*18* 早咲きのチューリップ。
地方部の雪の影響のせいで、約三週間ぶりとなったダリウスからの花は、まだ時期的には少し早い、スラリとしなやかな茎と葉をを伸ばした赤いチューリップが二輪。
少しだけ蕾が開いた中に見える蕊の黒が、艶のある赤い花弁に対して一際印象的で美しい。
添えられたカードには、いつもより長めの文面で、
“あの魔法石で、季節を少し先取りした花を作ることが出来たから贈るよ。僕の、大切な君へ”
と綴られていたわ。あの魔法石と簡単な説明だけで、こうして新しいことを考え出してしまう柔軟さはダリウスらしいわね?
それに最後の部分に添えられた一言は、直前まで書き込む予定がなかったのが見え見えの小さな文字で、それが一層私を嬉しくさせる。
「もう何なんですの? 急に“僕の”だなんて……そんなの、当然じゃない」
今朝届いたばかりのチューリップを愛おしい気分で眺める。二輪あるのはきっと、三週間止まっていた花の遅れを気にしてくれてのことだと思う。
「こんなことでせっかく頑張って得た収入を無駄遣いして……領地に戻ったらお説教ですわね?」
そう言いながらもダリウスからの花が届く度に色んな種類の花に似合いそうな花瓶を、ちょっとずつ買い足してしまう私に彼のことは言えないのかしらね。
現在十二個もある花瓶は部屋の中でそのまま置いておくには結構場所をとるから、隙間という隙間に収納してあるけれどこれもそろそろ限界だから最近は買い足していない。
私は花瓶コレクションの中から、早速このチューリップに似合いそうな花瓶を探すことにする。
いつもの登校時刻まであと十五分ほどしかないけれど、すでに身支度も整えてあるし、朝の授業に間に合えば問題ないわ。
最終的な候補を二つ選び出して一輪ずつ生けてみるけれど――。
「あら、どっちも甲乙付けがたいですわね……」
淡いクリーム色の水滴型をした花瓶と、新雪に月光が滑り落ちたような真珠色で細かな襞のあるほっそりとした花瓶。
どちらも赤いチューリップの蕾を大切そうに捧げ持つ姿が良いわね。
「そうね……一種類の花を二通りの生け方をしてはいけない決まりなんてないのだし、良いわ。あなた達は一輪ずつ生けてあげる。その代わり、長く私の傍にいるのよ?」
花瓶に抱かれたチューリップ達に微笑み混じりにそう告げ、開きかけた蕾に口付けてから部屋を出た。
***
いつも午前中の授業を終えて昼休みになると、約束した訳でもないのに自然とカフェ・テリアに集まる私と二名。
そのはずなのだけれど……今日は午前中最後の授業が移動教室の選択制だったので、まだいつもの窓際の席にメリッサ様とアリスの姿はなかった。
確かメリッサ様は行儀作法と典礼作法の授業で、アリスが歴史音楽の授業だったかしら?
真面目なメリッサ様はともかく、アリスはいつも夢見心地(寝ぼけて)でくるから、いつ授業担当の先生につまみ出されるか心配になるのよね。
そんなことを考えながら何気なくカフェ・テリアを見渡していたら、柱の影に見覚えのある赤い巻き髪がチラリと覗いた。
メリッサ様だろうという確信があったので、私がここで待っていることが分かりやすいように柱の方に視線を固定させる。
すると髪だけしか見えなかった柱の影から覗いたのは案の定メリッサ様で、最近では意外でもないことにアルバート様とご一緒のようだった。
もしアルバート様がご一緒にいらっしゃるなら席を増やす必要があるわね、などと考えながら二人を見つめていたら――。
アルバート様がメリッサ様の背を柱に押し付けるように固定している。アルバート様の表情は少し距離があるから見え辛いけれど、何だか余裕がなさそうに見えるかしら?
対するメリッサ様は抵抗する様子もなく、手にした扇でアルバート様の頬を一撫でして何かを言っているようだけれど……その表情はこちらから見えないわね――と、いうかまさかあの二人こんなところで……?
その先が予想出来た私は一瞬目を逸らすべきだと分かっていたのに、思わず“でもまさかよね?”という気持ちが先行して目を逸らす時を逸した。
メリッサ様の扇に頬を撫でられたアルバート様は切なげな表情で何事か口にすると、一瞬扇に口付けたと思った時には……ここが昼休み中のカフェ・テリアの傍だと言うのに――!
「都会の方々は、は、破廉恥ですわ……っ!」
――とても熱心で執拗な口付けを交わす二人から視線を外せずに、一人プルプルと羞恥に震えていると、
「ね~? メリッサ様ってば本当に優秀な教え子だよねぇ。あれが小悪魔的にキスを焦らして、相手に懇願をさせてからご褒美をあげる、アリス印の【意中の男性をドギマギさせる上級者編】だよ。あの技は人目があるところでスリルを交えて実践するのが正しいの。あとは他の女生徒への牽制ね?」
突然後ろからかけられた声と言葉の内容に、驚きすぎて思わず席から少しだけ身体が浮く。私が振り向いて“アリス! あなたねぇ!”と声を上げるより早く、口にマカロンを放り込まれる。
「ふふふ、駄目だよ叫んじゃ。メリッサ様が気付いちゃうじゃないの。それに何だかんだ言って、イザベラってば見入っちゃってたでしょう? 真面目な田舎の子だっていやらしいんじゃないの~?」
マカロンをサクサクと咀嚼している私の頬を、アリスがそう意地悪な表情で指摘しながらつついてくる。
「ふぉんなんじゃ、んんっ、そんなんじゃありませんわよっ」
「まぁまぁイザベラちゃん、流石にあの二人もここで最後まではいかないから大丈夫だって。わたし達で先にご飯食べようよ。ね?」
隣の椅子を引いて腰をおろしたアリスがそう言うけれど――、
「ちょっと……あなた手ぶらじゃない。何か取りに行くならあの柱の近くを通るから、メリッサ様が気付くかもしれないわよ?」
メリッサ様の性格からして頑張って実践するのはやり遂げるでしょうけれど、知り合いに見られていたと知ったら羞恥で悶絶しそうだわ……。
私が逡巡しているとそれを見ていたアリスは「大丈夫大丈夫。そろそろ届くから」と訳の分からないことを言ってくる。でもそれだとアリスの分は届いても、結局のところ私は取りに行かないといけないのでは?
けれどアリスはそれも考えてくれていたようで「そんな心配そうな顔しないでもイザベラの分も届くから」と屈託なく笑う。私もそうまで言われてしまっては信じて待つしかないけれど……問題は誰が持ってきてくれるかよね?
食事が届くのを待っている間、アリスがデザート用に焼いてきてくれたマカロンを少しだけ先に二人で齧る。
途中でチラチラと柱を気にする私に、アリスは「イザベラにはまだあれは早いかな~?」と同じ歳のくせに年上ぶるものだからちょっぴり癪だわ。
そんな私を隣でニヤニヤしながら見ていたアリスが、不意に立ち上がって誰かを手招きをするから一瞬柱に視線を戻してすぐに逸らした。こちらに来るのはメリッサ様達ではないようだわ。
「おぅ、悪ぃ待たせたな。それにしたって、こんな端の席じゃなくてもっと真ん中に座りゃ良いのに。アリスは奥ゆかしいな」
目が節穴な発言をして現れたのは、最近アリスのお気に入りの玩具であるハロルド様だった。ダリウスと違ってかなり野性味のある男性なのでほんのちょっとだけ苦手なのだけれど、友人のお気に入りなのだから怖がってはいけないわね。
ハロルド様はアリスが言っていたように、果たしてこれで何人前あるのかしら? と考えてしまう量の食事を、手にした木製のトレイに山盛り持ってきて下さった。
そんなハロルド様を邪険に“ではこちらは頂きますわ。さようなら”などと追い返す訳にもいかず、意を決してアリスの隣の席を引いて「どうぞ?」と声をかける。
すると一瞬目を丸くしたハロルド様は、豪快な笑顔を見せて「お、何だオレも一緒に食っていっても良いのか? ありがとよ」と私に礼を言う。
しばらく三人で談笑しながら(アリスは猫を着込んだまま)食事を楽しんでいると、途中で「ハロルドの両手に花があるなんて珍しいなぁ。ボクも混ぜてくれないかい?」と、クリス様まで席に加わられた。
勿論クリス様の席はハロルド様の隣ですけれど。ハロルド様もアリスの隣にクリス様を入れる気はないようで、何故だか少しだけホッとしたわ。
メリッサ様とアルバート様が賑やかなテーブルに気付いてこちらにやってきたので、席を増やそうと隣のテーブルとくっつけようとしたその時――。
「あ、おいアルバート。お前メリッサ嬢との仲が修復出来て嬉しいのは分かるけどよぉ――ああいうのは場所は考えてやらねぇと拙いんじゃねぇの?」
その無神経で常識的なハロルド様の発言にアルバート様は当然のこと、メリッサ様の顔が見る見るうちに羞恥で真っ赤に染まるのを眺めながら、私はふと今朝部屋に生けてきたあの二輪のチューリップを思い出す。
ハロルド様の「やっぱムードとか大事だろ?」という明後日の方向にある気遣いに笑ったのは、アリスとクリス様だけだったわ。




