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第14話

 ジークレストに連れられてたどり着いたのは、廊下のはずれのとても小さな小屋だった。

 出入り口付近に麻袋や樽などが山積みになっていたから、おそらく一時的な食料品置き場か何かに使われているのだろう。いずれにせよ人が過ごす目的で建てられたのではなさそうだ。

 だが、ジークレストは迷いもせずにその小屋の中へと足を踏み入れた。まさかこの中にイーニアスが? シェリアは驚きつつも、その後に従う。


「おう、待たせたな、イーニアス」

 ――果たして彼は、そこにいた。


 所狭しと積み上げられた木箱や樽の合間で、イーニアスは何をするでもなくただ佇んでいる。その眼差しは愁いを帯びていて、ぼんやりと窓の外を眺めているようだった。

 イーニアスはその沈んだ色の瞳を、ゆっくりとこちらへ向けた。ジークレストを捉え、それからその影に見え隠れする少女の姿を捉え――驚愕の表情を浮かべる。


「シェ、シェリアスティーナ様!」

 我に返ったというように、イーニアスはサッと背筋を伸ばした。ストールで表情を隠していようとも、目の前の少女が何者であるかなどすぐに分かったらしい。


「おい、俺は無視かよ」

 と呻くジークレストは、更に無視して。

「シェリアスティーナ様、あなた様ともあろう方が、このようなところで一体何を!」

「う、うん。その、ちょっと」

「あっ、まさか副長に無理やり連れてこられたんじゃあ……!」

「副長って、ジークさんのこと? ち、違う、違うからねっ。私が自分で、ここまで来たんだよ。あなたにお話があって」

「俺に、話?」

 戸惑いを隠せず、イーニアスはうろたえた。

「そうなの。それで、ジークさんにイーニアスの所まで案内してもらったんだ」

 そこでやっと、二人の視線はジークレストへ注がれた。――当のジークレストは、眉間に深い皺を刻んで不機嫌そうだ。


「おーいイーニアス、いい度胸してんじゃねえか。俺が嫌がる嬢ちゃんを無理やりかどわしたってぇ?」

「そ、そこまで言っていませんが。……失礼いたしました」

「ヒラ兵士に格下げされたお前を、だぁれが一番気にかけてやってると思ってんだ」

「はあ、ありがとうございます」

「全然ありがたそうじゃねーぞ、コラ」

「いえ、そんなことは」

 まあいいだろう、とジークレストは鼻を鳴らした。


「ホントはな、今日もお前を説得しようと思って呼び出したんだ。俺が取り成して、元の準騎士に戻れるようシェリアスティーナに直訴しに行こうってな」

 だが、と、ジークレストはちらりとシェリアを一瞥する。

「どうやらその必要もないみたいだ。なんせ、聖女サマの方からわざわざお越しくださったんだからな。きっと今のシェリアなら、お前を悪いようにはしないだろう」


 突然話を振られて、シェリアはぎくりと身をこわばらせた。

 手放しに自分を信用しているわけではない、試すような挑戦的な笑み。ジークレストという男にはこの上なくしっくりくるような、野心溢れる表情だ。それを真正面から受け止める気概は今のシェリアにはなかった。どうすればと戸惑って、ついふらふらと目線を泳がせてしまう。


「だよなぁ? シェリア」

「え、えぇと、それはもちろん、その」

「よし。んじゃ、邪魔者は退散しますかね。あとは若いお二人で、どうぞごゆっくり」


 ニヤニヤと笑いながら、あっさりとジークレストは小屋を出て行ってしまった。

 ……なんだか激しく納得のいかない退場をされてしまった気がする。シェリアは憮然としながらも、心の中ではここまで連れてきてくれた――そしてイーニアスと二人きりにしてくれた――ジークレストに感謝した。

 一方のイーニアスは、唖然としながらかつての同僚が消えていった扉を見つめている。


「えーっと、……イーニアス」

 はっ、と彼は再び姿勢を正す。

「す、すみませんっ、シェリアスティーナ様。彼がとんだ無礼を働きまして……!」

「そんな、いいんだよ。私なんて別に全然偉くもなんともないんだから」

 イーニアスのあまりの恐縮ぶりに、シェリアまで慌ててしまう。冷や汗をかきながら何度も小刻みに頭を下げるイーニアスをどうにかなだめ、二人は適当な木箱の上にそれぞれ腰かけた。


「あのね、話っていうのはね、あなたの身分のことなの」

「俺の? ――いえ、私のですか」

「ねえ、だからホントに、そんな畏まってくれなくていいんだってば。普通に話そうよ。じゃなきゃ私だって、敬語使わなきゃって気になるし」

「そんな、とんでもない! 敬語だなんて、やめてください。俺も――なるべく、ふ、普通に、話しますから」

 よし、とシェリアは厳かに頷いた。それでもやはり丁寧口調なのが気になるが、さすがに仕方がないというものだろう。


「かつての私の気まぐれで、あなたを平兵士の身分にまで落としてしまったね。でも、もとはイーニアスって準騎士だったんだってね」

「ええ、そうです。十五歳まで従士として訓練を積み、十六歳からの四年間、準騎士として国に仕えていました」


 従士だった期間まであるのか。シェリアは驚いて絶句した。

 確か従士というのは準騎士になるための見習い期間で、この期間を経験した準騎士は、将来かなりの上位まで上りつめることになると話に聞いたことがあった。従士は、特に貴い名門貴族の息子にしか与えられぬ身分だったはず。ということは、イーニアスは筋金入りのお坊ちゃまということになる。それなのに。

「わ、私、本当にとんでもないことしちゃったね。分かりきってたことだけど」

「いえ、俺のことはいいんです」

 イーニアスは穏やかに首を振った。

「むしろ俺にとっては、いい経験になりました。世界が広がったというか。自分がどれほど世間知らずで自分勝手だったか、この四ヶ月でよく分かった気がするんです」

 そう言って、イーニアスはかすかに微笑む。その表情に、遠慮や虚勢のようなものは滲んでいなかった。


「それに、今までこの身にまとわりついていたしがらみから開放されたのも、嬉しかった。幼い頃からずっと、神聖騎士になることが人生の全てだと言わんばかりの人達に囲まれてきたものですから。それがいつの間にか随分な重荷になっていたのかもしれません。今は逆に、誰の期待も背負わず、ただ自分の力だけを頼りに生きている。心地の良い責任を背負っているという感じです」


 イーニアスの言葉は優しい。そして穏やかだ。しかし、こうした言葉を口にできるようになるまで、随分と苦しんだに違いない。

 身分の違いが仲間を作らせず、雑用としか言いようのない仕事に従事させられ、過去を思い返せば儚くなった栄光ばかりが蘇る。そんな中、気楽にやっていられるわけがないのだ。それなのに、この人は。――なんて、すごい。シェリアは胸がぐっと締めつけられる心地がした。


「きっとあなたは、神聖騎士になるべき器の持ち主だと思う」

 名もなき一兵士として終わっていい人じゃない、シェリアは強く確信した。

「もとの地位に戻る気は、ない?」

「準騎士に、ですか」

「私がどれだけ勝手なことを言っているかは分かってるつもりだよ。気まぐれに地位を取り上げてまたそれを返そうだなんて、虫が良いにも程があるよね。でも、どれだけ愚かだと言われても、このままあなたを放っておくことはできない。それにあなたのような人にこそ、この国を支える神聖騎士になってもらいたいの。……っていうのは、ええと、単なる私個人の希望なんだけど」


 もどかしい。どうすればこの気持ちが相手に伝わるのだろう。シェリアは何とか上手く言葉を紡ごうとしたが、どんな台詞を以ってしても完全には伝えられないような気がした。

 今までの所業が、シェリアの本心をべったりと包み込んで霞ませる。どんな言葉もその醜い膜の上でつるつる滑り、穢れに塗れ、無残な姿と成り果ててしまうのだ。

 しかしイーニアスは、軽蔑の瞳を向けるでもなく静かにシェリアを見つめていた。そしてすっと視線を落とし、ぽつりと呟く。


「……あなたは不思議な人だ」

「え?」

「以前お会いした時とは、まるで別の方のような気がします」

 う、とシェリアは言葉につまった。まさにその通りですなどと言うわけにもいかない。

「ホリジェイルに入れられた親友のためにも、あなたを憎まねばならないと思います。それは俺の義務なのだと感じるのです。でも、なぜでしょうか、あなたを憎む気にはどうしてもなれない」

「イーニアス」

「昨日あなたに再会するまでは、きっと自分はあなたのことを憎んでいるのだろうと思っていました。しかし、今の俺は――」

 ふと、口をつぐむ。

「いえ、すみません。過ぎたことを口にしました」

 本当に、いじらしいほど真面目で心優しい青年だ。

 もし投獄されたのが親友でなく自分であったとしても、おそらくこの青年は同じ台詞をこの場で口にしていただろうとシェリアは思った。いや、投獄されたのが親友であるからこそ、イーニアスの苦悩は更に深まっているのかもしれない。

「ありがとう、イーニアス。でも私は『ありがとう』という言葉でしか、あなたの優しさに応えることができない。そうでなければ、聖女という立場を振りかざしてわがままを通すしか能がないの」

 それが、とても悔しい。もしかしたらかつてのシェリアスティーナもこんな葛藤を抱いていたのだろうか。本当は何の力も持たぬ自分に、絶望していた?

「そのようにご自身を貶めないでください。あなたは、ただこうしていてくださるだけで人々の希望となるのですから」

「本来ならば、ね。でも、今の私に希望を見出す人はいないよ、ただの一人だって」

「そんな」

 しんみりとした雰囲気が場を包む。

 いけない、とシェリアは我に返った。自分の人生相談をしに来たわけではないのだ。もしそうとなったら一日あっても日が足りない。そう、今はイーニアスの身の振り方について話し合わねばならないのではなかったか。


「ご、ごめんなさい。なんだか変な話になっちゃったね。話を戻そう。えぇと、とにかく、イーニアスさえ良ければ、その、また準騎士に……どうかな」

 言っていて、あまりに都合のいい提案だと分かっているから弱気になる。しかしこのまま下っ端兵士として彼の一生を終わらせてしまうというのも、やはり間違っている気がするのだ。


「俺は本当に、今の境遇でも満足してはいますが」

「う、うーん」

「しかし、他の道を選べるというのなら、選びたい道が――できました」

「えっ、な、なに? それ」

 どきり、と胸が波打つ。これで神聖騎士団長になりたいなどと言われたらさすがに困ってしまうのだが。たとえ罪滅ぼしのためとはいえ、聖女の権力を振りかざしたくはないというのが正直なシェリアの気持ちなのだ。まあ、彼ならばそんな突拍子もない願望など口にはすまいが。


 と、イーニアスは今までの真面目な顔つきを少し崩し、いたずらっぽく笑みを浮かべた。途端にその端整な顔が幼く見えて、シェリアは別の意味で緊張してしまう。

「もし俺を準騎士の地位に戻してくださるというのなら、他にもお願いがあるのです。二つ、どうか叶えてくださいませんか」

「お、お願い?」

 はい、とイーニアスは頷いた。

「一つは――ネイサン、我が親友も、準騎士の地位に戻していただきたい。彼の体調が落ち着いてからで結構ですので」

 牢獄に監禁されていた、あの赤毛の青年のことか。シェリアはすぐに思いあたった。憔悴しきった彼の姿は、今でも瞼の裏に焼きついて離れない。

「それは、もちろんそのつもりだよ。彼さえよければだけど。もう少し身体が回復したら、会って話をしたいと思ってる」

「では、俺も彼が復帰するまでは、兵団で訓練を続けたいと思います」

「……そっか」

 その気持ちを無視してまで無理強いすることはできない。シェリアは真摯に頷いた。

「もう一つは――、準騎士の地位に戻していただいた暁には、シェリアスティーナ様、あなたの護衛役を務めさせていただきたいのです」

「え?」

 今度は予想外の提案を持ちかけられ、シェリアは驚いてイーニアスの瞳を見つめた。

「わ、私の、護衛役?」

「そうです。必ず、命に代えてもあなたをお護りいたしますから、どうか」

 いたずらっ子のような笑みを引っ込め、イーニアスは真正面からシェリアを見つめ返した。

 ――幼い頃憧れていた、お姫様と騎士の物語。突然それを思い出して、シェリアは顔を真っ赤に染めた。

 今のイーニアスは薄汚れた簡素な服に身を包んだただの兵士に過ぎない。けれどその声も瞳も、毅然とした動作も、まさにあの物語の高潔なる騎士そのものだったのだ。やはりイーニアスには生まれ持った魅力がある。


「でも、その、ちょ、ちょっと待って」

「いけませんか?」

「いけない、ってわけじゃないけど。その、イーニアスはホントにそれでいいの? 護衛役なんかになったら、嫌でも毎日のように私と顔を合わせることになっちゃうんじゃないかな。本当なら、もう二度と私の顔なんか見たくもないでしょう」

 言っていて、自分で悲しくなってくる。だがイーニアスは、ただ静かに首を横に振った。

「もしそうなら、自分からこんなことを頼むはずがありません」

「そうだけど」

 しかしいかにも律儀そうなイーニアスならば、ありえない話でもない気がした。なにか変な使命感に燃えて、自分の感情にそぐわぬ任務も引き受けてしまいそうだと思ったのだ。


「お願いします、シェリアスティーナ様」

 イーニアスは一歩も退かず、どころかぐっと身を寄せてきた。シェリアの白く細い手を取り、強く握る。

「え!」

 思いもがけない攻撃、いや行動に、シェリアはひどくたじろいだ。

 慣れていない、こういうのには、――慣れていないのだ!


 振り払うことも、ましてやその手を握り返すこともできるはずがなく、シェリアはただあわあわと慌てふためいた。

 どうすればいい。こういう場合、一体どのように対処すればいいのだ。なけなしの知識を総動員しても、的確な対処法は思いつかない。とりあえず気絶しておくか? などとひどく情けない結論に達しそうになったその瞬間――


「おらっ、その辺にしとけ、天然たらし!」


 バン! と荒々しく扉を開けて入ってきたのは、ライオンのごとき派手男、ジークレストであった。

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