第三十七話 生き残りし者 ②
生まれてこの方、他者からの期待や称賛には縁遠い存在だった。
グランローデン帝国皇帝を父とする三十五人の子供のうち、男子は十五名。
その十番目ともなれば、継嗣である皇太子のスペアにも成り得ない。
皇子とは名ばかりで、その存在理由は限りなく無に等しく、精々成人した後に何処ぞの王族や貴族の娘と婚姻し、帝室の隆盛を図る道具になるのが関の山……。
それが私、セリス・グランローデンに求められた唯一の存在理由だった。
しかし、持って生まれた気質ゆえか、そんな受動的な生き方が嫌で嫌で堪らず、将来は軍人として父皇に仕えて帝国繁栄の礎とならん……。
五歳になった私は秘かにそんな未来を渇望し、その願いを成就させる為に行動を開始した。
だからと言って、自分を見る周囲の目に変化があった訳ではない。
帝国軍の幼年学校入りを希望した時も、それは極めて無関心に等しい反応だったし、第十皇子の箔付けには、軍人の肩書きは手頃で良いのでは?……という程度に過ぎなかった。
それらの嘲笑にも似た視線は極めて不愉快だったが、形ある結果を出していない自分に反論する資格はないと思い定めて研鑽を積んだのである。
そんな日々の中で驚かされたのは、皇宮に住む愛妾らの動向は元より、血を分けた我が子達にも関心を示さない父皇から『精進せよ。お前はお前が望む者になればよい』と言葉を戴いた事だ。
正に天にも昇る程の喜びとは、あの時の心境に他ならないと、今でもそう思う。
幼年学校を二年。
初等教育課を経て中等教育課を卒業するのに三年。
優秀な成績を上げて十歳で士官学校に入学を果たし、特別教務を含む五年の研鑽の後に晴れて任官の栄誉を得た。
期待されていないとはいえ、皇帝の血を継ぐ実子であるが故に、任地は何処でも良いという訳にもいかず、すったもんだした挙句に、父皇の傍仕えとして近衛師団所属武官に任命された。
その時の感激と達成感は、今でも忘れられない。
相変わらず皇王府の貴族官僚や、他の一族の面々からの視線は冷たいものだったが、力を発揮できる場所と、少数だが信頼を寄せてくれる仲間を得た私にとって、そんなものは些末な事であり、然して気にはならなかった。
しかし、充実した日々の中、父皇である皇帝陛下の御傍に在って覇業の手助けをする……。
その熱き想いに歓喜したのは刹那の夢に過ぎなかった。
あの騒乱渦巻くアヴァロンの帝城で残酷な現実を突き付けられた私は、一転して奈落の底に突き落とされたのだから……。
◇◆◇◆◇
(ここは?……私は何を?……)
最初に視界を刺激したのは、唯々真っ白い平面と眩い光源であり、それが天井と円形の照明器具だと理解するのに暫しの時間を必要とした。
その目を打つ光が煩わしく、セリスは反射的に顔を顰めてしまう。
しかし、周囲の光景に見覚えはなく、それどころか自分が置かれている状況すら分からずに戸惑いは大きくなるばかりだった。
然も、身体は鉛のように重くて見動きもできず、思考までもが霞が懸かったかの如く判然としない。
不安に衝き動かされて周囲の状況を確認しようとしたが、錆びついた鉄扉が軋むかの様に、遅々とした動きで頭を揺らすのが精一杯で焦燥が募る。
だが、徐々に焦点を取り戻した彼の眼は、天井と同じ白色の壁と無人のベッド、そして所狭しと並ぶ数多の機材を次々と捉え……そして。
(め、女神……様?)
白い光景の中に一際鮮やかな彩りを認めて驚嘆したセリスは、その存在に意識を奪われてしまう。
肩の辺りで切り揃えられた青藍色の髪が印象的な若い女性が、花瓶に活けられた花々をその繊手で整えている。
(何という美しい女性なのだろう……本当に女神なのか? すると、ここは天上界だとでも?……天上界? どうして?)
重い思考の途中で、確かに何かが引っ掛かった。
その途端に胸の中に得体の知れない感情が溢れ、その正体不明の何かにセリスは困惑するしかない。
すると、そんな彼の気配を察したのか、視線の先の女神が振り返り、自分を見て顔を綻ばせたのだ。
その見惚れるほどの美しい笑みに陶然としたセリスだったが、次の瞬間に彼女の口から飛び出した言葉に耳朶を叩かれ、朦朧としていた意識を激しく揺さぶられてしまう。
「まあっ! 意識を取り戻されたのですね。良かったわ……貴方様は重傷を負って危ない所を救助されたのですよ」
(私が意識を失っていた? なぜ? どうして? 重傷? 救助された?)
女神の言葉が疑問の奔流となって思考を搔き乱す。
それが引鉄になり、あの陰惨な記憶が鮮明に蘇った。
長兄リオンが引き起こしたクーデターの最中、成す術もなく燃え盛る帝都を脱出したものの、執拗な追撃を受け、奮戦虚しく乗艦は撃破された。
そして、艦が被弾した衝撃で破砕した部品に腹部を直撃されたセリスは、全身を貫いた激痛と視界を赤く染めた光景を最後に意識を失ったのだ。
「こ、此処は何処だッ!? 私はぁ──ぐがっぅぁぁ──ッ!??」
その赤い記憶が弾けた瞬間、クーデターに端を発した、一連の騒動の記憶を取り戻したセリスは、勢い込んで上半身を起こそうとしたが、はらわたを抉られるかの様な痛みに悶絶してしまう
「だ、駄目ですッ! まだ動ける身体ではないのですよッ!! すぐにお医者様を呼びますから、大人しくしていて下さいッ!」
先程までの優美な表情を一変させた女神が悲鳴を上げたのは分かったが、身体中を苛む激痛に七転八倒するセリスは、自分が置かれている状況すら把握できず、益々混乱を深くするしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
「白銀提督……生きておられたのですね……」
鎮痛剤が効いたらしく、漸く落ち着きを取りもどしたセリスからの問い掛けに、達也は口元を綻ばせた。
「お蔭さまで。多くの人々に助けられて命を繋いでいます。それよりも、殿下こそ御無事で本当に良かった。此処ならば追手の心配もありません。今は何も御考えにならずに養生なさって下さい」
一命を取り止めたとはいえセリスの顔色は極めて悪く、憔悴し切っているのは一目瞭然であり、とてもグランローデン帝国で何があったのかを聞ける状況ではなかった。
仮に騒動の詳細が分かった所で、自前の戦力がない達也に有益な手が打てる筈もなく、だから、短兵急に事情を問い質す様な真似は控えたのだ。
(今は無理をさせるべきではない……快復してからでも……)
詳細な情報は一刻も早く欲しいが、無理をさせた挙句にセリスの症状が悪化しては本末転倒だと達也は判断した。
しかし……。
「御厚情は有難いのですが、幾つか質問させて戴いてもよろしいでしょうか?」
「殿下。御無理をなさっては……」
「いいえっ……自分が置かれている状況も理解できない儘では大人しく寝ていられません、それから閣下。私は既に帝国皇子ではありません。敬称も敬語も不要であります。いち軍人として接して戴きますよう……伏してお願いします」
自制する様に促す達也の言葉を遮ってセリスは懇願する。
喘ぐような苦しい息の中、搾りだされたその渇望には、やる瀬ない思いが滲んでいる様に達也には感じられた。
良くも悪くも皇族の一員として生きて来た彼の心中を慮れば、なにも考えずに寝ていろと言うのも酷な話に違いない。
そう思い直した達也は小さく息をついて軽く頷き、セリスの要望を受け入れた。
「分かりました。では、セリス……まずは、君が置かれている状況について簡単に説明しておこうか……此処はアルカディーナ星系。貴方たちがエスペランサ星系と呼んでいる宙域の第四惑星……名をセレーネといいます」
予期せぬ展開の中で銀河連邦と袂を分かち、多くの犠牲を払いながらも辛うじて生き残った事。
そしてこのセレーネ星を本拠とし、全ての住民とともに力を合わせて独立勢力として再起を目指している事。
達也の口から語られる話を聞いたセリスは一驚する他はなかった。
(なんという強運か……いや、絶体絶命の危地にあって、その不確実極まる幸運を引き寄せるのも、この御方の実力の成せる業なのかもしれないな)
初対面の時に達也が見せた、類稀なる戦術眼を以て敵を撃破せしめた戦いの記憶が脳裏に蘇る。
あの時に懐いた憧憬は今も色褪せず、寧ろ、一層鮮やかに輝いていると言っても過言ではない。
その想いが弥が上にも高まって行くのを自覚したセリスは、言い知れぬ高揚感に包まれてしまう。
「取り敢えず、力を貸してくれそうな方々に使者を出したのだが、その任務に就いていた者達が帝国でクーデター勃発との情報を得てね……艦長の判断で情報収集に向かった先で、偶然にも帝国軍同士の戦闘に遭遇し、大破した艦艇から君を救出して連れ帰った……という訳だ。蛇足だが、君以外には生存者はいなかったと報告を受けている……多勢をものともせず、最後まで奮戦した君の部下達の冥福を心から祈らせて貰うよ」
達也が最後に口にした哀悼の意を胸に刻んだセリスは、今は亡き部下達に心からの感謝を示し、彼らの魂が永久なる安らぎを得るようにと願う他はなかった。
「ありがとうございます……最後まで己の職責を全うした彼らの御霊に成り代わり、心から御礼申し上げます」
上半身さえ起こせない無様な状態ながら、セリスは少しでも謝意が伝わるようにと顎を微かに引いて礼を示す。
「気をつかわなくていい。今は傷を治して回復するのを第一に考えなさい。軍人は何時如何なる時でも理知的であらねばならない……万全を期して、機運が熟すのを待つのも勇気だよ」
軽く右手を上げて皇子の動きを制した達也は、焦って逸らない様にと改めて釘を刺した。
その言葉に一瞬だけ悔しげに眉根を寄せたセリスだったが、今の自分に何が必要なのかは誰よりも彼自身が分かっており、達也の厚意に縋る他に選択肢がないのも理解している。
「ありがとうございます。御言葉に甘えさせて戴きます。あの、もうひとつ教えて貰いたいのですが……我々と交戦していた艦隊は如何相成りましたか?」
「君を救助した艦が全艦撃破したよ。その上で、君が生存している事実を隠蔽する為に、大破した乗艦も敵艦同様に熱核反応弾で止めを刺したそうだ……敵方に知り合いでもいたのかい?」
「いいえ。ですが、ほんの少し前まで友軍だった者達でしたから……どうして……味方同士で争う愚を犯さねばならないのか……」
慨嘆し瞑目するセリスの頬を、涙が雫となって伝い落ちた。
さすがにこれ以上は負担が大きいと判断した達也は、傷が完全に癒えてから再度会談の場を持った方が良いと判断したのだが……。
「セリスお兄さまっ! 御無事なのですかっ!?」
ノックもなしにドアが開いたかと思うと、憂いを色濃く滲ませた表情のユリアが息せき切って病室に駆け込んで来て、達也は撤収するタイミングを逸してしまう。
「……ユリア。兄君の容態が心配なのは分かるが、ノックぐらいはしておくれ」
「あっ!? わ、私ったら……も、申し訳ありませんでした。気持ちばかり急いてしまって……」
呆れた風情の口調だったが、愛娘に向ける達也の視線からは、何処までも優しい温もりが溢れている。
そして、自分の失態に恐縮しながらも、その視線を受けてはにかむユリアの様子を見たセリスは、熱い想いに胸を衝かれた。
嘗て帝城の片隅で虜囚同然の扱いを受け、その瞳を仄暗い絶望に染めていた少女はもう何処にもいないのだと知り、心底嬉しかったのだ。
だからこそ、伝えておかなければならない……。
そう思い定めたセリスは、真摯な視線を達也に向けて懇願した。
「ユリアもいるのならば丁度良い……どうか私の話を聞いて下さい」




