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第45話・つまり感電ってのは痛いわけだ

 孤児院の前にある馬車が通れる程度の道と、南門へと続く大通りが交差する地点にそれはいた。

 黄色の体毛に黒の模様が走る、日本人で言えばベンガルトラが最も近い存在。

 その体の表面をパチパチと音を立てながら走る静電気の光が見えなければ、体長も体格もほとんどが地球に存在するそれと大差は無い。

 そして地球であれば、武装もしていないただの人間が相手になるわけがないことも、この世界では同様だった。


「ガアアアウッ!」


 咆哮をあげながら、周囲で逃げ惑う煩い人間達を追い払うように威嚇する虎。

 現場を遠目に発見したトライとジュリアはその光景に驚きを隠せないでいた。


「ヴォルテクスライガーだと!?

 一体どうやってあんな魔物が入り込んだんだ!」


「先に行くぜ!」


 グリアディア王国の城壁にはモンスターを寄せ付けない魔法がかけられているため、侵入しようという意思の無い魔物は近寄ろうともしない。

 それでなくても城壁自体が強固なもので、魔法的にも強化されているため侵入そのものが容易ではないのだ。

 それらを無視して入れる場所となれば東西と南にある城門だけになるのだが、人員が配置されていないわけもなく、強行突破されそうな場合には完全封鎖してしまう緊急装置も存在する。

 さすがにドラゴンがやってきて緊急装置ごとブレスで破壊されました、なんて場合にはどうしようもないが、【ヴォルテクスライガー】であれば騎士団が出てくるまで時間稼ぎをするくらいはできるはずだ。

 しかしそうなれば首都内全域か、少なくともこの周辺に警報や伝達の兵が走り回っているはずだが、ジュリアが見ている限りそういった者達は見えない。

 これは騎士達が仕事をしていない、とか誰かの陰謀等といった予想よりも、何もない場所から「突然現れた」と考えたほうが自然に思える光景だ。

 そしてその突然現れる方法も、この世界には全く存在しないわけではない。


「ヒッ、ヒイ」


 何かに躓いて転んだ女性が、尻を地面につけたままでズリズリと後ろに下がっていく。

 人肉でさえ食らう【ヴォルテクスライガー】にとっては、肉はより柔らかいほうが好みらしく、男より女、年寄りより若い者、つまり今逃げようとしている女性のような、脂の乗り始めた20台前後が最も好ましい。

 自分の威嚇に逃げ惑う人々の態度から、彼らを「敵」ではなく「餌」だと判断した【ヴォルテクスライガー】は、恐怖に顔を歪ませる女性にゆっくりと歩み寄っていく。

 動物に愉悦の感情があったのなら、彼は死ぬ瞬間までその感情に浸ったままであっただろう。

 なぜなら――――


「おおらぁっ!」


 ――――次の瞬間には、彼の首が体から離れていたのだから。

 ジュリアよりも早く突撃したトライは、女性が転んだ瞬間を目撃し、それに向かって余裕の態度で歩いていく【ヴォルテクスライガー】に狙いをつけた。

 軽く飛び上がり空中で愛剣ベルセルクブレードを取り出し、剣に勢いをつけるために体を一度反転させ、着地のタイミングに合わせて思い切り上から斬り下ろす。

 トライの暴力による力と空中からの勢い、さらに剣の勢いとその剣自体の強さという要素が絡み合った一撃は、普通の剣であれば弾くような毛皮の鎧をあっさりと両断し、地面を軽く陥没させるほどの破壊を生み出した。

 お世辞にも綺麗に切断できたとは言えない切り口は、力任せに引きちぎられたかのような裂け方をしているが、それが逆にこの虎が二度と復活することは無いと語っているようである。


「大丈夫か?

 とっとと逃げな、この辺も危ねえぞ」


 倒れた女性が起き上がり、逃げていくのを確認しつつ周囲の状況を改めて確認する。

 いつの間に現れたのか、さらに2体の【ヴォルテクスライガー】が警戒心たっぷりの視線でトライを睨みつけていた。

 片方は体毛が逆立ち始めており、特殊な魔法を扱う準備が整っている状態だ。


 トライが覚えている限り、このモンスターはゲーム内でもそれなりに強い位置にいたモンスターである。

 とはいってもトライのようにレベルが150に達しているプレイヤーにとっては単独で倒せる程度ではあるが、レベル100前後のプレイヤーであればパーティーを組んでレベル上げに向かうような相手である。

 身体能力そのものが高く、何より虎という現実にもいる猛獣の姿が妙に現実感を与えてくるため、その3メートル近い体躯もあって初見のプレイヤーはトライも含めてまずビビる。

 そして距離を縮められずにいると専用スキルである電撃の遠距離攻撃によって、一瞬にして大ダメージを与えてくるという強敵なのである。

 この電撃という攻撃手段が厄介極まりなく、一旦発動されてしまうと運が良いか対策をしていない限り絶対に回避できない速度で飛んでくる。

 まあその強さに見合うだけの収集品や経験値を持っているため、慣れてしまえば色んな意味で美味しいので有名なモンスターだ。


 ちなみにトライはこの電撃をくらっても大したダメージにはならない、少なくともゲーム時代はそうであった。

 しかし現実に限りなく近い状況の現在、小さくともダメージを受けてしまうということは、それに伴う「痛覚」も発生してしまうということだ。

 ゲーム時代であればシステム側で一定以上の痛覚は受け付けないように制限されていたため気にはならなかったが、電撃という効果は下手をすれば心臓麻痺でさえ起こせるほどの強い痛みと衝撃だ。

 ダメージそのものは小さいためそれで死ぬというイメージは全く沸かないが、電気ショックをくらって精神的に耐えられる自信がトライにはちょっと足りなかった。

 そのため『ダンシングウェポン』によって出現している6本の剣を、避雷針代わりになるように自分の周囲に展開させて地面に剣先を軽く触れさせるようにして待機していた。


 【ヴォルテクスライガー】もそれが避雷針ということを理解しているわけではないようだが、剣が幅広の六角形をしていることから盾のような役割をしているのだろう、とは予測しているらしい。

 そのため発動する準備自体は整いつつも、放ったところで無駄になると判断して出方を伺っている。

 もう1体も同様に剣による迎撃を警戒してか、スキを伺うようにして周囲をウロウロとしているだけだった。

 トライとしては住民が避難し、騎士団が駆けつけてくる時間が稼げるのでいっそのことこのまま待っていようかとさえ考えていた時のことである。


 均衡していた場面を打ち破ったのは、ようやく追いついたジュリアの声だった。


「トライ! どこかに使役している人間が……っ!?」


 声が響いた瞬間、ウロついていたほうの虎が一瞬にしてジュリアのほうへと向き直り、その豪腕をもって引き裂こうと飛び出した。

 トライがそれに対して動けば仲間の雷撃が飛び、何もしなければジュリアが引き裂かれ、ジュリアが避けてもやはり雷撃でトドメをさすことができる。

 本来であれば【ヴォルテクスライガー】にここまでの連携能力は無い、それは彼らが強力なモンスターであるが故、それを必要とする相手と遭遇することが少ないからである。

 にも関わらず言葉も合図も無いのに見事な連携を仕掛けてくるということは、ジュリアが言いかけた通りどこかに使役している者がいるのだろう。


(足を止めればやられる、中途半端に避けてもやられる。

 そもそもトライの体当たりに比べればこんなもの!)


 走りながら現場に向かってきていたジュリアは勢いがついている状態だ。

 その状態で足を止めたり無理矢理に方向転換をすれば、どうしたって体が一瞬とは言え止まってしまう。

 ならば向かうべきは後ろでも、横でもなく、前である。

 以前のジュリアであればそんな発想など微塵も浮かびはしなかっただろうが、奇しくもトライの蛮行とも呼べる戦い方を近くで見ているうちに彼女は知ってしまったのだ。

 自分であっても相手であっても、目の前という領域には死角となる場所が多数存在する、ということを。


 虎の振り上げられた豪腕は上から袈裟懸けにするように斜めの角度をとっている。

 ジュリアは走る速度を緩めるどころかさらに加速させ、虎が腕を振るよりも早くその内側へと飛び込んだ。

 ただ早く走っただけでは間に合わない、だから飛び込むようにして、瞬発的な更なる加速を得て虎の攻撃のタイミングよりも一瞬だけ早く。

 空中で体を小さく丸め、背中から地面に落ちるように着地をしつつ、抜刀していた剣へと意識を向けた。

 勢いを殺さないように着地から前転の要領で転がりつつも、間近に見える虎の腹に向けて剣をたてるようにしてぶつける。

 ジュリアとしても初めての試みによって振るわれた剣は、確かに虎の体へとぶつかり、その行動に回避と同時に攻撃をするという新たな攻撃手段を生み出した瞬間だった。

 だが、それはただ攻撃ができたという以上の成果は生み出さない。


「くっ!」


 剣と毛皮がぶつかる、その表現に間違いのない感触がジュリアの手にはある。

 斬った感触がまるでないのだ、まるで鉄に剣を擦りつけているような、肉と剣が接触しているとはとても思えない感触がする。

 ジュリアの力では【ヴォルテクスライガー】の硬い毛皮を切り裂くことはできなかった。


 さらに彼女は、自らの思惑が成功したことで気を緩めていたのだろう。

 虎は四肢を持って地を走り、そして相手は避けられたことに気がついてから行動ができるくらいに強い個体であったことを失念していた。

 彼女の目の前に虎の後ろ足が迫っていたことに気がついた時には、彼女にはもう避けるだけの時間は残されていなかった。


「く、そっ!」


 それでも直撃だけは避けるため、剣を持っていないほうの手をなんとか顔の前まで持ち上げることで防御しようとする。

 同時に防御に意識が向いたことで無意識に頭を後ろに下げ、【ヴォルテクスライガー】も当たればラッキー程度の期待していない一撃だったこともあって、ジュリアの頭を軽く揺さぶる程度の衝突に留まった。

 それでもやはりモンスターが持つパワーの恐ろしさであろう、ジュリアの揺さぶられた脳は正常な動作を行うことができず、彼女の視界と意識をぐるぐるとかき混ぜる。

 前転をして片膝をついた姿勢から立ち上がることができず、朦朧とした意識の中でもう1体の虎が全身の毛を逆立てているのを見ても、それがどういう結果になるか理解できず、体を動かそうという意識が起きない。

 動かないとまずい気がする、だがどこに動けばいいのかも、どうしてまずいのかもわからない。

 今にも気を失ってしまいそうな中で、彼女の視界が真っ白に染まる。


(……あ、れ、もしかして、私、死ぬ?)


 真っ白な視界の中で、覚醒し始めた彼女の意識はそれが電撃だとぼんやり理解し、そしてそれが致死の一撃であろうことを予想した。

 何も見えない、空気が急激に膨張することで破裂した轟音が鳴り響いていて何も聞こえない、それでも彼女は誰かの声を聞いた。


「ジュリアッ!」


 一瞬だけ視界は白から黒へと変わり、そしてまた白へと変わる。

 死ぬということがこんなにもあっさりと来て、自分が死んだことも実感できないほどいつも通りで、彼女の朦朧とした意識は現状がどういうことか理解できないでいた。

 だからそのままのぼんやりとした頭で、ぼんやりと考えを巡らせる。


(死ぬって、こんなにあっさりしたものなんだ……

 ちゃんと……トライにはちゃんと全部話せばよかったかな……)


 眩い光に眩んでいた真っ白な視界と、耳鳴りが残る聴覚が次第に元に戻ってくる。

 覚醒し始めた意識と、あまりにもいつも通りすぎる体の五感が現実を正確に捉え始めて、やっと彼女は気がついた。


(……生き、てる)


 生きている、その事実にハッとしたジュリアは意識を完全に覚醒させ、目の前にいた巨大な黒い何かの存在にやっと気がついた。

 言わずもがな、そこにいるのはトライである。 彼女を電撃から身を持って庇ったことで、直撃を受けていたトライが片手を虎に向けたままの姿勢で仁王立ちしていた。


「……い」


「……い?」


 完全に元に戻った聴覚に、トライのものであろう声が届く。

 いつも通りの、ジュリアの知るトライの声が。


「いってえええええっ!?」


 本気で痛そうなトライの叫び声に、ジュリアは体をビクンと一度震わせた。

 実際には「痛い」程度で済むはずが無い高威力の電撃攻撃なのだが、まあ現実でも100ボルトの感電でさえ初めて体験した人間は死ぬほど痛がるものだ。

 現実では200ボルトでさえ死人が出ることもある電撃を初めて生で体験したのだから、トライの叫び声も仕方のないことであろう。

 一応補足説明をしておくと、一般の騎士や冒険者がくらったら簡単に黒焦げ死体が出来ているくらいの威力である。


「だあークソッ!

 やっぱり痛かった! もう当たってやらねぇ、絶対当たってやらねぇからな!」


 攻撃があたれば痛いという当たり前の事実に何故か逆ギレし始めたトライに、こいつだけは絶対に死ななそうだなどと思考を逸らしてしまうジュリアだった。

 だがそれが自分は余裕があるのだと再認識させられて、それはトライがここにいるからなのだと理解して、ジュリアの表情が複雑な形を描く。


 困ってしまったのは2体の【ヴォルテクスライガー】だ。

 彼らが扱う雷の魔法は彼ら独特の使い方をしているもので、人間の扱う雷系統の魔法とは威力も展開速度も段違いである。

 それは彼らにとって必殺にも近い攻撃手段であり、これでダメージを与えられない相手とはつまり自分達では倒せない相手と同義である。

 それを全身で受け止めておいて「痛い」で済ませるような相手など、彼らの本能が全力で撤退を指示するに決まっている。

 だが彼らにはそれをしない、できない。

 逃げたいのに逃げられないという彼らにとっての楔は迷いとなり、彼らの動きを明確に悪くする要因となってしまった。

 立ち止まり、動く気配のない2体の【ヴォルテクスライガー】が意識を保っていられたのは、それからほんの数秒後までのこと。


 空気を切り裂く音と共に、放電をしたほうの【ヴォルテクスライガー】は動きを唐突に止める。

 肉が避けるような音と、地面に何かが突き刺さった音が3度ほどしたことには気がついたものの、それが自分の体を剣のような物体が貫いた音だと気がつくことは無かった。

 トライの周りにいた六角形の剣のようなもの、それがトライの意思に従い上空から【ヴォルテクスライガー】目掛けて突撃したのだ。

 それに気がついたもう1体の虎は何が起こったのかを理解しようとそちらに視線を向けて、それどころではない状態にいたことに気がつくのが遅れてしまった。

 超重量の物体を思い切り振り上げ、まるで悪魔のような、悪魔でさえ恐れてしまいそうな死の気配を纏った何かが、今まさに自分の命を刈り取ろうとしていることに。


 【ヴォルテクスライガー】は不思議なことに、死の瞬間にあって生きることにしがみつこうとはしなかった。

 目の前にいる存在が恐ろしすぎて逃げ出したい、だが生きてもまた無理矢理戦わせられることになって、またこの恐怖を味わうことになってしまう。

 彼は「ああ、これで逃げられる」とでも考えたのか、スっと全身から力を抜いてトライの一撃を受け止めた。

 自分の首から上が弾け飛んだことを、彼が知ることはない。


「……チッ」


 遠くの物陰から覗く不審な男が、死んだヴォルテクスライガーに舌打ちをしながら消えていくことに気づいた者は誰もいなかった。

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