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快楽の国の女王  作者: 唐澤和希/鳥好きのピスタチオ


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宝石研磨師

 さて、ダニエルはどうなるのか。

 決定権を持つクリスに視線を向ける。

 先ほど少しあらぶっていたけれど、今の彼は静かな瞳を讃えていた。


「さっき、戦駒盤をやっていたんだ。俺は定石通りに打ちすぎるらしい。だから、相手にとっては先が見えやすくて、定石以外の手を打たれると萎縮して思考が止まる」


 思ったよりも穏やかな声でクリスがそう言った。その顔も穏やかですらある。


「殿下……?」

 と世話役っぽいグンテが心配そうに声をかけたが、クリスは無視して話を続けた。


「定石通りではダメらしい。勝つためには、自分の強さを信じる必要がある。自分というものを信じることができて初めて、勝負ができる」

 そう言って、挑戦的な目をアレクシスに向けた。


「おそらくここでダニエルを殺すのが正しいのだろう。今までの王族達が行なってきた定石だ。だけど、俺は、その定石とは違う手を打ちたい。アレクシス、俺は、ダニエルを生かす」


「それは悪手ですよ、殿下。生かしておいても意味はない。彼は再び家族のためにあなたを殺そうとするでしょう」


「そうだな。その可能性はある。だが、危険があるなら、見張りをおけばいい」


「危険が過ぎます。昔馴染みだからと甘く判断するのはいかがなものかと」


「別に昔馴染みだからってわけじゃない。確かに危険なことは確かだが、そのリスクを負ってでも勝負に出たほうがいい時と言うのがあるんだ。ダニエルには、二重スパイになってもらう」


「二重スパイ……?」

 クリスの言葉に、驚いたようなアレクシスの言葉が漏れた。

 そしてクリスは改めてダニエルに向き合う。


「ダニエルは、兄上陣営と連絡を取り合う方法があるのだろう?」

「……はい。鳥を使って文のやりとりを行なっております。そうして殿下の居場所をお伝えしてました」

「それを連絡は引き続きとって良い。だが、送る手紙の内容はこちらで決める」

 クリスの言葉に、ダニエルは目を見開いて固まった。

 つまりそれって命は助けてやるってことだよね。


 やり取りを見ていたアレクシスが、なぜか満足そうに微笑んだ。


「なるほど。事実と異なる情報を伝えて相手を混乱させるおつもりですか? 思い切ったことをされる。しかし、うまくいきますでしょうか……」

 口には否定的なことを言っているけど、やっぱりどこか満足そう。

 まるでこうなることを望んでいたみたいに。



「うまく行かせる。ダニエルが離反したことがばれないように、その手紙には事実も混ぜる。言っとくけど、その文面を考える時はアレクシスも一緒に考えてもらうからな」

 そうにっとさわやかな笑顔をクリスは浮かべると、再びダニエルに視線を戻した。


「そして、連絡が取れている間は、あいつらもお前の家族に手を出さないはずだ。やってくれるな、ダニエル」

 ダニエルの肩に軽く手を置いてクリスが言う。

 この二重スパイというのは、きちんと信頼関係が取れるかどうかが肝心だ。

 口で言うのは簡単だけど、一度裏切っているダニエルを信じることは、思っているよりも大変なこと。

 再び目を潤ませたダニエルは、深く頭を下げた。


「はい……! この恩情、一生忘れません! 誠にありがとうございます。誠心誠意仕えさせていただきます」

 涙に濡れて震えたダニエルの言葉が響く。


 ああ、本当に、磨けば光るものってどうしてこんなに魅力的なのだろう。

 こう言うのがあるから、磨きたくなってしまうのだ。


 私は落ち着いた笑みを浮かべるクリスを見て、そんなことを思った。



 クリス殿下御一行を連れた旅の2日目が始まった。


 本日も変わらず馬上の旅。昨日は色々あってあまり眠れてないから、少し瞼が重い。

 後ろを見れば、昨日の夜になかなかカッコいいところを見せてくれたクリスが、大きな荷物を抱えて馬に乗っている。本日の彼も荷運び仕事である。


 彼らの様子を見ていると、アレクシスと目があった。

 彼は私と目が合うとニット微笑み少し早駆けさせて私の隣に並ぶ。


「イレーネさんは一体クリス殿下にどんな魔法をかけてくださったのですか?」

 弾むような声の調子で、アレクシスが声をかけてきた。


「魔法? なんのことかしら。昨日はただ殿下と戦駒盤をしていただけよ」

「戦駒盤をしただけで、殿下があのようにご成長を見せてくださるなんて……さすがはルダスの女王。ここに来て良かった」

「随分と嬉しそうね。アレクシス。……貴方の思惑通りに事が進んでいるってことかしら?」

 私がそう言ってかまをかけてみたが、彼はいつもの何か食えない笑みを浮かべた。


 否定も肯定もしないけど、多分、彼は、王位継承権を破棄するつもりのクリス殿下を王位につくように仕向けるつもりだ。

 少し回りくどいようにも感じるけど、クリス本人に王になる覚悟を決めさせるように画策している気がする。


 だいたいアレクシスは、クリス殿下を王位につかせようとしているケイマール家の者。

 立場を考えれば当然か。


 それに、昔からクリスを知っているアレクシスなら、彼の王としての器の可能性に興味を惹かれたはずだ。

 私が、磨きに磨いて輝かせてみたい! と思うほどの潜在能力をクリスは持っているのだから。


「言ってくけど、私は、ただあなた達を安全に戴冠式の場に連れて行くことしか考えてないわよ」

 ほかに何かするつもりもない。つまりクリス殿下が王にする手伝いとか、そう言うことはするつもりはないのだ。


「ええ、わかっていますよ」

 と笑顔でアレクシスは応じると、後ろから馬の駆け寄る音が聞こえて来た。

 振り返れば話題のもとであるクリスである。


「お前たち、二人で何の話ししたんだ?」

「特に何でもない雑談ですよ。それより殿下はご用があったのではないですか?

「あ、ああ、まあ、そうなんだけど……」

 と言って、口をとがらしてチラチラと私を方を見てくるクリス。


 なんだ。何か言いたいことがあるなら言いたまえ。

 私が顎をしゃくって早う申せとという視線を投げつけると、意を決したようにクリスが口を開いた。


「き、今日の夜も、イレーネのところに行ってもいいか?」

「私のところ?」

「おや、殿下。女性の肌を覚えた途端にこれですか」

 とからかうような口調でアレクシスが言うと、クリスが目を見開いた。


「ち、ち、ち、違う! そう言うんじゃなくて!だいたい俺はまだ、女の肌なんて知ら……じゃなくて!俺は昨日みたいに、ただ、戦駒盤をしたいってだけなんだ!」

 と焦ったようにおっしゃる。

 いや別に、そんなに必死に言わなくても分かってるよ。落ち着け。そもそも私たちは肌なんて合わせない。


「いいけど、2、3局だけよ。昨日あまり眠れなかったから、今日は早く寝ておきたいの」

「あ、ああ! それでいい! ありがとう!それじゃあ、また、夜な!」

 そう言って、クリスはアレクシスを連れて後方に戻って言った。


 自由ね、ほんと。

 ちなみに私との戦駒盤は有料制だから。

 戦駒盤は上流貴族の相手をするとき用に母に仕込まれたので、この技術を無料で提供するつもりは毛頭ない。


 彼を無事に戴冠式までに城に送った後の報酬に上乗せしておこう。

 私が、脳内で金勘定をしていると、隣にローベルト

が馬を寄せる。


「アレクシスというものは、貴方の本職を知ってルダスに来たのかもしれませんね」

 と、警戒するような視線をチラリと後方にいるアレクシスに送った後に言った。


「なあに、本職って。私はこのルダスの座長が本職よ。副業もやってません」

「そうでしたか。私はてっきり磨けば光る原石を見つけてしまうと、磨かずにはいられない変わり者の宝石研磨師が本職なのかと思ってましたよ」

 と呆れたように言うローベルトに思わず目を眇める。

「もう!なにその言い方!肩入れしすぎるなって言いたいんでしょう? そんなこと私だって分かってるわよ」

 そう言ってそっぽを向くと、ローベルトから小さく笑う声が聞こえる。


「そうですか。わかってはいても、衝動を止められないのでしょうね。貴方は石を見れば磨かずにはいられない変わり者の宝石研磨師ですから」

 こいつ、完全に私をからかっておるな……?

 くつくつと楽しげに笑うローベルトに睨みを利かせていると、甘いイランイランの花の香りが漂ってきた。

 右を見れば、ルダス一座の歌姫であるナリア姉さんがいる。

「ふふふ、ローベルトさん、あんまりいじめないであげて。女王のその性質のおかげで、私も、貴方も救われた身でしょう?」

 コロコロと鈴を転がすような声でナリア姉さんが言う。相変わらずの美声だ。


「それは否定できませんね。ですが今回の案件は危険が予想されます。あまり変に首を突っ込んでほしくないんですよ。護衛としての責務です」

「あら、そうだったの? 私はてっきり、ほかの男の輝きに目がいってる女王を見て、嫉妬してるのだとばかり。男の嫉妬は見苦しいわよ」

 ナリア姉さんがからかうようにいうと、ローベルトの眉根が寄った。


「ナリアさん、ちょっと黙ってもらえますか?」

 なんだか不穏な雰囲気が……。

 私はこの空気を払拭するためにゲホンゲホンとわざとらしく咳払いをした。


「まあ、でも、ローベルトが言ってることが尤もだってことは分かってるわ。この件はあまり関わらない方がいいのでしょうね。今のところは静観するように務めるわ」

 私はクリスが戴冠式で無事に王位継承権を返還できるように城に連れて行くだけの依頼だ。それ以上のことはしない方がいい。


 わかってる。気持ち的にはわかってる。とってもわかっているのだ。


「ねえ、女王様、私は貴方が決めたことは全て従うわ。私は貴方の臣下だもの。ここにいる嫉妬狂いのローベルトだって、貴方の意向には決して逆らわない。だから、好きなようにしていいのよ」


 優しく諭すようにナリア姉さんが言ってくれた。

 かすかに香る甘いイランイランの香りが心地いい。

 ナリア姉さんの包容力はさすがだな。


「嫉妬狂いのところは訂正したいですが、他は、その通りですね。私達はいつでも貴方に付き従います」

 ローベルトが、低音の声を響かせた。

 どうやらこの2人、静観に努めるという私の言葉をあまり信じていないらしい。

 まあ、それもそうか。

 今まで散々振り回してきたし……。



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