第四十二話 衰亡しゆくもの ①
「進路二〇〇六。巡航速度を維持しつつ監視は厳にせよ」
すっかり艦長らしさが板について来た詩織の様子に目を細める達也は、乗組員らの練度が思っていたよりも高い事に少々驚いていた。
劣悪な環境下にある亜人救済の手段として移民の是非を模索する為に、東部方面域ベギルーデ星系のヴェールトへラインハルト一行が旅立ってから早くも半年以上が経過している。
梁山泊軍の実質的な総参謀長である彼の不在により、最も懸念されたのが新兵に課せられる訓練計画への支障だった。
だが、エレオノーラや他の艦長経験者達、そして詩織ら若手士官らの尽力が実を結び、訓練は順調に消化されて合格点を与えられる結果も出ているようだ。
皆が力を合わせて職分を全うする姿を目の当たりにした達也は、表情に出さないようにと気遣いながらも、彼らの健闘に心から感謝するのだった。
また、大まかな調査を終えたラインハルトからは『近日中に帰還する』との連絡が入っており、親友との再会と移民計画の進展を期待する達也は、高揚する気持ちを抑えられないでいた。
しかし、自軍を取り巻く環境が好転した所為もあり、知らず知らずのうちに頬が緩んでいたらしく、訝しげな顔をした詩織から揶揄われたが、即座に反撃して見せたのは流石と言うべきか……。
「提督……その御面相でニヤつくのはどうかと思いますが……乗員の士気に悪影響を及ぼす懸念がありますので自重してください」
「よし分かった! 如月少佐は減俸五十%、期間は三か月間とする」
「きゃあぁぁッ!! お、横暴ッ! それっ! 不当な職権乱用ですよッ!」
爽やかな微笑みと共に死刑宣告をくれてやると、『上官には敬意を払うべし』という常識を知らない粗忽者が騒ぎ立てる。
しかし、我関せずという態度を貫く達也は、素知らぬ顔で思考に没頭した。
(クラウスの協力が得られたのは大きいな。情報網の構築と人員の確保は任せても大丈夫だろうし、エリザさんが神事を取り仕切ってくれるのもありがたい。それに彼らが加入すれば、ファーレンからの移住にも追い風が吹くはずだ)
不測の事態に備えて立案された移民計画だが、如何に長命種のファーレン人でも、先行きが不透明な博打に人生を賭ける物好きは、そうそういるものではない。
しかし、国民からの信望が高いエリザが真っ先に移住したと知れ渡れば、多くのファーレン人の不安を和らげる効果は元より、移民計画の進展を大きく加速させるのも可能だと達也は考えている。
だが、必ずしも良い事ばかりでもなかった。
その最たるものがさくらの父親問題であり、死んだ実父が実は生きている等とは、断じて愛娘に知られてはならない。
毎日写真の中の『悠也パパ』に感謝の祈りを捧げている幼子に真実を告げるのは余りにも惨いし、真実を知ったからといって何かが変わる訳でもない。
だからこそ、達也とクレア、そしてリューグナー夫妻同意の下、この件については今後一切口にしないという密約が交わされたのだ。
それらの些事を片付けた五月中旬。
達也はイ号潜“紅龍”にて一路ランズベルグ皇国へ向けて旅立ったのである。
◇◆◇◆◇
ロックモンド財閥経由で事前に連絡を入れていた為、紅龍は容易く哨戒ラインを突破し、ランズベルグ皇国の母星である惑星セーラへの降下に成功した。
国軍の防衛衛星の点検情報を入手した達也は、一時的に哨戒網に穿たれた僅かな穴を見逃さず、徘徊する警備艦隊を上手く躱して侵入を果したのである。
会談場所に指定されたのは、皇都の南東一五〇㎞沖の洋上に浮かぶ皇王家所有の離島であり、紅龍は本来の艦種に相応しい海中航行にて目的地を目指した。
その航路の途上で洋上警備艦艇の目を眩ませること実に五回。
改めてその優秀な隠密性を実証したイ号潜に満足した達也は、惜しみない称賛と敬意をヒルデガルドに贈るのだった。
勿論、心の中で秘かにではあるが……。
※※※
「よくぞ生きていてくれたなぁ……本当に良かった」
感極まったガリュードは、再会早々に達也を抱き締めて歓喜を露にする。
「閣下……御心配をお掛けして申し訳ありません。しかし、私が不甲斐ないばかりに、イェーガー閣下をはじめ、多くの仲間を死なせてしまいました……何と言って御詫びすれば良いのか……」
悄然とそう呟く愛弟子の背中を軽く叩きながら、ガリュードは哀惜の情が滲んだ言葉を返す。
「部下の死を悼む心情は良く分かる……だが、彼らの死に囚われてはいけないよ。イェーガーとて自らの意志で軍人としての矜持を全うしたのだ。悲しむ必要はない。ただ感謝して彼の分まで精一杯生きれば良い……それだけで充分満足してくれる筈だよ。あいつはそういう男だ」
長年に亘り右腕として戦場をともに駆けたイェーガーの死を、誰よりも悲嘆しているのはガリュード自身に他ならない。
だが、そんな痛哭を胸の中に仕舞い込み、励ましの言葉を掛けてくれたのだ。
達也は敬愛する老将の心遣いに只々感謝するしかなかった。
とはいえ、何時までも感傷に浸っている訳にもいかない。
今宵、この離島の別荘に集った面々は、表向きには皇都の皇宮にいるはずの人間ばかりであり、レイモンド皇王とソフィア皇后、そしてガリュードとアナスタシアの四名は御忍びでの参集を余儀なくされていた。
それ故、皇宮付きの女官たちが起床して仕事に取り掛かる前には宮殿へ戻らなければならず、時間的余裕はないと言っても過言ではないのである。
そんな状況を理解している達也とガリュードは抱擁を解き、部屋の中央に設えられた円卓の席に腰を下ろした。
「本来ならば皆様に御報告せねばならない事が多いのですが、時間に限りも御座いますので、私どもの状況から簡単に御説明させて戴きます」
そう前置きした上で、達也は自分達の近況を掻い摘んで説明した。
アナスタシアの下を訪れたサクヤが語った以降の経緯と、私設軍隊『梁山泊軍』の行動方針を包み隠さず開陳する。
その上で、今後懸念され得る事態に対処する為の方策を提案した。
「本格的な反攻を開始するには今暫くの時が必要ですが、その間に貴族閥が連邦の実権を手中に収めるのは確実であります。そこで、無用な争いを避ける為にも皇王家の皆様方には、一旦我がセレーネ星に退避されては如何かと思うのですが?」
一時的に亡命という形を取ることになるが、強大な銀河連邦軍の矢面に立つ愚を避け、皇王家を存続させるにはこれしかない……。
達也はそう思っていた。
だが、レイモンド皇王は素より、ソフィアやアナスタシアまでもが厳しい表情を崩さないのを見た達也は、嫌でも彼らの心中を慮らざるを得ず、忸怩たる想いを懐いてしまう。
(民を護らなければならない……ノブレス・オブリージュの精神は尊重されるべきだが、未曽有の災禍にあっては、その尊い矜持が命取りになりかねない……)
だから、何よりもまず命を長らえるべきだと考え、達也は尚も説得しようとしたのだが、その言はガリュードによって遮られた。
「おまえの心遣いは嬉しいが、それは無理だ……皇族が果たすべき責任を放棄して民草に苦難を強いたのでは、それこそ奴らの思う壺だろう。たとえランズベルグが滅び去っても、国民を見捨てて逃げる訳にはいかない」
甥に当たるレイモンド皇王に成り代わってガリュードが断言したのは、皇王のみならず直系の皇族全てが同じ価値観を共有しているからに他ならない。
その至誠を否定する気はないが、簡単に引き下がれない事情が達也にもあった。
「閣下の仰られる事は真に正論であります。しかし、その想いが如何に尊くとも、死してしまえば何も残りはしないのです……たとえ一刻の屈辱に甘んじても、命を長らえてこそ、開ける未来があるのではないでしょうか?」
珍しくも語気を強めて意見して来る達也にガリュードは困惑してしまう。
まだ自分が現役の司令官だったころ、頼りになる若手の部下として共に戦場にいた達也は、良く言えば積極果敢、悪く言えば短兵急という、少々危なっかしい一面を持ち合わせていた。
それが、僅か数年のうちに目を見張る程の思慮深さを身につけたのだから、彼が驚くのも無理はないと言えるだろう。
嘗てその将来性を認めた男が更に成長し、軍人として高みに手を伸ばさんとしている姿を目の当りにしたガリュードは、夭折したイェーガーに、万感の想いを込めて感謝するのだった。
(喜ぶがいいぞ、フレディ。おまえが命と引き換えにして残した男は、必ずや遍く銀河に希望の光を灯す者になるだろう……だから、心からの感謝を奉げよう。そう遠くないうちに儂もそちらへ逝く……約束通り浴びるほど酒を酌み交わそうではないか。楽しみにして待っておれ)
感傷的になるなど自分らしくもない……そうガリュードが苦笑いした時だ。
それまで唇を引き結んで一言も発しなかったレイモンド皇王が、徐に口を開くや、驚愕に値する言葉を語ったのである。




