凛の花 5(終)
それから、いくつもの季節が過ぎた。
冬の風が去り、春が花を連れてくる。
街の広場には、いつの間にか小さな白い花があちこちに咲くようになった。
どの花も、どんな場所に根を下ろしても、決して枯れない。
人々はそれをこう呼んだ。
「凛の花」――癒しの聖女の涙から生まれた、不滅の花。
◇
あのあと、わたしは再び魔法を使えるようになった。
でも以前とは違う。
手のひらの光は前よりも淡く、優しくなっていた。
力強い輝きではなく、傷口の呼吸に寄り添うような穏やかな魔法。
誰かを“救う”というより、
誰かと“生きる”ための魔法になっていた。
村人たちはわたしを見ると笑いながら言う。
「りん様の魔法は、まるで春風みたいだ」
わたしは首を横に振って答える。
「春風じゃないよ。こうきの風だよ」
みんなは意味が分からないまま笑った。
でもそれでいい。
彼を知っているのは、わたしと渚だけで十分だった。
◇ ◇ ◇
ある夕暮れ、渚と一緒に丘の上へ登った。
「ここ、昔こうきが好きだった場所だよね」
「うん。夜になると、街の灯りが全部見えるって言ってた」
丘の上の草原は、今では“凛の花”で埋め尽くされていた。
風が吹くたび、無数の白が波打つ。
まるで、彼が笑っているみたいに。
渚がぽつりと呟く。
「ねぇ、りん。あのとき、あなたを止めてくれて本当によかったと思う」
「……うん。わたしもそう思う」
「もしあのまま、命を使ってたら、あなたはここにいない」
「でも、わたしは今も彼と一緒にいるよ」
そう言って、胸に手を当てた。
心臓の鼓動が、少しだけ早くなった。
「この音、彼に似てるの。優しくて、まっすぐで、あたたかい」
渚は涙を浮かべながら笑った。
「あなたって、本当に不思議な人」
「魔法使いだからね」
二人で少し笑って、沈む夕陽を見つめた。
◇
夜になっても、丘は光っていた。
凛の花が淡く光を放ち、空の星と混ざり合う。
風が吹くたび、花がさざめくように揺れ、その光が波となって広がった。
その中に立ちながら、わたしはそっと目を閉じた。
(ねぇ、こうき。あなたの花、きれいだよ)
(あなたの優しさが、いまもこの世界を照らしてる)
静かな風が頬を撫でる。
まるで「うん」と笑う声が返ってきた気がした。
◇ ◇ ◇
その夜、日記を開いて、ひとことだけ書いた。
> ――癒せない痛みは、誰かを優しくする魔法になる。
ランプの灯りが揺れる。
その光の中で、机の上の花瓶の中の白い花が、小さく微笑んでいた。
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『凛の花』―終―




