第四十三話 生誕の息吹 ③
「「……うっ、なんか、おサルさんみたい……」」
万能保育器に移されて検査を受けている赤ん坊を見て、盛大に顔を顰めたさくらとマーヤの感想がこれである。
ある意味正直なふたりの慨嘆を聞いた大人達は、思わず吹き出しそうになるのを懸命に堪えるしかなかった。
クレアが元気な赤ん坊を出産したと知って歓喜した子供達だが、検査が終わるまで面会はお預けだと言われ、許しが出るのを今か今かと待ち侘びていたのだ。
それ故、春香から許可が下りるや、子供達は先を競って控室のモニター前に殺到したのである。
残念ながら保育器の中の赤ん坊は想像していたのとは若干違っていたようだが、複雑そうな表情を浮かべながらも、新しい妹弟の誕生を喜ぶのだった。
「あぁ……可愛い……あんな小さな手を一生懸命握り締めている……」
一方、やや落胆ぎみの妹達とは違い、モニター越しにとはいえ生まれたばかりの命を目の当たりにしたユリアは、心を奪われたかの様に陶然とした表情で呟く。
その顔は桜色に染まっており、両の瞳から滲む慈愛は隠しようもない。
クレアの妊娠が発覚して以来、母親のお腹のなかの命に寄り添いながら生まれて来る日を楽しみにしていたのだから、その感激は一入だった。
胸を焦がす歓喜を抑えきれないユリアは、矢も楯も堪らずに春香に詰め寄るや、期待に声を弾ませて訊ねたのである。
「春香先生っ! 赤ちゃんは男の子ですか? それとも女の子?」
その想いは弟妹達も同じだったらしく、姉に倣って春香に詰め寄り、キラキラと光る瞳を向けて期待を露にする。
しかし、そこは春香も心得たもので、意味深な微笑みを浮かべてはぐらかす。
ただ、それは子供達を焦らしたかった訳ではなく、答えを伝えるに相応しい人物に役柄を譲ったに過ぎない。
「ふふふ……その答えはママから聞くと良いわ。ほら、見て見なさい」
そう言って視線をモニターに向けた春香に倣ったさくら達は一斉に振り返る。
そして、真新しい産着に包まれた赤ん坊を慣れた手つきで保育器から抱きあげた看護師が、そのまま隣室へ向かう映像を見た子供達は、待ちに待った瞬間が訪れたのだと察して歓喜した。
「いよいよママと御対面ね。さあ、あなた達も殺菌処理を受けてから、赤ちゃんに会って来ると良いわ」
許可を貰った子供たちは足並みを揃えて駆け出すや、出産室に通じる短い通路へ飛び込んでいく。
そして通路に入ったのと同時に前後の隔壁が下り、簡単な殺菌処理が施されたのだが、僅か十秒ほどの時間がひどく緩やかに感じられてしまい、普段は何事があっても泰然としているユリアですら、もどかしくて仕方がなかった。
だが、その歯痒さは扉が開くと同時に雲散霧消し、真っ先に出産室へと足を踏み入れたユリアは、眼前の光景を見て陶然として立ち竦んでしまう。
ベッドの上に上半身を起こして微笑むクレアの腕に抱かれる赤ん坊。
その姿からは一枚の聖母子像の如き神々しさを感じずにはいられなかった。
ユリアは感動してその場に立ち尽くしてしまったが、弟妹達は歓喜に急かされるように母親と赤ん坊の下へと群がっていく。
(出遅れちゃった……でも焦る必要はないわ。だって、こんなに元気で可愛らしい赤ちゃんに出逢えたのだから……)
最初に赤ん坊に触れる権利は弟妹達に譲ろう……そうユリアが思った時だった。
「駄目よ。ママの次にこの子を抱けるのはユリアなの。もう少し待ちなさい」
「えぇ~~~どうしてぇ? うぅぅ~~ママの意地悪ぅぅ~~」
母親に窘められて駄々を捏ねるさくら。
そんな母娘の遣り取りにユリアが困惑していると、優し気に微笑むクレアと視線が重なる。
「さあ、ユリア……この子を抱いてあげて頂戴。あなたと同じ誕生日が良いと言って、予定日を待たずに生まれて来たんですもの……あなたに最初に祝福して貰いたいと思っているに違いないわ」
その言葉に納得したのか、さくらはニコニコ顔で姉に場所を譲った。
目の前に開けた空間に、恐る恐るといった風情で歩を進めたユリアは、クレアが抱く赤ん坊を間近から覘き込んで感嘆の吐息を漏らしてしまう。
「わぁ~~やっぱり可愛い……」
充分には目も明いておらず、幼い口を微かに動かしているだけの小さな命だが、懸命に生きようとする意志に満ちた尊い存在だ。
この儚げな幼子に迂闊に触れて良いのだろうか……。
ユリアは一瞬だけ躊躇ったものの、愛おしさと歓喜、そして命の温もりを求める願望には抗えず、密着する様にクレアへ身体を寄せる。
「はい……優しく包み込むように……そう、上手よユリア」
「うわぁ~~あ、温かくて柔らかい……本当に、壊れてしまいそう……」
懐に抱いた小さな命の重みを感じた瞬間、込み上げて来た喜悦に心を揺さぶられたユリアは、両の瞳を潤ませてその命へ語り掛けた。
「産まれて来てくれてありがとう……私はユリアよ。ずっと仲良くしてね」
もう手放したくない、この儘ずっと抱いていたい……。
そんな願望に溺れそうになったが、さすがに独り占めしたのでは弟妹達に悪いと思い直す。
しかし、周囲を見廻したが何処にも弟妹達の姿はなく、困惑したユリアは小首を傾げたのだが……。
「うふふ。直ぐに戻って来るわ……ほら、来た来た」
柔らかい笑みを浮かべる由紀恵からそう言われた途端、さくらとマーヤ、そしてティグルが戻って来た。
彼らが手にしているものを見たユリアは、可愛らしい双眸を見開いて驚きを露にしてしまう。
それは、色とりどりの花を編んで作った首飾りであり、息せき切って駆けて来たさくら達三人が、満面の笑みと共に手にした花の首飾りを差し出して唱和する。
「「「ユリアお姉ちゃん! お誕生日おめでとうッ!」」」
「あ、あなた達……これを作っていたから遅れたの?」
弟妹達が病院に駆けつけるのが遅れた理由に気付いたユリアは、掠れた声でそう訊ねた。
「うんっ! だってお姉ちゃんに贈る初めてのプレゼントだもん! 由紀恵先生に相談したら、『お花の首飾りが良いわよ』って教えてくれたから、先生に教しえてもらいながら、頑張って三人で協力して作ったんだよ!」
その言葉が嬉しくて堪らず、感激で胸が一杯になるユリア。
両の瞳から溢れる涙の所為か、得意げに力説するさくらや、その後ろで笑っているティグルとマーヤの顔が歪んでしまう。
そんな姉を彩るかの如く、弟妹達の手によって花の首飾りが掛けられていく。
「あ、ありがとう……私、忘れないわ。今日の事、絶対に忘れないから……」
それはユリアの偽らざる想いであり、嬉し涙で濡れた顔に弾けんばかりの笑みを浮かべて感謝する。
勿論、大好きな姉が喜んでくれたと知ったさくら達三人も、心の底から嬉しそうに笑うのだった。
そこからは、赤ん坊を抱いたユリアを囲んで燥ぐ子供達の独壇場になったが、さすがにさくらやマーヤは非力なため、自力で赤ん坊を抱くのは無理だ。
だから、専らユリアに身体を摺り寄せては、自己ピーアールに余念がなかった。
すると、ティグルが思い出したようにクレアに訊ねる。
「ところで、ママさん。この赤ちゃんは男と女、どっちなんだい?」
その問いを耳にした子供達は、失念していた大切な問題を思い出し、期待に瞳を輝かせた。
その迫力に少々気圧されたクレアだったが、直ぐに口元を綻ばせ、愛しい子供達にその答えを告げたのだ。
「男の子よ。瞳は私と同じ碧眼だけれど、黒髪で顔立ちはお父さん似だから、名前は『蒼也』ね……出発前に達也さんが考えてくれたの」
「やったあ──ッッ!! 弟が出来たぁぁ──ッッ!!!」
間髪入れずに炸裂したティグルの大音声に驚いたのか、ユリアの腕の中の蒼也が火が付いた様に泣き出してしまう。
「「「ティグルの馬鹿ぁぁぁぁ──ッッ!!!」」」
怒りの形相を浮かべた姉妹たちの叱責が、更に小さな弟を泣かせてしまったのは言うまでもない。
蒼也をあやそうとオロオロする子供達を、クレアをはじめ周囲の大人達は優しい視線で見守るのだった。
◇◆◇◆◇
ランズベルグ皇国での密談を終えた達也は、寸暇を惜しんでファーレン王国へと向かい、エリザベート女王との謁見に臨んだ。
女王からは精霊石と領地の割譲を感謝され、同時に移民の件も快諾を得た。
これを以て任務を無事完了した達也は、安堵して胸を撫で下ろしたのである。
(セレーネを出航して丁度一ヶ月か……クレアは無事に出産を終えただろうか?)
艦長席に身体を預けている達也は、愛妻の安否を気遣いながらも、そんな風情は微塵も見せずに平静を装う。
次元潜航艦 紅龍はセレーネ星への帰路に就いたばかりであり、帰還までにはまだ十日ほどの航程が残されている。
然も、現在航行している宙域は民間籍の定期便も多く、それらの目に触れない為にも紅龍は異次元航行を余儀なくされていた。
そんな状況だったので、焦っても仕方がないと自分に言い聞かせた時だった。
「艦長。通常空間を航行中の、我が擬装輸送部隊を発見しました」
オペレーターの報告を受けた詩織は、少しだけ思案した後に命令を下す。
「専用回線を開いて『我、紅龍』を三回打電しなさい」
それは達也に対する彼女なりの気遣いだったのだが、その厚意が結果として紅龍乗組員に朗報を齎したのだ。
詩織の指示に従って短い平文を三連続で送信したオペレータが、弾かれたように席を立つや、満面に笑みを浮かべて歓声を上げた。
「返信ですっ! 『五月末日。男児誕生。名は蒼也』、同じ平文が三度ッッ!! おめでとうございます提督ッ!!」
その祝電が伝わるや否や、艦の彼方此方で華やかな歓声が飛び交う。
「おめでとうございますッ! 白銀提督ッ!! うわぁ~~! 急いでセレーネに戻らないといけませんね!」
乗員と一緒になって燥ぐ不埒な艦長殿に苦言のひとつも言うべきかとも思ったが、周囲がお祭り騒ぎになっている今、達也は敢えて野暮な真似はしなかった。
自分の子供の誕生は素直に嬉しかったし、仲間達が我が事のように喜んでくれているのに、水を差す気にはなれなかったのだ。
だから『今回だけは目を瞑るか』と思ったのだが……。
「いやぁ、良かったですね、提督っ! 男の子で本当に良かったわ。だってぇ、下手に女の子が生まれて、然も、パパ似だったりしたら爆笑ものの悲劇ですからね! 本っ当に良かったぁ、クレアさんの大ファインプレーですよッ!!」
歓喜の余りデッドラインを踏み越えた事にも気付かない詩織に、ブリッジクルー達の何処か憐れむ様な視線が突き刺さる。
「あ、あれ? どうしちゃったの? 急に黙りこくって……」
唐突に訪れた静寂に戸惑って視線を彷徨わせる詩織へ、清々しいまでに容赦なき死刑宣告が下された。
「如月詩織少佐。減給一○○%、懲戒期間は最長の六か月な!」
「きゃああぁぁぁぁぁ──ッッ!! 悪魔ぁぁぁッ!!」
結局詩織は減俸処分を免除して貰う代わりに、罰としてセレーネ星へ帰り着くまで一人で艦内のトイレ掃除をする羽目に陥ったのである。
『口は禍の門』……。
正しく自業自得と言う他はない艦長を励ますかのように、乗員達の優しい視線が詩織に向けられるのだった。
尤も、殊勝にも手伝おうという律義者は一人も居なかったのだが……。
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