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夢を抱いた男 〜猫たちの時間10〜  作者: segakiyui


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5.空を飛べたら(1)

「きゃっ…」

「あ、悪い…」

 高多の後を追って店を出かけた俺は、ちょうど入って来ようとした娘とぶつかりそうになって慌てて避けた。不安定な姿勢を、浮かせた片足と広げた両手で何とかバランスを取る。と、その俺をひょいと覗き込んで、相手は明るい声をあげた。

「滝さん!」

「え?」

「佐野さん、お元気ですかあ?」

「お由宇? お由宇なら元…」

 せっかく必死に地面を踏みしめていた足が、こつ、と店の傘立てに当たった。

「わたっ……わたたたっ…」

「きゃあああ!!」

 ドスン! ガシャン! ガシャ、ガシャン!!

 俺は見事に傘立てを蹴り上げて尻餅をつき、次いで、たまたま側を通っていたウェイトレスのスカートを思い切り派手に捲った。絶叫したウェイトレスは怯む間もあらばこそ、手にした盆を力の限り俺の頭に叩きつけ(ご丁寧にもそれは、水を入れたコップを3つ、4つ乗せていた)再び喚いた。

「何すんのよ!」

「いや、俺はただ…」

「ただ、何よ!」

「単に…」

「単にどうなのよ!」

「そんなつもりは…」

「どんなつもりだったのよ!」

 しつこく絡むウェイトレスに閉口して、しどろもどろの弁解を試みる。

「だから、そんな、スカート捲る気なんて、なかったんだ」

「なかった?」

 そうだ、そうだとも、悪意ではなく、偶然だとわかってもらわなくては!

「なかった! 捲ろうなんて考えもしなかった! 近づこうとも思わなかった! それこそ、『頼まれても』…」

 パコーン!!

「あつっ!」

「何よっ、バカっ!!」

 弁解の途中で、俺は再び脳天を盆で殴られて蹲った。薄情なもので、店の主人は苦笑しながら少し頭を下げたのみ、当のウェイトレスはかんかんに怒って、店の奥へ引っ込んでしまう。

(何だ? なんでまた、殴られたんだ?)

「うふっ」

「うふ?」

 訳が分からないまま呆然としていると、耳元で甘ったるい含み笑いが聞こえた。ぎょっとして身を引いて、急いで目の焦点を合わせる。さっき俺に声をかけた娘、奈子だった。

「バカだなあ。あんな事言われれば、誰だって、ビンタの1つや2つ、3つや4つ…」

「勝手に数を増やさないでくれ」

 俺は唸った。にやにやしながら、奈子が俺の腕に手を掛け、引き起こしてくれる。

「でも、ひどい格好。会えたのはよかったけれど」

「誰のせいだ」

 立ち上がって顔をしかめた。足首のあたりに妙な感じがする。どうも力が入らない。

「まあ、座ってよ」

 奈子は俺を引きずるように、椅子に腰掛けさせた。

「はい、ハンカチ」

「あ、どうも」

「駄目だなあ。でも、あたし、ダメな人って嫌いじゃないの。母性本能、刺激されちゃう」

「そりゃ…どうも…」

 渡されたハンカチで顔を拭いながら、当たり障りのない答えを返した。

「、と、こうしてる場合じゃない!」

 我に返って席を立つ。高多が店を飛び出して行ってから、まだそう立っていない。急げば追いつけるだろう。

「うん、滝さん!」

「わちっ!」

 その途端、ぐいっと奈子に引っ張られて、ドスンと椅子に腰を落とした。ぐきっと今度は確実に、右足首のあたりがねじれた音がした。

「う…」

「どしたの?」

「一体何だよ!」

「何だよ、はないでしょ! せっかく捜したのに! いい事教えてあげようと思ったのに!」

「いい事?」

「そーよ。高多君と美砂のこと」

 奈子はにんまりと笑った。指先でメニューを突く。

「いい情報だと思うんだけどなあ…」

「ええい、好きにしろっ!」

 俺は自棄になって喚いた。


「あちちっ…」

 ったく、今日は厄日に違いない。

 病院の階段を上がりながら、俺は片目をつぶって、視界の裏、脳髄あたりまで響いた痛みに堪えた。

「大丈夫かね?」

「はあ、なんとか」

「しかし、君は…」

 一緒に階段を上がりながら、厚木警部はくくっと喉の奥で奇妙な笑い声を立てた。

「本当によくこけるな」

「悪かったですね!」

「いや、感心しているんだ、器用だな、と」

「……」

 俺はできる限りの陰険な目で厚木警部を睨んだ。

 奈子から逃れて、ようよう病院に着いてみれば、エレベーターは故障中、おまけにるりの病室は4階ときた。たまたま厚木警部もるりに会いに来ていて、旅は道連れ世は情け、の精神かどうかは知らないが、一緒にるりの病室へと向かっているところだった。

「…とすると、その娘の話では、和枝という娘が事故死した直後、その校舎の裏口から高多と松岡が出て来るのを見たというんだね?」

「ええ、まあ……と言っても、高多の方が先に出て来て、次いで美砂が出て来て高多に追い着き、何か話した途端に高多の顔色が変わったそうです」

 もそもそと話す。こけた理由に始まって、結局そこまで話してしまうことになったのだ。

「だが、その娘はどうして『そこ』に居たんだ?」

「友人2人を待ってたそうなんです。2人とも学園祭の実行委員で…」

 話しながら俺は、混乱して来る頭の中をなんとか整理しようと、虚しい試みを続けた。

 『あの日』、奈子は、和枝が事故死した校舎の裏口で、由美と典代を待っていた。いつまでかかるのだろう、と溜め息をついた時、校舎の向こうで騒ぎが起こった。不審に思ったが、約束の場所を離れるわけにはいかない。だが、好奇心もある。

 迷っていると、誰か、校舎の階段を慌てて駆け降りてくる人間がいる。とっさに身を隠した奈子は、妙に青ざめた表情の高多が、走るように校舎を出ていくのを見て取った。続いて、頬を紅潮させ、瞳を輝かせた美砂が同じように駆け出してきて、高多に追い着く。

 なんだ、デートか、と思った奈子は、美砂が耳元へ伸び上がるように何事か囁いた瞬間、蒼白になった高多におやと思った。

 何だろう。ただの逢引にしちゃおかしい。

 が、その時、表口の方から校舎を回って来たらしい典代が、泣きながら飛びついて来た。その後は何が何だかごちゃごちゃしていて、ついこの間まで、自分が見たことも忘れてしまっていたと言う。

「その『美砂』は11月20日、下宿で死体となって発見されている。睡眠薬の飲み過ぎだった。遺書はなかったが、多分自殺だろうということになった…」

 厚木警部は考え込みながら唸った。

「どうやら、高多だな、やっぱり」

「あいつが犯人ということですか?」

「重要参考人、だ」

 警部は俺の軽率さを諭すような口調になった。


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