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中編

私と宝の出会いは、私たちが小学5年生に進級し同じクラスになった時のことだった。


出会い、とはいっても、いつも賑やかなクラスメイト達の輪に囲まれて人気者だった宝と、あまり他人と話すのが得意ではなく、加えて一緒に外に出て遊ぼうと誘われてもいつも断っていたことですっかり付き合いが悪い人認定をされ孤立していた私とでは接点などあろうはずもなく。

私とは全くの別物として生きるクラスメイト。

私の宝に対する認識はそんなものだった。


そんな関係が変わったのは、その年の夏休みのある日のこと。

私が、一つ年下の弟とのゲームに負けたことがきっかけだった。


――『負けた方が勝った方の言うことを一つだけ、なんでも聞くこと』


軽い気持ちで受けて立ち呆気なく負けた私に、弟が命じたのは『アイスクリームを買ってきて』というもので。

吸血鬼とは言っても私たち姉弟には人間の血が混ざってもいて、先祖の血を色濃く受け継いだ私と違い、弟は人間の味覚も持って生まれたらしく人間の食べ物をなんでも好んでよく食べる。私と同じく弟にとってもやっぱりそれは栄養にはならないようだけれど、特にスイーツと呼ばれるものが美味しくて好きらしい。

私は、人間の血液以外、何を口にしても味気なく感じる私には、それがちょっとだけ羨ましい。


少し躊躇いはしたものの、そういう約束だったし仕方がないかと日傘をさして日差しの照り付ける外へと出かけた。

家から5分ほど歩けば一番近いところにあるコンビニまでたどり着ける。

長時間ではないからきっと大丈夫、と。



だけど、



「……」


何故だろう? そんなに時に限って、


≪改装中≫


そう掲げられた看板と、いかにもというように周りに足場が組まれ、作業着姿の人が空っぽの店内に数人出入りする様子に、私は言葉を失った。


折角ここまで来たのに。


これではアイスクリームが買えないし、それに何より、ここで、お店の中に入ることで、一時的に太陽の光から逃れ身体を回復させるはずだったのに……。


私は慌てて他に入れそうな店や建物がないか辺りを見回した。

元々家からこの場所まででギリギリだった。

きっと陽の下に居ていいタイムリミットはすぐに訪れるのに。

兎に角、早く一旦陽の光から逃げなければ危ない。


取り敢えずそこの路地に入ろうか。


そう思って再び足を踏み出した私は、

だけどそこに行きつく前に道の脇に倒れ込むことになってしまった。


力を失った手から、日傘が風に奪われ転がり去っていく。

夏の日差しは残った力を奪うのも早い。

先ほどまで耳に煩いくらいだった蝉の声が遠ざかり、目が霞む。

きっとこのままだとすぐに干からびる。

もう駄目だと思った。そんな時――、



「大丈夫?」



そう、

落としたはずの日傘をこちらに差し出して、そう声をかけてくれたのが宝だった。



「佐原さん? どうしたの? どこが苦しいの? ちょっと待ってて! 誰か大人を呼んでくるから」


心配そうに膝をつき尋ねてくる彼の姿に助かったと思った。

大人なんか呼ばなくていい。


「血、を」

「え? 何?」


よく聞こえないとばかりに私の口元に耳を寄せてきたその首元に、私は藁を掴む勢いで躊躇いなく食いついた。

肌を焼くような日差しも、人々の視線も、ちょうど日傘が遮って。



――……



いつもと同じ帰り道。

あの時と同じ場所を通りながら、隣を歩く宝は「それにしてもあの時はびっくりしたなぁ」と笑う。


「私だってあの時はびっくりしたよ」

「美夜が俺の記憶を消し忘れたから?」

「それもだけど、宝が……」

「俺が?」

「私のこと知ったら誰だって恐怖で慄くのに。“仲良くして”なんて言う変わり者は初めてだったんだもん」


あの後。


『えっと……??』


遠ざかっていた蝉の鳴き声が耳に戻り、口を離すと、そこにはきょとんと私を見つめる宝がいた。

『佐原さん??』と私の名を呼び、手を不思議そうに私が噛んだ首筋へやるその姿に私は次は別の意味で焦った。

いつもであれば、血を吸い終わる直前にほんの少し私の唾液を流し込み、獲物の意識と記憶を奪ってしまうのに。

死にかけて、早く血を得ることだけしか考えられなくなっていたんだろう。

重要なことを怠ってしまったのだと。

まずい。騒がれる。

そう身構えたのに、


『佐原さんが吸血鬼……?』


と呟いた宝は私が何者か気づいたはずなのに、自分まで吸血鬼になったのか尋ねただけで他の人間たちのように私を恐れるわけではなく、挙句にこう言ったのだ。



『じゃあさ、これからも俺が佐原さんに血をあげるから仲良くしてよ』



と。

一切の怯えなど見せずに柔らかく微笑んで。

そして、そんな変わり者の宝は、その時と変わらない表情で、私の顔に手を伸ばしながら言う。


「だってあの時、俺は幸運だって思ったから。おかげで今、こうして美夜と一緒にいられるでしょ」

「ありがとう。宝」

「どうしたの? そんな殊勝にさ」


立ち止まり改まってそう言い感謝を示した私に、宝が優しく問いかける。

だけど、


「ううん。何でもない」


私は、この人のこの言葉を真に受けてどれほどの負担と犠牲を強いてきたのだろうと、改めて思った。

あの日以来、宝はいつも私のことを優先してくれる。

毎日必要な量の血を与えてくれるだけでなく、私以上に私の体質を気にかけ、いつ、何があってもいいようにと極力傍にいてくれて、いつも宝を取り囲んでいた友達の輪からは抜けてしまった。

私が人間でないという事実に気付かれないように。そして、元々人づきあいが上手くない私に合わせて。私たちの間に入ってこようとする人間もやんわりと遠ざけてしまう。

宝は「気にしなくていいよ」と笑ってくれるけれど、私がいないときに彼らと楽しそうに会話をしている姿を見かけるし、こちらに視線を向けてくる男の子たちへ時々宝が微笑みかけているのも見るから、本当は宝だって彼らと一緒にいたいはずなのに。

宝は心配性で、どこまでも優しいから。


「ほら、帰ろう」


自然に差し出される手を私は取る。

こうして登下校も一緒で。

学校でだけじゃない。

何故あの日あの場所にいたのか、その理由である罰ゲームのことを話したら、弟が宝嫌いになるほどなんだかすごく怒られていたけれど、私が普段は日差しの強い日は登下校すら難しくて、日中は外出もままならないから休日は家で過ごすばかりだと零すと宝はまるで当たり前のように休みの日に「映画にでも観に行こう」と陽の光を気にしながら外に連れ出してくれたりもした。

水族館や、夜の遊園地、花火大会も、とても楽しかった。

自分が何者か忘れてしまうほどに。


宝に不自由を強いて、依存しきっている自覚はあった。

だけどそんな関係が心地よくて、そんな日々が、中学、高校と続いていくうちに、私はすっかり宝に甘え切った日々こそが当たり前で、この先もずっと続けていってもいいのだと、勘違いをしてしまっていた。



だから、先月――。



その日はバスケの大事な試合なのだと言っていた。


応援に来てほしいと。いつものように「美夜が見てくれていたら頑張れるから」と言われて、私は私自身も宝の試合を見たいだけじゃなくて、宝の為にも“どうしてもその試合を応援してあげなきゃ”とすっかりその気になって張り切って、当日、意気揚々とタクシーを呼んで一人会場へと向かった。

宝は朝早くから部のほうで集まらなくてはならなかったから。こういう時はタクシーを使うのが宝との約束。

着いたら宝はいつものように嬉しそうに笑ってくれるだろうかと私は口元を緩めて車窓の流れる景色を楽しんでいた。

だけど、その流れていた景色が何故か固定され、そのままとなってしまったことに首を傾げていると、運転手のおじさんがどうやら事故による渋滞にはまってしまったようだと私に教えてくれた。


『あのっ、流石にあと1時間もあれば着きますよね?』

『うーーん、本当なら2分もあれば充分な距離なんだけどね。なんか凄い事故みたいだからいつ頃動くか……。後ろも詰まってて身動き取れないし、なんならここで降りるかい? 歩いて行った方が確実かもしれないよ』

『歩き……』


どうしようか。一瞬迷った。


車で2分かからないくらい。ということは多分歩けば10分程度だろうか……。

少し、厳しいかもしれない。


けれど。


間に合わない事態になど陥りたくなかった。何が何でも行かなきゃいけないと思って、私は手にしていた日傘の柄をぎゅっと握りしめ、



『降ります!!』



気が付けば、そう宣言していた。


宝と過ごすようになってから、宝に見守られながらだけど少しだけ長い時間外を出歩くことも多くなった。

だから大丈夫だと思った。

“行かなきゃ”という闘志だってあった。


大丈夫大丈夫。

何も問題なんかない。


そう思って必死に足を動かした。


だけどそんな望みはあっという間に砕け散って。

それが愚かな決断だったのだと思い知ったのはすぐ。

やっぱり私は一人じゃ何もできなくて。


ふらりと、歩道に膝をつき倒れ込みながら、自分の浅はかさと無力さに奥歯を噛み締めた。

応援を、したかったのに。

誰でもいいから、適当に獲物を捕まえればいい。

あの日の宝と同じように声をかけてくれる人たちもいる。

けれど、大渋滞の起こったここは人目に付きすぎる。


失敗をしてしまった。


そう思いながら、私は遠のく意識の中で必死に自分のバッグを探ってスマホを取り出す。

頼れるのは一人だけだった。


――『美夜? もう着いたの?』


『た、から、お願い助けてっ……!』



――『美夜!? 今どこ!!??』



私を助けるために駆けつけてくれた宝は、その日、結局大事だと言っていた試合に出られなかった。

それどころか他の部員たちにまで迷惑をかけて、宝がすごく怒られ責められ、それでも黙って頭を下げていたのを知っている。

そして私も。


『何してたの? なんで宝君を呼び出したりしたの!?』


宝が可哀そうだと。貴女のせいだと、バスケ部のマネージャーをしている子に詰られた。

いつも響かせている可愛い顔によく似合う甘い声を、鋭く尖らせて。


『只でさえいつも貴女が宝君に纏わりついてるせいで、宝君の事よく思ってない人間だっているの! 宝君、やりにくい思いも沢山してるのに。何考えてるの!? 全部佐原さんのせいでしょ!? これ以上、宝君の足を引っ張るの、やめてくれる?』


『こんなに宝君に迷惑かけてるのに。ねえ、貴女はなんで宝君の傍にいられるの?』と最後には泣きそうに顔を歪めて。


私はそんな彼女の言葉に何も返せなかった。


何で気が付かなかったのだろう。

深く考えなかったのだろう。


私は、情けがないことに何も知らなかった。


『無理なんかしなくてよかったのに』


宝は私にそう言った。


『ごめんなさい……』

『美夜。約束通り来てくれようとした気持ちは嬉しかったけど、それより美夜の身体を危険にさらしてほしくないんだ』

『……うん』


いつも、この耳触りの良い言葉ばかり信じて、どれ程の迷惑を宝にかけているのかなんて、全然考えていなかった。


それを、この時になって初めて思い知ったのだ。

自分が、宝にとってどういう存在だったのかを。

そして、これ以上宝の邪魔にはなりたくないと私は思った。




宝に家まで送り届けてもらってからしばらく。

空の高いところで丸い月が輝くころ。

玄関で靴を履いていた私の背後から声がかけられた。


「今日も出かけるの? 美夜」

「睦月……」

「こんな毎晩出歩いてるなんて、宝にバレたら怒られるよ。血なんて宝がいくらでもくれるのに」


ここ最近、毎夜、何のために私が出かけているのかお察しらしい弟にそう言われて、立ち上がった私は肩を竦めて振り返りながら苦笑を漏らす。


「怒るのは宝が心配性すぎるだけで、私が毎日ちゃんと自分で狩り出来てるって証明できれば大丈夫だよ」

「いや……、そういう意味じゃなくて」

「それに、もう私、宝に迷惑かけないって決めたもん」

「へー」


宝の優しさに甘えないで、ちゃんと宝離れをして、これからは元のように自分の力で生きていくのだと。


「まあ、勝手にすればいいけど。宝にバレたらちゃんと僕は何も知らないって言っといてよ。お願いだから巻き込まないでよね」

「はいはい」

「……ほんっと、宝が可哀そう」

「だから今頑張ってるでしょ」


反論した私に眉を顰め、だけどまるで呆れたような溜息を一つ吐いただけでくるりと身をひるがえし部屋に戻ってしまった弟の後姿を眺めて、私は玄関のドアノブに手をかけ外へ出た。


向かったのはキラキラと眩しいネオンの光にあふれる歓楽街。


「ねえねえ、暇なら一緒に遊ぼう?」

「うん、いいよ。あそぼ」


この辺でも治安が一際悪いその町の一角に佇んだ私は、寄ってきた人間の中から適当に選んだ獲物と共に暗い路地裏に入る。

そして私を抱き寄せる男の首に腕を絡め、キスをするふりをしてガブリとその首筋に噛みついた。

乾ききった喉を潤して力を満たし、突き刺していた牙を抜く。

と、直後、嬉しそうにニヤついて私についてきたその男は驚いた顔のまま、崩れるように私の足元に転がった。


「何か、期待をさせてしまったのならごめんなさい?」


まあ、捕って食らうはずだった者が逆に食われただけの話だけど、と。

そんな形だけの謝罪を残して。

目的を果たした私はもう用はないと、身をひるがえして倒れた男を残したままその場を立ち去る。


「あーぁ。美味しくない……」


真っ直ぐ家に帰るため歩みを進めながら口元を抑え、思わず零したのはそんな言葉。

見た目は宝と同じ年くらいの若い男を選んだつもりだったのだけれど。

この口に残るえぐみはなんなのだろう。

つい、私の口には合わなかったななんて贅沢なことを考えてしまう。


「早く慣れなきゃいけないのになぁ」


宝のものじゃない血も、宝が隣にいない生活も。


「あと3日」


ただ、宝と過ごすようになる前の、元の関係に戻してしまうだけなのに。

こんなに寂しく、心細く思うくらいなら。


自分の為にも宝の為にも。

いっそのこと7年前のあの夏の日に干からびてしまえばよかったのに、と私は小さく苦笑を漏らした。

※美夜は混血なので灰にならずに干からびます。

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