タクヤが脱出作戦を考えるとこうなる
「はぁっ、はぁっ………!」
静かに拳を引き戻した俺は、コートの袖で冷や汗を拭い去りながら呼吸を整えていた。今しがたお見舞いした腹パンでリディアが吹っ飛んでいく度に、ギリギリで彼女の一撃を躱したという緊張も遠ざかっていくのを感じながら、ナイフのグリップを握り直す。
やっとリディアに一撃だけ叩き込む事ができた………!
だが、今のようなフェイントはもう見切られるに違いない。いや、見切られるというよりは通用しないだろう。実際に俺はあのような小細工を何度も繰り返すようなことはない。長期戦になれば裏をかくつもりで同じ手を使ったり、アレンジを加えた作戦で意表を突くが、リディアのような長期戦を挑むべきではない相手に同じ手を使うのは愚の骨頂でしかない。
それに、そろそろ逃げる作戦を考えるべきだ。
エリスさんと戦っているラウラたちを一瞥し、俺は息を呑んだ。現時点で重傷を負っている仲間はおらず、氷漬けにもされていないようだが、彼女たちも無理をしているという事は一目で分かった。
遥かに格上の強敵の攻撃を辛うじて見切り、その攻撃を喰らわないように常に警戒しなければ戦わなければならないのだ。勝ち目のない戦いだというのに、俺が脱出するための作戦を考えるまで強敵の攻撃にさらされ続ける恐怖と疲労。おそらく、もう耐えられなくなってしまうだろう。
なのに、仲間たちは勝手に逃げ出さずに戦い続けている。彼女たちの苦痛を打ち消し、再び海原の上へと連れ戻せるのは俺だけなのだ。そう、俺が速く作戦を思い付かなければならない。
吹っ飛ばされていったリディアに警戒しつつ、俺はもう一度神殿の中の構造を思い出す。俺たちが上陸したのはこの広場だが、やはりここから逃げ出すのは論外だ。せめて他にも水路があればそこから逃げられるのだが、ここ以外に大きな水路があったのはシーヒドラと戦った広場のみである。しかも、あそこは海水があるとはいえ、海水が流入しているのは潜水艇どころか人間すら通れないほど狭い穴だ。
あの穴の向こうには、やはり深海があるのだろうか。この神殿を建てた古代人たちの技術によって水圧を下げ、まるで水道から緩やかに流れ出る水のようにあの広間へと流れ込む深海の海水。せめてあの穴がもっと広ければ、潜水艇で逃げられたというのに………。
「ん………?」
待て。もしかしたら………ああ、逃げられるかもしれない。この広場からではなく、あのシーヒドラと戦った広間からならば脱出できる可能性がある!
そうだ。潜水艇にはあれを積んでいるではないか。ステラの出番だ!
「………はははっ……もっと早く思い付けよ、バカ野郎が」
自分自身に向かってそう言いながら、俺はナイフを鞘に戻した。崩れかけの純白の柱に叩き付けられていたリディアが立ち上がり、傍らに転がっていた自分の日本刀を拾い上げて立ち上がったが、俺は彼女が走り出すよりも先にコートのホルダーからメスを引き抜くと、続けざまに彼女に向かって投擲していた。
元々は魔物から内臓を摘出するためのメスだ。現代の冒険者はナイフと一緒に携行する事が多く、投げナイフなどの投擲を得意とするものはこのメスを武器にすることもあるという。
サプレッサーが用意できなかった場合の代用品になるからと、俺たちも幼少の頃からナイフを投擲する訓練を受けていたため、中距離の敵に向かってナイフやメスを投げつけて攻撃するのはお手の物だ。さすがに銃弾に比べると弾速は遅すぎるが、射程距離の短いソードオフ・ショットガンよりはマシだろう。
あくまで、リディアの突撃を遅延させられればいいのだから。
「撤退! 神殿の中に撤退しろッ!!」
「了解! みんな、早くッ!!」
俺の指示を聞いたラウラがグローザの銃口をそのままホルダーにぶら下げてあるライフルグレネードの後端に突っ込み、ライフルグレネードを装着すると、スモークグレネードの代わりにエリスさんへと向けてそのライフルグレネードを放った。
同時に放ったのではなく、やや時間差をつけて放ったラウラ。そのように発射したのは、2つとも氷漬けにされるのを防ぐためだろう。
エリスさんの冷気は強烈だ。接近するだけで対戦車榴弾が氷漬けにされてしまうほどの超低温なんだが、あくまでその超低温の冷気はエリスさんが纏っている状態だ。
つまり、その冷気は前方から流れてくるという事になる。ならば砲弾の前方に何かを配置して冷気の盾に使えば、少なくとも後続の砲弾は凍結することなく爆発させることが可能だ。それを見抜いたラウラは、ちょうど2発だけ残っていたライフルグレネードでそれを実行したというわけである。
案の定、一足先に放たれたライフルグレネードはあっという間に霜に覆われ、やがて氷の塊に呑み込まれ始めた。後続のライフルグレネードにもエリスさんの冷気が絡みつくが、前方に盾代わりになった砲弾があるおかげなのか、それほど凍り付いてはいない。
それに気付いたエリスさんは一瞬だけ目を見開くと、にやりと笑ってから後ろへとジャンプした。彼女ならば後続の砲弾もろとも凍らせることはできる筈だが、間に合わないと判断したからなのかもしれない。
地面に氷漬けになった砲弾が落下し、続けてやや霜が付着した程度の後続の砲弾が、最初に発射されて氷漬けにされた砲弾の後端に激突した。石畳の上で追突した砲弾が膨れ上がり、こびりついていた霜と氷の欠片を一瞬で融解させると、まるで一足先に放たれた砲弾を温めようとしているかのように爆炎で呑み込み――――――その中で、更に爆炎が生まれた。
「くっ………!」
「みんな、今だよっ! 走って!!」
2つの爆炎に遮られ、ラウラたちをすぐに追撃するわけにはいかなくなったエリスさん。爆炎に足止めされている彼女を更に牽制するように7.62mm弾を断続的に連射しつつ、ラウラも素早く入口の方へと走っていく。
向こうは大丈夫そうだ。それにしても、やはりラウラの射撃は正確だな。2発の砲弾のうち片方を冷気を防ぐための盾に利用するなんて。
彼女の卓越した射撃の技術に改めて驚愕しつつ、俺も入口の方へと走った。現時点では俺が仲間たちに置き去りにされている状態だ。もたもたしていたらリディアだけでなく、エリスさんにまで追撃されてしまう。
左肩にあるホルダーのメスを全て投げ尽くし、右肩のホルダーからメスを纏めて掴み取りつつ踵を返す。エリスさんはラウラの射撃が足止めしているから、俺はリディアだけから逃げればいい。
親父と鬼ごっこをしていた時の事を思い出しつつ全力疾走する。床に転がっている石像の残骸を飛び越え、砕け散った石畳を踏みつけながら階段を駆け上がり――――――階段を上る途中で屈み、床に落ちている物体を拾い上げる。
「タクヤ、早く!」
「分かってるって!」
ただ、最後にダメ押しするだけさ。
俺が今掴み取ったのは――――――最初に射撃の途中で投げ捨てた、LMGのMG42なのだから。
キャリングハンドルを握りながら素早く後ろを振り返り、照準器の向こうから追随してくるリディアを睨みつける。親父や母さんのように鋭い目つきで追撃してくる彼女を睨み返しながら、俺は「プレゼントだッ!!」と叫びつつトリガーを押した。
ドラムマガジンの中に残っているのはなけなしの7.92mm弾だ。連射速度の速いこいつで撃ちまくればあっという間に撃ち尽くしてしまうし、肝心の銃身もまだ完全に冷却されたわけではない。うっすらと紅く染まり、陽炎を生み出し続けているこいつの銃身はもうオーバーヒートしかけているのだ。
頼む、たかが数発の弾丸だ。耐えてくれ。
ドイツ製の高性能なLMGに祈りつつ、マズルフラッシュの彼方を睨みつける。リディアは俺たちに追いつくことだけを考えているのか、最初に俺の弾幕の中を駆け抜けてきた時のように積極的な回避はせず、弾丸の中を走ってくる。
何発かが肩や彼女の太腿を掠め、黒いコートを引き裂いていく。
そこで、俺は連射している最中の銃口を下へと向けた。照準器の向こうに映っていたリディアの姿が消え失せ、特に撃っても意味がないような真っ白な床だけが照準器を埋め尽くす。
―――――小細工を成功させるコツは、相手をどうやって裏切るか。
俺の目的は一旦神殿の中まで逃げる事だ。ここでリディアを殺すことではない。
これから放つ数発の弾丸が、またしても彼女を裏切るのだ。
石畳に斜めに命中した弾丸が、純白の石の破片をまき散らしながらバウンドし、破片と共に舞い上がる。その破片が舞う範囲の中に飛び込んでくるのは―――――俺たちを追撃してきた、リディア・フランケンシュタインだ。
「――――――!!」
咄嗟に左手を鞘から離し、破片と跳弾した弾丸から頭を守るリディア。容赦なく彼女に喰らい付いた石畳の破片に邪魔され、彼女のスピードが劇的に落ちる。
その隙にMG42を投げ捨て、俺はラウラの手を引いて神殿の奥へと駆け込んだ。だが、このままラウラたちと一緒に神殿の中へと逃げ込んでもリディアは追いかけてくるだろう。もう少し彼女たちの追撃を遅延させる必要がある。
ラウラを連れて走りながらメニュー画面を開き、俺はひたすらクレイモア地雷やC4爆弾を生産し続けた。せっかくレベルを上げて貯めたポイントが凄まじい速度で減っていくが、それを惜しんでいたら追いつかれてしまう。ポイントを惜しんでいる場合ではない。
「ラウラ、氷を!」
「任せて!」
突然、背後から流れ込んで来ていた蒼白い光が消え失せた。その代わりに神殿の中に入り込んできたのは――――――冷気だった。
振り向いてみると、どこからか出現した鮮血のような氷の壁が、神殿の入口をしっかりと塞いでいた。外から流れ込んでくる蒼白い光を紅い氷の壁がろ過し、真逆の色彩の壁を通り抜けた光が禍々しく煌めく。
ラウラに氷で通路を塞いでもらったのだ。エリスさんやリディアならば破壊して突破してくるだろうが、彼女だってエリスさんの才能を受け継いで生まれてきたキメラである。あの氷が易々と破壊できるわけがない。
リディアの姿が氷のせいで見えなくなったのを確認してから、俺は片っ端から生産したばかりのクレイモア地雷を装備すると、次々に神殿の通路の中に仕掛け始めた。瓦礫の影や暗闇の中にワイヤーを張って仕掛け、時折分かりやすいところに堂々と仕掛けておく。その堂々と仕掛けた地雷を罠だと思って警戒してくれるならば時間が稼げるし、油断してそれを飛び越えれば別の地雷の餌食になるという作戦だ。おそらくエリスさんならば見破ってどちらも無力化しそうだが、数秒でも時間を稼げればいい。
そうやって地雷を仕掛けながら、俺たちはシーヒドラが沈んだ広間へと再び向かっていた。
エリスさんたちの侵入によって入口の広場は蹂躙されていたけど、この広間は俺たちがシーヒドラと戦っていた時とあまり変わらない。あんな巨体が沈んだせいで若干水位が上がっているような気がしたけど、ここから逃げるという作戦を思い付いた俺たちからすれば水位は高い方が好都合だ。
円形の足場の外周を埋め尽くす海面でDSRVを装備して出現させる。目の前に出現した迷彩模様の潜水艇に仲間たちが次々に乗り込んでいくのを確認した俺は、後ろに立つナタリアに転生者ハンターのコートの上着を預けると、中に着ていたグレーのワイシャツから紅いネクタイを外し、同じくナタリアに預けた。
「早く戻ってきなさいよ……?」
「任せろ、泳ぎも得意分野なんだよ」
そう言っていつものように笑ってから、俺は海中へと躍り出た。そう言えば俺の笑顔ってどんな感じなんだろうか? 彼女の不安を希釈できればいいなと思いながら下へと潜っていきつつ、少しずつ増していく水圧に耐えるために身体を徐々に外殻で覆っていく。
水圧に耐えるためとはいえ、サラマンダーの外殻の本来の用途は炎と物理的な攻撃を防ぐことである。潜水艦の耐圧穀のように水圧に耐えられるわけではないため、出来るだけ早めに切り上げる必要があった。
それに、エリスさんたちも俺たちを追って奥へと向かっているのだから。
押し潰されるような感覚を覚えながら、半球状になっている海中の一角へと辿り着く。藻やフジツボが付着している純白だった壁の表面を確認してから、俺は水中でズボンのポケットの中に手を突っ込んだ。
その中に入っていたのは、6つのC4爆弾だった。
C4爆弾を全てフジツボと海藻まみれになった壁に設置してから、今度は海面から小型の錨を下ろして停泊している潜水艇へと向かって少しずつ浮上していく。
幼少の頃から泳ぐ訓練も受けていたため、水中で泳ぎ回るのは朝飯前だ。それにこの効果能力のおかげで、空気さえ何とか出来れば潜水服なしでもある程度の深度まで単独で潜ることが可能なのである。
本当に便利な身体だよ。
足場の縁に浮上すると、ちゃんと俺が預けたコートを持ってくれていたナタリアが手を伸ばしてくれた。海水まみれになった前髪を片手で払ってから彼女の手を握り、引き上げてもらう。
「仕掛けた?」
「もちろん。後はステラ次第だ」
「そうね。よし、乗って。あんたが操縦士でしょ?」
「おう」
びしょ濡れのまま彼女から上着とネクタイを受け取り、一緒に潜水艇へと乗り込む。タラップを降りて操縦士の座席に座り、操縦桿を握っていると、背後からナタリアがハッチを閉じる音が聞こえてきた。
念のため、もう一度潜水艇の船体をチェックしておく。来る時も異常はなかったのだが、やはり現在も異常は無いようだ。バラストタンクやスクリューも正常だし、舵もちゃんと動く。
「頼むぞ、ステラ」
「了解」
返事をしながら懐中時計を取り出したステラは、頷きながら目の前のレバーに取り付けられているスイッチを凝視した。
俺が考えた作戦は、かなりリスクの高い作戦だ。この広間の下部は海水に覆われているのだが、その下部の一角をC4爆弾と潜水艇に搭載しておいた2本の魚雷で爆破し、この広間を水没させてから脱出するという作戦である。
空気がまだまだ残っている状態ならばその穴から凄まじい量の海水が流れ込んでくるが、この空間を水没させた後ならばその海水の勢いも削られる。それにその海水が、エリスさんたちの追撃を阻止してくれる筈だ。
海水の勢いが弱くなったら、その穴から潜水艇で離脱すればいい。
「………これより、海底神殿脱出作戦を実行するわ。異常はないわね!?」
「機関部異常なしですわ」
「ソナーも問題なし」
「バラストタンク、トリムタンク、ネガティブタンク異常なし。いつでも潜航できるぜ」
「ギョライも問題なしです」
ナタリアに報告を終えてから、俺はC4爆弾の起爆スイッチを取り出した。魚雷の弾着と同時にこのスイッチを押して起爆する必要がある。それを担当するのは、魚雷の発射を担当するステラだ。
彼女にスイッチを渡してから、俺は再び操縦桿を握った。
「ベンド弁開放、トリムタンク及びバラストタンクに注水開始」
「了解、ベンド弁開放」
この作戦が失敗すれば、俺たちは袋の鼠だ。いくら母親でも天秤の鍵を譲るわけにはいかない。
頭上にあるコンソールをタッチしてベンド弁を解放し、トリムタンクとバラストタンクに注水が始まっていることを確認する。すると太い魚雷にも似た船体が少しずつ傾き始め、シーヒドラが沈んだ海底へと潜航を開始する。
息を呑みながら左隣を見ると、魚雷の発射スイッチに小さな手を近づけているステラも同じように息を呑んだのが見えた。彼女も緊張しているのだろう。
「………魚雷発射用意」
「了解」
この潜水艇に装備されている魚雷は、発射管から発射するタイプではなくミサイルや爆弾のように吊るしてあるタイプだ。それゆえに発射する前に発射管に注水する必要はない。
「――――――発射ッ!」
「発射」
ステラの小さな指が、赤い魚雷発射用のボタンを押した。
がきん、と足元から金属音が轟く。本来は救命用に設計されたDSRVがステラの命令によって、やっと異質な〝荷物”を下ろすことが許された瞬間であった。
すぐに金属音は消え失せ、短すぎる残響をたちまち魚雷のスクリュー音が飲み込む。そのスクリュー音まで遠ざかっていくのを確認したステラは、左手にC4爆弾の起爆スイッチを準備しつつ右手に持った懐中時計を注視する。
「20……19……18……」
まだこの潜水艇は錨を下ろしたままだ。流れ込んでくる激流に押し流され、壁に激突して航行不能になるのを防ぐためである。潜航したまま錨を上げるわけにはいかないので、脱出する際はこいつを切り離すことになるだろう。
ステラならタイミングよく起爆してくれる筈だ。そう思いながら、俺は錨を切り離す準備をする。
「10……9……8……7……6……5……………………弾着………今」
相変わらずステラの冷たい声が狭い潜水艇の中に響き渡ると同時に、かちん、とC4爆弾の起爆スイッチを彼女の小さな指が押し込んだ。
その直後、潜水艇の前方で凄まじい量の爆薬が弾け飛び、魚雷と爆弾の断末魔が潜水艇を包み込んだ。
次回は、いよいよ海底神殿脱出です。お楽しみに!




