第五十話 悲劇のその裏で ①
ランズベルグ皇国では皇室の重要な仕来りである祭祀が、一年を通じて欠かさずに執り行われている。
中でもその年の最後に行われる『新嘗の大祭』は、皇室祭祀の中でも最も重要なものとされ、この日は国民も挙って共に祈りを捧げるのを常としていた。
その『新嘗の大祭』が執り行われるテュール星系第六惑星ゼムは、母星である セーラから光速航行で三日の距離にある巨大なガス惑星である。
太陽系の木星同様に大気中の主成分は水素とヘリウムが大部分を占め、惑星中層域から上層域には濃密な雲が犇めいており、生物が存在し得る環境にはない。
しかし、今から丁度五百年前。
この星を探訪した調査団が、偶然にも雲海の中を漂う物体を発見したのだ。
まるで地表から抉り取られたかの様なその物体は、直径二千kmにも及ぶ巨大な岩塊であり、大陸と呼んでも差し支えのないその威容に驚嘆した調査団の面々が、『浮遊大陸』と名付けたのは言い得て妙だったのかもしれない。
ゼムの核が如何なる物かは、その付近が四万気圧と五万度という過酷な環境下にある為に想像するしかないが、この『浮遊大陸』が核たる大地の欠片なのか、はたまた、周辺宙域に飛来してこの星の引力に囚われたのかは、今もその真偽を巡って熱い論争が繰り広げられている。
しかし、ファーストコンタクトを果した調査団が発見したのは、それだけには 止まらなかった。
この大陸の中央地帯に拡がる平野部には廃墟と化した巨大な都市の名残があり、その先進的な文明の残滓を目の当たりにした科学者らは瞠目し、その先史文明と、そこに住んでいたであろう人々の謎を解き明かさんと躍起になったのである。
文明を構成した先史人類が如何なる結末を辿ったのかは、残念ながら結論を得るには至らなかったが、その後の第七次にも及ぶ調査により、この都市が放棄されて既に三千年以上が経過しており、その時に脱出した人々が母星セーラに移住して、新たな文明を築いた可能性が高いと報告されたのだ。
つまり、現在のランズベルグ皇国の礎を築いた者こそが彼らであり、自分達がその子孫かも知れないと知った当時の国民は大いに熱狂したのである。
それ以来皇室はこの地を『皇国発祥』の地と定め、過ぎゆく一年の安寧に感謝し、新たに巡り来る一年に幸多からんと祈るべく祭祀を年の瀬に執り行うと決め、皇王は元より全ての皇族が参加するべく義務付けたのだった。
その大祭が何時しか『新嘗の大祭』と名を変え、五穀豊穣に感謝し、併せて皇国の繁栄を願う行事として広く浸透し定着したのである。
そして今年も『新嘗の大祭』が挙行される時期を迎えたのだが、皇国自体が銀河連邦内でその地位を脅かされている現状を鑑みて、例外的に皇王不在のまま大祭が実施されたのだ。
レイモンド皇王の名代を拝命したのは皇太子であるケインであり、その後見役をソフィア皇后と御意見番であるアナスタシアの両名が務め、病床にあるルドルフ前皇王と銀河連邦軍を勇退したばかりのガリュードを除き、大人から子供まで皇王家全ての者が参加したのである。
◇◆◇◆◇
ランズベルグ皇国近衛艦隊を率いるシャリテ・サジテール少将は、未だ三十代半ばの女性ながら皇王陛下からの信任も厚い優秀な軍人として知られた女性だ。
レイモンド皇王は元より皇族が関わる全ての行事の移動に際し、その警護の指揮を任されている彼女は、これまで完璧にその責務を果たしてきた。
様々な式典参加や友好使節として他国を訪問する皇族を守護し、先方の護衛責任者と丁々発止のやり取りも辞さない苛烈な女傑でもある。
そんな彼女をして、この『新嘗の大祭』だけは勝手が違うようで、いつもの泰然とした様子からは懸け離れた、焦燥にも似た不安をその整った顔に浮かべていた。
この大祭を制定した当時の皇王家は、この惑星を皇国発祥の地として『聖地』に認定し、皇族以外の立ち入りを厳しく戒めたという経緯がある。
それは警護である近衛も例外ではなく、如何に皇族の護衛が目的だとしても御座船アウルーラに随伴するのは許されていない。
それが譬え僅かな間であっても、身命を賭して護ると誓った御方々から離れている現状は、シャリテにとって苦痛以外の何ものでもなかった
「毎度の事とはいえ、この『新嘗の大祭』だけは気が気じゃないわ……周辺宙域に不審な艦船がいないか、警戒は厳になさい」
サジテール司令のその言葉に、温厚だが老獪と評せられる副官が苦笑いしながら返答する。
「御心配なく閣下。ゼムの周辺宙域は我ら近衛艦隊百隻が固め、警備の目を光らせておりますし、監視衛星からも不審な艦船の報告は入っておりません」
副官の言葉は至極尤もであり、そもそも隣接する宙域の一般航路さえ通行を規制しているのだから、万が一の事態など起こる筈もない。
己の神経質さに辟易したシャリテは、小さな溜息を漏らして嘆いた。
「何も起こる筈がないと分かってはいるのですが……やはり御傍に付いていないと不安でね……皇族の御方々の身に何かあればと考えただけで、胸が苦しくなってしまうのよ」
自分の娘と同じ年頃の上官が憂う様を気の毒に思った副官は、せめて、少しでも彼女の心が安らげばと思い、努めて明るい声で上申する。
「祭祀が始まって既に一時間以上が経過しております。予定通りならば、そろそろ御名代のケイン殿下が御奏文を御奏上なされて儀式は終了です。都市部前庭に駐機したアウルーラから外に出て神殿内に立ち入る訳ではないのですから、万が一など起こるべくもありませんよ」
そう言われて幾分か気が楽になったシャリテは、信頼する副官に、苦笑いを以て謝意を伝えてから声を改めた。
「間もなくアウルーラがゼムを離脱すると思われる。彼の船より通信が入り次第、各艦は第一級戦闘配置で指定された宙域に移動集結せよ」
命令が下された途端、何処か安閑としていた艦橋の空気が一変し、鍛え抜かれた将兵の動きが活発になる。
敬愛する司令官にも快活な表情が戻って副官が安堵した瞬間だった。
『こっ、こちらアウルーラ管制っ! メインエンジンに異常発生ッ! 此の儘ではオーバーブーストしますッ!!』
旗艦艦橋内に木霊したのは儀式の終了を知らせるメッセージではなく、御座船のブリッジクルーの絶叫であり、シャリテ以下近衛艦隊の面々は混乱の極みへと突き落とされてしまう。
「何が起こっているのっ!? 機関の安定を最優先にッ! 急ぎなさいッ!!」
厚いガス状の雲に阻まれて、その御姿が見えない御座船に向かって、シャリテは懸命に呼び掛けたのだが……。
『だっ、駄目ぇぇぇ────ッッッ!!!』
その悲嘆に満ちた絶叫が艦橋の通信機能を震わせた瞬間、『浮遊大陸』があると思われる周辺の雲が何度も明滅を繰り返した。
「爆発反応を確認ッ! アウルーラのものと想定されますッ!」
狼狽を露にするオペレーターの悲鳴にシャリテは憤怒の表情で下命する。
「全艦直ちにゼムへ降下ッ! 皇王家の御方々の救助を最優先にッ! 急げッ!」
この命令は近衛として至極当然のものであったが、副長は逡巡しながらも己の職責に従って司令官に諫言した。
「閣下っ! ゼムへの立ち入りは如何なる場合であっても国法により固く禁じられております。宰相府の許可なく法を犯せば閣下が……」
だが、その忠言は血走ったシャリテの双眸の一睨みで遮られ、最後まで言葉にならない。
そして、彼女は自身の忠誠心に依って大喝する。
「そんなものを悠長に待っている場合かッ! 全責任は我が命を以て贖うッ! 今は救助が最優先だッ! 急げッッ!!」
敬愛して已まないこの司令官ならば当然の決断だと副官は感無量の心持ちで受け入れたが、彼女の今後を思えば複雑な思いを懐かずにはいられなかった。
◇◆◇◆◇
『新嘗の大祭』は年の瀬の一大イベントとして、広く皇国の民に認知されており、各報道機関も積極的に中継専用の艦船とクルーを派遣し、この祭祀の模様を生中継していた。
勿論、ゼムへの立ち入りと儀式の報道は許されていなかったが、御座船がガス状の厚い雲に沈みゆく時と祭祀を終えて再び浮上して来る時には 最も高い視聴率が弾きだされるからか、各報道局も手を変え品を変えて趣向を凝らして中継に力を入れていた。
だが、今回はそれが仇となり、皇王家を襲った悲劇を多くの国民が目の当たりにするという結果を招いてしまったのだ。
同時にこの悲報は連邦諸国家のネットワークを介して瞬く間に銀河系の隅々にまで伝播し、驚愕と悲しみを以て連邦加盟諸国家の指導者達に伝わった。
当然の事ながら、彼らはランズベルグ皇国が置かれている厳しい現状を理解しており、彼の国の行く末を憂慮する者もいれば、己が属する勢力の躍進を期待して欣喜雀躍する者もおり、その思惑は様々だった。
それは、アスピディスケ・ベースを支配するモナルキア派の面々も同様であり、特に目の上の瘤だったアナスタシア・ランズベルグの死は、彼らを勇躍させるには充分過ぎるニュースに他ならない。
「つい今しがた情報局から、事故は凄惨を極め、アナスタシア様以下皇族の方々の生存は絶望的との報告が入っております」
いつもの淡々とした声音でキャメロットが上申すると、大会議室の一段高い位置に設えられた豪奢な椅子に座するモナルキア大元帥が、その満面に喜色を浮かべて哄笑した。
「あの忌々しい婆が死んだとは痛快だ! それで、皇国の現状はどうなのだ?」
領袖からの問いに腰巾着と揶揄される取り巻き達が口々に言葉を重ねる。
「既に事故から一ヶ月以上が経過し、ランズベルグは下々の民までが悲しみに打ちひしがれておりますぞ!」
「レイモンド皇王はショックで床に伏したらしく、まともな精神状態ではないとの噂も飛び交っております」
「おう、それは私も耳にした。已むを得ずルドルフ前皇王が国政を取り仕切っているとか……」
「いずれにしても彼の国はこれで死に体も同然……いよいよ我らの悲願が……」
すっかり浮かれている低俗な面々に内心で辟易しながらも、キャメロットは敢えて嘴を差し挿まなかった。
彼にとってランズベルグの興亡などは些事に過ぎなかったからである。
すると、内心の喜色を隠そうともしないモナルキアから下問を受けた。
「この好機を逃さず攻勢に転じるべきだと思うが、其方ならばどうする?」
突然の問いにも拘わらず、キャメロットは特に慌てた風情もなく、怜悧な表情のまま献策する。
「ティベソウス王を動かして最高評議会を招集し、閣下の大統領就任を決議するべきかと……同時にランズベルグ内の同胞に予てからの計画を推し進めるように促すのが最良です。あとは連中が彼の国を崩壊に導いてくれるでしょう」
その場に集った面々は彼の言に興奮を露にし、目前に迫った至福の時を思い騒然となるのだった。
それはモナルキアも同様であり、やれ祝杯がどうのと騒いでいる。
そんな彼らに冷めた視線を投げ掛けながらも、正体不明の焦燥を覚えたキャメロットは、言い表し様のない不安を懐かずにはいられなかった。
(余りにも都合が良すぎるのではないか? 何か見落としている気がしてならないが……それが何であるのかが分からない……)
漠然とした懸念に苛まれたが、彼は僅かに顔を顰めただけで、それ以上の詮索を打ち切らざるを得なかったのである。




