第三十七話 生き残りし者 ③
「何度も言うが、今は無理はしない方がいい。詳しい事は君が回復してから……」
話を聞いて貰いたいと懇願された達也はその申し出に困惑する他はなく、重傷を負っている彼の身を案じて無理をしない様にと諭すしかなかった。
しかし、セリスは弱々しいながらもハッキリと左右に首を振るや、切羽詰まった表情で言い募る。
「貴方様の御役に立てるかどうかは分かりませんが、精度の高い情報は必要でしょう? それに……」
そう言いながらも達也の隣に立つユリアに視線を向けたセリスは、僅かに表情を曇らせて言葉を途切れさせた。
嘗て、塗炭の苦しみを味わっていた妹を不憫に思いながらも、自分も幼かったが故に何もしてやれなかったのが、今でも悔やまれてならない。
そんな後ろめたさを抱えた儘セリスは今日まで生きて来た。
今更何を言っても手遅れだが、だからこそ、せめて真実だけはユリアに伝えなければと思い定めたのだ。
そんな彼の心情を慮った達也は、已むを得ずその要望を受け入れ、優しい声で愛娘を促す。
「ユリア。兄上のベッドを起こしてあげなさい。多少は楽になる筈だよ」
「はい。お父さま……セリス兄さま、少し我慢してくださいね」
ユリアが電動式ベッドを操作する間に達也は簡易式の椅子を二脚用意した。
上半身を起こして楽になったセリスはユリアに礼を言い、二人が腰を下ろすのを待ってから、知る限りの情報を語り始めたのである。
◇◆◇◆◇
「クーデターの首謀者はリオン……陛下を弑逆したのは、他でもない帝国皇太子である長兄リオンですっ!」
血を吐く様な……。
そう表現する以外にはない、強い憤りを滲ませた声音で吐き捨てるセリス。
その顔は朱を注いだかの様に赤く染まっており、興奮による容態の急変を恐れた達也は、努めて感情を抑えた声で宥めた。
「気を静めなさい。興奮すると傷口に障るよ……ゆっくりで構わないから、感情に流されずに真実を教えて欲しい」
「も、申し訳ありません……我ながら未熟だとは思うのですが、兄の暴挙を思い出しただけで……」
達也の忠告で我に返ったセリスだが、その顔には苦悶の色を濃く宿したままで、見ていて痛々しい程だ。
それでも、何とか心を落ち着けた帝国第十皇子は、クーデターの中で自分が見た一部始終を、可能な限り客観的に伝えようと腐心するのだった。
※※※
「父と忠臣達の厚情で何とか脱出できたものの、執拗な追撃を受けて追い詰められました。私も負傷して意識を失ったのですが、まさか、あの状況で生を繋げるとは……救助の手を差し伸べて下された方々には、心から感謝するしか……うっ!」
「お、お兄さまっ!? 大丈夫ですか!?」
漸く胸の中に溜め込んでいた想いを吐露して気が緩んだのか、思い出したかの様に生じた激痛に、セリスは呻き声を上げて顔を顰めてしまう。
そんな兄の痛ましい姿を案じたユリアが椅子を蹴立てて立ち上がったが、セリスは右手を上げて彼女を制した。
「だ、大丈夫……少し気が昂ったようだ……もう、大丈夫だよ」
憂い顔の妹に精一杯の笑みを見せてから、今度は達也に問い掛ける。
「あれから……どれぐらいの時間が経っているのでしょうか?」
「約一ヶ月が経過している。だが、クーデターの詳細は明らかになってはいない。グランローデン帝国の支配宙域には、厳重な情報統制が敷かれているらしくてね。現状では真相は藪の中だ」
「い、一ヶ月!? そんなに時間が経っているなんて……」
困惑し絶句するセリスだったが、達也から投げ掛けられた質問に思わず唇を噛んでしまう。
「先程君は、ザイツフェルト皇帝が弑逆されたと言ったが、何か根拠あっての事なのかな? 囚われて生きておられるという可能性だってあるだろう?」
確かに達也の疑問は尤もだが、それでもセリスは、既に父皇が生存していないと確信していた。
「根拠がある訳ではありません……恥ずかしながら私は当て身を喰らって昏倒し、気が付いた時には既にアヴァロンの大気圏を突破していました……ですが、反乱軍にとって最大の障害は父上に他なりません。クーデターの正当性を主張するためにも、生かして捕らえるという選択肢はない筈です」
『死人に口なし』……反論する者達を根こそぎ粛清してしまえば、暴挙の正当性など如何ようにでも主張できる。
数多の革命政権がそうであった様に、今回もまた血塗られた歴史が繰り返されたのだ。
今となっては知る術も無いが、謁見した時にザイツフェルト皇帝から感じられた気配を思い出した達也は、深く慨嘆するしかなかった。
(あの時に感じた何処か物憂げな感じは、この日があるのを、陛下御自身が察していたが故のものだったのかもしれないな……)
自分の時代の終焉を予期していたからこそ、面識もない他国の軍人の要望を受け入れて会談の場を設け、ユリアに真実を告げてくれたのだろう……。
達也には、そう思えて仕方がなかった。
だから改めてザイツフェルト皇帝に深い謝意を示し、心から冥福を祈ったのだ。
その想いはユリアも同じだったらしく、両手を胸の前で握り合わせ沈痛な面持ちで瞑目している様子が痛々しい。
しかし、今のセリスには父皇の死を本当の意味で受け入れる余裕はなく、思考の大部分を占めているのは、リオンがどの様な思惑を懐いて反乱に及んだのか……。
その疑念だけだった。
「しかし、私には分かりません。なぜ? 選りにも選ってクーデターを引き起こしたのがリオン兄上だったのか? 兄は帝国の皇太子……紛う事なき正当なる後継者なのです。謀反など起こす理由は何もない筈なのに……」
すると、それまで黙って話を聞いていたユリアが、遠慮がちに兄の疑念に対する彼女なりの推測を口にする。
「見当外れの憶測に過ぎないかもしれませんが……シグナス教団が何らかの思惑を以て暗躍したとは考えられないでしょうか? 陛下は私との会話の中で教団を辛辣に批判しておられましたし、覇権主義を掲げる教団にとっても、陛下は邪魔な存在だったのではないでしょうか?」
「そんな馬鹿なっ! い、いや……言われてみれば有り得ない話じゃない……教皇ハインリヒ三世は頻りに帝国軍艦隊の外征を主張していた。だが、その要求を父上はのらりくらりと躱して応じようとはしなかった。だが、それでも……」
ユリアの意見は辻褄が合っており、限りなく正解に近いのではないかと思えた。
それでも、あの慎重で計算高いリオンが、教団の思惑に乗ってまで帝国の実権を欲するとは、どうしても合点がいかないのだ。
どうにも納得できないセリスが口籠ると、今度は達也が口を開く。
「シグナス教団との軋轢が原因なのではなく、寧ろ銀河連邦の主流派と気脈を通じた結果ではないかな? それとも、その両方か?」
それは不確かな憶測ではなく合理的な推察であり、今回の帝国動乱の陰にあの男……ローラン・キャメロットの存在があると確信しての指摘だった。
「本来ならば今回のクーデター騒動は、帝国と敵対する銀河連邦にとって領域拡大のチャンスに他ならない。なのに、各方面軍に積極的に攻勢に転じる気配すらないのは明らかに変だ。連邦と帝国の間になんらかの密約が交わされた……そう考えて間違いないだろう」
「それは、一体全体どのような密約なのですかッ!? うっ、うあぁ……」
勢い込んで上体を起こそうとしたが、再度痛みに見舞われて苦悶するセリス。
それを見た達也は、これ以上無理をさせるのは不味いと思い、会談を終わらせるべく話を纏めた。
「さてね……今は情報不足で何とも言えないな。それよりも大切なのは、此れから君がどうするかだ。兄上の思惑など関係ない。怪我が完治するにはまだ時間が掛かるだろう。その間に考えてみると良いさ。自分が何をするべきなのかをね……話はそれからだよ」
達也はそう言うや、セリスの世話をユリアに任せて一足先に退出する。
セリスは無言でその背中を見つめ、胸の中で同じ言葉を繰り返すのだった。
(私自身が今後どうするのか? そして、何をするべきなのか?)
◇◆◇◆◇
「本当に凄いもんだねぇ~~まるで、御伽噺に出て来る天上界の住まいの様でさ、なんだか落ち着かないよぉ……」
瀟洒な部屋とそこに設えられた家具、そして便利な家電製品の数々。
母親が漏らす大袈裟な感想を聞いて苦笑いしながらも、シレーヌ自身も感嘆して目を白黒させる他はなかった。
十階建てのマンションの一室で、慣れないが故の居心地の悪さに戸惑う母娘だったが、それは不快という意味ではない。
現在セレーネでは新しい都市の開発が鋭意進行中であり、三ケ月ぐらい後には、来訪した人間達とアルカディーナ達全員が、新都市に移転する予定になっている。
そのため、新年の祝いが済むか済まぬかの中に、『レッツ! 新生活体験!』と銘打った催しが大型移民船バラディース都市内で開催され、二十万人のアルカディーナを三組に分け、交代で新都市移転後の疑似生活を体験して貰おうという試みが行われているのだ。
それぞれの組が二回の体験生活を営む予定で、マンションタイプの集合住宅と、個別建ての一軒家を双方一週間づつ試して貰う事になっている。
これは移転後の住まいを住民自らに希望選択させる為の措置であり、極めて重要だと達也は考えていた。
半ば強制的に新都市へ移転させられたアルカディーナ達が、新しい生活に不満を持つようでは本末転倒である。
それ故に、どんな些細な不満でも遠慮せずに申し出る様にと、事前に念押しして始まった生活体験会だったのだが……。
「お母さんったら……でも、本当に立派なお家よね。私も夢でも見ているんじゃないかって思うもの」
「そうだろう!? 最初は、とてもじゃないがこんな所で暮らせないと思ったけれど、慣れてしまえば快適で……はぁ~~でも本当に良いのかねぇ~」
娘に同意されて燥いでいた母親の顔が曇り、微かな憂いが滲む。
その様子を見たシレーヌも、自分と同じ引け目を母も感じているのだと知って、つい胸に蟠る想いを吐露してしまう。
「白銀様は『気にしない様に』と仰っておられたけれども、住居だけじゃなくて、便利な道具(家電製品や家具など)や、生活に必要な品々も援助して下さるなんて……なんだか申し訳なくて……」
そう言って溜息を吐く娘に母親も頷きながら同意する。
「本当にそうなのよ……食糧を分け与えて下さるだけでも有難いのに、仕事までも斡旋して下さるのよ? その上に新しい住まいまで無償で戴けるなんて……余りにも話が出来過ぎていて却って不安になるわ」
「ちょっとお母さん! その言い方は不遜だわ。まるで白銀様を……」
言葉の最後の部分が不満だったのか、眉を顰めた娘に睨まれた母親は慌てて弁明する。
「あっ……いや……あの御方を信じられないとかじゃないの。ついこの間までは、こんな日が来るなんて夢にも思わなかったもの。幸せ過ぎて、本当は全てが夢で、目が覚めたら何もかも消えてしまうんじゃないか……そう思って不安になるのよ」
母親の気持ちはシレーヌにも痛いほど理解できた。
あの怪物の暴威に支配され、命を脅かされ続けた絶望の日々。
大勢の子供達やアルカディーナの戦士達が犠牲になり、シレーヌ自身も生贄として死を目前にした恐怖を忘れられる筈がない。
だからこそ、感謝するが故に気後れする母親の気持ちは理解できた。
「きつい言い方をしてごめんなさい。お母さんの言う通りよね……もう何年も脅えて暮らして来たんですもの。農作業や狩りができなくて碌な食べ物も手に入らず、ずっとひもじい思いに耐えて来たものね」
だが、母親の不安に同意しながらも、シレーヌは一転して顔を綻ばせて声を弾ませた。
「でも、これからは違う。私達が頑張れば、きっと皆が幸せになれるわ! そして白銀様に恩返しするのよ! きっと喜んで下さるに違いないわ!!」
娘の快活さに当てられ母親の顔から憂慮の色が消え去り、柔らかい笑みが戻る。
それを見て安堵したシレーヌは明るい声で訊ねた。
「お母さん。次の一週間は個別住宅で生活体験をするけど、今から楽しみね?」
しかし、てっきり喜んでくれると思った母親は困り顔で宣う。
「あんたと二人で暮らすのに一軒家なんて広すぎますよ。此処でも充分に快適なのに、これ以上を望んでは罰が当たってしまうわ!?」
そう真顔で嘆息する母親の物言いに破顔したシレーヌは、漸く取り戻せた日常を想い、嬉しさと共に眼尻に滲む熱いものを堪えられなかったのである。
こうして新都市移転計画は、アルカディーナ達の賛同を得て順調に推移していくのだった。
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