駄のない所作にエリザベートが感嘆すれば、クレアが微笑んで礼を返す。
「お褒めの言葉を賜り恐縮です陛下。高貴なる御方の御厚情で彼女達の活躍の場が増えれば、獣人の地位向上に大きく資するでしょう。そして、それはこのセレーネに集う者達が目指す共生社会を実現する為にも必要不可欠なのです」
そう言い切った彼女の顔に確かな自信を見て取ったエリザベートは、可憐な笑みの下に隠した為政者の顔を覗かせて意味深な物言いをした。
「やはり、其方しか居らぬであろうなぁ……」
その女王の台詞に不穏なものを感じたクレアは、彼女の真意を問い質そうとしたのだが……。
「美味しいよぉ──んっ! このフワフワの食感と濃厚なチーズの風味が堪らないよんッ!」
久しぶりの絶品スイーツに有り付いたヒルデガルドの雄叫びに意表を衝かれて、言葉を呑み込まざるを得なかった。
ここの所ニーニャの軍事工廠に籠りっきりで仕事をさせられていた我儘大王にしてみれば、折角同居の権利を勝ち取ったにも拘わらず、クレアの料理を食べられないというのは拷問に等しい仕打ちに他ならなかったらしい。
同情を禁じ得ないクレアは、一気に五ピースのケーキを平らげて漸く人心地ついた風情のヒルデガルドに訊ねた。
「最近はずっと帰宅なさいませんでしたが、そんなにお忙しいのですか? それとも何か厄介な案件でも?」
「忙しい所の騒ぎじゃないよん! そこの鬼畜女王の宣言に触発されたファーレンからの移住者達が、珍しくやる気をだしたもんだから、現場は大混乱さぁ!」
恨みがましい視線をエリザベートに投げて愚痴るが、当の女王は何処吹く風と 言わんばかりに紅茶を楽しみながら含み笑いを漏らす。
「妾は国民から敬愛されておるからのう~~逆らう愚か者は、魂の根源まで滅してブラックホールの底に……コホンッ……まあ、あれじゃ。十億の国民といっても、母星で生活していたのはその一割にも満たぬ……残りの者共は他星で活躍していた者ばかりだから、この星の発展にも寄与できるであろうよ……」
台詞の前半部分は聞かなかった事にしたクレアだったが、エリザベートの言い分には頷かざるを得ない。
セレーネに来星したファーレンの人々は、男女を問わず精力的だった。
然も、各々が各分野で一芸に秀でた人材ばかりであるが故に、現在進められている様々な開発計画が、その進捗状況を大幅に加速させたのである。
航宙艦の建造は新技術の導入を含めて飛躍的にペースを上げ、農業や水産資源の養殖用コロニーは、既にそれぞれの第一号基が完成しており、一ヶ月間の試験運用を経て正式に稼働する段階に漕ぎ着けているのだ。
それは軌道エレベーターの工事や地上の都市整備も同様であり、特に精霊の存在に歓喜した彼らの情熱には目を見張るものがあった。
自然環境の維持に重点を置いた開発は彼らの矜持を大いに刺激した様で、続々と新しい技術が開発されてもいる。
勿論、ファーレン人と精霊の関係も良好で、精神生命体の彼らだからこそ感じるものがあるのかもしれない、そうクレアは考えていた。
だが、同胞の真の姿を知るヒルデガルドにすれば、全くの『アンビリバボー!』な状況なのだから、その嘆き節は止まる所を知らない。
「自分のことにしか興味を示さないグータラ共が懸命に働く姿なんて、全く想像もしなかったよん! お蔭でボクまで働きづめで過労で倒れそうだぁ!」
「ほっほっほっ。ヒーちゃん。其方も妾の臣民じゃからのう。働くのが嫌なら女王を継承すればよいではないか? 今なら三食昼寝付きでお買い得じゃぞぉ~~」
これまた五ピースめのケーキを平らげたエリザベートが意地の悪い笑みを口元に浮かべてそう言えば、ヒルデガルドは断固拒否の姿勢で言い放つ。
「真っ平御免だよんっ! ボクはボクの為だけに生きるのが信条だからねっ!! 他人の平和なんか知らないねっ!」
それは威張って言うものではないと苦笑いするクレアは、先程のエリザベートの言葉が妙に気になってしまう。
『やはり、其方しか居らぬであろうなぁ……』
達也と結ばれて以来、その絢爛極まる交友関係に幾たび度肝を抜かれた事か。
ランズベルグやファーレンの王族の方々などは、純粋な平民を自負するクレアにとっては雲上人に他ならない。
それなのに、そんな高貴な人々から親しく声を掛けられるなんて……。
最近では流石に慣れてきたとはいえ、気の抜けない日々が続く現状に、クレアはほとほと参っていた。
(達也さんの馬鹿! 無自覚に高貴な方々に関わって厄介事ばかり持ち込んで! 少しは私の苦労も考えて欲しいわ! あ~ん、蒼也ちゃん、ママを助けてぇ)
隣で楽しげ(?)に口論するふたりの騒音に憤りもしない蒼也は、クレアの腕に抱かれ、これまた楽しげに笑っている。
そんな赤子に泣きつかねばならない状況こそが彼女の苦労を物語っているのだが、その程度の心労は他愛のない些事に過ぎなかった……
後になってそう思い知らされるとは、この時のクレアには想像もできなかったのである。
そんな時だった。
「ママただいまぁ──っ! あっ! ヒルデっちだぁ! ひっさしぶりだねぇ!」
ノックも無しにいきなり扉が開かれたかと思えば、快活な声が室内に響いた。
目下、最大の悩みのタネである問題児の登場に、クレアは盛大な溜息を吐くしかなかったのである。




