第3章 末っ子の仕事
ルートンは幼い頃から体を動かすことがあまり好きではなかった。
特段外へ出るのが嫌いだったわけではない。
ただ、とにかく無類の本好きだったために、家の中、あるいは図書館で本を読んで過ごしてきたのだ。
そう。彼もまた兄や姉達同様、学園には通わず家庭で学んだ。
当然家庭教師は付いていた。しかし、彼らはたまに伯爵家へやってきて、課題とそれに必要な何冊かのテキストや資料を置いていくだけだった。
ルートンはその課題をあっと言う間に済ませると、いつも好きなだけ本を読んでいた。
文字と絵さえかかれてあれば、どんなジャンルの本だろうが貪るように読破していった。
彼は物心が付いた頃から、ずっとそんな風変わりな子供だった。
しかし、これまでは家族から特に注意をされたり、何かをしろと指示や命令を受けたことはなかったのだ。
それなのに、突然運動しろと指示というより命令をされたため、ルートンが不思議に思ったというわけだ。
「兄上。確かに僕は運動を好んではいませんが、一応職場までは歩いて通っています。
それに剣やダンスの練習も人並みにやっていますよ?」
「それくらいの運動では自分の身は守れないだろう?
そもそも徒歩は止めろと言っているだろう? 危険だ」
ルートンは頭を捻った。
(危険って何? 身を守るって何から? 誰から?
徒歩だと転ぶ恐れがあるから? それとも馬車にひかれる可能性があるからなのかな。
徒歩通勤をしているのは、思考をまとめるためなのだが、それほどボーッとしているわけでもないぞ)
と彼は思った。
(以前から護衛を付けろと言われていたが、ご令嬢や要職に就くお偉いさんでもあるまいに)
男の自分に何言っているんだと彼は思っていたのだが、この状況はいくらなんでも過保護過ぎるだろうと、兄の顔を不満気に見つめた。
ずっと自分は放任されていたと思っていたのだが、それは勘違いだったのかもしれない。
自由人なルートンだって、一応一般的な常識は持っていた。
そのため、四年前に長兄が結婚した時には独立をしようとしたのだ。
それなのに未だに実家暮らしをしているのは、父親と兄に引き留められたからだ。
まあ、就職したとはいえ、まだ十五歳の未成年だったからなのだろうとルートンはその時思った。
実際にはもちろんそれも引き留めた理由の一つではあった。しかしそれだけではなかったのだ。
本人は未だに気付いていないのだが、彼らにとってルートンはとても使い勝手が良く、どうしても手放したくない存在だったのだ。
ルートンは就職する大分前から、ガルバン伯爵家において、有能な秘書のような役割を果たしていたのだ。
それならばいっそ秘書にしてしまえれば良かったのだが、それは無理な話だった。
彼は親兄弟の知らないうちに、いつのまにかちゃんとした仕事に就いてしまったからだ。
しかもその仕事先からの信頼はかなり高く、辞めるなどと言ったら大騒ぎになるに違いない。
そして伯爵家は我が国の至宝を独り占めにしようとしていると、世間から非難轟々となることが目に見えていた。
特にとーっても高貴な方々から睨まれる可能性が高かった。
それ故に正式な秘書にはできないが、せめて家に残ってらい、これまで通り本人に気付かれないように仕事を手伝ってもらうしかない。
というわけで、ルートンの独立を阻止するため、ガルバン伯爵家の面々は一丸となって、彼が気持ちよく屋敷で過ごせるようにと、常日頃非常に気を使ってきたというわけだ。
その素晴らしい環境のおかげで、ルートン=ガルバンは、自分ほど幸せな人間はいないとずっと思っていたのだ。
さて、ルートン=ガルバン伯爵令息の仕事は何かというと、一応官吏試験に史上最年少の十五歳でトップ合格したエリート官吏だった。
ただし、職場は本人たっての希望で、地味で陰気で古臭い王立図書館に勤めていた。図書館司書として。
この図書館は王城の隣のだだっ広い敷地に建っていて、王侯貴族や役人だけでなく、一般庶民からも利用されている。
たとえ文字が読めなくても本に親しめるように、見やすいところに、絵本などもたくさん並べられているからだ。
これはルートンの発案によるものだった。
巨大な建物の中にある、いくつもある巨大な書棚から一体どうやって目的の書籍を見つけるのか。
初めてこの場所に訪れた者なら、誰でも必ず一度は疑問に思うことだろう。
大昔は魔法を使える図書館司書がいて、あっという間目的の書物を見つけ出してくれたといういが、今はそうはいかない。
分類ごとに分けられた書棚の中から、書籍登録ノートに記されている番号の本を根気よく探さなければならない。
そして天井近くの棚にある場合は、かなり段数のある脚立に乗って、本を取り出すのだ。
もっともそんな場所にある本は、かなり古い書籍で、数年に一度くらいしか利用する者はいないが。
そう、ルートンと友人達くらいしか。
まあ、無類の本好きならば、彼らのようにこの手間暇掛かる行為も楽しいに違いない。
しかし、世の中そんな暇人ばかりではない。
仕事に使う本を探しているときは、なるべく最速で見つけ出したいと思うのが当たり前。
そんな時に助けてくれるのが図書館司書だ。もちろんそれは彼らの仕事のほんの一部に過ぎないのだが。
とにかく、最速で必要な本を見つけ出したい人達。
主に日々公務に追われる官吏達にとっての救い主が、ルートン=ガルバンだったのだ。
仕事でこんな本が必要だと言えば、その要望に最適な専門書をすぐさま見つけ出してくれる。
とある件に関する資料が必要だと依頼をすると、あっという間にその資料となる本を掻き集めてくれる。
こんな本があればいいという声を聞けば、自ら出版社へ企画を持ち込んだり、他国へ出向いて良書を仕入れてくる。
この王立図書館、彼が配属される以前と現在ではエライ違いだった。
数年前までは、高貴な方から図書館にはない書物を求められる度に、そりゃあもう大騒ぎだったのだ。
職員が一丸となって、国中の書店や図書館を必死に探し回っていた。
ところが彼が司書になってからは、滅多にそんな事態には陥っていなかった。
というのも、本や雑誌などの紙媒体を出版したら、販売前にその新刊を王立図書館に二冊進呈する法律を彼が立案し、制定させたからだ。
つまり、この国で出版された書物の全てを王立図書館で管理できるようにしたのだ。
こうすることで、どうしても必要な書籍を探している者が、できるだけ苦労せずに、目的の本を手に取れるようにしたのだ。
二冊のうちもう一冊は保管用だ。
もちろん法律は時間を遡れない。
以前に出版された物は対象外だった。
そのため現在図書館にない古書に関しては、司書達が、古本屋を訪れた際に見つけ出しては、その都度購入している。
そのことが彼らのライフワークの一環になっていた。
もちろん最初は、それはあくまでも業務ではなく彼らの趣味というか善意による行為だった。
とはいえ、本は高価だ。いつまでもポケットマネーで購入などしていられない。
そこで今では彼らの買った本は国費で買い取る、というシステムが出来上がっていた。
それ以外にも、貴族に呼び掛けて、不要な古書を寄贈してもらえるように呼び掛けもしていた。
二十冊以上寄贈してくれた者には、その名前を図書館の敷地を囲う石塀にその名を刻む謝礼付きだ。
文化人としての評価が得られるというので、こぞって寄贈するものが現れた。
それらは全てルートン=ガルバン図書館司書の発案によるものだったのだ。




