第四十四話 神の恩寵に隠されし闇 ③
「ファーレンの方は問題ないと考えて良い。最高評議会が瓦解する前に移民を完了させると、エリザベート女王陛下より確約を戴いたからね。ただ……」
そう報告したものの、謁見した際にエリザベート女王が口にした意味深な台詞を思い出した達也は、気まずそうな顔で言葉を濁すや、縋るような視線を灰色狐へ向ける。
親友の不可解な仕種に戸惑うラインハルトとエレオノーラは小首を傾げるしかなかったが、女王の為人を良く知るクラウスは思い当たる節があるらしく、達也からの視線の意味を正確に理解した。
「陛下にも困ったものですねぇ……五百歳を超えて益々血気盛んとは……どうせ、『妾は意趣返しをせねばならぬ故に放置してくれて構わぬぞ。精霊石と領土割譲の見返りは国民の身体で支払わさせるので、そなたの好きなように扱き使うが良い』とか何とか、好き勝手に言ったのでしょう? あいも変わらずの脳筋気質……早くポックリ逝ってくれませんかねぇ、あの婆さん」
忌ま忌ましげに舌打ちして憤慨するクラウスは、エリザベート女王が謁見の場で嘯いた言葉を一言一句正確に再現して見せた。
その悪態混じりの言葉からは、母国の象徴たる貴人に対する畏敬の念など微塵も窺えず、傍らで聞いていたラインハルトやエレオノーラは驚いて目を白黒させるしかない。
しかし、達也にすればまさに『地獄に仏』の心境であり、クラウスの手を両手で握り締めて熱い視線を注ぐのだった。
軍人は政治に関わるべからず。
それが達也の信条であり、それ故に政治家たる貴人の矜持などはトンと理解できず、重要な交渉の場などでは困惑する事も屡々だった。
今後はそういった貴人達との駆け引きも頻繁に行わなければならないだろうし、何時までも苦手だと言って逃げる訳にもいかない。
その点を考慮すれば、クラウスは貴重な即戦力に他ならず、対王族用の最終兵器として、厄介な交渉事を丸投げしようと目論んだのだが、世の中そうそう都合よく行く筈もなく……。
「鬱陶しい真似はやめて貰えませんかねぇ。私は男に手を握られて喜ぶ趣味は持ち合わせていないのですよ。それから、諜報員はあくまで影戦力ですから、表舞台に顔を出す気はありません……あしからず」
氷点下の雪原に吹き荒れる烈風の如き鋭利な言葉に滅多斬りにされ、対貴人専用人材確保は夢と消えたのだった。
落胆する達也を尻目に、軽く咳払いしたクラウスは話を纏める。
「ファーレンの事情は陛下に任せておけば良いでしょう……私としては知った事ではありませんが、今後あの星に手を出そうとする連中には同情を禁じ得ませんね。ですが、人材登用の件で御墨付きを得たのは僥倖です。陛下の思し召し通り、怠け癖がついたクズ共にはビシビシ働いて貰いましょうかねぇ。クックック」
不気味な含み笑いを漏らしながらも、同胞らをクズ呼ばわりするクラウスに皆がドン引きしたのは言うまでもなかった。
結果として彼をリーダーにした諜報部門の設立が認可され、その主要メンバーはファーレン人のみで構成すると決まったのだ。
これにより梁山泊軍の情報収集能力は飛躍的にその能力を高め、併せて人材確保や敵対勢力に対する裏工作で絶大な力を発揮するようになるのだが、それは今暫く先の話である。
※※※
引き続いて議題はランズベルグの件へと移って行く。
「銀河連邦加盟諸国家からの信任が厚いランズベルグ皇国だが、貴族閥にとっては厄介極まりない存在だ……今後目の敵にされるのは避けられないだろうし、一悶着あるのは確実だ」
達也がそう言えばクラウスも同調する。
「なまじ他の国家に対する影響力が大きいだけに、モナルキア派にとっては絶対に看過できない存在ですよ……然も、長命種のファーレン人と違ってランズベルグは短命種の国家ですからねぇ……貴族の中には己の身の丈に合わない野望を懐く者も多いでしょう」
彼の言い分は他の三人も認識を共にする所であり、達也が『厄介極まりない』と言ったのも、そこに理由があるのだ。
「確かにな……長命種のファーレン人は総じて目先の利害には執着しない。金銭欲や物欲が薄い分、知的好奇心や己の探求心を追及する民族であり、先達が数万年の時の中で営々と築いて来た母国に対し、尊大なまでの愛情と誇りを懐いている」
ラインハルトが一般論を口にすれば、エレオノーラも頷いて追随する。
「王国を名乗ってはいるけれど、その実態は大統領制と変わりはないわね。王族と呼ばれる者達には血の繋がりは殆んどなく、歴代女王候補に選ばれた者達全員が、その名を連ねて共同体を構成しているに過ぎない……でも、だからこそ彼らの結束は強固よ」
ふたりの言を引き取ったクラウスが、片頬を歪めて自嘲ぎみに本音を吐露する。
「あなた方の仰る通りですよ。我々は長命であるが故に短命の他の種族とは異なる価値観を持っています。長く生きるからこそ同じ民族同士の結束は重要でして……まあ其れも此れも、繁殖力が弱いという泣きどころを抱える長命種の宿命なのでしょうがねぇ」
彼の言葉は多くのファーレン人にとって、偽らざる本音だろうと達也は思った。
どれほどの功績を上げて国の発展に貢献したとしても、それを受け継いでいくべき子供達の出生率は下げ止まった儘だ。
また、人口数の減少傾向に歯止めが掛からない事に絶望し、早々に精霊石へ己が精神を同化させ、隠棲する国民が増加している点も問題視されて久しい。
今後、ヒルデガルドらの研究によって状況が好転するか否かは、まさに神のみぞ知る所だが……。
未来に希望を託せる。
そんな当たり前の人生を得られれば、ファーレン人を取り巻く状況は好転するのではないか……。
達也はそう願わずにはいられなかった。
だが、何時までも感傷に浸っている訳にはいかない。
セレーネへの移住が決定したファーレンについては、達也ら梁山泊軍がサポートする必要はない、とヒルデガルドからも念を押されていた。
その理由は簡単で、彼らは既に自発的に移住を開始しており、ロックモンド財閥が仕立てた輸送艦に分乗してアルカディーナ星系を目指しているからだ。
それ故に議題は専ら皇国の内情に集中した。
「ランズベルグはファーレンと違って、皇王家と家臣団が一枚岩とは言い難い状況ですからねぇ……知っていますか? 皇国の外務大臣はとっくの昔にモナルキア派に鼻薬を嗅がされていましてね。仲の良い国務大臣を口説いた手柄で、行く行くは新ランズベルグ皇国の宰相になるそうですよ」
まだ連邦軍情報局に居た時の情報だ、と前置きした上でクラウスがそう宣う。
その不愉快な話にラインハルトとエレオノーラは苦虫を嚙み潰したかの様な顔をしたが、そんな内幕など承知済みの達也は驚きもしなかった。
「アナスタシア様から伺ったよ。だがそれを知ったからと言って、どうにかできる状況ではない。仮に大臣らの首を挿げ替えたとしても、モナルキアら貴族閥に尻尾を振る者は公爵家の中にも存在する……時節を見るに敏というのは優秀な為政者の証だが、栄えある七聖国の御名に泥を塗ると自覚した上での蛮行であるのならば、定見を失った愚者と言う他はないだろう」
達也と付き合いが長いラインハルトやエレオノーラは、親友の淡々とした口調の裏に激しい怒りが渦巻いているのを察し、事態の深刻さを理解せざるを得ない。
「つまり、予てからの予想通り、今後は皇国と銀河連邦評議会の争いが表面化すると言うのね?」
「あぁ……間違いなく近日中にね」
エレオノーラが眉根を寄せて訊ねると、達也は一度だけ頷いて彼女の言葉を肯定した。
モナルキア派が実権を握る貴族閥が銀河連邦の完全掌握を目論んでいるのは周知の事実であり、今更驚くには値しない。
しかし、それを看過すれば取り返しのつかない禍根を残すのは自明の理であり、攻勢に転ずる為には、彼らの思い通りにさせてはならないのも確かだ。
「残念ながら、此方の提案は受け入れて貰えなかったが、ソフィア皇后を筆頭に、妃の方々とお子様達は我々が庇護する案で御了承を賜ったよ……アナスタシア様も同行なさるし、侍従やメイドには信頼のおける者達を選定して下さるそうだ」
秘密会談よって決まった内容を達也が告げるとクラウスが疑問を差し挟む。
「つまり、レイモンド皇王陛下とルドルフ前皇王はランズベルグに残るというのですか? 民を見捨ててはおけぬ……という矜持は立派ですが、下手をすれば人質として利用された挙句、我々の行動の足枷になりかねませんよ?」
その冷淡な物言いにエレオノーラは眉を顰めたが、軍人として常に最悪の事態を想定するのは当然だと思い直して口出しはしなかった。
「その懸念はあるまい。あの男……ローラン・キャメロットならば陛下が大人しく人質に甘んじる御方でないのは理解するだろう。第一にレイモンド陛下もルドルフ大公も国民からの信望が篤いし、それはガリュード閣下も同様だ。あの方々を害せば国民の反発は必至。下手をすれば暴動が起きかねない」
達也の説明に得心がいったクラウスは、小さく頷きながら言葉を引き取る。
「なるほど……彼らは銀河連邦の実権を握る為に、邪魔なランズベルグを排除したいだけですからねぇ……皇王家の象徴を根絶やしにして国民の反発を買うよりも、生かして統治に役立てた方が良いという訳ですか……」
訳知り顔で何度も頷くクラウスだったが、その程度は充分に理解しており、敢えて自分が道化を演じる事で、この場に集っている面々が認識を共有できるよう促したのである。
話の要衝を押さえた彼の発言に、達也は心の中で感謝した。
「その通りだよ。どうせ貴族閥の飼い犬になった有象無象どもが国の実権を巡って争うだろう。その茶番劇の間、国民の不満を押さえる為にも、陛下らを弑するなど考えられない……しかし、その他の皇族の立場は極めて危うく流動的だと言わざるを得ない」
達也がそう言って難しい顔をすると、ラインハルトが後を継ぐ。
「そうだな……新皇王の権威を高める為に、適当な罪過をでっち上げて公開処刑を行う可能性は否定できない。安易に恐怖で国民を縛ろうとするのは愚かな為政者の常だが……」
嫌悪感を隠そうともせずにそう吐き捨てる親友に代わって、エレオノーラが真剣な眼差しを達也に向けて問うた。
「それでぇ? 神将様には如何なる妙案があるのか御聞かせ願えるかしら? 幾ら何でも皇后陛下を筆頭に全ての妃や御世継ぎが姿を晦ませたりすれば唯で済む筈がないわ。大騒動になって銀河中に捜査網が敷かれるのは間違いないし、貴族閥だって馬鹿ばかりじゃない……下手をすれば警戒された挙句、我々の存在を看破される危険だってないとは言えないわよ」
その懸念は尤もであり、それはラインハルトもクラウスも同じだ。
しかし、口角を吊り上げて不敵な笑みを浮かべた達也は、物騒な台詞を口にして彼らを驚かせたのである。
「簡単さ……皇族の皆様方には死んで頂こうと思っているよ」




