207.海への道のり――終わりと始まり
「さて、この後、何か希望はあるかな?」
黒蝶騒動から数日後、ターラントの街の拠点のダイニングに使用人以外の全員を集め、レンはそう口火を切った。
「また、レンが料理した魚が食べたい」
「あーしも食べたいっす」
「いや、そういう事じゃなくてね? 海まで来たわけで、予定だと後は帰るだけなんだけど、このまま戻っちゃって良いかな、みたいな?」
それを聞き、クロエは不思議そうな顔をする。
「元々この旅は、レンが言い出したもの。レンの好きにすれば良い」
「あたしは途中からエーレンに付いてけって言われただけだから、帰るなら一緒に帰るけど?」
「レン様がご満足されたのでしたら、帰りましょう」
旅の目的からして、全員に主体性がないのは当然なのだが、レンは溜息をついた。
「はぁ……そういう事なら帰るけど、帰り方に希望は?」
「帰り方? どんなのがあるの?」
「まあ大きく2つかな。転移の巻物でサンテールまで戻る。馬車でノンビリ戻る……ノンビリ戻る方なら、来た時と同じようなペースになるけど」
「ノンビリがいい。私は神託の巫女としては、あまり世界を見ていないと気付いた。だから帰りにもまた何か発見があると思う」
「あたしはどっちでもいいけど、まあノンビリかな?」
転移の巻物を使えば一瞬で旅が終わる。
それを残念に思ったのか、心なし、リオの表情が寂しげだった。
「レン様、パラシュートは幾つありまして?」
「ン? ライカが使ったものと、スピルホールの実験用に作ったのが3……4個かな?」
「ならば、それをクロエ様に装着して、私が風で運ぶのはいかがでしょうか? 基本は地上でルート。急ぎたい場合は空から、という選択肢を用意するやり方ですわ。これなら万が一の場合でも、クロエ様はパラシュートで降下できますわ」
「エミリアさん、神殿の許可は下りるかな?」
まあ、無理だろうけど、とレンが尋ねると、その意に反してエミリアは
「……私とフランチェスカが安全を確認した上であれば」
と条件付きでそれを許可した。
「……方針が変わったんですか?」
とレンが不思議そうな顔をすると。
「パラシュートは実績こそ少ないですが、国の施策と言っても良い妖精の移動に際して安全装具として使用されました。それが判断を変える理由です……あと、クロエ様がとても期待してますので……」
「でも、パラシュートを使うような事態にはなりませんよ?」
「それでも、あれを背負って空を飛べば少しは満足されるかと……いつかは使いたいと仰るでしょうけど……」
そう言って溜息を吐くエミリアに、レンは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「まあとにかく……それなら、次の街まで急ぎたいときは飛ぶ。そうでないならノンビリってことにしよう。今、ギルドに依頼してる品物を受け取ったら戻る感じだから、早ければ4日後。やりたいことがあるなら延期も可能だから、忘れ物のないようにね」
◆◇◆◇◆
馬車でノンビリ進み、時折馬車はアイテムボックスに、馬は風の繭に包んで空を飛びつつ帰路を進む。
そんなやり方で、来た道を戻る。
支店のあるダルア、妖精の件で拠点をひとつおくことになったコラユータ、ディオの名の記された石碑のある砂漠のフェオ。カミーラでは地下の魔力経路が正常であることを確認し、カルタでは留守居の犬猫と戯れ、少し前に産まれた柴犬の仔犬を雄雌1匹ずつ引き取る。
そして。
聖域の村では、クロエがマリーに様々な土産を渡してべったり張り付き、クロエを張り付けたマリーは、クロエの縫いぐるみを抱きしめてニコニコしつつ、レンに
「拠点が必要なら、聖域に掘った洞窟に住めば良いのです」
等と言い出す。
「なんでまた?」
「監視対象がここに戻れば、お姉様もここに戻れますもの」
「俺は監視対象だったっけ?」
苦笑しながらレンが尋ねると、クロエは困ったような表情をする。
「レンが何かをしたとき、それを見逃さないようにするという意味でなら否定しづらい部分はある」
「ああ、そっかソレイルに伝えるためには見逃せないのか」
なるほど、と頷いたレンは、ケージに入った仔犬と目が合い、お尻ごと尻尾を振る仔犬を抱き上げると、その場に腰を下ろし、あぐらになって少し膝を立て、足の間に仔犬を仰向けに挟むようにする。
その状態でこちょこちょとお腹をくすぐってやると、仔犬は嬉しそうにジタバタする。
それを見てクロエも手を伸ばして仔犬の、まだ柔らかい手触りの頭を撫でる。
その手にじゃれつき、舐めまくる仔犬を、マリーはうらめしそうに眺める。
「ずるいですわ」
「マリーも撫でてやればいいだろ?」
「なんでだか、私が手を伸ばすと唸るんですもの。お姉様に懐くのは当然ですけれど、なぜ私が触れようとすると唸るんですの?」
「なんか犬が苦手な臭いでもするんじゃないか? クロエさんと手を握ってそのまま、頭に触れてみるとかは?」
なるほど、とマリーの手を握ったクロエはそのまま仔犬の顎にマリーの手を近付ける。
匂いが混じったため、仔犬は少し混乱するが、クロエがやるならとマリーの手が顎に触れるのを受入れる。
そして、撫で方が良かったのか、尻尾を振ってマリーの手を嘗める。
「可愛いですわね……これ、オラクルの村で飼いますの?」
「レンが飼いたいらしい」
「犬と猫は、少し前に慰問が来た時に触れる機会がありましたけど、まだ数が少ないと聞きましたわ。飼いたいからと簡単に飼えるものですの?」
不思議そうにするマリーにクロエは、レンがカルタの村で行なった契約について説明する。
「すると、慰問自体、食料援助があったから始まったことですのね?」
「そう。それで、今は犬猫たちの産児制限が少し緩くなっていて、かなり増え始めている。だから引き取れた。この仔達と血の繋がらない仔たちが産まれたら、またオラクルの村に引き取る予定」
「ズルいですわ。聖域にも導入を要求しますわ」
「……ああ、それは検討してるよ」
と答えるレンに、本当に? とマリーが尋ねると、レンはまだ計画段階だけど、と続けた。
「レシピと同じで、一カ所にまとめていると、何かあったときに取り返しが付かないからね。分散するって意味であちこちの街に数組ずつ番をばらまくべきかと思ってるんだ」
「ここは街を名乗ってはおりませんわよ?」
「ここやオラクルの村みたく、学生が来たり、巡礼が来たりする所は、犬猫を知ってもらう意味でも、飼ってもらいたいかな……まあ、散歩とか結構大変なんだけどね」
それに加えて、油断をするともの凄い勢いで増えるから、増えるペースをしっかり管理出来ないなど、管理ができないなら引き上げさせるけど、とレンが言うと
「こんな可愛い仔を引き上げさせるとか、レン様は鬼ですわね」
とマリーが口を尖らせる。
「しっかり散歩させて、雄雌を離して飼うだけの話だから、別に馬なんかと同じだろ?」
「そうですけど……でも好き合ってる仔たちを離すのは気が引けますわよ」
「……英雄の世界で昔あった話だけど、野放図に犬猫が増えすぎて、飼えない人が殺したり捨てたりした時期があったんだ。特に捨てられた犬は、群れで獲物を襲ったりして、とても危険だから駆除されてた時代もあったらしいよ。猫だって飼い主がいない野良猫が増えれば食べ物がなくなってヒトの食べ物を奪ったりもするし、野良猫の間で病気が流行れば、飼い猫がその病気を貰うこともある。そうしないためには、一定の管理は必要なんだよ」
避妊手術などないのだから、好き勝手をさせればあっという間に増えて、犬猫が害獣と数えられるようになってしまう。
長く犬猫に触れる機会がなかったこの世界の人々には最初が肝心だ、と考えたレンは、数を制限する必要性を説明する。
「もちろん可能な範囲で増やすのは構わないし、今の減りすぎた状態も正しいとは言えないけど、結界の中で共に生きるならルールは必要なんだ」
そんなレンの足の間では、レンの手が止った事で、仔犬がもっと撫でろと体をよじって不満を表明する。
その際にレンの指にやや強めに齧り付いたため、レンは即座に
「ガウッ!」
と仔犬に向って吠え掛かり、その首元を掴んで押さえる。
ビックリした仔犬はその状態で固まり、すぐに忘れて尻尾を振って、自分の首を押さえるレンの手から逃れようとする。
そのやり取りをみて、クロエは首を傾げた。
「レンは犬としゃべれる?」
「あ、今のは親犬の代わりの躾かな。甘噛みならともかく強めに噛まれたらこうやって、今のはやったらダメな事だよ、って教えるんだ」
「吠えないとダメなの?」
「色んなやり方があるよ。もう少し大きくなったらマズル……犬の口の所を掴んで、目を合わせて低い声でダメ! って言うのでも効果はあると思う」
悪いことをしたらすぐに叱る。
これをやってやらないと、ヒトに迷惑を掛ける犬に育ってしまうのだとレンが説明すると、横で聞いていたマリーが
「難しいものですわね。聖域で育てるにしても。そこまで出来るのかしら」
と不安そうにする。
「ああ、確かに最初の内は色々解らないだろうからね。ある程度躾が終わった犬を送るように手配しないとダメか」
それに加えて、育て方――食べさせて良いもの、悪いもの。躾の方法。許容すべき粗相。年老いた場合の面倒の見方など――を記した指南書も必要か、と思い至る。
「そか、育て方も広めないとダメなんだな」
日本であれば、本屋でそうした知識は手に入るし、何なら近所の誰かに聞けば、飼った経験がある者のひとり二人はみつかるものだが、この世界ではそれらは望めない。
ならば、広めようというレン自身が用意しなければならない。
「……正直、俺も柴犬以外だと解らないことも多いから、カルタの村に協力を仰ぐ必要があるのか」
「方針だけ頂ければ、黄昏商会と暁商会で対応しますわ。この仔犬は付けていませんが、カルタの村では首輪などありましたから、そういった品の独占販売の機会となりますし」
「あー、なるほどね。首輪、ハーネス、リード、屋内のトイレ、柔らかいクッションにオモチャ、動物の腱の干物や躾で使うおやつ、まあ色々と商機がありそうだ」
レンがそう呟くと、ライカは
「後で詳しくお聞かせ下さいね」
と微笑むのだった。
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