第四十七話 インナーオペレーション ①
惑星ヴェールト第三十五獣人居留区~作戦開始二十時間前~
時系列は前後するが、達也率いる艦隊が陽動作戦を発動する丁度二十時間前。
セレーネを先発した強襲部隊を乗せた艦隊は、周辺宙域に張り巡らされた警戒網を突破し、ヴェールトの辺境地にある第三十五獣人居留区に潜入を果たしていた。
そして、各々の作戦要項に従って準備を始めたのである。
そんな中、強襲部隊中核を為す空間機兵団を指揮する志保は、工作員と密談するべく、航空戦隊指揮官のラルフと共に居留区に一軒しかない寂れた酒場へ赴いた。
密談の相手はうらぶれた風情の老獣人なのだが、その風貌に志保もラルフも目を丸くして唸らざるを得ない。
「とてもじゃないけど、あの颯爽とした人間と同一人物だとは思えないわね……」
「全くだ。さすがはグレイフォックスといったところか……アンタを敵に廻したくはないな。でないと迂闊に世間話もできなくなりそうだ」
ふたりの感想に軽く口角を上げたクラウスは、少しだけ頭を下げて見せた。
彼女らの台詞も強ち大袈裟だとは言えず、今の彼はどう贔屓目に見てもくたびれた老獣人そのものであり、とてもではないが、銀河連邦諸国家から恐れられる凄腕の情報員には見えない程の変貌ぶりだった。
唯々唖然とするばかりのふたりだったが、クラウスが苦笑いしながら言葉を発すると、漸く我に返り姿勢を正す。
「ファーレン人に生まれて本当に良かったと思える数少ない利点です。アバターを取り替えるだけですから楽なものですよ」
冗談とも本気ともつかないその言い種に生真面目なラルフは顔を顰めたが、志保は逆に好感を懐いて頬を緩めた。
彼の奥方のエリザ・リューグナーとは、親友のクレアを通じて知り合ったばかりだが、頻繁にランチを共にする中で良い関係を築いている。
現ファーレン女王に連なり、代々国の祭事を司る家柄の出であるにも拘わらず、剽軽な一面を持ち合わせているエリザを志保は大層気に入っているのだ。
「さすがにエリザさんの旦那さんだけあって、一筋縄ではいかない御仁のようね。そう言えば私たち、ちゃんと自己紹介していなかったわよね? 私は遠藤志保……元地球統合軍の軍人だったけど、今は無頼漢集団の一員ってところかしら?」
明け透けで他人の懐に入り込むのが得意な彼女は、その持ち前の気安さ全開で破顔して見せたが、対するクラウスにしてみれば心中は複雑だった。
(えぇ、よく知っていますよ。相変わらずお元気そうで何よりです……)
僅かばかりの感傷に胸を衝かれたが、クラウスはそれを言葉にはせずに、無言のまま胸の中でそう呟く。
志保は気付いてはいないが、久藤悠也として地球統合軍に潜入し、クレアと
擬装婚をしていたクラウスは、当然ながら彼女の素性も熟知している。
しかし、それを告白した所で誰も得をするわけではないし、最悪の場合、現状の友好的な関係を根こそぎ破壊する可能性は極めて高い。
志保が真実を知れば激怒するのは確実であり、自分の命と誠実さを天秤に掛けるほど正直者ではないクラウスは、素知らぬフリをして災難を回避したのである。
「無頼漢とは御挨拶ですねぇ……ですが、私も今やその無頼漢の一人ですから立派な御仲間でしょうか……ふっふふ。クラウス・リューグナーです。妻にも良くして戴いているようで感謝いたしますよ」
珍しく気取った挨拶が口をついて出たのは、彼が志保の気性を知るが故のリップサービスだったのか……。
まだまだ自分も甘いと自省するクラウスだったが、そんな様子はおくびにも出さずに話を切り出した。
「それでは本題に移りましょうか……現在、作戦に必要な全ての手筈は整っています。架空の慰問団ですが、お隣のコクレア星系で活動している、新興勢力との触れ込みで許可証を得ました。勿論、活動実績や本拠地はでっち上げですが、フラストレーションが溜っている海賊連中が、そこまで細心の注意を払うなど考えられませんので、不審に思われはしないでしょう」
今回の作戦に必要な物がタブレットに次々と表示されるのを目で追いながらも、ラルフは怪訝な顔をして質問する。
「そういったことを生業にする店は、この星にも幾つかあるんじゃないのかい? よくもまあ、得体の知れない新参者を受け入れたもんだな?」
当然ながら、その疑念には志保も大いに同意する所だ。
上得意である海賊達を奪われて、この星に巣食う裏世界の住人たちが黙っている訳がない。
たとえ海賊連中を誤魔化せたとしても、海千山千の亡者達を簡単に出し抜けるとは到底思えなかった。
しかし、クラウスにとってはふたりの懸念など想定済みであり、その口元に悠然とした笑みを浮かべ、さも当然のように宣う。
「御心配には及びません。目下この惑星では原因不明の病気が流行っていましてねぇ……娼館や風俗関係の業者が根こそぎ感染しており、彼らは休業せざるを得ない状態なのですよ。いやいや、未知の風土病かもしれませんからねぇ。我々も充分に気を付けなければ」
まるで不幸な出来事だと言わんばかりのクラウスに、察しの良い志保とラルフは渋い顔をするしかない。
((毒を盛ったのはコイツだな……なんて白々しい……))
如何に裏社会の者たちが相手とはいえ、店で働いている獣人達には普通人も大勢いる筈なのだ。
それにも拘わらず、非道な手段を躊躇わない彼の容赦のなさに戦いたふたりは、心のメモ帳に『要注意人物』と書き込むのを躊躇わなかった。
「とっ、とにかく。邪魔者たちを一時的にでも排除できたのは僥倖ね。でもさぁ、そもそも荒事を選択しなくても、私達がこの星に潜入したように、イ号潜で警戒の隙を衝いて一気に脱出した方が簡単だったんじゃないの?」
眉根を寄せてそう嘯く志保に、やれやれといった顔でラルフが説明する。
「恒星風は毎日定期的に起きるとはいえ、規模も影響力もその時々でバラバラだ。一時間以上続く場合もあれば、数分で終わる時もある」
「なるほどね……そうなると、やっぱり荒事は避けられないかぁ……」
両手を頭の後ろで組んで難しい顔をする彼女を、不遜な笑みを浮かべたクラウスが軽々とした物言いで挑発した。
「おやぁ~? まさか怖じ気付いたとでも?」
しかし、志保はその言を一蹴するや、妖艶な朱唇に笑みを滲ませる。
「勘違いしないで……他人の命を粗末にして恥じない連中を始末するのに躊躇いはないわ。でも私の部下たちは今回が初陣だからね。難易度は低い方が良いと思っただけよ」
それは彼女の偽らざる本音だった。
空間機兵団に志願入隊したアルカディーナたちは今回が正真正銘の初陣であり、同胞を救出するという作戦も相俟って、彼らが必要以上に入れ込んでいるのを志保は不安視しているのだ。
本来ならば、今回のような拠点強襲作戦にルーキーを投入するなど有り得ないのだが、現状の梁山泊軍の兵員構成では贅沢は言っていられない。
彼らの高い身体能力と、今日まで積み重ねて来た訓練が結実するか否か……。
些少の不安はあるが、志保はそれに倍する成算を確信して嘯くのだった。
「心配無用よ……男共は全員天国へ送ってあげる。その上でステーションのコントロールを奪取する。作戦は完璧だからね」
その彼女の言葉に男二人は顔を見合わせて首を竦めるしかない。
「まあ、あなたがそう仰るのなら問題はないでしょう。作戦開始時刻は十五時間後です。海賊のアジトの大雑把な構造は調べてありますが、内部の詳細は分かっていません」
「問題はないわ。その為のインナーオペレーションですもの」
志保が不敵な笑みを零すと、クラウスは一度頷いてから表情を改めた。
「もうひとつの作戦目標ですが、ここ数週間でかなりの数の獣人たちが、短期就労名目の公募に応じて身売りしている様なのですよ」
「なんだい、アンタにしては随分と歯切れが悪いじゃないか?」
彼の態度を怪訝に思ったラルフがそう訊ねたが、クラウスにも人身売買が活発化している理由までは分からないのだ。
「時間もありませんでしたしねぇ……集められている獣人は幼い子供から初老の男女までと幅広くて、一体全体なにが目的なのか皆目見当がつかないのですよ。然も募集者が胡散臭い闇ギルドではなく、ルーエ神聖教国政庁府となれば……さすがに現段階ではお手上げです」
「老人や子供が愛玩奴隷や労働奴隷に適している筈もない。その上に男女揃ってとなれば、尚更目的は限られる筈なんだが……」
思案顔で腕を組むラルフも見事な赤髭を震わせながら唸るしかない。
「ならば真っ当な仕事の斡旋じゃないの? 短期就労を謳っているんでしょう?」
志保が呑気にも的外れな意見を口走ったのを聞いたラルフは、勢い任せの志保の性格に不安を覚えずにはいられず、思わず顔を顰めてしまう。
志保の母親の美緒とアイラは非情に仲が良く、ふたりに巻き込まれる形で頻繁に遠藤家を訪問するようになっていた。
勿論、食事が目的なのだが、それと比例するかの様に志保と席を同じくする機会も増えている。
彼女の空間機兵団とラルフの航空戦隊は同じバトルスーツを使用しているため、只でさえ仕事で顔を突き合わせているのに、任務外もとなると朝から晩まで一緒にいるような気がして何となく照れくさいのだ。
初顔合わせの時からずっと『生意気で無礼な女』と認識していた彼女が、苦しい逃避行の中で見せた本当の姿。
そして、被弾して死を覚悟したあの瞬間に見せた誠実で一本気な性格は、好ましいと思うに足るものだった。
だから、流石に頑迷なラルフも志保に対する認識を改め、態度を軟化させざるを得なかったのである。
それ故に最近では、志保の性格や行動パターンを熟知してしまい、それを不安視した彼は実の娘であるアイラ同様に、彼是と説教をしては煙たがられるという日々を過ごしている。
我ながら、いい歳をして何をしているのかと思わないでもないが、戦場で不測の事態に遭遇したら……。
そう考えれば、安易に手を抜くわけにもいかないのだ。
「面倒くさがるんじゃない! 戦場では僅かな油断が命取りになるんだ。おまえも指揮官なんだから、考える事を簡単に放棄するな」
既に志保の意識が目の前に迫った作戦決行に傾注しているのは分かっていたが、それでもラルフは彼女の身を案じて忠告せずにはいられなかった。
しかし、その厚情を理解しているのか否か……。
その端整な顔に凄惨な微笑みを湛えた志保は、両の瞳に瞋恚の炎を潜ませて決意を語るのだった。
「油断なんかしないわ。必ず全員救けてみせる……その為に私達は此処にいるのだから……だからラルフ。バックアップよろしくね」
その冷然とした物言いに気圧された彼は、無言で頷くしかなかったのである。




