裏切者の事情
一日目にして思惑通りに裏切り者のあぶり出しに成功したので、グンテとアレクシスをよんで、ダニエルの処遇について話し合うことになった。
「まさか、お前だったとはのう……」
グンテが悲しそうにそういうと、縛られた状態で膝をつくダニエルはさらに顔をうつむかせた。
「ダニエル、話をしよう」
ダニエルが取り押さえられた時と比べて随分と冷静さを取り戻したクリスが、疲れた顔で椅子に座りながらそう言った。
しかしダニエルは現在猿轡をされており、声を発せない。
クリスが、口の詰め物を取るように言ったが、側で見張っていたローベルトが顔をあげた。
「そうすると、こいつは舌を噛み切って自死するが、それでもいいか?」
「自死……? どうしてそう思う?」
「口の中に自死用の毒を仕込んでいた。取り押さえた時に私が取り除いたので今はないが、何かあれば死ぬ覚悟をしていたということだ」
自死用の毒か……。
なるほど、そういう覚悟を決めていたのなら、舌を噛み切って死ぬ可能性は十分にある。
私はあらためてダニエルと見る。
彼の左薬指にはまった結婚指輪、年齢的にも子供がいてもおかしくない。
そしてなにより彼は、最初にルダスに訪れた時、ルダスの料理や音楽に踊りを楽しんでくれてはいたけれど、女を楽しもうとはしてなかった。
そういう人達は、大体愛妻家だ。
もう心にひとりの女性と大事なものを決めているから、ルダスの妖精達の誘惑に抗うことができる。
「だが……! ダニエルは、小さい頃から俺を守ってくれていた騎士だぞ! 何も聞かずに、処分なんてできない!」
茫然自失、と言った感じでクリスが叫ぶ。
顔には苦悩の色が浮かんでいた。
話を聞きたいが、猿轡を取れば舌を噛み切るかもしれない。なかなか厄介ね。
でも、やりようによれば口を開かなくても真相を突き止めることはできるし、その後で口を割らせることはできる。
そしてその後の判断はクリス達がする。
私は、無言でだんまりを決め込むダニエルに近づいた。
彼の前に膝をつき、首筋に両手を添える。
ブルリと体を震わせて、ダニエルがやっと顔をあげ、私を見る。
私は気にせず彼の首筋に手を添えて、すすと探るように指先を動かして、目的のものを見つけた。
彼の首にかけられていた麻糸を手繰り寄せ、胸にかかっていた小袋を引っ張り出す。
スプリーン王国の騎士は大事なものを首にかける男が多い。
おそらくこの袋の中には少なからず、彼をこうさせたヒントがあるはず……。
「ん、んん……!」
と、言葉にならない唸り声を言って暴れようとしたので、ローベルトが頭を手を掴んで止めてくれた。
なんかめっちゃギシギシと痛そうな音がするのは聞かないでおこう。
私が小袋を開けると、中にに入っていたのは……赤黒いものがこびりついた、人の爪だった。それが二枚。一つは子供の、もう一つは女性の爪だ。
ある程度、予想はしていた。
でも、私が予想していた中でも、これは最悪に入る部類のものだ。
「家族を人質に取られたのね?」
私がそういってダニエルを見ると、彼は顔色をなくして私を見る。
そして、私の後ろからこちらを覗き込んだクリスが、私の手の中にある爪をみて息を飲んだ。
「ダニエル、これは……! お前の奥方と娘のものなのか!?」
驚愕のクリスの声。そして少しして彼は気づいたらしい、狼狽えたように一歩後ずさりした。
「あ、兄上がやったのか? 兄上が、お前の家族を人質にして……」
力無い言葉がその口から溢れる。
一瞬動揺して瞳を揺らしたが、すぐにダニエルは顔をうつむかせてだんまりを決め込んだ。
どうやらそれでもだんまりを決め込むつもりらしい。
私は仕方なくため息を吐いて、口を開いた。
「ダニエル、貴方は任務に失敗しても、自分が死ねば家族だけは解放してくれると思ってるみたいだけど、私はそうは思わない。だって、人質にとった家族をわざわざ生かすなんて、面倒だもの。貴方が働いてくれる間は、生かすでしょうけれど、死んだと分かればもう人質なんて用済みなのよ?」
私が伝えた当たり前のことに、ダニエルは再び顔を上げた。
血走る瞳から彼の底知れない悲しみが伝わってくる。
けれど、これは言っておいた方がいいことだ。
本当は彼だってわかってる。わかっているのに、受け入れて仕舞えば希望がなくなる。だから少しでもすがりたいだけだ。
「貴方が失敗して、死んだと分かれば家族の命はない。それともユーリアス殿下に、失敗しても自死すれば家族だけは助けると約束してくれた? きっとそうね。毒も渡されたものなのでしょう? でも、よく考えて。人質をとって人を従わせようとするクズ野郎が、貴方との約束を守ろうとするかしら?」
きっと、守らない。
ダニエルは私の言葉を聞いてしばらく呆然としていたけれど、諦めたように固く目を瞑り、一筋涙を流した。
これであきらめてくれたらいいけれど……。
下を向いてすすり泣くような声を響かせたダニエルを見下ろしてそう思っていると、クリスの声が聞こえた。
「ダニエル、お前の声が聞きたい。……『紐解きの紐は時でも解けず』」
クリスが、古代語を唱えた。
これは、スプリーン王国の王族だけの固有魔法の呪文。
確かスプリーン王国の固有魔法は、解放魔法。
結び目を解いたり、扉の施錠を解除したりできる魔法だったか。
そう気づいたときには、ダニエルの口を押えていた猿ぐつわの結び目が解けていた。
とはいえ抑え以外にも布をかませているので、まだしゃべることはできない。
私はローベルトに視線を移して目線で指示をだすと、彼はダニエルの口にいれていた布を取り出す。
口が自由になったダニエルは縛られたまま、クリスに向かって地面に額がつくぐらい頭を下げた。
「申し訳、ありません……」
消え入りそうな声の謝罪。
「謝ってほしいわけじゃない! ダニエル! 兄上に家族を人質に取られていたのは本当なのか?」
クリスの質問に、ダニエルはうなだれたまま小さく肯定の意味で首を縦に振る。
「……! なんで、兄上は、そんなことを……! くそ……!」
と吐き捨てるように言ったクリスは、床に膝をつき、うずくまるダニエルの肩に手を置いた。
「ダニエルも、それならそうと、なんで俺に言ってくれないんだ! 俺に相談してくれたら、お前の助けになったのに!」
悲痛なクリスの声に、ふふと軽やかな微笑が入る。
この場の雰囲気にそぐわない笑い声に、皆の視線がその声の主に行く。
そこにいたのは、アレクシスだった。
「ふふ、殿下は面白いことをおっしゃる。殿下はどのようにして人質に取られたダニエルの家族を守ろうというのですか? あなたは、城に戻って王位継承権を破棄するおつもりだ。違いますか? なんの権力もない貴方が、兄殿下の非道を止めることができると本当にお思いですか?」
アレクシスの声はとても落ち着いていた。
だからこそ恐ろしく聞こえる。
「お、俺は……だけど……!」
「殿下にはできません。その覚悟がない。ダニエルは、そう思ったから家族を人質に取られた時、殿下に相談する道を選ばなかった。王位継承権を破棄する貴方には、臣下の家族を守ることなどできない」
「アレクシス殿! これ以上は不敬に値しますぞ!」
グンテがアレクシスに鋭くいうが、当のアレクシスはいつも通りの穏やかな顔のままだ。
クリスは返す言葉が見つからないのか、アレクシスをみて唇を噛み締めている。
そんな殿下を見て、ダニエルが首を横に振った。
「殿下、全ては私の弱さが招いたことです。殿下に責は一つもありません」
「ダニエル……」
ダニエルの言葉に、動揺に揺れるクリスの瞳が再びダニエルに向かうけど、そんな彼の背後でアレクシスは嘲笑うような声を出す。
「そうでしょうね。ダニエルの弱さが招いたことであるのは変わりありません。では、ダニエルの事情もわかりましたし、クリス殿下、ダニエルの処遇を。通例通りなら、王族の暗殺の企てを行なったものには死刑が妥当でしょう」
「死刑……? そんなもの……! ダニエルは家族を人質にとられただけだ!」
「でも、彼は裏切り者です。貴方を殺そうとしたのは事実」
アレクシスの言は正しい。
あまりにも正しすぎて冷たく聞こえるほどだ。
アレクシスの言葉の正しさを理解しているからこそ、クリスは唇を震わせる。
何と返すべきか、言葉を探すクリスの下で頭を下げていたダニエルが顔を上げた。
「その通りです、殿下。私のことはお気になさらず。……家族のことは気がかりですが、ルダスの女王の言う通り、どちらにしろ家族が解放されることはないでしょう」
「ダニエル、だが、お前は、俺にとって、兄のような存在で……」
「殿下は本当にお優しく健やかにお育ちになった。……殿下を殺さずに済んで良かった。私が死ぬのは私の弱さゆえのこと。決してご自身を責められぬように」
穏やかなダニエルの言葉が天幕に響く。
全てを受け入れたような穏やかな声だった。




