第二話 大っ嫌いっ! ③
夕食を終えた後、ユリアは疲労を言い訳にして早々にベッドに入った。
ジュリアンと同じ場所にいるのが気詰まりだったのも確かだが、それ以上に憂いを滲ませた暗い顔を達也には見せたくなかったのだ。
傲慢な物言いをしたジュリアンに、辛辣な言葉で応酬した自分が正しかったとは思っていない。
寧ろ、偏狭な想いに囚われる事情が、彼にもあったのではないか……。
そう思い至った今は、とても後悔していた。
だが、あの時のユリアに彼を慮る余裕がなかったのも確かだ。
それは、彼の言葉が強ち間違いではないのを、彼女自身が誰よりも分かっていたからに他ならない。
帝国で生きた……いや、生かされた十年という月日。
確かにそれは、彼が言った絶望と憎しみに塗り潰された日々に違いはなかったのだから。
(あの時。彼に過去を告げる必要はなかった……でも……)
後悔の念に胸を締め付けられるが、自ら辛い過去を口にする事で悪夢に苛まれたとしても、今の自分まで貶められたくはなかった。
それは取りも直さず、自分を慈しんでくれる家族を否定するに等しい事だから。
寝付けない儘に悶々としていると……。
「眠れないのかい? ユリア」
労わるような優しい声がしたかと思えば、隣のベッドのスタンドライトが点灯して視界に淡い光が射す。
ハッとして顔を上げると、灯火に照らされた父が心配そうな表情で此方を見ており、今更寝たふりもできないユリアは悄然として謝罪した。
「ごめんなさい……起こしてしまって」
「構わないさ。苦しそうな気配を感じてね……昼間に何かあったのかい?」
その気遣いが申し訳なくて、心配を掛けまいと身体を起したユリアはフルフルと左右に頭を振るしかなかった。
長距離の移動に付き従っているだけの自分とは違い、重要な会談や会合に休む間もなく出席している達也は、様々な案件の対応に追われているのだ。
疲れていない筈がないからこそ、つまらない些事で煩わせたくはなかった。
しかし、そんな愛娘の気遣いなどお見通しの達也は、自分のベッドを抜け出してユリアの傍に腰を降ろすや、消沈した娘の頭を優しく撫でてやる。
「きゃぁ! お、お父さま……く、くすぐったいです……」
「ユリアは聡明で優しい僕の自慢の娘だよ。だが、優しい分だけ辛い事を我慢してしまう悪い癖がある。それは直して欲しいな……クレアと違って僕は頼りないかもしれないが、話し相手ぐらいにはなれるよ?」
胸に染み入る温もりが硬く強張った心を解してくれる。
気付けばユリアは、両の瞳から涙を溢れさせて達也に縋り付き、顔を押し付けて咽び泣いていた。
◇◆◇◆◇
「んっ、よしっ! これでいいよん!」
白衣姿のヒルデガルドが母親の二の腕に薄手の金属装置を装着するのを、志保は不安げな眼差しで見守るしかなかった。
懸念がないと言えば噓になるが、今更『止めます』とも言えない。
何故にこのような事態になっているのかというと、呼ばれもしないのに女子会に乱入したヒルデガルドが美緒の手料理に感激し、すっかり懐いて(?)しまったのが事の始まりだった。
その後お茶を楽しみながら歓談している最中、重度の心臓疾患を患っている美緒が、臓器提供者待ちの状態だと知ったヒルデガルドが……。
「ボクに任せれば万事解決さぁーッ!」
そう宣い、強引に美緒を連れ出して『バラディース』内の白銀邸地下に確保した専用の研究室に直行するや、如何にも胡散臭い金属製の腕輪を持ち出したのだ。
「そっ、その腕輪を嵌めると何かの治療になるんですか?」
悪い影響が出ないかと案じる志保が恐る恐る訊ねれば、彼女の後ろではクレアまでもが、猜疑心に満ちた視線を小さなマッドサイエンティストに向けている。
何といっても『陸な事にはならないから、殿下の発明品には近づかないように』そう達也から念を押されているクレアは、万が一にも美緒に何かあっては大変だと危惧して不測の事態に備えているのだ。
「治療ではないよ。身体機能をサポートする自己増殖型ナノマシンを美緒君の体内に投与する準備をしているのさ。今は臓器や血管、神経のデーターをナノマシンに学習させている最中で……おっ、投与が始まったようだね」
複数のコードで腕輪と接続されている制御機のレッドランプがグリーンに変化して点滅を繰り返す。
「美緒君。暫く辛抱してくれたまえよ……どこか痛む所はないかい?」
「大丈夫ですわ……殿下。でも、私などが貴女様の御厚情を賜ってもよろしいのでしょうか?」
心細そうな声で訊ねて来る美緒に、ヒルデガルドは破顔して口元を綻ばせた。
「水臭い事は言わないでくれ給えよ。美味しい御馳走のお礼だよん……おっと! 終ったようだね」
点滅していたランプが鮮やかなブルーに変わって施術の終了を知らせるや、娘に支えられて上半身を起こした美緒の顔色を窺いながらヒルデガルドが問うた。
「どんな感じだい? 少しは楽になった筈なんだけどねぇ~~?」
そう問われた美緒の顔には驚きの色があったが、それは直ぐに穏やかな微笑みへと変化する。
「少しどころではありませんわ……心臓を患って以来、ずっと感じていた息苦しさが無くなって……凄く楽になりました」
喜色を浮かべて感激する彼女を見た志保とクレアは、安堵の吐息を漏らして顔を綻ばせ、結果に満足したヒルデガルドも優しげな視線で母娘を祝福した。
「体内に投与されたナノマシンは血流や体調を正常に維持して心臓の負担を軽減し、同時に問題がある組織の自己修復能力をサポートする機能を持っているんだ。これによって病状は飛躍的に改善される筈だから、譬え、運悪く移植の為のドナーに巡り逢えなくても、別の選択肢を検討する時間は確保できると思うよん」
「ありがとうッ! ありがとうございますッ殿下ッ!」
喜びに感極まった志保が小柄なヒルデガルドを抱き締め、涙を流して感謝する。
「この御恩は一生忘れませんっ! 治療費も必ずお支払いしますので暫しの御猶予を下さい」
「はっはっはっ! そんなのは気にしなくていいさぁ。これはボクのオリジナル・ナノマシンだからね。銀河連邦内の権威ある治療機関でも取り扱ってはいないよ。学会に発表して実用化する気もないしね」
どれだけ借金してでも費用を工面する気でいた志保の申し出を断るや、立て続けにトンデモナイ事を平然と言い放つ白衣のマッドサイエンティスト。
「ざっと見積もっても十億ヴィーテ(銀河共通通貨・1ヴィーテは1ドル程度)は開発費として費やしているからねぇ。個人で賄おうなんてどだい無理だよん。だから気にしないでくれたまえ。美緒君の調子を見る為にお邪魔する事もあるだろうから、また御馳走して貰えれば、それで充分さ」
金額を聞いて一瞬気が遠くなりかけた志保だったが、支払いは不要と言われれば戸惑わざるを得ず、美緒も顔を青褪めさせて狼狽してしまう。
「そっ、そんな……幾ら何でも、そういう訳には……私……」
恐縮して言葉が上手く続かない美緒に、ヒルデガルドは穏やかな微笑みを浮かべて諭すように言い含めた。
「あははは! 本当に気にしなくていいんだよん! 性能は充分及第点なんだが、コストダウンに失敗した代物だからねぇ。患者一人当たりの治療費用が膨大になりすぎて実用化は難しいのさ。それに、たとえ実用化したとしても、使えるのは一部の金持ちだけ……あんな性根の腐った連中の命を助けてやる義理はないし、正義の味方なんてボクのキャラじゃないしね」
如何にも物騒な本音を口走るヒルデガルドには呆れるしかないが、旧知の間柄でもある美緒に救いの光を齎してくれた彼女にクレアは心からの感謝を告げた。
「一部賛同しかねる部分はありますが、美緒おばさまの窮状を救って戴いた事には心から感謝します。本当にありがとうございました」
深々と頭を下げるクレアに対し、照れ臭そうに顔を綻ばせたヒルデガルドは何処か懐かしそうに目を細める。
「そう言われると照れてしまうよん……実は昔、君の旦那に言われてね。『無法な暴力に苦しめられている人々を救うのが軍人である私の使命ですが、残念ながら、この手から零れ落ちて行く命の方が遥かに多いのが現実です。しかし、だからこそ縁を得た目の前の命だけでも救いたい……今はそう思っています』、そう言われて以来、ボクも縁って奴を大切にしているだけなのさ」
思ってもみなかった話を聞かされたクレアは、最愛の夫の命に対する真摯な姿勢に触れて思わず頬が緩んでしまう。
「殿下ぁ~~駄目ですよ。この女は旦那を褒められると頭の中がお花畑になって惚気っ放しになるんです。あてられて胸焼けするのは御免被りますよ。私は」
「もうッ! 志保ったら! おばさまの前で変な事を言わないで頂戴!」
胸元を押さえて舌を出す仕種の志保に赤面して抗議するクレア。
仲の良い二人の様子を見たヒルデガルドと美緒は、顔を見合わせて笑い声を上げるのだった。
「まぁ治療費の代わりと言っては何だけど、これを試して感想を聞かせて貰えないかなぁ?」
ヒルデガルドは話が一段落してからそう切り出すや、少し大きめの金属製リストガードを志保に手渡す。
「これは?」
「うん……実は早急に実績を作らないと白銀家最高顧問への就任が厳しい状況なんでね、達也にボクの有用性をアピールする為に開発したのが、その完全思考制御型コンバットスーツなのさっ!」
「こっ、これが、コンバットスーツ? 唯の腕輪にしか見えませんが?」
「しっ、志保。やめといた方がいいわ。殿下の発明品には近寄るなって達也さんに念押しされているのよ! 危険だわ!」
胡散臭い視線で腕輪を見る志保は、クレアの物騒な忠告を聞いて尻込みしたものの、母親が受けた厚情を少しでも返せればと思い、この申し出を引き受けた。
しかし、この願いを引き受けたが故に、後々に大きな悲劇を生む事になるとは、この時の志保には思いもよらなかったのである。
◇◆◇◆◇
「……ごめんなさいお父さま。愚にもつかない話を聞かせてしまって」
暫し達也に縋り付いて泣いたユリアは気持ちが落ち着いたのか、ジュリアンとのやり取りをポツリ、ポツリと話だした。
そして、全てを語り終えるまで黙って話を聞いてくれた父に謝罪し、微かな吐息を漏らして俯いてしまう。
やはり心配を掛けてしまった……。
そう思って憂鬱になるユリアだったが、それは杞憂に過ぎなかった。
「心配しなくていい。君が悩みを打ち明けてくれたのは初めてだからね……父親としては嬉しいものだよ」
やや弾んだ声でそう言った達也は、愛娘の頭を優しく撫でてやったのだが、照れて首を竦めるユリアは消え入りそうな声で抗議する。
「お父さまぁ……私はもう子供ではありません。さくらとは違うのですよ?」
「ははは! そんなに急いで大人にならなくてもいいじゃないか。ただでさえ君はシッカリ者なんだからね。頼むから、もう暫くは僕の可愛いユリアでいておくれ」
「うぅぅ~~お父さまは意地悪です……私ばかり困らせて……」
「ほう? それでは僕の事は大嫌いかな?」
その意地悪な質問にユリアの顔が真っ赤に染まり、パクパクと口が開いたり閉じたり……遂には、どんな顔をすれば良いのか分からなくなった少女は、父親の胸に顔を埋め小声で詰るのだった。
「意地悪! 意地悪! 意地悪ぅ~~! 絶対にお母さまに言いつけますからね」
「おいおい。それは反則だ。君を虐めたなんてクレアに知られたら、僕の命は風前の灯火になってしまうよ? 僕は女房殿には頭が上がらないんだからね」
そんな他愛もない冗談を交わしてユリアを落ち着かせた達也は、表情を改めてから口を開く。
「君の苦しみの万分の一も分かってやれない僕が言うべきではないのかもしれないけれど……憎しみに囚われて生きて行くのは愚かだよ。君は今は幸せだと言うけれど、過去だって決して悪い事ばかりじゃなかった筈だ。違うかい?」
「そっ、それは……母の顔も知らず、冷たい視線の中で忌み嫌われて生きなければならなかった……そんな中で良い事なんて……」
ユリアの声が硬くなるが、その艶やかな黒髪を撫でながら達也は言葉を続ける。
「君を生かす為に母上は十年の月日を与えるように父上に願い、それは了承された。だからこそ、ユリアは今僕の腕の中に居る……そうは考えられないかい?」
「そ、それは……でも、でも! あの男は只の一度も私の名前を口にはしませんでしたッ! それなのに……そんな男を父と認めろとお父さまは仰るのですか?」
憤りが感情を沸騰させ、涙で濡れた双眸で達也を睨んでしまうユリア。
いけない……許されないと分かってはいても、胸の中の昂りを抑えられない。
「強制する権利は僕にはない……だから、これは愛しい娘へのお願いだ。今回だけ先入観を捨てて皇帝である父上に会って欲しい。その上で何が真実なのか見極めてみるといい。譬え何があっても、君は僕が必ず護るから」
優しい声が……温もりが心に染み入った。
たったそれだけで荒れた心が凪いでいくのを感じたユリアは、不承不承ながらも達也の申し出を受け入れたのである。
どちらにしろ、帝国皇帝である父とは会って話をしなければならないのだ。
憎しみに囚われてあの男の前に出る位ならば、達也の言う通りにした方が自分らしい気がした。
今更過去の亡霊に奪われるものは何もないのだから。
「ふふ……お父さまはやっぱり意地悪です……子供の私に無理ばかり仰って」
「おやぁ? さっきは『子供じゃない』と言っていなかったかい? まぁ、いい。子供なら遠慮はいらないね……今夜は一緒に寝ようか? 隣にいれば君が怖い夢を見ても直ぐに助けにいけるからね」
また意地悪な事を……。
そう思ったユリアだったが嫌ではなかった。
だから、『仕方がないですね……今夜だけお父さまの顔を立ててさしあげます』等と言い訳を並べ、照れ臭さを押し隠してその提案を受け入れたのである。




