第四十三話 生誕の息吹 ②
新都市バラディースの中心地域は商業エリアとして開発が進んでおり、それらに隣接する形で建設された総合病院は、地上二十階地下五階から成る巨大な建造物として周囲の景観美に一役かっている。
とは言え、まだまだ人口総数が少ないセレーネでは患者の数も少なく、他の星系国家の中央病院から比べれば、こじんまりしているという感は否めない。
人口増加に伴う都市開発の一部として医療施設の増設も決まってはいるが、屈強で壮健な肉体を誇る獣人達の病院利用率は極めて低く、未知のウィルスなどの脅威も皆無となれば、唯一の病院が開店休業状態になるのは仕方がない事だった。
そんな中、軍の医療関係者とは別に、如月春香を中心とした医師や看護師達が、アルカディーナから就業希望者を募って技術指導に乗り出したのは、先々を見越しての人材育成に他ならない。
当面は看護師の育成に心血を注ぐことになるが、やがては高等学科に医療従事者育成の為の学校を開設し、自前の医者を育てる計画も鋭意進行中である。
そして、そんな活況を呈している医療界へと齎されたのが、クレアの懐妊という朗報だった。
日々懸命に技量と知識の習得に励んでいる見習い看護師らにとって、今回の出産は、まさに一日千秋の思いで待ち侘びていた一大イベントだ。
竜母セレーネの血を引くクレアは、尊敬と畏怖の対象であるにも拘わらず、その気さくで慈愛に満ちた人柄で多くの獣人達から慕われており、それは医療従事者も例外ではない。
それ故に、赤ん坊が生まれる瞬間に立ち会いたいと熱望する見習い看護師は後を絶たず、主治医である春香のサポート役に誰が抜擢されるかで、喧々囂々の騒ぎになったのだ。
結局専従のサポート要員に選抜されなかった見習い達も、院内映像による見守りを許されて漸く騒ぎは沈静化へと向かったのだが、出産を控えた医療現場ですらこの有り様なのだ。
夕刻前にクレアが病院に搬送されたとの情報が都市を駆けめぐるや否や、『いよいよ出産か!?』と、期待と歓喜に色めきたった住人らが、そのまま都市を挙げてのお祭り騒ぎへと雪崩をうったのも仕方がないだろう。
また、病院の周辺に集まったアルカディーナ達が微動だにもせずに祈り続けている光景は、生まれて来る達也とクレアの子供への期待の大きさの表れでもあった。
◇◆◇◆◇
「うわぁ~~これは随分と大袈裟な状況になったわねぇ。病院の敷地内どころか、周辺の道路にまで人が溢れているわよ」
分厚い複合材で出来た扉で出産ルームと隔てられている控室は、比較的安閑とした空気が流れている。
窓から外の様子を窺っていた志保が、その人垣の多さを目の当たりにして呻くと、隣に立つエレオノーラも呆れ顔で頷くしかなかった。
「この有り様だとクレアはもう神様……ううん、女神様同然よね」
その言葉を受けてコロコロと笑うエリザが、如何にも名案ですと言わんばかりに提案して周囲を苦笑いさせた。
「いっそのことクレアさんには、新設される教会の偶像になって貰いましょうか? 竜母セレーネ様とセットで……信者の大量獲得は確実ですわ」
尤も、クレアが聞いていれば、全力で否定したに違いないが……。
今、この部屋に待機しているのは、白銀家の子供たちをはじめ、由紀恵や秋江、サクヤとセリス、そして志保とエレオノーラにエリザという面々だ。
ヒルデガルドや蓮、そしてアイラらは、ニーニャの軍事施設の方に行っており、出産には立ち会えそうにもないとの連絡が入っていた。
直近の検査でも危険な兆候は発見されておらず、比較的順調な出産が期待できるとの春香先生からの御墨付きもあり、大人達はすっかりリラックスムードに浸っている。
しかし、如何に出産の為とはいえ母親が入院したとなれば、不安を持て余す子供達が、身を寄せ合って押し黙っているのも当然だろう。
母親の無事を願う想いと、新しく生まれて来るであろう弟妹への期待が綯交ぜになった複雑な気持ちを持て余しているのだから。
(お父さんがいないんですものっ、私がしっかりしなきゃ!)
長女たる責任感に衝き動かされるユリアは心の中で自分を鼓舞し、両隣に座っているさくらとマーヤの背中にそっと手を添えてやる。
すると、眼前の扉を潤んだ瞳で睨んでいた妹達が、救けを求めるかの様にしがみ付いて来た。
「大丈夫よ……きっと大丈夫……」
搬送されるクレアに付き添ったのはユリアだけで、さくら、ティグル、マーヤの三人は、由希恵に連れられて一時間ほど遅れて病院に駆け付けて来た。
その時は、この非常時に何処で油を売っていたのかと憤ったものだが、不安に苛まれて小さな身体を震わせている妹達に縋りつかれれば、そんな些末な腹立ちなど雲散霧消してしまう。
とは言え、何と言葉を掛けてやれば、今にも泣きだしそうな妹達を元気づけてやれるのか……。
焦燥感に苛まれるユリアは気持ちばかりが空回りしてしまい、気の利いた慰めの言葉ひとつ掛けてやれない自分が不甲斐なくて臍を嚙んだ。
そんなユリアを見かねた由紀恵は、三人の前にしゃがみ込み、柔らかい微笑みを子供達に向けて語り掛けた。
僅か数か月の間だったが、同じ屋根の下で寝食を共にした彼女への信頼は絶大なものがある。
だから、由紀恵の顔を見たユリアたちは、強張った心が解れていくような気がして表情を和らげたのだ。
「どうしたのかな? ママの事が心配?」
温もりに満ちた微笑みと共に問い掛けられ、さくらとマーヤは素よりユリアまでもが素直に頷いてしまう。
慈愛に満ちた笑顔で頷き返した由紀恵は、快活な声で子供達を励ました。
「大丈夫よ。春香先生は素晴らしいお医者様だし、何よりも貴方達のママは優しくて強い女性だから絶対に大丈夫。もうすぐ赤ちゃんと一緒にママにも会えるわよ」
その言葉に励まされた子供らの顔に微かな笑みが戻ったのを見た志保は、悪戯っぽい笑みを浮かべて会話に割り込んだ。
「こらぁ! お姉ちゃん達が不安な顔をしてたら、赤ちゃんが悲しんじゃうぞ! はいはい、笑って笑って!!」
笑顔で発破を掛ける志保は、子供達の頭を少々乱暴に撫で廻す。
「やあ~~ん! 志保お姉さんは乱暴だよぉぉ! 髪の毛がみだれちゃうぅぅ!」
さくらは文句を言いながらも擽ったそうに目を細め、マーヤは嬉しそうに身体を捩っている。
ユリアは『やっぱり敵わないなぁ~~』、と内心で苦笑いしながらも、由紀恵と志保に感謝するのだった。
すると、笑顔が戻った子供たちの様子に安堵したのか、表情を綻ばせたサクヤが無邪気な質問をして周囲の耳目を集める。
「クレアお姉さまは『生まれた時の感動が目減りするから』と言って、赤ちゃんの性別告知を拒絶したけれど、あなた達は弟と妹のどちらが欲しいのかな?」
「断然男の子だねっ! 弟で決まりさッ!!」
間髪入れずにそう答えたのはティグルだ。
然も、絶対に譲れないと言わんばかりに鼻息も荒く断言する。
すると、さくらとマーヤが納得がいかないと言わんばかりに反発し、揃って頬を膨らませて猛然と抗議する。
「女の子の方がいいもんっ! だって男の子だったら、ティグルのオモチャにされちゃうよ! そんなのかわいそうだもんッ!!」
「うぅ~~~さくらお姉ちゃんにさんせぇ──っ!」
「げっ! まだ妹が欲しいのかよ? 俺は弟が欲しぃ──ッ!!」
現金にも何時もの調子を取り戻して、言い争いを始めた弟妹達に呆れるユリアだったが、不安という名の闇に囚われているよりは良いと思い直した。
だから、元気づけてくれた由紀恵らに礼を言おうとしたのだが……。
「さくらちゃんとマーヤちゃんの気持ちも分かるけどさぁ……妹はやめといた方が良いんじゃない? だってさ、女の子は父親に似るって言うし。君達のお父さんに似た女の子なんて絶対に悲劇でしかないからね!?」
然も可笑しいと言わんばかりに声を弾ませた志保が揶揄すれば、エレオノーラも悪乗りして追随する。
「酷いわぁ──ッ! それは言い過ぎよ志保! 幾ら旦那がブサイクだといっても相手はクレアなのよ? 野獣と美女のコンビならば、奇跡的に普通の顔になるかもしれないじゃないのっ!?」
「どっちが酷いのよ!? だいたいねぇ。そんなにホイホイ奇跡が起きる訳がないでしょう? クレア遺伝子が旦那の強面遺伝子を駆逐しない限りは、生まれて来る赤ちゃんに金輪際モテ期は訪れないのよ!」
「なに不幸認定してるかなぁ……でも、達也に似た子供……男の子でも女の子でも……ぷっぷぷぷぅぅぅぅ!」
「笑ったわねっ!? 面白顔の赤ちゃんを想像して笑ったのねっ! エレンっ! あんた鬼よ! 外道よっ! でも……た、確かにっ、ぷっ、ぷふうぅ──ッ!!」
終いには肩を叩き合いながら笑い転げる志保とエレオノーラだったが……。
「悲劇じゃないもん……ブサイクでもないもん……」
「お父さんはカッコイイよぉ……だから赤ちゃんも、かわいいに決まってるよ」
「そこまで悪く言う事ないじゃん……」
さくら、マーヤ、ティグルの冷たい声に良心を貫かれたふたりが周囲を見やれば、由紀恵を筆頭に大人達はとばっちりを恐れて全員が知らん顔を決め込む。
さすがに調子に乗り過ぎたと慌てた志保とエレオノーラは子供達の御機嫌を取ろうとしたのだが、清々しいまでに冷然とした笑みを顔に貼りつけたユリアの一言に顔面を蒼白にして狼狽するしかなかった。
「今の御ふたりの言葉は、後ほど、お母さんとお父さんに報告しますから……その御つもりでいて下さい」
近日中に降り懸かるであろう地獄絵図に恐怖した志保とエレオノーラは、笑顔を振りまいて不都合な事実を誤魔化そうとしたのだが、へそを曲げた子供達はソッポを向いて取り合ってはくれなかったのである。
すると……。
『何を騒いでいるのかしら? 病院でのマナーも護れない人は叩き出しますよ?』
騒動の渦中に投げ掛けられた辛辣な言葉に慌てて居住まいを正した一同は、備え付けのスクリーンに映し出された呆れ顔の春香へ視線を釘付けにするのだった。




