凛の花 4
静かな朝だった。
こうきの亡骸を見つめる時間は、ほんの一瞬のようでもあり、永遠にも感じられた。
渚は泣き崩れ、師匠は沈黙のまま、わたしの肩に手を置いた。
けれど、涙も嗚咽も、わたしの中には届かなかった。
胸の奥が、どこか別の場所に切り離されている。
「りん……」
渚がわたしを抱きしめる。
その体温で、ようやく自分が“まだ生きている”と気づく。
でも、こうきはいない。
それだけが、すべてだった。
◇
葬儀は村中の人々が集まった。
みんなが泣いた。
笑って送り出そうとする者もいた。
でも、空は曇り、鳥の声さえ消えていた。
棺に白い布をかけるとき、わたしは魔法を使わなかった。
どんな魔法を使っても、死は癒せない。
それを知った日だった。
◇ ◇ ◇
葬儀の後、師匠が静かに言った。
「りん。あの子のために命を捧げようとしたこと……責めはしない。
だが、もし次に同じことを考えるなら、その前に私を呼びなさい」
「先生……」
「人は、失った者の名を呼ぶために、生きていくんだよ」
その言葉に、ようやく涙が零れた。
止めようとしても止まらず、膝に落ちた雫が光って見えた。
◇
それからの日々、わたしは魔法を使えなかった。
呼吸のように自然に使えていた力が、手の中で滑り落ちる。
人を癒そうとしても、光が濁る。
花を咲かせようとしても、土が泣く。
「りん、無理しないで」
渚がそう言ってくれるたび、わたしはうなずいて笑った。
でも、心の中ではずっとこう呟いていた。
(無理しなきゃ、生きてる意味がない)
◇
そんなある日。
村の子どもが、崖から落ちて大怪我をした。
渚が叫びながら駆け込んでくる。
「りん! お願い、今すぐ!」
体が勝手に動いた。
気づけばもう、現場にいた。
血の匂い。折れた骨の音。泣き叫ぶ母親。
わたしはその子の上に膝をつき、両手を重ねた。
「大丈夫。戻れる。まだ遠くに行ってない」
魔法陣が展開する。
いつもより遅く、いつもより不安定に。
体の奥から、熱がこみ上げた。
呼吸が荒くなる。心臓が痛む。
(足りない……)
わたしは無意識に、自分の生命力を流し始めた。
血管が焼けるような痛み。
視界が揺れる。耳鳴りが世界を塗りつぶす。
「りん! やめて!」
渚の声が遠くで聞こえた。
けれど、止められなかった。
あの夜と同じように、もう誰も失いたくなかった。
子どもの呼吸が戻る。
瞳に光が戻る。
その瞬間、わたしの中の魔力が一気に枯れた。
体が後ろに倒れる。地面の冷たさが肌に触れた。
渚が泣きながら抱き起こす。
「馬鹿……! また同じことを……!」
「大丈夫。少し、眠いだけ」
声が霞む。
空がぼやける。
どこかで、誰かの声が呼んでいる。
“りん”
“まだ終わらせるな”
(こうき……?)
聞こえた気がした。
でも、目を開ける力が、もう残っていなかった。
◇ ◇ ◇
――目を覚ましたのは三日後だった。
ベッドの上。
隣に渚が座っていて、泣き腫らした目で笑った。
「……おはよう」
「おはよう」
声が掠れていた。喉が痛い。
でも、心は少しだけ軽くなっていた。
「子どもは?」
「助かったよ。りんのおかげ」
「そう……よかった」
「りん」
渚が言葉を詰まらせる。
「あなたが倒れたとき、白い花が咲いたの。あなたの涙の下から」
「花?」
「うん。知らない花。見たことない形だった。
でもね、きっと……こうきが見せてくれたんだと思う」
その瞬間、胸の奥に暖かい何かが灯った。
(――凛の花)
名前が、自然に浮かんだ。
「咲いたのは、どんな色だった?」
「真っ白。光に透けるような白」
「……彼の色だね」
渚が頷く。
「うん。きっと、彼が守ってくれたんだよ」
わたしは微笑んで、窓の外を見た。
秋の風が花畑を揺らしていた。
風の中に、どこか懐かしい香りが混じっている。
(ありがとう、こうき)
その香りの向こうで、
白い花がひとつ、静かに揺れていた。
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