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第2章 婚約破棄騒動のその後


 コスナータ男爵家令嬢アイラと、オルドス子爵令息ワルター。

 あのパーティーで交わされた二人のやり取りの内容が記された書類。

 その文章を読んで、ルートンは目を見張った。一言一句違っていなかったからだ。

 

 彼は自分の記憶力が並外れていることを認識している。

 そんな彼だからこそ、あの少女が自分と同等の力を持っていることに気付いたのだ。

 

(婚約解消になって良かったんじゃないか。

 あんな馬鹿な男との婚約を継続しても何の意味もないだろう。結婚したら地獄のような一生を送ることになるに違いない。

 たしかに婚約解消となれば、たとえ相手の有責だとしてもご令嬢の方に傷が付く。全く馬鹿馬鹿しい話だが。

 しかしあれだけ度胸があって、しかも頭がいいのだ。支払われた慰謝料を元に王都を離れて別の場所で商売でも始めればいい。

 くだらん訳あり男と結婚しなくても生きて行けるだろう)


 そうルートンは思った。

 


 その後間もなくしてコスナータ男爵家から、礼状と共に一冊の旅行ガイドブックと、老舗の菓子店の焼き菓子が届けられた。

 

 礼状にはルートンが証人になってくれたおかげで、あちらの有責で無事に解消されたと書かれてあった。

 その情報はすでに彼の耳に入っていた。

 実際には相手側がごねて、スムーズというわけではなかったようだが。

 相手のオルドス子爵家は、どうやら最初のうちはそんなことを言った覚えはないと言い張って、あちら側に有利な証人を立てたらしい。

 あの場にいなかった親は、婚約破棄なんてとんでもないと思ったのだろう。


(そりゃあそうだろうなあ。あんな頭の悪そうな息子じゃ、彼女くらい頭の良さそうな奥さんをもらわないと家が傾くのが分かりきっているもんな。

 まあ、それが分かっていながらアレ(・・)を放置していたのだから、親の方も大概だが)


 ルートンが思った通り、オルドス子爵家が取った対応策は見事に失敗した。


 男爵家側の証人になった人物は、令嬢側の証人に本当にルートン=ガルバン伯爵令息がなったとわかった途端、態度を豹変させたそうだ。

 真っ青になり、勘違いだったと証言を撤回して裁判所から逃げ出したらしい。


(ガルバン伯爵家の嫡男は騎士団の上層部にいる。次男は近衛騎士。敵に回したくはないよな)


 でもまあそんなわけで、彼女が申請した婚約の解消はあっさりと認められたのだそうだ。もちろんかなりの慰謝料も認められたという。

 

 手紙には感謝の気持ちが滔々と綴られてあった。

 良かったな、と素直にルートンはそう思った。しかし、その礼だという品を見て疑問に思った。

 

 ドライフルーツとナッツがたっぷりの焼き菓子……

 昔ながらの銘菓で、たしかにルートンの好物だった。

 しかし、今の若者に好まれるかといえば疑問符が浮かんだ。今流行りの菓子はふわふわしっとり系の菓子なのだから。


 何故これをチョイスしたのだろうか。

 彼の幼い甥と姪は噛もうとして噛めなかったせいで泣き出して、すぐにその菓子をポイしていた。

 もちろんルートンは、もったいないのでその食べ残しを拾って食べたが。 

 口に入れるもの。それらの製造過程がほとんど頭の中に入っている彼は、それらを作るためにかかる労力やコストがどれほどのものになのか、それをよく理解している。

 それゆえに食物を残すなんてとんでもないと思っている。

 まあ彼の勿体ない精神は食べ物に限ったことではなかったが。

 

 そしてもう一つ。

 旅行ガイドブック。

 彼がいつか旅をしたいと夢に見ている、東方に位置する、古い歴史と文化を持つ異国のガイドブックだ。

 割と裕福な男爵家だとは聞いたが、それでもなかなか入手の困難な品だ。


(う〜ん。何故彼女は僕の好みや欲しいものがわかったのだろうか? 偶然にしてはレアなチョイスだよなぁ)


 ガイドブックだけなら、コスナータ男爵家の面々は皆東の国の人々のような黒髪だったから、もしかしたら何か繋がりがあるのかもしれない。

 しかし好きな菓子まで知っているというのは不思議だよな。ルートンは頭を捻ったのだった。



 ルートンがその固い焼き菓子を食べ切った頃。

 彼は次期伯爵である長兄ランドルから思いがけないことを言われた。

 

「お前、少しは運動をしろ。

 人間にとって一番大切なのは体力だ。

 いくら頭や顔が良くても、病気で死んだら終わりだぞ。胆力がなけりゃ何もできないし」

 

「なんですか、急に」

 

「このままじゃ、お前が若死にしないかと心配になってきたのだ。だから体を鍛えろと言ったんだ」

 

 かつて、貴族令息は幼い頃から体を鍛え、武道に励み、騎士を目指すのが基本だった。

 十四、五歳で騎士団見習いになり、二十歳で正騎士となってようやく成人と見なされたものだ。

 しかし、今ではそれとは別に学園というものが出来ている。

 元々は、官吏養成のために作られた施設だった。

 その後、領地経営や商売を学ぶコース、そして淑女科なるものが増設されて、令息だけでなく令嬢まで通えるようになった。 優秀な平民も。

 

 まあ、貴族においての教育とは家庭で行うことが基本であり、学園に通う、通わないは自由だったのだが。

 ガルバン伯爵家の長男と次男は幼い頃から頭脳明晰で、運動能力にも優れていた。

 つまり二人の兄はかなり優秀だったので、わざわざ学園に行く必要がなかった。

 そのため、彼らは共に十四の年に騎士団の見習いになった。

 そして二十歳で正式な騎士になった時、彼らはすでに官吏試験にも合格しており、出世コースに乗っていたのだ。


 上の兄はすぐさま騎士団の上層部に迎え入れられ、下の兄は近衛騎士団に採用され、二人とも騎士の出世コースに乗った。

 このようにカルバン伯爵家にはかなり優秀な兄が二人もいたので、三男坊で末っ子のルートンはとても気楽な身分だった。

 後継者どころかスペアになる必要もなかったからだ。

 しかも姉が二人いたので、それほど必死に他家との縁を繋げる必要もなかった。

 そもそも親達が積極的に婿入り先を探している様子もなかったし、社交をして自ら探させとも言わなかったくらいだ。

 

 家や他人に迷惑がかからないのであれば、何をしても構わないとさえ言われていた。

 つまりこんな風に親や兄達から、ある意味どうでもいい存在のように放任されてきた。

 そのため、彼は好きなことを好きなだけして育ってきたのだった。

 

 それなのになぜ今頃になって兄は、体を鍛えろなんて言い出したのだろうか? 

 ルートンはとても不思議な気持ちになったのだった。


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