第三十八話 穏やかな日々 ① ~新都市開発編~
銀河標準暦・興起一五〇一年二月。
銀河連邦内で一般的に共有されている暦が導入されたセレーネ星では、新しい暦と生活様式が住民達に受け入れられて益々活況を呈していた。
「いやぁぁ……ここに立つ度に驚かされるが、たった三日で周囲の風景が一変してしまうと、さすがに呆れるしかないな」
小高い丘の上から眼下の景観を見下ろす達也が発した感嘆の声に、新都市建設の総指揮を執る吉岡慎治は呵々大笑して胸を張る。
「ヒルデガルド殿下御自慢の自律型アンドロイド。彼らの活躍の賜物さ……それにしても残念無念!! あのスーパーマシーンさえあれば、傲岸不遜な大企業の鼻を明かしてやれたかもしれないのにな!」
無邪気に笑う兄貴分の言い種には、達也も思わず微苦笑を漏らさざるを得ない。
現在建設中の新都市は、その工程の大部分をヒルデガルドが開発製造したアンドロイド『万脳くん・スペシャル』と、万にも上る配下の『万脳くん・ノービス』が担い、完成に向けて急ピッチで作業が進行している真っ最中だった。
その道のプロである慎治らが新都市の完成図や作業工程を策定し、それに基づいたプログラムをスペシャルタイプにインストールするだけで、実働部隊である三万機のノービスタイプが、大型重機を駆使して作業を完遂するのだから、日替わりで都市の景観が変化するのも当然の結果だと言えるだろう。
「何だい慎ちゃん。地球に未練があるのかい?」
揶揄う様な意地の悪い達也の質問に慎治は鼻を鳴らすや、弟分の背中に無骨な掌をお見舞いして啖呵をきる。
「馬鹿言ってんじゃないよ! 建築屋にとって此処は夢の大フロンティアだぜ! 自然と共生しながら新しいものを生み出す喜びは、人間の手垢で汚れた地球じゃぁ絶対に味わえない最高の贅沢だ! それに、潮流発電の為の海洋プラントの建設も控えているんだ。俺は此処に来て本当に良かったと思っているし、一緒に来た連中も皆同じ想いだろうよ」
「慎ちゃんにそう言って貰えれば、俺も嬉しいよ」
兄貴分の言葉を聞いた達也は、微かに顔を綻ばせて安堵の吐息を漏らす。
己と統合政府との確執の所為で彼らが地球を追われたと思い患っていただけに、漸く肩の荷を下ろせた気がして嬉しかったのだ。
建設中の新都市がある場所は、海辺の半島にある現状の都市から五キロほど内陸に入った平野部にあり、東側のすぐ傍には比較的大きな河川が流れている。
水深は然程でもないのだが、川幅は一番広い場所では百メートル以上もあって、アルカディーナ達からはライツフォル大河と呼ばれて親しまれていた。
その穏やかな流れと柔らかい陽光を反射させる水面を遠くに見ながら、その輝きに負けない熱意に溢れた慎治が、開発の進捗状況を達也に説明する。
「今後の人口増は必至だからな。まずはライツフォル大河の両岸を開発し、後は、暫時拡張していく予定だ。但し、バラディースを据える為の土地整備と送電用システムの埋設工事は、新都市西部を中心に最優先で行っている……これは日を置かずに完了するぜ」
「ありがたい! 当面の間は都市への電力供給はバラディースで賄うつもりだが、可能な限り早期に再生可能エネルギーに切り替えたいと思っている。自然に配慮するのは我々住民の為でもあるが、何よりも、精霊達と共生するには、必要不可欠な重要案件だからね」
年明け早々に始まったアルカディーナ達の都市生活体験会は、概ね好評のうちに終了し、喜びと共に感謝の言葉が多く寄せられている。
快適過ぎる居住空間や、文明の利器である電化製品と様々な日用品等に戸惑い、最初の頃は不安を訴えるアルカディーナ達が大勢いたのは事実だ。
しかし、クレアら新しく同胞になった人間達から使用方法を教わって慣れてしまえば、その利便性と心地良さの虜になるのは必定であり、今では新都市への移転と新しい生活を心待ちにしているとの声が多く聞かれる様になっている。
町中で彼らが交わす話題は、専ら新生活への期待だとクレアから聞いていた達也は、大いに胸を撫で下ろしたのである。
そんな事を考えていると、ニヤニヤと意地の悪い笑みを口元に浮かべた慎治が揶揄って来た。
それは明らかに優秀な弟分の苦労を楽しんでいる悪い顔に他ならず、達也は思わず身構えてしまう。
「折角莫大な埋蔵量を誇る各種鉱脈が発見されたって言うのになぁ~それらを燃料にした火力発電を推奨すれば、コストの面でも苦労は少なくて済むのに……いやいや残念無念! それでっ? これからユスティーツ様と、その事で話し合いなんだろう?」
非常に頼りになる兄貴分ではあるのだが、弟分達の困った顔がなによりの好物という嗜好だけは何とかして欲しい……。
そう切実に思いながらも、努めて平静を装って答えを返す。
それは、狼狽した顔を晒して彼を喜ばせるのが癪だったというのも理由のひとつだが、環境問題こそが、この星の先行きに関わる最重要課題だと理解しているからに他ならなかった。
「まあ、資源については、いずれ貿易でも始める時に武器になれば良いと思っているよ……ただ、アルカディーナ達の庇護者として寄り添って来た精霊達と共生していくには避けて通れない問題だ……だけど、双方が話し合えば、きっと解決していける……俺はそう信じているよ」
この瞬間も新たな形を成していく新都市を見つめながら、達也は希望を滲ませた声音でそう断言したのである。
◇◆◇◆◇
慎治と別れた達也は大急ぎでバラディースに戻るや、休む間もなく臨時行政府が置かれている建物に直行した。
「いやぁ~~遅れて申し訳ない。建設中の都市を眺めていたら時間を忘れてしまってね……本当に済まなかった」
既に集合している参加者達に平謝りに謝りながら、大きな円卓の唯一空いた席に腰を下ろす。
僅か一~二分とはいえ遅刻した事に変わりはないが、幸いにも参加者達は鷹揚に微笑む者ばかりで、苦言を口にする者はいなかった。
皆の好意に感謝しながらも、達也は顔つきを改めて開会を宣言する。
「さて、本日は、この二ヶ月あまりの状況確認と、優先度が高い案件について皆の意見を聞きたいと思っている。それらを踏まえた上で今後の方針を決めたいので、皆の忌憚なき考えを披露して貰いたい。尚、今日はユスティーツ様にも御臨席して戴いているので、これを機会に意見交換して貰えたら幸いだ」
神秘的な雰囲気を纏う人の姿で顕現した大精霊様は、達也の言葉に優雅な微笑みを浮かべて軽く会釈を返す。
今回の会議に参加しているのは、バラディース代表としてクレアとサクヤ。
アルカディーナ側からは、オウキら長老衆と若手代表のシレーヌ、そして大精霊ユスティーツを含む十三名だ。
達也は議長役として参加しており、政務を司る総勢十四名の者達によって会議は幕を開けたのである。
「現在我々は国家という形態を選択してはいない。それは、偏に少な過ぎる人口に起因するものであり、当面は焦らず独立勢力として活動した方が都合が良いという判断によるものだ。但し、コミュニティを形成するには法が必要だし、行政機構が上手く機能しなければ、秩序ある社会を形成できない」
達也がそう問題提起すると、内政全般を担当し新憲法の草案にも深く関わっているサクヤが答弁した。
「銀河連邦憲章と民事法、刑事法等の既存の法律を基本にし、更に簡素化した物を近日中に発布する予定です。それに鑑み、アルカディーナの皆様には事前に複数回の説明会に参加して戴く必要があると考えております。その上で皆様から御意見を頂戴し、今後の法改正に役立てるつもりです」
「うん。宜しく頼む。但し説明会はオンラインでやるよりも、何処か複数の場所を確保して、直接住民の方々と顔を突き合わせてやった方が良い。不明な点や疑問、そして苦言には真摯に対応する様に」
達也が念を押すと、サクヤは小さく頷いてから説明を続ける。
「現在の人口状況を鑑みれば、当面は警察業務と災害対応業務並びに救助活動は、空間機兵団の方々に兼任して戴きたいと考えております。指揮官の遠藤隊長を筆頭に優秀な人材が揃っていますので、彼らに業務を代行して戴く間に志願者を募って専門教育を施し、四~五年を目途に正式な独立機関を発足させる予定です」
「それで問題はないだろう。遠藤くんの人気のお陰で入団希望者は後を絶たないと聞いているし、彼らも訓練ばかりでは物足らないだろうからね。ついでに航空部隊の連中も扱き使ってくれても構わないよ。参加人員の調整は、ラルフの親父さんと遠藤君に任せればいい。きっと上手くやってくれるさ」
達也が笑顔でそう返すと、サクヤも微笑みを以て頷き、一礼してから着席した。
「さて、新生活体験会は好評だったと聞いているが、アルカディーナの方々の中には、『どうしても馴染めない』『転居するのは不安だ』と仰る者はいませんか?」
達也が問い掛けたのはオウキら長老連だったが、彼らは一様に明るい笑顔を浮かべ、『全住民が新都市への転居を心待ちにしている』と感謝の言葉を添えて答えてくれたので達也は安堵し胸を撫で下ろす。
すると今や若手の代表格であるシレーヌが緊張した面持ちで挙手し、発言の許可を求めてきた。
「最近は無償でたくさんの食料を配給して戴いていますのに、立派な住居や便利な生活用品まで支給して貰えるなんて……何だか申し訳なくて……」
彼女は無償で様々な恩恵を受けるのに気が引けているようで、如何にも恐る恐るといった風情で遠慮がちに言葉を選ぶ。
その様子が初々しくて参加者の笑みを誘ったのだが、緊張の極みにあるシレーヌは自分の愚かな物言いを笑われたのだと勘違いし、顔を赤らめて俯いてしまった。
そんな亜人少女の謙虚で可愛らしい反応に達也とクレアは微笑み、お互いに顔を見合わせてしまう。
強欲と言われる人間はどんな世界にも一定数存在するものだし、あまつさえ己が得をするとなれば、貪欲に利を追及する者は数知れない。
そんな中にあって、シレーヌのように高徳な人材は、この星の未来に欠かせない存在であり、今の純粋な心を忘れずに成長して欲しいと、ふたりは祈らずにはいられなかったのだ。
達也はそんな願いを込めて、彼女の懸念を払拭するべく想いを返す。
「住人の皆さんに新しい生活スタイルに慣れて貰うには、ある程度の経済的余裕が必要なんだ。その為の支援だし、所謂先行投資なのだから気にする必要はないよ。いずれ皆が安定した自立を勝ち取った暁には、税という形で還元して貰うのだからね。第一、財源はこの星に埋蔵されている資源を担保にして得た物だ。先住していた君達が遠慮する必要はないさ」
達也の説明に続いて優しげな視線をシレーヌに向けたクレアが激励する。
「農水産ならびに畜産業、建築業、そして官僚や軍人志願など、アルカディーナの皆さんは各々が希望する職業に就こうと頑張っています。また、個人事業者として商店を開業なさる方々も少なからずおられますから、経済活動が形を成すのも遠い未来の話ではないと思っています……だから貴女も頑張ってね、シレーヌさん」
憧憬の存在であるふたりから温かい言葉を掛けられたシレーヌは、一転して瞳を輝かせるや、晴れ晴れとした表情で何度も謝意を返す。
すると、それまで無言で会議の模様を眺めていたユスティーツが、変わらぬ柔和な微笑みを以て達也に謝意を伝えた。
「白銀様、本当にありがとうございます。この星に生きる者達にとって、貴方様やクレア様、そして大勢のお仲間の方々に巡り合えた事こそが幸運だった。私はそう確信しています。ランツェやセレーネ……そして、志半ばで散った先人達の魂に成り代わって御礼申し上げます」
その投げ掛けられた言葉に心打たれた達也は姿勢を正して頭を垂れた。
「私如きには勿体ない御言葉です……私共こそ、このセレーネ星に受け入れて戴いて感謝に堪えません……ユスティーツ様や精霊の皆様方には、アルカディーナ達の庇護者として此れまでも御尽力賜りましたが、今後も変わらぬ御力添えを戴ければ……そう思っています」
「それは勿論。寧ろ私共の方からもお願い致しますわ……自然の恵みの中から力を得て新しき世界を構築する。本当に素晴らしいと思います。我々も今までとは違った形での協力を、そして共生を約束いたします」
新都市に供給される電力やエネルギーは、当面は隣接地に移転するバラディースからの供給分で賄うが、いずれは再生可能エネルギーによる循環型社会を構築する計画はユスティーツにも説明済みである。
その為、発電施設にとって都合の良い環境操作を精霊達が引き受ける事で双方は合意していた。
その労力の対価として精霊達が望んだのは、このセレーネ星の美しい姿を永久に護って欲しい……ただこの一点のみである。
だから、工業関連の施設は衛星ニーニャと専用の宇宙コロニープラントに集中させると決め、新憲法にも星の環境保護を謳った条文が、違反者に対する厳しい罰則付きで明記すると決議されたのだ。
また、軍事施設や宇宙港などの関連施設については、衛星軌道上に要塞基地や、大規模な宇宙桟橋を建設する計画を立てており、いずれは農業や畜産業をも宇宙で……。
そんな夢を語る達也にユスティーツは賛意を示し、協力を惜しまないと約束するのだった。
こうして小さな力が結集し、惑星セレーネの新たな歴史が幕を開ける。
そして、僅か数十年の後には、『銀河系で最も美しい世界』という評価を得るに至るのだった。




