第四十七話 インナーオペレーション ⑦
コンバットスーツの補助機能を十全に使いこなし、一陣の風の如く無人の通路を駆け抜ける志保は、ものの五分もしないうちに目的の北側ブロックに辿り着いた。
だが、部下が指摘した通り、海賊らの逃亡を阻止する為に主要区画ごと爆破した所為で、周囲は惨憺たる様相を呈している。
幸いにも緊急修復システムは健在だったらしく、爆破の衝撃で大穴が開いた外壁や破損した隔壁は粘性の高い接着剤で応急補修されており、人間の生存に問題ないレベルにまで環境は回復していた。
(この先のシューターで二階下のフロアーに降りれば、第三ハンガーだけれど)
撤収時間は刻一刻と迫っており、急いで迷子を確保しスペースポートに戻らねばならないのだが、志保は漠然とした違和感を覚えて足を止めた。
(こんな惨状の中に、普通の子供が躊躇いもなく飛び込めるものかしら?)
焦げ臭い異臭が漂うフロアーは所々が崩れ落ち、床には瓦礫が散乱している。
また、既に鎮火しているとはいえ爆破による火災の影響も大きく、壁面や天井は黒く変色してその猛威の爪痕を残していた。
ひと目見ただけでも危険だと分かるこの場所に、選りにも選って幼い子供が逃げ込むとは思えない。
だから、万が一に備えてコンバットスーツの防御機能を起動させた志保は、意を決して瓦礫を避けながら疾駆した。
そして、奥まった場所に設置されているシューターに飛び込むや、一気に下層へと向かったのである。
※※※
目的の階層に達した志保は、指令センターのコンピューターがトレースしている位置情報に従って第三ハンガーデッキの入り口に到着した。
メインポート程ではないにせよ、小型艦艇や連絡シャトルの離発着には問題ないスペースは確保されていたが、駐機されていたシャトルは軒並み破壊され、無様な骸を曝している。
そして、入り口から五十m程の駐機スポットに蹲るシャトルだった物の残骸。
その傍らに立ち尽くす獣人の少女を見つけた志保は安堵し、迂闊にも何の警戒もせずにハンガーへと足を踏み入れてしまった。
「あぶないッッ! 来ないでぇぇぇッッ!!」
志保の姿を視界に捉えた少女が顔色を変えて絶叫する。
その刹那、膨張する殺意に肌を刺された志保は、咄嗟に左腕を上げて防御姿勢を取ったが、そこに死角から振り払われた電磁ブレードの一撃が叩きつけられたのは同時だった。
「ぐうぅ──ッッ!?」
自立型機動戦車の装甲すら斬り裂くエネルギーの刃とアームガードに内蔵されたビームシールドが激突するや、そこから生じた激しい衝撃によって、志保は派手に吹き飛ばされてしまう。
此処に来る前に起動させたシステムのお蔭で辛うじて防御に成功したが、そうでなければ、今頃は上半身と下半身が泣き別れしていたに違いない。
(優れモノの装備を開発してくれた殿下には感謝するしかないけれど、左腕が痺れて感覚がなくなったわね……)
狂奔するエネルギーの奔流を受け止めた所為でもあろうが、左腕の芳しくない状況が回復するには暫しの時間が必要だろう。
己の未熟さが腹立たしくて、志保は内心で舌打ちしていた。
だがノンビリと反省会をする暇はないらしく、不愉快な胴間声に耳朶を叩かれて顔を上げれば、見覚えのある顔を見つけて思わず皮肉げな笑みが零れてしまう。
「ちいぃぃ──ッッ! いちいち癇に障る女だッ! このフィアブレードの一撃を凌ぐとはッッ!? どんな魔法を使いやがったッ!」
破砕された支柱の陰から現れた男は忌々しげに罵声を発し、威嚇するかのように大剣並みの電磁ソードを振り払う。
銀河連邦軍で正式採用されているアーマードスーツを纏い、憎しみに満ちた獰猛な視線を志保に向けているのは、海賊の頭領ピラート・バンディードだ。
自慢の得物の一撃で屠ったと確信したにも拘わらず、相手が然したるダメージを負っていないのに気付いた彼は苛立ちを隠そうともしない。
「あらっ? 間抜けな海賊達の親分さんじゃないの。プレゼントした爆弾で天国に直行したと思っていたのに……やはり悪党がゴキブリ並みにしぶといって言うのは本当だったみたいね」
志保は憎まれ口を叩きながらも油断なく身構えるが、相変わらず左腕は痺れたままで役に立ちそうにない。
大幅な戦闘力の低下を余儀なくされるが、逃げだすという選択肢は端から存在しないのだ。
守るべき者を守る。
それが白銀達也の下で戦う者が、果たさなければならない唯一の義務に他ならないのだから。
「うるせぇッ! とんだ女狐だったぜ! オマエら何処の手の者だッ!?」
「お馬鹿さんね……これから死に逝くアンタがそれを知っても仕方がないでしょうに。でも良いわ、教えてあげる……梁山泊軍の遠藤志保。それが私の名前よ」
「梁山泊ぅ~~!? 聞いた事もねぇぇ──ッッ!!」
ミエミエの挑発に激昂したピラートは雄叫びを上げ、憎みても余りある敵目掛けて電磁ブレードを振り下ろす。
攻撃を予期していた志保は容易くその刃を躱したが、獰猛なその得物が床を破砕すると同時に跳ね上がったのに驚嘆して舌を弾いた。
「ちい──ッッ!!」
辛うじて回避したものの、強靭な肉体から生み出される常識外れの膂力を以てブレードを振り回すピラートの攻勢を許してしまい、志保は劣勢へと追い込まれていく。
携帯している武器は小型ナイフぐらいしかなく、致命傷を与えられるのは右拳のインパクトカノンしかない。
だがその為には、あの凶刃を掻い潜って敵の懐に潜り込むしかないのだ。
(もう一度あの攻撃を凌げる保証はない……)
軽快なステップと体捌きで攻撃を躱し続けてはいるが、もう一撃喰らったら只では済まないと志保は直感で理解していた。
初撃のダメージが腕の痺れ程度で済んだのは、高性能を誇るコンバットスーツのお蔭だが、その性能を過信し無謀な賭けに打ってでるほど志保は愚かではない。
自分が負けて死ぬという事は、背後の瓦礫の陰で震えている獣人少女の未来までもが失われるのを意味するのだから。
(絶対に負ける訳にはいかないわっ!)
志保は決意を胸に刻み、吠えたてる刃を相手に命懸けのダンスを踊るのだった。
「ちょこまかと鬱陶しいぜぇぇ──ッ! さっさと死にやがれぇぇぇぇッ!」
自慢の斬撃を躱されて猛り狂うピラートの呼吸が乱れ始めたのを察した志保は、ここが勝負所だと見定めるや、振り下ろされたブレードを紙一重で避けて横薙ぎの蹴りを繰り出す。
しかし、ピラートも反撃は想定しており、急制動した刹那に後方へと飛び退り、その蹴撃を躱した。
「へっ! 足癖の悪い女だぜっ……うん?」
回避に成功したピラートは余裕を見せて嘯くが、眼前の志保を見て眉を顰める。
左足を前に出し腰を落とした姿勢。
右腕は腰だめに構えて、左腕はやや前方に突き出している。
「なんの真似だ!? 恐怖で頭がイカレちまったのかよッ!」
まるで斬って下さいと言わんばかりの無防備な姿を見て、ピラートは哄笑した。
しかし、そんな下卑た雑音に志保は嘲弄を以て応える。
「囀るだけの男なんてお呼びじゃないのよ。約束通り天国を見せてあげるから全力で掛かってきなさい……一撃必殺という言葉の意味を教えてあげるわ」
口元に浮かんだその不敵な笑みに自尊心を傷つけられたピラートは……。
「ぬかせぇぇ──ッッ! ぶち殺してやるぅぅぅッッ!!」
烈火の如き咆哮を撒き散らしながら得物を上段に構えて斬りかかった。
しかし、相手を無防備だと判断したピラートは、それが誤りだったと直ぐに思い知らされる。
志保の挑発に誘われた彼は、殺傷力の高い一撃で屠ろうと得物を頭上高く掲げてしまい、必然的にガラ空きになった胴を志保の前に曝けだしてしまったのだ。
その隙を待っていた志保は、全力で床を蹴って獲物目掛けて突進した。
振り下ろされた電磁ブレードが志保の肩口に届く寸瞬前、渾身の右正拳突きが、ピラートの腹部を抉る。
そして同時にインパクトカノンが炸裂ッ!
「ぐぶうぅぅッッ!!」
銀河連邦軍が誇る堅牢なアーマードスーツといえど、次世代装備の性能と武術の達人である志保の拳撃の前には紙切れ同然であり、腹部の装甲は粉微塵にされて、大量の鮮血と共に床にばら撒かれた。
血を吐き散らしながら吹き飛んだピラートは、背中から壁に激突して崩れ落ち、そのまま動かなくなったのである。
「ふうぅ~~。悪く思わないでね……私に出遭ったアンタの不運を呪うがいいわ」
それは侮蔑の言葉ではなく、志保なりの惜別の言葉だった。
しかし、何時までも感傷に浸っている暇はなく、一度だけ深呼吸して息を整えてから、瓦礫の陰に蹲って脅えている獣人少女へ駆け寄る。
しかし、ヴェールトには帰れないと知って逃げ出した少女にしてみれば、志保もピラートと同じく自分の未来を奪う悪漢に他ならない。
だから、恐怖に顔を歪め、イヤイヤと頭を振りながら後退るしかなかったのだ。
(殺される……私も殺されちゃうぅ……)
だが、恐怖に戦く少女がその場にへたり込んだ時、優しげな声が彼女の耳を撫でたのである。
「怖がらないで……私はあなたの敵じゃない。もう恐ろしい思いはさせないと約束するから、私の言う事を聞いてちょうだい」
慈雨が地に染み入るかの様なその声は、少女の心を満たして脅えを癒す。
そして温かい抱擁……。
「もうあなたを虐げる者は誰もいないわ。本当はヴェールトに帰してあげたいけれど、少しだけ我慢してちょうだい……その間は私があなたを守るから。絶対に守って見せるから」
その温もりに満ちた真摯な言葉に心打たれた少女は、漸く猜疑心を捨て、志保にしがみ付いて咽び泣いたのだ。
何とか説得に成功したと胸を撫で下ろした志保だったが、突如として鳴り響いた雷鳴の如き警報に、その感慨も何もかもを吹き飛ばされてしまった。
「なによっ!? いったいっ……」
状況が把握できずに狼狽したのだが、警報に混じってアナウンスされる機械的なメッセージで事態の急変を知り、唖然として立ち尽くしてしまう。
『要塞の自爆コードが起動しました。動力炉内の圧力上昇中、上昇中。制御システムとリミッターの全機能を破棄。これより五分後に動力炉は臨界点に達します……繰り返します……』
愕然とする志保の視界の端で何かが動く。
視線を向けたその先には、断末魔のピラートが怨嗟で濁った瞳で此方を見て呪詛を吐き散らしながら哄笑する姿があった。
その右手には簡易型の情報端末が握られており、それが自爆モードを起動させる装置だと今更ながらに気付いた志保は、己の迂闊さが腹立たしくて仕方がない。
「お、俺はぁ、寂しがりやだからよぉ……お、おまえらも、全員……道連れだ! ぎゃははははぁぁ……」
恍惚とした表情で狂ったように嗤ったピラートは、今度こそ事切れて黄泉路へと旅立った。
志保は舌を弾いて死体に駆け寄るや、その骸が握っていた装置を奪い取ったが、それは単純な起動装置に過ぎず、システムそのものを解除するのは不可能だった。
『あと四分で動力炉は臨界点に達します……至急退避せよ……至急退避せよ……』
無情なる死へのカウントダウンが告げられ、破滅の瞬間が刻一刻と迫る。
しかし、その不本意な運命を回避するべく、志保は行動を開始するのだった。




