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友達 1 「出会い」

 春の光がまだ冷たい。

 窓際の席で、星空りんはノートの端にペンを走らせていた。黒板の文字が少し滲んで見えるのは、緊張のせいかもしれない。新しいクラス、新しい制服、知らない声。教室の空気には、どこか透明な壁があった。


 「ねぇ、それ、間違ってるよ。」


 その声は、不意に近くから降ってきた。

 顔を上げると、そこにいたのは茅ヶ崎渚。長いまつげの奥に光を宿したような瞳。笑うと少しだけ片方の口角が上がる。誰もが目で追うようなタイプの子だった。


 「ここの式、符号が逆。ほら、ここ。」


 渚はりんのノートに自分のペンを走らせ、柔らかく笑った。


 「でも、ちゃんと考えてるね。頭いいんだ、星空さん。」


 「……ありがとう。」


 りんはそれだけ言うのが精一杯だった。

 けれど、渚はそれ以上何も聞かず、まるで“それでいい”とでも言うように微笑んだ。



 それから数日、渚はよくりんに話しかけてくるようになった。


 「一緒に帰ろ」「明日もお昼、ここで食べよ」


 誘われるたびに、りんの胸の奥が少し温かくなる。

 放課後、二人で寄った駅前のカフェでは、チョコケーキを半分こした。


 渚がフォークを差し出して、「はい、あーん」と笑う。


 周りの視線が気になっても、りんはその笑顔を見ているだけで不思議と落ち着いた。

 それは“恋”というより、“救い”に近かった。


 「りんって呼んでいい?」


 渚が聞いた。


 「うん……」


 「じゃあ、りんも渚って呼んで。ね?」


 強引でもなく、命令でもない。ただ、拒めない響きだった。

 その夜、りんは日記を書いた。


 > 『初めて“友達”ができた気がする。』


 その文字を見て、自然に微笑んだ。

 胸の中で何かが動き出す音がした。



 数週間後。

 放課後の空は、急に降り出した雨で灰色に沈んでいた。

 傘を忘れたりんは、校門の前で立ち尽くしていた。

 誰もいない昇降口、濡れたアスファルトの匂い。

 ふと背後から、傘の布越しに差し込む光があった。


 「りん、傘、忘れたでしょ。」


 振り返ると渚がいた。

 彼女の肩も少し濡れていて、息を切らしていた。


 「……気づいてくれたの?」


 「当たり前。わたし、りんのことなら分かるもん。」


 そう言って、傘の中へ手を引かれる。

 雨の音が、世界を小さく包み込む。

 肌と肌の距離が近すぎて、息が触れ合いそうだった。


 「ねぇ、りん。」


 渚の声が小さく沈む。


 「わたしたち、もう“友達”だよね?」


 りんは頷く。


 「……うん。」


 「ほんとに?」


 渚はりんをまっすぐ見つめて、ゆっくりと、その唇を重ねた。


 雨音が一瞬、遠のいた。

 渚の髪から落ちる雫が、りんの頬を伝う。

 温度の境界が溶けて、世界が曖昧になる。


 > 「秘密ね。これは……友達の証だから。」


 その言葉が、雨よりも冷たく心に残った。

 帰り道、りんは胸に触れた。

 指先には、まだ渚の体温が残っている気がした。

 “好き”という言葉を使うには、あまりに脆く、

 “友情”というには、あまりに深すぎた。

 その夜、日記にはこう書かれていた。


 > 『傘の下のキス。わたしたちは友達。きっと、そう。』


 最後の「きっと」という言葉を、りんは何度も書き直した。


◇ ◇ ◇

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